自分でも、もう目覚めることはないだろうと覚悟していたリノの意識は、なんだか甘くて良い香りに誘われてゆっくりと覚醒していった。
「あ、起きた?」
瞼を開くより先に、すぐ近くの気配が微笑んだ気がする。桃の葉のような香りに鼻をくすぐられ、想い瞼をこじ開けた。
真昼の日差しが差し込む中、ぼんやりと光った満月のような金色の双眸が、視界いっぱいに飛び込んでくる。
危うくもう一回気絶しかけて、鼻を摘まれてしまった。
「こらこら、二度寝すんやないの。しゃきっとしぃ、お
「ふご……」
解放された鼻に痛みはなく、むしろ程よい刺激で頭が覚めた。
「あなたは……確か、準騎士殿の連絡係」
「ちゃんとした自己紹介はまだやったね。ボネット・ビアンコ、ボニーって覚えといて」
ニンマリと微笑んだボニーは、何故か仰向けに寝かされたリノに覆い被さるよう同衾している。
自分にはない、ほよほよと弾力に富んだ感触を歯痒さを覚えたリノは、振り払ってやろうと身を起こそうとした。
「……あ?」
ところが、思ったように身体が動いてくれない。リノはおそるおそると目の前のニンマリ笑顔から視線を外して、自分の身体を見下ろした。
衣服は支給品のショーツだけで、ほぼ包帯で隠されてるだけの有り様だ。
もぎ取られた両腕は、なぜかある。しかし力がほとんど入らず、感覚も鈍い。意識を集中しても指先が微かに曲がるだけだった。
リノの様子を見守っていたボニーは、やがて神妙そうな面持ちとなって口を開いた。
「あぁ、堪忍ね。血管は全部繋げたんやけど、神経までは無理やったんよ」
「繋げた、って……あなたが?」
「そこいらのお医者さんよりも上手よ、うちの治療魔法。腕もキレイに残っとったから、ペタってくっつけられたわ。重畳やったね」
動作の保証は別やけど、と話を一旦切ったボニーは、また口許をニンマリと釣り上げた。
「一晩、ずっと付き添うて看病してあげとったわけやな。生還、おめでとさんね」
微笑むボニーをよく見れば、メイド服ではなく眩いほど真っ白なワンピースタイプの部屋着姿だ。
褐色の肌とのコントラスト、凹凸に富んだ胸から腰へのライン、大きく開いた胸元に望める深すぎる谷間。同性にも関わらず、リノを惹きつけて止まない恐るべき色香である。
そんな相手と一晩中密着していたという事実に、頭が一瞬で茹だってしまった。
「……あ、ありがとう……」
「なに照れとるん? うちはシンクはんのお気に入りをみすみす死なすんが心苦しかっただけどす。気にせんでええよ」
「それでも……魔剣と出くわして、もう死んだものだと思ってたし。助けられて当然だなんて、思わないから。だから、ありがとう」
自嘲混じりの苦笑で返すと、ボニーは笑みを消し、つまらなそうに視線を逸らした。
実際、魔剣との遭遇は軍規でも「災害」と判断されるの。例え任務を放棄して撤退しても敵前逃亡には該当しない。
目眩ましついでの閃光弾で、周囲に異常を伝えた時点てリノは責任は果たし終えていた。そこから逃げるのは自由だが、味方にもリノを助ける義務がない。
わざわざ救援に来てくれたことへの感謝に、偽りも含みもあるはずなかった。
「ま、そやね。お姉さんなら、そう言うやろね」
少し間をおいて、ボニーは三度笑顔を作る。
「でも前線に復帰出来るんかは、ほんとお姉さん次第やよ? とりあえず意識戻ったんなら、傷病兵として後方行きやって。移動までもうちょっと休んどき」
「前線……あれ、そういえば……」
どうにかこうにか上体を起こし終えたリノは、目覚めてからずっと引っかかっていた疑問を投げかけた。
「ここ、キャンプだよね? 魔剣に潰されたんじゃなかった?」
見れば見るほど、この部屋の内装は壁紙から天井に梁の様式、果ては埃っぽい臭いに至るまで同じ建物のように思える。
「
ボニーの返事はあっけらかんともので、リノをますます混乱させる。
「ほんならね、
「……なにそれ?」
「せやから、こーゆーこと」
すっとかざされたボニーの掌が光を放つ。何もない空中を照らす光の中に、ぼんやりと全裸でポーズを決めたシンクの姿が浮かび上がった。
「な、なにその術……?」
「うちのイメージを光に投影しとるだけどすえ。生身やと、ちょっとしたレクリエーションにしか使えんさかい、こんなもんやけど。魔剣と組み合わせたら……うへへ、どうなると思う?」
不敵、というか得意気に目を細めるボニー。
どうやらボニーは、この術の応用で罠を張り、ホログラムで偽装した誤った位置を敵に攻撃させたらしい。
そんな馬鹿な、とリノは愕然とする。暗がりだったとはいえ、カタラーナ達を追って建物を出てから通りで銃撃されるまで、街の様子に違和感など覚えなかった。
戦闘に突入してからは周りを見る余裕などなかったが、だからといって自分が撤退経路を見失う真似をするなんて……。
「あら、お姉さん。男の肌が珍しいん? そんな顔背けへんでも、好きに観たらよろし」
「違うってば……は? え、男!?」
そろそろ脳の処理が限界近いのだが、聴き逃せない新情報に、リノは頭上の幻に目を向けた。
薄紅色の綺羅びやかなセミロングヘアに、輝くばかりに白い肌。
濃い茶褐色の瞳は、実物と違って優しく柔和に微笑んでいる。
首から下は……引き締まった筋肉の上に、薄っすら脂肪を乗せた、無駄のない肢体だ。鎖骨の形状やら肩や腰の丸みやらは……控え目だ。
胸の膨らみこそ無いが、かと言って大胸筋が盛り上がっているでもなく、男性だと聞かされても納得できない。
「……冗談でしょう?」
ボニーはニンマリ笑顔を深めて、ホログラムを消した。
「お姉さん、運命って信じとる人?」
そして唐突に話題を変えた。
急に何を言い出すんだと、眉根を寄せるばかりなリノに、ボニーは一方的に語り続ける。
「そう可愛い表情せんといてよ。うちも基本的には信じひんもん、そんなもん。けどね」
細い指先で摘むよう、腰元のホルダーから鈍い銀色の魔剣を抜いたボニーは、刀身に自分の顔を映して笑みを深めた。
「――――ッ!?」
顔面に亀裂が走ったような、凄絶で不気味な笑い方に、背筋を凍りつくような悪寒が走る。
リノの目には、一瞬だがボニーの姿が、人間の形に穿たれた空間の
「ずぅーっと待ち焦がれてたお人が、最高のタイミングとシチュエーションでうちのところに来てくれはった。それを運命言わずに、なんて呼んだらええんやろなあ?」
これ以上踏み込むべきではないと、リノの本能が告げる。
魔剣を前にしたときよりも、もう一段階上の警戒信号。
「……さあね。本人に訊いてみたら?」
素っ気なく答えて、リノは布団を被って横になった。シーツ一枚の隔たりを設けたところで、何かが変わるわけでもないが。
「あ〜、聞きたいんはやまやまなんやけどね。シンクはん、戻って来ぃひんのよ。街の崩落に巻き込まれてもうたみたいでね」
「……なんでそんなことに?」
「さあ? 保安局の作戦マップも、うちが渡したロードマップにも、あの辺りはなーんもあらへんって無記入だったんに。やっぱ『立入禁止』って明記しといた方が良かったんかなぁ」
どう思う? とでも言いたげなボニーではあったが、横になった途端に抗い難い睡魔に襲われており、口を開くより先に眠りに落ちていた。
そして、好奇心と誤判断から旧市街地の一部を再起不能なまでに破壊した現況はというと?
「……出口は、どっちだ……!」
絶賛迷子中であった。