時刻は前日の夜、リノと豚面との銃撃戦が起きていたちょうど同じ頃。
シンクは暗闇を斬り裂き真っ逆さまに落ちていた。
「んなろう……っ!!」
空を飛べないシンクだが、このまま手をこまねいて地面に叩きつけられるつもりはない。
強靭なインナーマッスルを活かし、身を翻して重心を移動させる。
「でりゃァッ!!」
一緒に落ちていく手近な瓦礫を足場に、横方向へ跳躍。落下の勢いを相殺し、さらに別の瓦礫へ跳び移る。
「よっとおーォ!!」
次の瓦礫、次の瓦礫と連続して空中を渡り、ついには縦穴の壁にまで辿り着いた。
「ふぅーっ、間一ぱ――ふぎゃっ!?」
かと思えば、真上からの大量の水が、無情にもシンクを押し流す。
瓦礫には注意していたが、壁から噴き出す汚水には無頓着だった。結局シンクは、かなりの速度で石造りの地面に激突する運びとなる。
「おえぇぇっ、ちょっと飲んじゃったろろろろぼろしゃぁぁぁぁぁっ」
だがしかし。衝撃なんかよりも悪臭を放つドス黒い汚水に呑まれた精神的ダメージの方が、遥かに深刻なのであった。
「おぼろろろろろ…………ふぅーっ。…………おぼろろろろろろろっ」
吐き散らした赤銅色の消化液が床石のタイルを溶解させ、灰色かかった煙があがる。
誤飲した汚水は2〜3滴だったが、吐瀉の総量は1リットルを下らない。
そうして気が済むまで吐き出し終えると、幾分か落ち着きが戻ってくる。鼻も馬鹿になったらしく、汚水の臭いも気にならなくなっていた。
若干のフラつきは、ゲロによる脱水だった。
「くっそ、最悪だぜ……あっこから落ちて生きてるんなら上出来だがな、がははは……」
力なく笑い、頭上を見上げる。地上の景色は、たとえ今が昼であっても見えないと確信できるぐらい、穴は深い。
落ちた距離は100メートルや200メートルでは利かないだろうが、それより「こんな空洞の上に街を建てるな」と怒りたかった。
「……なんだ、ここ?」
腰のホルスターに下げたポーチから小型の水筒を取り出して口を付けながら、シンクは視神経を研ぎ澄ませ、暗視魔法で周囲を見回した。
魔法で強化された視覚で、微量の電磁波や魔力素子を知覚する。周囲の地形がボンヤリと線画として瞳に映し出された。
捉えられるのは物体の輪郭だけで、表面の凹凸や質感までは分からない。しかし広大すぎる道幅と奥行きや、少なくとも天然の地下洞窟でないことは十分に察せられた。
「……そういや『ルメイン』ってのは『遺跡』って古代語が語源だって聞いたな。ひょっとして、ここが
流し読みした旅行パンフレットの受け売りだが、フェリセドナ王朝時代の遺跡を埋め立てた、と書いてあった気がする。
文化財をなんだと思ってるんだ、と憤慨する気持ちもあるが、確かにこの規模の遺跡なら潰すより何かに役立てたくもなる……かもしれない。
(だからって下水道をこんな深くに作るなよ。……まあいいや、汚水を処理して外に流すってことは、必ず外と繋がった出口があるはずだ。水と空気の流れる先は……あっちか)
空になった水筒を掌に収束させた魔力で消し飛ばしたシンクが、おそるおそる第一歩を踏み出そうとした。
まさにそのタイミングで、水路の底から巨大な物体が飛び出した。
「はぇ?」
高波となった汚水が、シンクを頭から飲み込む。寸前で全身を氷で覆ったものの、水圧に押し流されて壁に激突してめり込んでしまう。
そのうえ、せっかく濡れない為の氷の層事態が汚水で出来ていたせいで、結局頭から汚水を被ったのと変わらない結果に終わる。
「んの……なんだってんだぁ、いった…………いぃぃっ!?」
氷の層を解いたシンクは、目の前に鎮座する巨大な存在に言葉を失った。
平べったい胴体と、その両側から突き出した無数の脚、分厚い顎を備えた頭部。大陸外の群島に棲息する「ワニ」という動物に似ているが、魔剣だ。
地下といえども街中、結界の影響下であるはずだが。ワニ型の魔剣には動きを制限された様子がない。
紫の明かりを灯した単眼型のカメラが、シンクの姿を照らし出す。
『なんじゃ、こないなとこに人か? ……掃き溜めにツルやのう、えらい別嬪さんやないけ』
ガラの悪いダミ声が、闇の中に響く。魔剣の装着者のものだ。
『さっきの崩落で落っこちてきたんか? あの高さからよー無事だったのう。観光客……って雰囲気じゃないのう、保安局のイヌか? イヌは好かんのう、ワシァ』
一方的に話しながら、ワニ型の魔剣が鼻先をシンクに近づける。
一噛みで全身を木っ端微塵にされそうな威圧感。沸き立つ蒸気は、装甲表面の放つ高熱のせいか。
今はまだ魔剣使いがシンクを敵と見做していないが、攻撃されたら即死は免れない間合いだ。
シンクの右手が、自らの魔剣に伸びる。ここが結界の範囲外という保証はないが、目の前に魔剣がいる以上、いざとなったら一か八かに懸けるしかない。そう覚悟を決める。
『まあええか。ほら、お前ら。もーええぞ』
ワニ型の頭部が、欠伸するように大口を開いた。すると、中からゾロゾロと小柄な影が三つ歩き出てくる。
「いやー、助かったぜヤナギサワのダンナぁ」
「危うく押し潰されるところだったゼ」
「まさか天井が崩れるなん……て、え?」
単眼の光に、緑の皮膚をした醜い顔が照らされた。
三人……否、三匹のゴブリンはワニの口から出る寸前で硬直し、シンクを見上げてあんぐりと口を開いた。
「おう。お前ら、サロンぶりだな」
『ぎゃあああああああっ!? 出たぁぁぁぁぁ!!』
怖がらせないよう笑顔で呼びかけた矢先、ゴブリン達はワニの喉奥へ踵を返して逃げ帰った。
『なにを戻って来とるんじゃゴブリンども!』
「げへーっ!?」
だが結局は不可視の力で押し戻され、ゴブリン達はシンクの足元に転がり落ちたのだった。
「んな怖がるなって。取って食ったりしねえよ、不味そうだし」
「つ、次に会ったら容赦しねーっつってたじゃあねーか!」
「そうだっけ?」
『おうおう。なんじゃァ、その別嬪と知り合いか小鬼ども?』
魔剣使いもシンクに興味を抱いたのか、単眼を明滅させて焦点を合わせてきた。
ゴブリンの一匹が、シンクを指差してワニに振り返った。
「こ、こいつなんですよ、ヤナギサワのダンナ!」
「サロンにいたっつー女です! オレ達を嗅ぎ回ってた!」
『ハッハァ、おどれらをビビらして洗いざらいゲロさせたっちゅーヤツか! ゴリラみてーなのを想像しとったんじゃがのう、なかなかどーして』
盛大に勘違いされているが、それを訂正する余裕などシンクにはない。
ワニが匂いを嗅ぐように鼻先を突きつけてくる最中でも、相手の様子を伺って逃げる隙を探していた。
『ワシはヤナギサワ。察しのとーり、ルベルオルクに手ぇ貸しちょる。そしてこいつがワシの魔剣カイマンダー、ハンパじゃねーぞ』
そして力を誇示するように、巨大な口を開けて咆哮した。
気の所為でなければ、僅かに光る口の中は銃口と砲で埋め尽くされている。外見以上に凶悪な中身だ。
「傭兵か?」
『考古学者じゃ。これでも公社の大学出とるインテリじゃぞ。ぬあっはっは!』
装着者が笑うのに合わせて、魔剣カイマンダーが尻尾を左右に振るう。水面を叩かれた汚水の水柱がいくつも噴き上がった。
汚水の飛沫を浴びるのも構わず、シンクは彫像のように動かない。一切の無駄な動きを殺し、精神を研ぎ澄ませていた。
「考古学ねえ。昔なんて振り返って面白いの?」
それはそれとして軽口は叩く。性格だから、としか説明のしようがない、彼の癖であった。
『ハッ、よく言われるのう。じゃがな、周りをよう見るんだな』
瞬間、ワニの背中に無数のヒレが出現し、一斉に発光し始めた。
暗闇が完全に払拭し、地下下水道の詳細がシンクの眼前に露わとなった。
苔むした壁面は、暗闇では石壁と大差ないように思えた。だが実際は継ぎ目のない金属的な質感を持つ、コンクリートとも別の物質で構成されている。
水も黒ずんで悪臭こそ放つものの、目立ったゴミは浮かんでおらず、一方向に流れながら順次濾過されているようだった。
シンクの素人目でも、ここが相当に高度な浄水機能を持つ地下施設だということが一目で分かった。
『このルメインにはフェリセドナ……つまりハイエルフの魔法文明が手付かずで遺っとる。魔剣にも通じる未知の技術、軍事利用が出来れば企業の専横を突き崩すことだって夢じゃねえ。……どうじゃ、面白かろう? ぬあっはっは!』
カイマンダーから轟く笑い声は、広大な地下施設の全体に遠く反響していった。