『お前に一つ、どうしても言っておかねばいけないことがある。大事なことだ』
シンクが父と最後に交わした会話は、確かこうだった。
『いくら顔が良くてもな、女ってのは自分より美人な男には靡かない。モテたかったらパパみたいに渋くなれ』
『うるせえよ、クソ親父』
そこからは無言で日暮れまで殴り合い、互いに腹が減った頃に挨拶もなく解散した。それが元気だった父の最後の瞬間になろうとは。
シンクの父・エンジは業界屈指の傭兵だが、その実体は寡黙で無骨な職人気質を装った、女好きのスケベ親父だ。
黙っていれば口髭と太いモミアゲがダンディで、実際に異性(と一部の同性)からモテる。なお、そのせいなのかシンクが8歳のときに妻とは離婚し、それからずっと男やもめだ。
シンクも別れた母と、母に連れられた妹とは離婚以降会っていない。
傭兵として大陸の各地をしながら、エンジは息子を歴戦の傭兵に育て上げた。
とにかく厳しく実践的な教育方針のもと、寒冷地に密林に砂漠に海洋と、過酷な環境でどう戦い、生き残るかを徹底的に叩き込まれた。死に掛けたのも一度や二度ではない。
その教えがシンクを一角の戦士に育てたのも確かだが、15歳で成人するや即座に親元を離れて独立した辺り、忘れたいトラウマなのも事実だった。
それでもたまに顔を合わせ前述のような喧嘩をする程度の交流を続けていたある日、傭兵ギルドを通じて父から呼び出しが掛かった。
ちょうど年の瀬、たまには顔を見てやるか、とシンクは土産を手に父を尋ねた。
だが宿の部屋でシンクが目にしたのは、刺客の襲撃で致命傷を負った父の姿だった。
『親父!?』
部屋にはもう敵の姿は無く、血塗れで倒れた既にエンジは虫の息だった。
何よりもシンクを驚愕させたのは、現場にロクな抵抗の跡が残されていないことだ。それは最も信頼する
『し、シンク、か……っ?』
血相を変えて駆け寄ってくる息子に、父親は僅かながらも意識を取り戻した。
『な、何があったんだ、親父!? 親父ぃ!!』
父親はこんな時でも寡黙で、ベッド脇のスツールをただ、無言で指差した。
引き出しの二重底に隠されていたものは二つ。
玉を中心に羽と剣が刻まれた紋章の写し。
そして真新しい魔剣だった。
『親父? なんだよこの魔剣……このマークは!?』
『る、ルメイ……ル、……クレ……な、……く、れ…………――――』
『クレナイだって!? クレナイがどうした!? ルメインってどういうこった、おい! 親父ぃ!!』
久しく聞いていなかった妹の名前に困惑するシンクを遺し、父は事切れた。
残されたのは謎の紋章、そして『ルメイン』と『クレナイ』という断片的な情報だけ。
だがシンクは、それを父から託された最初で最後の『依頼』として受け継いだ。
『……分かったぜ、親父。ルメインにいるクレナイは、俺が必ず見つけ出す。後は任せろ』
簡素ながらも父の弔いを済ませたシンクは、その日のうちに行動を始める。
目指す先は、レムナント大陸最大の交易都市にして、ヴィステージ王国の首都ルメインだ。
だが、到着早々にシンクは躓いた。
「一ヶ月ぅ!?」
傭兵ギルドの詰め所に、シンクの声が……響かない。うるさいのは彼に限らず、多くの職員や傭兵が忙しなく動き回っているのだ。弁に力が入りすぎる者は珍しくなかった。
膨大な窓口の内一つで、粗暴な傭兵がいくら叫ぼうとも、大半の人間が「またか」と思うだけだった。
少数が「すっげー美人……」と見惚れているが。
ここは大陸最大の貿易都市ルメインの傭兵ギルド。傭兵への仕事の斡旋や賞金首の換金が行われるのがここである。
ルメインの傭兵ギルドは、街を守護する巨大な城門の一画にある。わざわざ煩雑な手続きをして街へ入らずとも各種対応が可能なので、流れ者が多い傭兵には便利だ。
実態は公社が素性不明な傭兵を不用意に市内へ入れない為の仕組みなのだが。
「なんで街に入るだけで、そんな時間がいるんだよ!? ライセンスだってあるだろうが!」
机に身を乗り出し、敷居の強化ガラスに張り付くシンクに、受付の職員が落ち着くよう注意した。荒っぽい相手にも慣れきっている様子だ。ゆっくりとした口調で説明を始める。
「シンクさんは〜、最近魔剣を取得なさいましたよね〜? ルメインでは〜、魔剣の所持について特に厳しい規定が設けられております〜」
「え……そ、そうなの……?」
「はい〜。エクスカリバー公社の厳正な審査と承認が必須ですが〜、その審査を受けられるまでに最低でも一ヶ月ですね〜」
「さ、最低でも……?」
「それに〜。魔剣を取得したことをギルドに申請してませんでしたよね〜。罪には問われませんけども〜、素行面ではマイナスですね〜」
ぐぬぬ、と歯噛みするシンクだが、ここでゴネてもどうにもならないことぐらいは彼にも分かる。だが最低で一ヶ月ということは、つまり実際にはもっともっと時間が掛かるということだ。
「とりあえず申請は受けときますね〜」
「……お願いします……」
肩を落としたシンクは、仕事も受けずに詰め所を後にした。
外に出てから改めて見上げると、城門の大きさがよく分かる。
門そのものも巨大だが、左右には市街全域をぐるりと取り囲んだ高さ40メートル、場所によっては50メートルもの頑丈な壁が果てしなく続いている。ルメインの街に蟻一匹忍び込む隙を与えない。
……だが。注意深く観察すると、街を完全に覆っているワケではないと、シンクはすぐに気がついた。
ルメインが貿易都市として栄えたのは、二つの大型河川と、大陸最大の海運港による水運が盛んだったからだ。
特にルメイン港は規模に留まらず、大陸で唯一正規の海外貿易が行われているという意味でも、大きな存在感を放っていた。
総面積は2000ヘクタールを超える。
「おお! やっぱ遠くからでも目立つな〜」
一日に百隻もの商船が行き交っていくモンスター級の港を、シンクは街から北へ10キロほど進んだ岬から眺めていた。
灰色の冬空の下を冷たく湿った風が吹く。周囲に動くものといえば、シンクを除けば潮と微生物ぐらいだ。
(さすがにここまで街から離れたら警備の目もねえな。くっくっく、まさかこの距離から泳いで港に潜入しようなんてヤツは想定しちゃいまい!)
完璧な作戦に、シンクは無言でほくそ笑みながらストレッチを始めた。
作戦と言っても単純だ。城壁を超えられないのなら、海を泳いで商船に紛れて潜入してしまおう、という魂胆だった。
内陸側の河川を上流から下っていくのも考えたが、そちらは巡視船の数が恐ろしく多く、警戒が厳重で早々に諦めた。
一方で海側には公社の保有する大型船ばかりが出入りしているので、それを隠れ蓑とすれば人間一人が紛れ込むのも容易いように思われた。
水温が摂氏10℃未満の中を長距離泳ぐ必要があるが、何しろシンクにはスノーブレイザーがある。マグマにも豪雪にも耐えうる装甲には、この程度の冷水など物の数ではない。
(俺ぁ、何ヶ月も待ってなんていられねえんだよ。クレナイの居場所も、あいつが今どういう状況なのかも分からねえんだからな)
シンクがルメインに来た目的は、観光でも仕事探しでもないのだ。父の遺した依頼の完遂である。
いったいクレナイが何に、どのように関わっているのかすら定かではない。煩労な手続きを待って時間を無駄になど出来ないのだ。
そもそもシンクは、今のクレナイの容姿だって知らない。手掛かりが無いにも程がある。
(間違いなく絶世の美女に育っているのは確かだろうけど。なにしろ俺の妹なんだし。再会したら『やぁ〜ん、お兄ちゃん♡ 会いたかった〜ん♪』って感じでぷよんぷよんのほわんほわん――おっと)
雑念とともに脳裏を過ぎるのは、想像上の成長したクレナイの姿だった。
邪念を振り払い、在りし日の真っ白い肌に黒い髪をした、人形のように愛らしかった妹の面影を胸に、シンクは左の掌に魔剣を突き刺した。
青白い光が瞬いて、スノーブレイザーの装着が完了する。その間、0・1秒にも満たない。
『待ってろよ、クレナイ! 兄ちゃんが今行くぞ! とぉっ!!』
想いを胸に岬から飛び込んだシンク……だったのだが、やはり行動する前に確認するべきだった。
陸戦型のスノーブレイザーに、水中での活動能力が欠如していることを。
完全密閉された全身装甲では、浮力を全く得られないということを。
そして魔剣には装着者の保護機能が皆無なので、水中では普通に溺れることを。
(……あれ、沈んでねーか、これ!? まさかスノーブレイザー、お前泳げねえのかよぉぉぉぉぉっ!!)
シンクが魔剣を託されて、実は一週間も経っていない。
知らないことの方が、まだまだ圧倒的に多いのだった。