まいったな、とシンク・ストレイドは心の中で頭を掻いた。今日は予想外の事ばかりが続く。
素手で戦えば無敵と自負していたスノーブレイザーが泳げないなど、夢にも思わなかった。
慌てて魔剣を解除したものの、ルメイン港の周辺は強烈な離岸流で、泳げども泳げども沖へとぐんぐん流された。
運良く港を目指す大型船舶の船底にしがみついたら、それは海賊船だった。しかも船長が魔剣使いだったので、同じく魔剣使いの港湾警備隊と砲撃戦まで勃発してしまった。
流れ弾を頭に直撃されながら、シンクは必死に船の残骸にしがみつき、当初の予定とはかけ離れた地点にどうにか漂着した……と同時に体力の限界で気を失ったのであった。
そして目が覚めたら覚めたで、今度は知らない女に絡まれた。
知的そうな美人で外見は好みだが、クールな仮面の下にギラギラした熱意を隠しきれていない。まるで獲物を前にした、猫科の大型肉食獣だ。
(デートの誘いだったら乗ってもいいんだけどな〜。んー、残念)
夜の砂浜で美女と二人きり、というシチュエーションをちょっぴりだけ惜しみつつ、シンクは魔剣を鞘から引き抜いた。
もちろん、シンクは生身の人間を魔剣で甚振る卑劣な主人公ではない。結界を破壊して、この場を離脱するべくスノーブレイザーの力を振るうのだ。
迷いのない動作で、自らの左掌を刺し貫く。
だが噴き出すのは鮮血ばかりで、魔力の迸る青白い光は全く現れなかった。
「いってぇぇぇぇっ!?」
しかも、普段ならちょっと「ザクッ」とするだけなのに、傷口が焼けるように熱い。これではただの自傷行為だ。
「いてててててっ!? な、なんで装甲が出ねえ!?」
手の甲を貫通するほど深々と刺しているのだから、痛いのも当たり前といえば当たり前だ。だが魔剣を装着する際にはすぐに傷が塞がれるので、問題にはならない……ハズだった。
魔剣が現れないのだから、手は痛いままだし血も流れ続ける。
その醜態は、アンスリアムから直前までの戦闘意欲も失せるほどの同情を抱かせた。
「お馬鹿! ルメインは街全体に魔剣の展開を妨害する特殊な結界を張ってるのよ。例外は公社の保安騎士だけ。覚えた?」
「な、んだと〜……ざっ、けんな……よぉっ!!」
痛みを食いしばって堪え、拳を握る。刃がますます食い込むが、構いやしない。
「腑抜けてんじゃねーぞ、スノーブレイザー!」
噴き出す血に青白い炎が交じり、魔力の光が塊となって弾けた。
「う、うそっ!?」
思わず後退しそうになった足を奮い立たせ、アンスリアムは槍を垂直に防御姿勢を取る。
魔剣の光はシンクの左半身を覆い、装甲の輪郭を描くも、しかしそれ以上は広がらず雲散霧消して消え去った。
「へにゃぁ〜……」
光が消えるとシンクの覇気まで一緒に消え、砂浜に顔面からダイブするよう倒れてしまう。
そのままピクリとも動かなくなるが、アンスリアムは構えも結界も解かないまま、恐る恐る距離を詰めていく。
「ぶはぁっ!! 砂が、口に……っ」
先程よりかは大人しめに跳ね起きるシンクにも、今度は冷静に対処して腰を抜かすことはなかった。
シンクは気怠く尻もちをついて胡座で座り直すと、刺さったままだった魔剣を乱暴に抜いた。それから血の滴る左手を強く握り締める。
途端に拳全体を、青白く光る炎が包んだ。
炎はすぐに消え、指を開くと傷口が火傷で溶接されていた。見てくれは酷いが出血は止まり、動かすうえでの支障もない。
「パワーを多くすればいけると思ったんだけどな〜。俺も修行が足りねえ」
「……むちゃくちゃするわねぇ。力任せで何とかなるなら、結界の意味がないっての」
アンスリアムは深い溜め息を吐くと、光の武器を放り捨てるように消し、光の壁も消した。
寸前まであった戦闘意欲も萎えたアンスリウムは表面上では平静だ。だが心中穏やかではなく、近づく歩調もゆっくりだ。
魔剣封じの結界は強力で、専用のキャンセラーが無ければどうこう出来る代物ではない。
失敗したとはいえシンクが魔剣を強引に起動させられたのは、驚愕に値する暴挙なのだ。本人に自覚はゼロのようだが。
「メチャクチャするわね、あなた……」
「治療系の魔法は苦手なんだよ。ま、そのうち消えるよ」
「いや、手のことじゃなくってね?」
目の前までやって来たアンスリアムに、シンクははんだ付けされたような掌の火傷を見せつける。
「……はぁ。見せてみなさい」
膝をついてしゃがんだアンスリアムは、シンクの手を取って上向きに開かせた。
掌全体に広がった真新しい火傷跡に、そっと自分の右手を重ねる。
暁のような黄金色の光が、手と手の間に淡く染み出した。
その時間は1秒にも満たないものだったが、アンスリアムが手を離すと、火傷は綺麗サッパリ消失していた。
生命線が手首まで伸びた、スベスベの真白い肌が蘇っている。
「うわ、すっげ。医者かよ、あんた?」
素直に感嘆の声を上げたシンクに、アンスリアムはどことなく得意そうに鼻を鳴らした。
「市議会議員だって言ったでしょ? アンスリアム・ディルノーグよ、あなたは?」
「シンク・ストレイドだ。……ん? あんすり…………王女様と同じ名前だな」
「本人よ。知っててくれてありがとう。……ところで」
不意に、治してもらったばかりの左手首に激痛が走った。
見ればアンスリアムの白魚のごとき指先が、皮膚を突き破らんばかりに食い込んでいた。手弱女な外見からは想像つかない握力だ。
「確認させてもらうけど、今『ストレイド』って言った?」
「へ? あ、ああ。シンク・ストレイドだ。んな珍しい名前かな?」
「エンジ・ストレイドの名前に覚えはあるかしら?」
突如としてアンスリアムの瞳にギラついた焔が宿る。獰猛な微笑みに口許を歪めて、ジャケットの肩パットに隠したホルスターから幅広の短剣を引き抜いた。
「へっ!? お、親父がどうしたって?」
突如として降って湧いた父の名に困惑するシンクを余所に、アンスリアムは魔剣を躊躇なく自分の喉に突き刺した。
ちゃんと放たれた眩い光が、アンスリアムを包み込む。
赤と橙にも見える暁のような輝きが、膨張する光の塊となって夜の浜辺に朝焼けを及ぼす。
やがて光は結晶化し、極彩色のオレンジという目に刺さるような機体を実体化させた。
上半身がトルソーだけで頭部も両腕も無く、代わりに骨格だけの巨大な翼手を肩口から広げた姿は、正しく異形だ。
腰から下には蛇腹状のノズルが伸びるだけの一本足で、先端部分は3本爪のクローだった。
胴体を正面から見た形状は「Y」に近く、その中央にアンスリアム本人を象った宗教的な胸像が埋まっていた。
『ゲット、レディー! グリムフェンサー!!』
「んげっ!?」
展開完了と同時にクローがシンクの身体を掴み、拘束して持ち上げた。
「いでででででっ!? お、おい! 魔剣は使えねえんじゃなかったっけぇ!?」
『騎士は例外、とも言ったわよ』
「市議会議員じゃねえの、あんた!?」
『議員が騎士やっちゃいけない、なんて法律はないのよ』
「王女で議員で騎士ぃ!? 欲張りすぎだぜ、あんた!」
「だって天才だし。あっはは♪」
愉快そうに声を昂らせたアンスリアムは、シンクを掴んだまま魔剣グリムフェンサーを垂直に上昇させていく。
機体は風を切る音も立てず、とても静かだ。
「おまっ、ちょっ!? 待って!」
『怖がらなくていいわよ、『ミス』・ストレイド? 貴女を是非とも夕食に招待したくなってね。当然、拒否権はありません』
「あん? メシはともかく誰がミスだぎぇっ!?」
停止状態からの急加速が生み出す横Gに、シンクの首が不自然な方向へ捻れる。
アンスリアムは「どうせ死なないでしょ」とばかりに気にも留めず、グリムフェンサーを街の郊外の方向へと飛び去っていった。