人気の無い工業地帯の大通りにて。
私と護衛は黒いスーツの異形と対峙する。
「クックック……。リヴァイアサンはお気に召しませんか? キヴォトスを飲み込まんとする企業、つまりは多数の人間で構成された怪物の頭脳である貴方に、相応しい名だと思うのですが」
「……まあ、自分から黒服を名乗る男にセンスは期待してないわ。好きに呼べと言ったのは私だしね。それで、今日は何の用?」
「ご機嫌伺い……、といった所でしょうか。近々、貴方がかの『暁のホルス』と会合するとの情報を得たもので」
「……フン。相変わらず奇妙な情報網を持っているわね。『ゲマトリア』とかいう連中は」
ゲマトリア。
キヴォトスの外からやって来た『大人』によって構成される集団であり、『神秘』の探求を目的にしているのだと、黒服は言っていた。
以前コイツに接触されて以降、何度か個人的な技術交換を行った仲ではあるけれど、海千山千の保守派の連中並みに気を抜ける相手ではない。
「そう警戒しないでいただきたい。今日は1つ、お願いしたい事があるだけですので」
「ああ、そう。驚くほどどうでもいいわ。応じる義理があるとでも?」
「ええ、そう思っていますとも。貴方の求める『
そう言いながら差し出されたのは、マイクロチップ。
渋々受け取って頭部のスロットに差し込んでみれば、中身は『神秘』に関する実験データと考察の数々。流石は本職と言うべきか、流し読みしただけでも私が仕事の片手間に行っている研究以上の情報だわ。
どうでもいい内容であれば無視するつもりだったけれど、これがあれば私の研究が飛躍的に進むのは間違いない。
「チッ。私の権限とポケットマネーで収まる範疇でしか手伝わないわよ」
「分かっていますとも。それに、そもそも金銭的なお願いではありません。暁のホルス……、小鳥遊ホシノに伝言を頼みたいのです」
「……内容は?」
「以前の取引に応じるのであれば、額を引き上げる。それだけで通じるでしょう」
その程度の内容なら、ホシノに接触できずとも自力で伝える方法はいくらでもあるのに、わざわざ貴重なデータを共有してまで私を挟むということは、私から彼女へ伝える事に意味がある。
つまりは……。
「取引……、ねぇ? まあいいわ、伝えておいてあげる。説得までは期待しないでよ」
思い付く範囲のデメリットと研究データと天秤に乗せて、私はデータを取った。
以前からホシノの『神秘』に執着していた黒服が提案した取引とやらは、どうせ彼女の身柄と借金の交換とかでしょう。正直、私にとってその取引がどうなるかはどうでもいい。
私の庇護下にない以上はホシノがどうするのも彼女の自由だし、借金を返済されたとしても、違う方法でアビドス高校を追い詰めるだけのことだもの。
「良いデータが取れたら私にも回してちょうだい。適切な金額で買い取るわ」
「クックック……。ええ、貴方ならそう言うと思いました。──ああそれで、これはただの雑談なのですが」
そう言って少し考える素振りを見せてから、黒服は切り出す。
「噂によると、アビドス高校でシャーレの先生に会ったのだとか。リヴァイアサン、貴方の目にそのお人柄はどう映りましたか?」
……先生、ね。
黒服が彼の事を気にしているのは、自分たちと同じくキヴォトスの外から来た存在に興味が引かれているのか、それとも単に先生の権限を脅威に感じているのか。
「まあ……、そうね。私と同じく、『大人の責任』を重んじる人だとは思うわ。その信念が、私と同じものかまでは分からないけれど」
陰謀渦巻く大人の世界で生きてきた私にとって、先生の純粋な眼差しは目を背けたくなるほどにまぶしいものだったけれど、コイツ相手にそんな事まで言う気はない。
それでも黒服は私の回答に満足したらしい。何度か意味ありげに頷いている。
「クックック……。ええ、なるほど。貴方がそこまで言う人物となれば、私もより興味が湧いてきました。いずれ私も、相対する機会もあるでしょう」
「ああ、そう。それで、世間話はもう済んだかしら? 私、明日の朝一から予定があるのよ」
防諜部の阿呆が二重スパイなんて企てなきゃ、もう少し話していても良かったんだけれどね。
私の監視下で馬鹿なマネをしたらどうなるのかを、見せしめに
「それは恐ろしい。名残惜しいですが、ここで退くとしましょう。暁のホルスの件、くれぐれもよろしく……」
そう言うと、黒服は夜の闇に溶けるように消えていった。『デジタル転送システム』の転移とは違う原理による、瞬間移動。
本当、気味の悪い連中だわ。
「じゃ、私たちも帰りましょうか」
ようやくかと辟易する護衛を傍目に、私はデバイスを起動した。
■
『──いい加減にしてください! こんな……、こんな何にもない学校を守ってどうなるんですか!!』
『──生徒会長だから? 誰かがやらなくちゃいけないから? そんなの、カイザーの連中にやらせておけばいいじゃないですか!』
『──どうせ、全部無意味なんですよ。仮に借金を返せたとしても……、カイザー学園じゃなくてウチに入学する生徒なんかいるわけないじゃないですか』
カイザー自治区にある、病院の真っ白で清潔な一室で。
思い返せば酷い事を言ったと、病床前のスツールに座るピンク髪の少女……、ホシノは思う。
しかし、それも仕方なかったとホシノは少しだけ言い訳する。
あの頃の自分は、強情な先輩を説得してカイザー学園に転校させる事が自分の役割だと思っていたし、砂にまみれたアビドス高校を守る意味なんて無いと思っていたのだから、と。
「いや……、それは今も変わってないかな」
「先輩が大事にしていたから」以上にアビドス高校を守りたい理由を、自分は持っているのか。
カイザー自治区の繁栄を見ていると、自分のエゴに可愛い後輩を巻き込んでいるだけな気がしてくる。
ホシノは毎日のように自問自答している。それは、病室に来ても変わらない。
「だから、ユメ先輩。
病室のベッドに横たわった青髪の女生徒に冗談めかして、しかし何処か縋るように、ホシノは言う。
梔子ユメ。
アビドス高校の元生徒会長にして、ホシノが1年生の時の先輩。そんな彼女は2年前、アビドス砂漠の『自販機』前で救助されて以降、この病院で眠り続けていた。
水筒とコンパスを持たずに広大なアビドス砂漠を彷徨った事による、極度の脱水症。しかしユメの様態は既に安定しており、いつ意識が回復してもおかしくないとはカイザードクターの言葉。
だからこそ、ホシノは待っている。2年間、生徒会長の席を空けて待ち続けている。
「本当に、何で水筒もコンパスも持たないで出歩いたんですか? あんな酷い事をしたのに謝まれなくて、ずっと……、ずっと後悔してるんですよ」
カイザーコーポレーションがアビドス中にばら撒いた自販機に遭難信号の発信器が付いていなければ、最悪の可能性もありえたとユメを救助したカイザーレスキューは言っていた。
同時に砂漠を歩く際の必需品を所持していなかった事から、何らかの戦闘行為に巻き込まれた可能性があると。
だがホシノは、どうしようもなく優しく、それと同じだけドジだった先輩が、ただ命に関わる大ポカをやらかしただけではないかとの疑念を捨てきれずにいた。
しかしそれも、眠るユメに問いただす事はできない。ホシノがじっと見つめても、ユメは顔色1つ変わらない。昏睡する前は、あんなに表情豊かな人だったのに。
「先輩が倒れてから、ずっと生徒会室は片付けてないんです。でもいい加減に起きてくれないと、私が生徒会長になっちゃいますよ?」
「───あら、やっとアビドス高校に見切りをつけたの?良いじゃない、私は歓迎するわよ」
「……うへえ。いくらおじさんでも、独り言を聞かれるのは恥ずかしいなぁ。ノックぐらいしてよ、エンプレス」
スーツにトレンチコートと、普段通りの服装をしたカイザーエンプレス。
その登場に、無意味だと分かりつつもホシノはいつものとぼけた表情を取り繕う。後輩に期待も失望もされたくなくて始めた、おどけた口調。
それ以前から付き合いがあるカイザーエンプレスからすれば、さぞ滑稽に見えるだろうとホシノは思う。
『──学生だけでアビドスが再建できるとでも? 意地を張ったって、カイザーの再開発に取り残されるだけです!』
『──ッ!! ……そうですか。でも、私が手伝うのは先輩がいる間だけですからね!私が生徒会長になったら、アビドスの土地なんてカイザーに全部売っちゃいますから!』
エンプレスを見て、不意にそんな入学直後の会話を思い出す。
こんなことにならなければ、今頃は土地を売ったお金でウハウハだったはずなのになあ。なんて、思ってもないことを考えてみる。
ホシノの横に座ったエンプレスは、ユメの寝顔を見ながら口を開く。
「無理を言って悪かったわね。思ったよりも部下の『教育』が長引いちゃって」
「いいよいいよ。この前話し合いが出来なかったのも、元はと言えばコッチの油断が原因だしさ。あっ、お土産のケーキ美味しかったよ。ご馳走さま~」
「……ええ。気に入ったのならよかったわ」
あの日護衛が渡した『ミラクル5000』というケーキは、トリニティを中心に学生人気の高い完売必至な限定商品であり、実は甘党なエンプレスの好物である。
アビドス高校に贈れなかったからには自分で消費しようと画策していたのに、護衛が自己判断で渡してしまったと言われた時は、それなりにショックを受けていたのだ。
そんな哀愁をおくびにも出さず、エンプレスはカバンから資料を取り出して、こんな所まで押し掛けた本題を切り出した。
監視の目が無い病室は密談に適していると、いつかエンプレスが言っていたのを思い出す。そう言えば、いつも後ろに付いている護衛がいない。ホシノは今更そんな事に気が付いた。
病室の入場制限に引っ掛かったせいだろうか。
「詳しくはその報告書に書いてあるけれど、アビドス高校襲撃にウチの校長が関与している事がほぼ確定したわ。つまり、ヘルメット団は保守派の攻撃よ。貴方たちからすれば、どっちでも同じでしょうけどね……」
そうため息を付くエンプレスに相槌を打ちながら資料を読めば、不良への報酬と見られる不明瞭な金の流れや実際に依頼を受けた不良の証言など、確かに校長の関与を示す証拠があげられている。
しかし、ホシノは思う。
これだけでは足りないだろう、と。
「……うへ。だからおじさんを頼ったのか」
「流石、聡明ね。見ての通り、校長を弾劾するにはもっと直接的な根拠が必要よ。例えば、そう。校長がヘルメット団に依頼を出した記録とかね」
「一応聞いとくけど、自慢のニンジャ軍団は?」
「校長は元々カイザーPMCの取締役。私の手勢を動かせば、必ず察知されるわ」
カイザーPMCの戦力の内で、インプラントによる隠密行動と近接戦に特化したニンジャと呼ばれる兵士たちは、その名に反してエンプレスの私兵として有名である。
それを、老獪な校長が警戒していないはずがない。
だからこそ校長を失脚させるには、戦力として盲点にいる
「偽装の身分証明書から学園の詳細な地図まで。潜入に役立ちそうな物は一通り用意したわ。貴方たちにはこれを使って、校長室のPCから情報を抜き取って欲しいの。彼が何か隠しているとすれば、間違いなくそこよ」
そう言ってエンプレスが鞄から取り出したのが、特別製のUSBメモリ。
PCに突き刺すだけで、痕跡を残さず情報を全てコピーできる優れ物。それを見ながら、ホシノは依頼の裏を考える。
ニンジャ軍団を動かせずとも、エンプレスには金で雇える傭兵の伝手だってあるはずで、何故自分たちにやらせようとするのか。
承諾すると、何か既成事実を作られるのか。はたまた拒絶すると、アビドス高校に更なる不利益が発生するのか。エンプレスの選ばせる二者択一は常に、策略と嘘が潜んでいる。
それを、ホシノはアビドスの土地を巡っての攻防で理解していた。
「貴方たちに頼むのは、正直シャーレの先生の権力を期待しての事よ。プロファイリングした性格から考えれば、彼もアビドス高校の頼みなら断らないでしょう?」
「ふぅん? なるほどね~」
一応、納得できる理屈。
最初は悪い『大人』じゃないかと警戒していたホシノも、日々の交流を通じて今ではそれなり以上に先生の事を信用している。
「そっちは邪魔な政敵を蹴落とせて、おじさんたちはヘルメット団の襲撃を止められる……。短絡的に考えれば、そういう事だね」
「ええ。もちろんやってくれれば、私の懐からそれなりの謝礼を出すわ。名目上は、校長による被害の補填とにでもなるでしょうけれど」
「それは嬉しいね~。報酬があるなら、シロコちゃんたちも巻き込みやすいもんね」
眠る先輩を見ながら、ホシノは考える。
この前のセリカちゃんが助けられた件を抜いても、自分にはエンプレスに大きな借りがある。そろそろ返してもいい。
騙されて逮捕されるかも、とは考えない。嘘で子どもに犯罪行為を依頼するほど、カイザーエンプレスは『大人の責任』を投げ捨てていない。
その点については、ホシノは女帝を信頼している。
「当然決行日には私もサポートするけれど、少なからずPMCや風紀委員会との戦闘が予想されるわ。引き受けてくれるのなら、その覚悟はしておいてちょうだい」
「まあ債権者のカイザー学園に喧嘩を売る事になるもんね。んー、まあとりあえず、それも含めて対策委員会の皆と相談してみるよ。おじさん1人で決められる事じゃないしさ」
「……ええ。そう言ってくれて助かるわ。最近、学生相手の交渉に自信を無くしてたのよね」
「あくどい事ばっかりやってるからでしょ~。ツンデレにしたって、手加減しないと嫌われちゃうよ?」
「はいはい。参考までに聞いておくわ」
メガポートを総べる冷酷な支配者としての顔と、子どもを守る責任感ある大人としての顔。そのどちらが素顔なのかと先生も気にしていたけれど、ホシノはどちらかと言えば後者だと思っている。
それはそうとエンプレスがアビドス高校に行った行為が悪辣なのは確かなので、いま以上に踏み込もうとは思わないのだが。
「ああ、その話で思い出したわ。黒服から伝言よ」
「黒服……? うへぇ、聞きたくない名前だなあ。エンプレスってアイツと付き合いがあったの?」
「ちょっと技術交換をした程度よ。「取引に応じるのであれば、額を引き上げる」だって。確かに伝えたわよ」
「ふーん。そっか……」
黒服から持ち掛けられた、あの取引。返事は決まり切っていると思っていたけれど、一考の余地ができたかもしれない。
ホシノがそんな事を考えているのを見通して、エンプレスは口角を下げる。
「一応忠告しておくわ。黒服に何を吹き込まれたのか知らないけど、よく考えてから返事をすることね。ゲマトリアは私と違って、好き好んで子どもから搾取する連中よ」
「自分は好きでやってないって? そこで自分を棚に上げるから、素直に信用できないんだよねぇ……」
「フフ、覚えておきなさい。自己正当化は大人の得意技なのよ。……と、そろそろ時間ね。お先に失礼するわ」
高級な腕時計を一瞥して、エンプレスはスツールを立つ。
その姿に、ホシノは再びいつかの会話を思い出す。
『──生徒会に2名しか在席していない以上今は貴方が生徒会長代理よ。アビドスを売るも守るも、裁量権は貴方にある』
『……いよ』
『──重荷にしかならない『責任』なんて捨ててしまいなさい。貴方と彼女の身柄は、カイザーが保障する』
『……分かんないよ! 先輩がこんなことになったのに! いきなりそんな事を言われたって! 私、どうしたら……』
『──ハァ。愚物な前生徒会長と違って、貴方には考える脳があると思っていたんだけど。見当違いだったようね』
『……え?』
『──なら、アビドスの土地は無理やりにでも頂くとするわ。貴方たちの学校は取り壊して、工場でも建てようかしら』
『なっ! そんな事、絶対にやらせないから! 先輩の居場所は、私が守る!』
『──ええ。そう決めたのなら、せいぜい頑張りなさい』
この病室で決別して以降、カイザーエンプレスは言葉通りに様々な策略を用いて、それまで以上のスピードでアビドスの土地を奪っていった。
口の上手い女帝であれば、心折れたホシノを誑かして穏便に譲渡させることもできただろうに。
だからこそホシノは、エンプレスの事を警戒しながらもちょっとだけ信用している。本当に危機的な状況になれば、先生と同じように助けてくれる『大人』なんだと。
「……エンプレスはさぁ、なんであの時、見逃してくれたの?」
「あの時……? ああ、良く勘違いされるけれど、私は子どもを殺したい訳じゃない。死にそうな顔をしていたから手を貸した。それだけの理由よ」
「……うへぇ。やっぱりツンデレだ」
「はいはい。軽口を言えるぐらいメンタルが回復したのなら、さっさと復興なんて見限ってちょうだい。統廃合は何時でも歓迎してるわよ」
まあ、言うだけ無駄なんでしょうね。そうため息を付いて、カイザーエンプレスは今度こそユメの眠る病室から退出した。
・各キャラによるエンプレス評
先生
→冷酷な大人としての顔と子どもの保護者としての顔を併せ持つ人。どちらが本当なのかはまだ分からない。
ホシノ
→悪い大人だけど、最後の最後には頼りにできる……、かな? ツンデレなのは間違いない。
カンナ
→恐ろしい人。身を委ねたくなる安心感があるが、そうすれば積み上げてきた尊厳や誇りは、2度と取り戻せなくなるだろう。
護衛
→立場と出生でプライド拗らせたクソ生意気なお嬢サマ