米花町でちんちん出したら逮捕された件について。   作:ひつまぶし太郎

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ブルームーン。
カクテル言葉は、叶わぬ恋。
あるいは、相手を求める気持ちだけは本物だったという話。


ブルームーンに口づけを。

 

 

準備するから家ついてきて、と言われて通された家のリビングで志保は出された牛乳に口をつける。

簡素な家だ。

眼の前を通りかかっても、特に誰も見向きしないようななんの特徴もない一軒家。

 

「…本当にわかってるのかしら、あの子」

 

家出、なんて気軽に言っていたが。

これは逃走だ。

だが、どうにも軽いというかなんというか…。

普通になんで逃避行の準備せずに学校に来ているのか。

お陰で午前中は普通に授業を受けてお昼ご飯までいつも通り食べてしまった。

昨日の話ってどうなったんだろうと不安になった私を誰が責められるだろう。

だいたい昨日の会話の時点でそうだ。

 

『ここじゃない何処かに行きたい。…いっそ誰も私のことを知らない何処かでやり直せたらいいのに…』

『いいね、それ。明日行こうよ』

 

帰り際、もうすぐ夏だし海でも行きたいね、なんて隣で笑う少年に思わずこぼしたその本音。

それに返された、あまりにも軽い言葉。

言葉に反して真剣なのはわかっているが、自分の幼馴染が割と向こう見ずなところがあるのもまた事実。

 

「緊張感がないのよね…」

 

暇になって、思わずあたりを見回す。

生活感のない家だ。

幼馴染の話によれば、家主は殆ど帰ってこないらしいが、それにしたってこれはない。

動かされた形跡のない椅子に、一度も封が開封されていなかった牛乳。

…食器棚にはホコリが積もり、唯一使った形跡のある洗濯機だけが口を開いて置いてある。

 

写真立て、なし。

包丁はシンクの中のさらに奥にあることから日常的に使われていないのは確実。

コップ2つのみ使用感あり。

ゴミ袋だけはパンパンだ。

 

そして、あまりにも色のないその家に興味を失い、そろそろ幼馴染を探しに行こうか、と思った時。

 

『愛してるわ仔犬ちゃん♡』

 

という言葉と共に趣味の悪い唇のマークのついた未使用のゴムを見つけたことで、志保は固まった。

実のところ、これは保護者への嫌がらせであって、家に紛れ込んだ小娘に向けたものではないのだが、この場においてもはやそれは関係のないことだった。

 

イラッとした。

 

何だ仔犬って。

あいつか、あいつのことか。

なんだこのアダルティな置き手紙。

ドラマか映画の見過ぎじゃないのか。

…なんか逃げ切れたらキスしてあげるとか言ってたのが普通に恥ずかしくなってきた。

 

ムカムカする。

なんだか、自分が大切にしているものに無遠慮に汚い手で触れられたような不快感に思わず舌打ちが漏れる。

 

少し歩けば、八つ当たりにちょうどいい背中が見えてきた。

 

───“あれ”は、私のものだ。

 

そう、彼は私の物。

私だけの物だ。

他の誰にもワタサナイ。

 

幼い志保は、それが嫉妬とも独占欲とも気が付かないままに、その背中に向かって歩き出した。

 

 

 

 

さて。

子ども…というには少し育ちすぎた僕らが家出するのに必要なのはなんだろう。

昼休みのうちに僕らは学校を抜け出して、僕の家に足を運んでいた。

僕の部屋を見せるのは躊躇われたので、しーちゃんにはとりあえずリビングで牛乳を飲んでもらっている。

 

まずはライター。

火を起こせないとどこにも泊まれなかったとき外で夜を越せない。

それに毛布に、枕。

…いや、枕は我慢して毛布だけで。

それにたぶん、これ要らないしなぁ。

自業自得だけど。

 

あとバスの無料乗車券。

これは通学用なのであまり遠くにはいけないけど、節約にはなる。

他にも懐中電灯に魔法瓶、換えの下着、マジックペン、残り少ないスプレー缶、紐、カラビナ、花火とか、他にも目についた適当なものをいくつかリュックに放り込む。

 

「これも持ってこ」

 

最後にナイフを手に取る。

果たして、危険な香りしかない家出にハッピーエンドはあるのか。

たぶんないな、という僕の気持ちには蓋をして、とりあえず呼吸を整える。

 

まさか13歳の誕生日の前日に、家出することになるとは。

ごめん、妹よ。

あと母さんと父さん。

別にこの家には未練ないから、特になんにも思わないです。

 

「…あなた、この部屋…」

 

と、僕の城こと階段下の物置部屋に足を踏み入れる人影があった。

狭くて埃っぽくて、寝る以外にまともにできることがない欠陥住宅だ。

家主はたまに帰ってくるだけのくせに豪華なベッドで寝ている。

何だこの格差。

 

「かっこいいでしょ。現代版ハリー・ポッターとは僕のことだぜ」

「………頼りにしてるわよ、魔法使いさん」

「得意技はルーモスだけどね」

 

そうも真っ直ぐ信頼を向けられると照れる。

でもなんか、今のしーちゃんは目が据わっていてちょっと怖い。

 

「…私が初めてあなたに話しかけたときのこと覚えてる?」

「あー…どうだろ。普通にムカつく奴らと喧嘩したあとだったのは覚えてるけど」

 

あの日は確か、僕が飛び級してきた初日だったか。

友達100人できるかな、なんて昔妹が学校に入学する前に歌っていた変な歌を脳内で垂れ流していた僕は、悪意が人に牙を剥く瞬間を見た。

 

僕よりも早く飛び級で最終学年へと進んでいたしーちゃんはいじめられていた。

しーちゃんが飛び級して数日。

年上の同級生たちからの嫉妬が、目に見える形で噴出したのだ。

 

彼女が可愛くて、すました顔していたのもあるのだろう。

チヤホヤしても靡かない彼女の態度に、見下されていると思ったらしい。

 

教室への入室と同時にバケツの水が彼女に降り掛かったのを見た僕は、その体格のいい年上の男子の股間を蹴り上げた。

その後すぐに教師が来たことでその場は事なきを得たわけだが、当然のように僕はその昼休み体育館裏に呼び出された。

 

始まったのは大乱闘。

一対五。

それも相手は年上のいじめっ子たち。

僕がパンチを繰り出す間に殴る蹴るの暴行だ。

それでも、子どもは躊躇う。

腰に入ってないパンチや蹴りで、僕が倒れると思うな。

こちとら毎日虐待みたいなコミュニケーションを大人ととってんだぞ。

自慢じゃないけどね、ほんとに。

 

殴られようが蹴られようが立ち上がって必ず反撃してくる僕に怯んだのか、それともシンプルに僕の顔があまりにも腫れ上がってドン引きしたのか。

もしかしたら、相手のパンチに合わせて頭を何度も差し出したから、指の骨が折れたのかも。

 

とりあえず、この事件をきっかけに僕としーちゃんに関わろうとする人間はいなくなった。

先生たちも、薄っすらと何があったのかは察したのだろうけど、関係者が全員口を噤んだことで確信は得られなかった。

というか腫れ物扱いされるようになった。

教師も人間だ。

関わりたくなかったのだろう。

 

しーちゃんに話しかけられたのはその腫れ物扱いされることになる大乱闘の後の、その保健室の帰り。

待ち構えてたしーちゃんに、僕は確かこう聞かれたのだ。

 

「───なぜ、助けたのか。そう聞かれたあなたはこう言ったのよ」

 

『…困ってる誰かを見過ごすと気持ち悪いから。その日の寝付きもいつも以上に悪くなるし、ただでさえ美味しくない飯が不味くなる。だから助けた。人間でいたいんだよね、僕。これ以上自分のこと嫌いになりたくない』

 

おえ。

我ながらなんて痛いセリフ。

そう顔を顰める僕と、目をドロドロと濁らせながら頬を上気させるしーちゃんは実に対照的だった。

 

「なんてネガティブな言葉だろうって思った。後ろ向きで、自罰的で、独善的!自己完結した正義感だけで暴力に立ち向かって振るうなんて、なんて頭のおかしい子どもだろうって!」

「褒めてる?」

「自分のことが大嫌いな者同士、仲良くなれると思った」

「僕、割と自分のこと好きなんだけど…」

「うるさい…あなたは、私の物でしょう?そうでなくちゃ、いけないはずでしょう?」

 

なんだかイライラした様子のしーちゃんの目には、普段の依存心だけでなく、強い独占欲と支配欲が浮かんでいる。

対する僕も、きっと似たような顔をしてるのだろう。

 

「…いいよ、しーちゃん。僕の命は君のものだ」

 

恋をしていた。

彼女に恋をしていた。

彼女を通して、自分が善人だと思える関係性に恋をしていた。

求められることが心地よくて、所有される事実と手放されないことに安心して、拒むことをしてこなかった。

 

彼女も、僕に恋をしていた。

自分に尽くす狗を手に入れて、暗がりに灯された焚き火のような時間に恋をしていた。

不安定な環境に翻弄される彼女は、なによりも自分を裏切らない所有物を求めていた。

 

僕らは、愛を知るにはまだ幼くて。

互いのことが大好きなのに大嫌いで。

それでもやっぱり、恋をしていたのだ。

 

「いい子」

 

唇が重なる。

舌に噛みつかれる。

 

 

初めてのキスは、血の味がした。

 




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