メルは支配、及び拘束の魔法を得意とする魔女だ。戦闘面では、無駄な消耗は避けつつ自分の有利な状況を逃さず、持ち前の拘束力で相手を縛り付け自由を奪ってからいたぶる。まあ、魔女にはよくありがちなタイプだった。
そしてそんなメルは、あたしの実質の師匠でもある。あたしの才能を見込んで魔法を教え、西を治める魔女へと成長させてくれた…というのは、半分嘘だ。実際には、メルはあたしをあたかも西の魔女かのように見立てて、西の地の勢力を拡大させていったに過ぎない。つまり、あたしはメルの替え玉であり捨て駒であった。
支配の魔法にかけられている時は、ふと気が付いた時には仄暗い闇の底へと落ちたような感覚になる。自分がどこにいるか分からなくて、見たことも、見たくもない自分じゃない自分が、あたしに成り代わって、あたしの皮を被って喋っているのをただただそこから見ているのだ。だからそれが切れた時、あたしは息切れするほど苦しく疲れきって、次は変わるかもとメルに縋って見るけど、そうすればまたメルの思う壺。好きなように使われるだけ使われて、それを何日も、何ヶ月も、何年も繰り返してきた。
そうして最終的には自分が誰だかわからなくなる。だけど、セーラちゃん…おねぇちゃんの顔を見ると、その時だけ思い出す。私はこの人の妹で、この人だけは信頼に値する人だと。だからこそなんとかして、メルがおねぇちゃんと接触するように何年もかけて仕向けてきた。事実もう少しタイミングが遅ければ、あたしの精神はおそらく完全にメルに取り込まれていただろう。
あたしは、あたしを本当に信頼してくれる人を捨て、そしてあたしを駒のように使い潰す人に、その心の弱さに漬け込まれてしまった。大好きだった魔法は人を傷付けるためのものになってしまったし、自分の意志とは裏腹に人を傷付け、故に自ら大切な人の存在を遠ざけてきた。
あたしは断言する。あたしは悪い西の魔女なんかじゃない。本当の西の魔女は…『錠前』の魔女は、フリルじゃない。あたしを散々操り、こき使い、利用した魔女メルこそが、本当の錠前の魔女だ。
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『裁きの天秤〈ファイナル・ジャッジメント〉』
私の唯一の固有魔法は、"何も無い"。
よく誤解されるのだが、これは私に使える固有魔法がないという意味ではない。私の使う固有魔法、その効果こそが、何も無いのだ。だから基本的には使い所はない。
私の固有魔法『裁きの天秤』は、派手な攻撃魔法でも、相手の動きをぴったりと止めたりもしない。ただ、周りの人間の意識をコンマ数秒間無くすだけだ。受けた人間はほんの一瞬だけ意識を失い、魔力の維持が出来なくなり、防護魔法や結界魔法などを一時的に解除せざるを得なくなる。だが私にも認識出来ないほどほんの一瞬のことだ、その隙を付いて攻撃するというのは1人では難しい。そもそも2人以上でいたとして、味方すらも巻き込むこの魔法にあまり意味はなかった。だからこそ、ただでさえ消費の激しい固有魔法は、私にとっては普段は使うに値しないものだった。
だが、人間の脳は面白いもので、そんな一瞬の間にも様々なことを感じるらしい。あのプロトすら、私のこの魔法を受けることをやけに嫌っている。というより、おそらく頭の回る人間ほど考えることが多いのだろう。決して視覚や聴覚までは奪わない。意識のない中、見て、聴いて、感じたものを、効力が切れて処理するまでのプロセスで、ぐるぐると回る思考に耐えられないからだ。
そして、この魔法は支配魔法に対しては特攻と言ってもいいほど効果てきめんだった。支配の魔法は相当な魔力消費が必要な上、定期的に掛け続けなければ正気を取り戻してしまう。それをこの固有魔法の効果で、一瞬ではあれど強制的に支配関係を断ち切ることが出来る。すると掛け直すにはまた膨大な魔力を消費することになる。支配されていた者も正気になり、結果的にそいつは四面楚歌、全ての人間に裏切られることとなるのだ。
私は感じた。フリルはおそらくメルに操られているだけだ。私の顔を見て正気を取り戻しかけたのか知らないが、殺すのを躊躇ったり、昔のように泣いている所を見れば、これまで私が出会ってきたフリルが偽物だとようやくわかった。情けない話だ。十数年も一緒に過ごしておいてそんなことにすら気づけなかった自分に嫌気がさす。
だからこそこの魔法を使う。もう誰も傷付けたくない。フリルには居るべき場所があり、メルの行き着く先がそこじゃないことは確かだ。
「うっ…! い、一体何をされ…」
メルが目の前で苦しむ姿が見える。私が渾身の力で放った固有魔法は、いつもより効力を増大したようで、メルはそのよく切れるであろう頭を抱え、唐突になだれ込んで来る処理仕切れぬ情報にもがき苦しんでいた。
「何もしていないと言うのが正解かな」
「見え透いた嘘を…っ!」
先程までの余裕そうな表情は、そいつの顔にはもうなかった。ただでさえ目の見えないそいつは、魔力探知も出来ずに、手探りで私達の姿を探している。だが見つかるはずもない。こいつには今、何も見えちゃいない。私達の姿も、魔力も、そしてその先にある、こいつが行き着く先であるはずの地獄にも。
「…拍子抜けした。当然と言えば当然だけど」
「アタシら来た意味ないじゃないの。損した気分よ」
いつの間にか、メルの前に立ちはだかる私の隣にはプロトとアルタの姿があった。そしてその後ろには、支配が解け軽い錯乱状態に陥ったフリルを介抱するミラがいる。
「わたくしの…拘束、を…どうして…」
「拘束魔法なんてヤワな魔法使わない方がいいわよ。所詮大気に魔力を固定させるだけ、大気だって魔力だって不安定で不確実。だけどそれに委ねたのはアンタでしょ? 自業自得よ」
普段のアルタからは考えられないほど、涼しい顔で淡々とメルへ言い放つ。当のメルは未だに苦しみ続け、その声はあまり聞こえていないようだった。
「うぁあっ…いやだいやだ、暗い所は怖いの! お願い助けて! 死ぬのは嫌だ、死んだら暗い所へ行っちゃうの!」
遂には命乞いをし始めたメルを見て、アルタがうわ、と小さく呟いた。
「こいつ、いつからこんな感じなの? アンタ何したのよ」
「………」
「…はぁ。まあいいわよ。なんかもう見てられないし、さっさと殺してあげれば?」
「………」
「だーー!! その黙るのをやめなさいよ!」
「アルタがうるさいだけ。少しは考えさせてあげて」
プロトの言う通り、私は考えていた。こいつ…メルにもまだ救いはあるのだろうか。何か仕方の無い理由で人を操ったのではないだろうか。フリルにしたことを許すわけではない。だがメルには、まだメルに出来る償いがあるのではないか。だとすれば、殺してしまえば無駄な殺生になってしまう。改心すれば味方ともなりうる。そうなれば領土争いや革命派への抑止力ともなるだろう。
だが、私がそんなことを考えているといつの間にかメルの姿は消えていた。声がして後ろを振り向くと、ミラの首元に杖を突き立てるメルの姿がある。
「こ、こ、こいつを殺して欲しくなければ、今すぐ…」
メルが言いかけて、そのままピタリと静止した。よく見ると、その喉元には大きく鋭利な氷が突き刺さり、血が滴っている。プロトが放った氷の魔法が、メルを貫いていた。
「い、やだ……死にたく、な…」
「駄目、時間切れだよ」
喉を貫かれ喋るのもようやくなメルを横目に、プロトが一言だけ呟いて杖を仕舞う。そしてそのまま私の方へ向き直るとまた口を開いた。
「わかった? 優しいのはいい事だけど、その優しさが命取りになりかねない。次はないよ」
言い方こそ冷たいが、それはプロトなりの優しさだった。私はミラを助けてもらった恩をプロトに伝え、無視してしまったことをアルタに詫びた。プロトは相変わらず何も言わなかったが、アルタは分かればいいのよ、とどこか満足そうにしていた。
「ミラ、ごめん。怖い思いをさせてしまったね」
「いいえ、私はいつでも魔女様を信じてますから。魔女様だって、そうですよね?」
「…そうだね。もちろんだ、ミラ」
私はミラの頭を撫でてやると、ミラは心地良さそうにその小さな頭を私に委ねてくる。その姿はまるで小動物のようだった。
「…おねぇちゃん」
消え入りそうなか細い声で、ミラの隣にいるフリルが言う。フリルは未だに俯いたままで、だが先程よりは確実に気を持ち直しているようだった。
「あたし…あいつに、メルに操られてて…。それでおねぇちゃんのこと、攻撃したり…酷いことして…。ホントは、あたしは西の魔女なんかじゃない…だけど、これからどうしたらいいか分かんないよ。みんなはあたしのこと悪い魔女だって思ってる…もう、あたしの居場所は、どこにも…」
今にも泣き出しそうな声で、フリルはゆっくりと話す。フリルの影に隠れた"本物の西の魔女"メルは、今は既に息を引き取りその肢体を力なく投げ出している。そのメルのせいで、悪い魔女のレッテルを貼られたフリルは、これからも他の魔女達から疎まれ続けるだろう。下手すれば、命すらも狙われるかもしれない。
だけどそんなことは関係ない。私の気持ちはただ1つだ。
「フリル、私と一緒に行動しよう。優秀な弟子も紹介したいんだ、話したいこともたくさんある。またあんたの作る、甘ったるいプラムを食べさせて」
私がそう言うと、フリルは目をまん丸に見開いて驚く様子を見せる。だが次の瞬間にはふっと笑うと、私の肩にその小さな頭を預ける。その綺麗なブロンズの髪からはほのかに懐かしい香りがして、私はその頭を撫でると、フリルはまた静かに涙を零す。
「相変わらず泣き虫なんだね」
「うん…だから今は甘えたいの」
その様子を見ていたアルタとプロトは肩を竦めてやれやれ、と呆れた様子を見せ、帰る準備をしていた。そしてミラはというと、そんな私達を見て不服そうに頬を膨らませていた。
「なんだか、複雑な気持ちですーっ!」