『不動の石版』
私が固有魔法を発動すると、周りの人間の動きはまるで時間を忘れたようにぴったりと静止する。目の前のアルタはそれを受けてなお、やはり表情を一切変えずにこちらをじっと見つめていた。
私は警戒しつつもゆっくりとアルタへ近付く。至近距離まで近付くと、こんな奴には勿体ないくらい綺麗な瞳をしていることに気付いた。プラスチックの作り物のような澄んだ青い瞳が、私を映していることがはっきりとわかる。キメの細かい肌は若さを感じさせる艶やかさだ。…まあ、こいつは私より歳上だけど。
「アルタ、ここまでして暴れないなんてあなたらしくないね」
「………」
どれだけけしかけても、やはりアルタは何も話さないようだった。もしかすると、メルのような魔女に支配の魔法を掛けられているのかもしれない。とはいえ何も話さないのは不可解なので、やはり一度何か衝撃を与えた方が良いだろう。私はアルタの頭上に丸い形状の氷塊を作り出し、また様子を見てみる。
「喋らないなら強硬手段を取らせてもらうよ」
アルタは少しだけ眉をしかめたように見えたが、それでもやはりすました顔で私やミラ、セーラ達のことを順々に見回していた。私は作り出した氷塊をアルタの頭上目掛けて落下させ始める。だがその瞬間、後ろから怒号が聞こえて私はその手を一瞬止めた。
「プロト、魔法を解いて!」
後ろでセーラが叫んでいた。集中が途切れたことで作り出した氷塊は消え去り、私はセーラの言うことを一旦無視し固有魔法の解除をせずに待つことにする。だがその時、事もあろうにアルタが私の目の前から消え、私達の後ろへと回り込んでいた。
「私の固有魔法を…脱した?」
アルタが動いたことを確認した瞬間に私は魔法を解いた。セーラ達が地面に激突しそうになる様子を横目に、私はアルタを目で追い続ける。アルタが『不動の石版』を、こういとも簡単に破れるとは考えられない。いや、見ている限りだと、アルタは頭上の氷の魔法の解除を確認した瞬間には既に固有魔法を脱していたように見えた。まるでいつでも脱することが出来たとでも言いたげに。氷の魔法の解除に反応したようにも見えたし、微細な魔力の揺らぎを探知しながら最適なタイミングで動き出したのだろう。
しかし、そんなことがアルタに出来るのだろうか? もちろん彼女を軽んじている訳では無い。彼女とて、若くして魔女としての頭角を表した実力者だ。だが彼女が得意とするのは主に攻撃魔法のみのはず。簡単な拘束魔法などからは脱出できることは、メルの拘束魔法を破ったことからも窺える。だが私の固有魔法を破れるほどの力と知識があるとは考えられない。
「プロト様、私は防護魔法でサポートします」
「ありがとう。いざと言う時は、自分の身を優先して」
「アルタ、やっぱり何か様子がおかしいね。いや、それどころか、まるでアルタじゃないみたいだ」
セーラの言う通り、こいつはアルタではないようだ。姿かたちや、魔力量が"ほぼ限りなく同じ"であるだけの、何か。もしかすると、他の魔女の術によって作り出されたものかもしれない。ともかく私達は、普段とは打って変わって冷静なアルタという、最も厄介な敵と対面することとなってしまった。
「セーラ、おそらくこいつにはあなたの固有魔法すら効力がないだろう。あなたはアルタを引き付けて」
「まったく、面倒なことになったね。じゃあ私とミラで引き付けておくよ。フリルの結界は有効だろうから、それが展開できたら全員で総攻撃しよう」
セーラとミラはアルタに攻撃を仕掛けつつ、ホウキで交差するように飛びアルタの攻撃を私とフリルから逸らしている。その隙に、フリルは目を閉じて魔力を杖の先に集中させていた。
「フリル、きっと久々だろうけど、いける?」
「う、うん…ちょっと時間かかるかもだけど、やってみる」
フリルは不安そうな顔で魔力を練ることに集中している。ミラとセーラは相変わらず見事な連携でアルタの攻撃をのらりくらりと躱しつつも、ミラは相変わらず得意な防護魔法で私とフリルを保護してくれている。
「うぅ…本当に出来るかな…」
「大丈夫、あなたも立派な魔女なんだ。自分の作る結界をしっかりイメージしてみて」
だがそう簡単にはいかないようだった。しばらくは順調に魔力を杖の先に集中させていたフリルだったが、結界をイメージした瞬間頭を抱え始めた。
「い、たい…頭が痛いよぉ…もう怒らないで、お願い…」
どうやらフリルはメルに散々結界を酷使させられたせいで、結界をイメージをしただけでもそのトラウマを思い出してしまっているようだった。頭を抱えて蹲ってしまった彼女に、私も掛ける言葉を失う。攻撃手段の豊富なアルタは、ミラとセーラの2人がかりでも、やはり攻撃を引き付け躱すことで精一杯だ。
「大丈夫だ、私達はあなたを悪いように使ったりしない。あなたの力が要るんだ、あなたの結界がなければ勝機は無い」
「プロトちゃん…分かった。あたし、頑張ってみる」
フリルはなんとか気を取り直し、また再び魔力を集中させる。時折頭を抱えながらも、なんとか気を強く持ち集中を続ける。
「あたしだって…みんなの役に立ちたい…。あたしはもう、使えない子じゃないんだ…」
フリルは呟くようにそう言いながら、さらに魔力を込め続ける。するとフリルから信じられないほどの魔力を感じ始めた。
「あたしはもう、誰かの言いなりじゃない!」
フリルが叫ぶと、彼女の魔力は爆発したように一気に増大する。その時ようやく、彼女はメルに支配される前の、1人の魔女としての意識を取り戻したようだった。
『慈しみの監〈コスモ・ヴェール〉』
ようやくフリルが固有魔法を発動すると、辺りは瞬間的に薄明るい結界に優しく包まれる。だが、敵にとってこれは檻だ。この結界は慈悲を持ってして、相対する者を優しく、そして残酷に見送るための檻。フリルの心にある他人を思いやる純粋さが具現化した結界こそがこの『慈しみの檻』だ。
「フリル。あなたはやはり立派な魔女だよ」
「うん…プロトちゃんのおかげだよ。あたしは結界の維持に魔力を集中させる、みんなはアルタちゃんと思う存分戦ってきて!」
両手でしっかりと杖を握りながら、フリルは結界を維持し続けている。そのフリルの言葉を信じ、私はホウキに跨るとミラとセーラの元へと合流した。
「成功したみたいだね」
「うん。あの子はすごいよ、さすがはあなたの妹だ」
「そうでしょ、私の自慢の妹なんだ。…さて、じゃあ心置きなく叩くとしましょうか」
セーラの合図で、私はホウキも無しに空中に留まり涼しい顔をしているアルタ…いや、アルタの姿をした"何か"の方へと向き直る。
「プロト、最後にひとつだけ確認だけど」
「…何」
「目の前にいるこいつは、本当にアルタじゃないんだね」
「断言する」
「分かった」
セーラはアルタの方を向きつつも短く言うと、そのままアルタの懐へと潜り込むように飛び込んだ。ミラはその様子を動かず見守り、セーラよりもアルタの同行を窺っている。アルタが動きを見せた瞬間、ミラは瞬間的に防護魔法を展開させ、攻撃に専念するセーラを援護する。こうしてこの2人は阿吽の呼吸で連携しているようだ。
私はセーラが至近距離でアルタと攻防を繰り返すのを見ながら、遠距離からの支援を始める。結界を展開してからというもの、アルタの動きは明らかに低下していた。それどころか、私達はその逆で魔力に張りのようなものを感じる。
結界というのは本来自身や味方の魔力や身体能力を向上させるものだ。だがその範囲外から出てしまえば無論効力は失われる。だがフリルの固有魔法の場合、通常の結界とは違い並大抵の魔法では脱出することはまず出来ない。これがフリルが自身の魔法を檻と称する理由だろう。
さらにそれだけではなかった。フリルの結界は本来出来ないはずの敵の動きや魔力を制限する力を持つ。複数の能力を持つ魔法というのは、基本的にはイレギュラーだ。私の固有魔法も動きを静止している際に相手の魔力を消費させることが出来るが、魔力は慢性的に消費し続けるものだから当たり前のことでもある。これ程までに味方に恩恵を与える魔法は、結界魔法を得意とするフリルでないと実現出来ないだろう。
「セーラ、避けて!」
私は炎の魔法と氷の魔法を、アルタに向かって同時に放つ。その中間に来たセーラに注意を促すと、セーラは言わずもがなと言わんばかりに、私に背を向けたままそれを躱す。そしてそれは、見事にアルタへと命中した。よろめくアルタを見た瞬間、遠くから見ていたミラが杖を上空へと翳した。
「プロト、ミラの攻撃に合わせて!」
「分かった」
ミラの攻撃はすぐには着弾しなかった。結界の外では雨が降り、暗雲が立ち込めている。やがて雷鳴がゴロゴロと唸り始めると、ミラはアルタに向かって杖を振りかざした。
「フリル様、結界を!」
「うんっ!」
フリルがただ一点、人ひとり通れるかどうかという小さな隙間を結界の頂点に作り出した。アルタはそれに瞬時に反応し、その隙間へと吸い込まれるように全速力で向かっていく。
だが、それこそが罠だった。立ち込めた暗雲から一筋の稲妻が轟いた。それは見事にアルタに命中し、よろめいたアルタはそのまま真っ逆さまに自由落下を始める。私はダメ押しでその着地点に氷柱を作り出すと、アルタは抵抗もせずそのまま貫かれ力なく項垂れた。
「ミラ、防護魔法を張り続けて」
「はい、魔女様」
ミラは全員分の防護魔法を展開し続ける。フリルも同じく、まだ結界を維持し続けていた。私達はアルタの元へと近付くと、アルタのようなそれはすでに魔力をほとんど失い消えかかっていた。
「やれやれ、手間をかけさせてくれるね」
「………」
辛うじて顔の形状をまだ保っているそれは、やはり表情を全く変えずそのまま霧となって大気中に霧散していく。だがその姿が完全に消えかかろうとした時、私には一瞬だけそいつが笑ったように見えた。
「あぁーっ、私疲れました!」
「ふわぁ…あたしも、こんなに魔力使ったの久々だよぉ…」
一仕事終えて、ミラとフリルがその場にへたり込む。かくいう私とセーラもほとんど限界だ。固有魔法で魔力を消費した私と、一時も離れずアルタと至近距離で戦いを繰り広げたセーラ。ここに居る全員が消耗し切っていた。
「セーラ。この件からは、私達は身を引こう」
「…そうだね」
セーラは少し不服そうだったが、それでもこの状況を鑑みて了承してくれた。
この不気味なアルタの正体は、おそらくアルタの『軍勢』の1人に過ぎないだろう。アルタの固有魔法である『車輪の如き軍勢』は、自身とほぼ同じ魔力の形や量を持つコピーを数百体と作り出し、無差別に攻撃を仕掛けるものだ。だが前に見た時には軍勢はここまで強くなかったし、作り出されたものがアルタにここまで酷似していなかったから気付けなかった。この成長っぷりには素直に脱帽である。
だが、これ以上無駄な詮索をして、またアルタの軍勢に捕まる訳にはいかない。そうすれば、次は私達が生きて帰れる保証はないだろう。様子を見るにしても、数日は待たなければならない。もっとも、こんな軍勢が数百といれば数日待つ間に全てが終わっていることだろうが。
「まったく、侮れない人だ」
私はみんなを一点に集めると、ひとまず私の家に全員を避難させることにした。私も早く帰ってジュースを飲みたいし、他のみんなも食事や睡眠をとって英気を養わなければ限界だろう。私は転移魔法の準備をし、残った魔力で家への転移を開始した。