二人だけのスタジオで静かに音を奏でる。この二年で上達して、難しい曲も弾けるようになり、弾ききった時の達成感は何にも代えがたいものがある。しかしこうして、コードを一つひとつ確認していくのも好きだった。
左手に伝う弦の振動、右手の爪の掛かり具合、出て行く音と反響する音。目を閉じてその感覚を丁寧に汲み取っていく作業は、弾く度にごく僅かに違う音が鳴る、ギターの奥深さを感じられた。
――ひとりちゃん、やっぱり上手いなあ。
「き、喜多さん、どうかしました?」
後藤が手を止めて言った。
「ああ、ごめんなさい。ちょっとね」
今晩、後藤を練習に誘ったのには理由がある。ずっと言おうと思っていたことを彼女に伝える為だ。しかし勇気が出ない。あれから何か月も経って、今更言ったって……そう思うと中々口に出せなかった。
「き、喜多さん、本当に上手くなりましたね」
後藤が言った。彼女から口を開くのは珍しいことだった。
「ありがとう。どうしたの? 急に」
最近は最早口癖のようになっている気がする。嬉しいが、反応に困った。
「ず、ずっと言おうと思っていたんですけど、上手く言えなくて」
「いつも言ってくれてると思うけど……それに、やっぱりひとりちゃんの方が上手いじゃない」
「そうじゃなくて……その、何て言ったらいいかよく分からないんですけど……」
後藤は口ごもりながら、ぶつぶつと呟く。普段の彼女なら耐えられなさそうな気まずい沈黙にも関わらず、それを気にしない様子で。
「音の出し方とか、難しい曲を弾けるとかもそうなんですけど……ギターの触り方とか、チューニングする時とか、そういう細かいところが凄く上手くなったなーと思って。そういうのって練習するだけじゃ身に着かないから……凄く長い時間ギターと向き合ってるのかなーって」
後藤は続ける。
「そういうのを見てると、喜多さんはまだまだ上手くなるんだろうなと思うし、私もま、負けてられないって気合入ります……それだけです」
そう言って後藤は俯いた。
――ひとりちゃん、もしかしてずっとそれを伝えようとしてくれていたの?
「ひとりちゃん、あのね」
「は、はい!」
「私もひとりちゃんに言いたいことがあったの。実は、今日はそれを伝えたくて」
喜多はスカートの裾をぐっと握り、頭を下げた。
「あの時、勝手に歌詞を見せちゃってごめんなさい」
恐る恐る顔を上げると、後藤はあまりピンと来ていないようだった。何のことを言っているのか気づくと、後藤はまくし立てるように言った。
「も、もしかしてスランプになってた時のことですか? ぜ、全然、気にしてないですから」
「それでも、直接謝りたかったの。本当はすぐに言うつもりだったんだけど、どうしても勇気が出なくて」
「ほ、本当にいいんです。む、寧ろありがとうっていうか……」
後藤は言った。
「確かにあの時は見られたくなかった……です。でも喜多さんが良いって褒めてくれて、私の代わりにみんなに伝えてくれて、ファンの期待に応えられたことは本当に良かったと思います」
「ひとりちゃん……」
「ぶ、文化祭の時だって、私ひとりじゃ出られなかったけど、喜多さんが申し込んでくれたおかげで忘れられないステージになりました。だから……ありがとうございます。いつも私に、勇気をくれて」
長い前髪の奥で彼女の目が細くなり、口角が僅かにつり上がる。その不器用な笑顔を見た時、ぐっと胸が熱くなった。
「こちらこそ!」
目じりを拭って喜多は言った。
ギターと孤独と蒼い惑星、あのバンド、ドッペルゲンガー、忘れてやらない、星座になれたら。喜多がこれまで歌ってきた曲は明るいばかりの歌詞ではなかった。きっとその、明るくない部分が本当に伝えたいことなのだと思っていた。
だからあの歌の歌詞を見た時――ノートを見た時、初めて彼女の心に触れられた気がした。それが嬉しかった反面、きっと今まで触れられたくなくてひた隠しにしていた事なのだと思うと、本当に申し訳ないことをしたと思う。
それでもみんなに見せたかった。作詞の良し悪しなんて分からないけれど、あの歌詞が良いものだと信じていたから。彼女が書く歌詞は、きっと彼女自身が思うよりも良いものだと、喜多は思っていたから。
いざ新曲の披露が決まった時、内心かなり焦っていた。自分が後押しした手前、絶対に良い曲にしなければならないというプレッシャーで、何度も歌の練習をした。ここはどういう気持ちで書いたのか、どういう風に歌ったらいいか、それを直接聞きたかったが、これ以上彼女の内面に踏み込むのは忍びなくて、まさに暗中模索の日々だったと言える。
そんな不安の中で行われたリハーサル。あの時のギターソロには彼女の苦悩、葛藤、後悔、そして願いの全てが込められているのを感じた。
――凄いな、ひとりちゃんは。言葉なんてなくても、言いたいことが言えるんだ。
歌詞に込められた思いが、鳴り響くギターの音と共に胸の中に溢れて熱くなった。いつだって僕は隅っこ。そのフレーズが口から出た時、いつも一人で机に突っ伏している彼女の姿を思い出したらもう歌うことが出来なかった。
人見知りの彼女の事だから、当然悩みだってあるだろうとは思っていた。しかし彼女の抱える感情の大きさを知ってから、それでも立ち向かおうともがいているのだと知ってから、どうしようもなく勇気が溢れる。彼女に追いつくことは出来ないかもしれない、そんな暗い気持ちを抱えながらも前を向ける。彼女だってそうしてきたのだから。
「ねえ、最後に二人で一曲合わせましょうよ!」
「い、いいですね。何にします?」
「もう、決まってるでしょ! せーのっ」
「あっあっ」
そう言って喜多はギターを弾き始めた。遅れて後藤がギターを鳴らす。すれ違った二人のリズムは次第に重なっていき、やがて一つの曲になっていく。
木目調のフローリング、黒と紅色の壁。その壁際にはスピーカーやコンポーザー、マイクスタンドが並び、それらを無数のライトが上から照らしている。その光は金と銀の二つのペグをきらきらと輝かせていた。