無限無窮の光子の輝きが、あらゆるものを照らしだす。
縦横無尽に乱舞する光は、ある一点を目指して殺到する。
それは光とは相反する黒い輝きを纏った、果てしなく巨大な存在だった。
一つ一つは小さいが、そこに向かって放たれる光の数は文字通りに無限であった。
回避も防御も間に合わず、黒く輝く巨大な存在は破壊の力に晒された。
光の奔流を前に、その存在は無力であった。
破壊不能である筈の黒鉄は無残に壊れ、嘗て無敵を誇ったその力は無数の光の前に終ぞ一矢報いる事は無かった。
やがて遍く必殺の一撃は、その存在を完全に破壊した。
全てが崩壊していく最期の刹那、微小な光の一つが最後に残った小さな黒鉄の欠片を撃ち抜く。
それは光の、鏃のような形をしていた。
鏃と黒鉄は同時に砕けた。
そして、全てを光が覆い尽くした。
永遠の安寧の世界。
安息と平和に満ちた、光の世界があった。
柔らかく優しい光は、朝の日差しであり夕日であり、寝室の照明であり、焚火による炎の明かりだった。
現世の宿命から解放された少女達が、魂として暮らしている世界。
嘗て敵対していた者たちも今では平和に、生きているときとほぼ変わらず、全うできなかった生を謳歌している。
世界は広く、山々が連なり草花は咲き誇り、吹き付ける風は暖かい。
飢えも乾きもなく、誰もが生きていける世界。
生家を再現した邸宅の庭で茶会を開く白と黒の少女。
テディベアが所狭しと飾られた博物館に集い、思い思いの趣味に耽る少女達。
生前のしがらみを捨て、姉のように慕う少女に料理を教わる二人の少女と、それを優しく見つめる一人の少女。
嘗ての戦争ではなく、自分たちを高め合う鍛錬に打ち込む少女達。
世界の至る所で、少女達の笑い声が聞こえた。
安寧の世界に住まう少女達はそれぞれが個性的な衣装に装束、またはドレスを纏い、その身は魂が宿つ光を受けて輝いているように見えた。
その中で、一際目立つ輝きを放つ存在がいた。
それは純白のドレスに身を包んだ、桃色の髪の少女。
彼女自体が光であるかのように、その姿は輝いていた。
時間の概念がない世界であるが、その少女はかつて歩んでいた道と同じ形の場所を歩いていた。
機能的なデザインが施された歩道は歩きやすく、一方で草木などの自然も近い。
長く長く伸びた左右の髪を束ねる白いリボンを揺らしながら、神々しき姿で世界を歩く。
今日はお供もおらず、用事が入らなければ一人で過ごすと決めていた。
またその気になれば歩くという行為は不要であり、心で軽く念じればこの世界のどこにでも少女は行けた。
ただその場所へは、自らの足で赴きたかった。
やがて辿り着いた場所は、一軒の家だった。窓が多いその家をしばし彼女は眺め、やがてその中へと入っていった。
この場所に戻るのは久々だったが、家の中の空気は僅かな澱みもなく、清純だった。
家の中を見渡しながら、少女は歩く。一つの部屋のドアを開けると、倒れるようにして寝台の上に体を預けた。
ぼふっという音を立てて、毛布がへこむ。温かく柔らかい感触を、少女はしばし楽しんだ。
目を閉じると安らかな気分が心に広がる。
少女の閉じられた目が、かすかに震えた。
少女は思考を巡らせた。
自分は今の世界を愛している。
この世界を生み出したことを、自分に課した使命を、全く後悔していない。
全てに納得し、受け入れている。
しかし時折、心に何かがじわつく。
毒とまでは言わないが、小さな傷口から僅かに血が滲むような。
小さな傷がすぐに癒えるように、胸の中の小さな何かも落ち着いてきた。
胸の中が疼き、小さな痛みを感じるときに、少女はここに訪れていた。
かつての自分が過ごした場所へ。
そこに家族はおらず、ただ少女の記憶に従って生み出された複製品が残されているのみ。
だがそれでも、ここは彼女の大切な場所であり、かけがえのない愛すべき場所だった。
自分はこれから、何度ここを訪れ、胸の痛みを癒すのだろう。
少女はそう思い、少し物憂げな表情となった。
しかし、次の瞬間に少女の憂いは微笑へと変わった。
何度でも、何度でも来ればいい。
ここは自分の家なのだから。
生きているのだから痛みもあるに決まってる。
それは当たり前のこと。何も不思議なことじゃない。
少女はそう思ったのだった。
そして、少女は立ち上がった。かつてのように。朝目覚めたときのように。
目覚めたのなら、今度は行動の開始である。
かつてのように話を交わす家族はいないが、それでも家を出る際に、少女は誰もいない部屋を振り返った。
『行ってきます』
という声を掛けようとしたとき、『ジリリン、ジリリン』という古めかしい音が響いた。
電話だ、と少女は思い手を伸ばした。
音源はすぐ近くにあった。
それは音と同じく、古めかしい、骨董品と言っていい形状をしていた。
金の装飾が施された、コード付きの受話器を少女は受け、耳に当てる。
澱みのない一連の行動だったが、頬に受話器が触れた時に違和感に気が付いた。
こんな物がここにあることを、自分は知らない。
それに、手を伸ばしてこれを掴み、顔に当てるという一連の動作を自分が行ったという気が全くしない。
音が鳴り、気付いたら今になっている。
感覚にして数秒間、意識と記憶が消えている。
異常な事態だった。
状況を飲み込む前に、受話器から音が聞こえた。
『にげて』
誰の声か、考えるまでもなかった。
悲痛な声が耳朶を打ち、そして。
そこで、少女の意識が消えた。
電源を落とされた機械が、即座に動きを止めるように。
目を覚ました時に、感じたのは全身の痛みと頭痛。そして体表を覆う冷気と、体内で荒れ狂う灼熱だった。
開いた口からは大量の胃液が溢れ出した。
黄色と赤が混じったそれが、地面を覆う水に落ち、少女の周囲へと流れていく。
止まらない嘔吐の中、少女は水面に映る自分の姿を見た。
桃色の髪。
それを左右で束ねる赤く細いリボン。
縦横に傷が入った自分の顔。
ベージュ色のプレオーバーブレザーの制服。
それは紛れもなく、自分の姿だった。
でも、これは。
恐怖と驚愕と、苦痛が少女の心身を駆け巡る。
降り注ぐ雨は止むことなく少女を冷気で凌辱し、容赦なく体温を奪っていく。
震える少女は、ふらつきながら立ち上がった。
全身に傷を負っていることが分かった。打撲に裂傷が全身を覆い、右腕は螺子のように曲がっている。
腹部の奥には痛みと熱。内臓が爆ぜ割れ、体内に血溜まりを作っていた。
苦痛に呻きながら周囲を見渡した少女は驚愕で、痛みを忘れた。
広がる光景に、少女は見覚えがあった。
美しかった街並みは崩壊し、溢れ出した水が瓦礫の山の一面の上に広がる湖となっている。
ここは、と声を出したかったが声は出なかった。細い喉は打撲で潰れ、声帯が断裂していた。
ひび割れだらけの少女の口からは、出来損ないの笛のような音しか出なかった。
その声で、少女は声を呼んでいた。
それは家族であり、仲間であり、そして…。
瓦礫に足を取られて転びながら、無様に這いずりのたうち回り、制服を瓦礫に切り刻まれながら少女は必死に叫び、愛する者たちを探していた。
自分が死の瀬戸際にある傷を負っていることなど、少女の思考の中には存在していない。
自分よりも他者が大切であり、自分ではない誰かのために消えゆく命を使っているのであった。
遂に肉体が限界を迎え、少女の身体が崩れ落ちた。
仰向けに倒れた先には瓦礫が堆積し、剥き出しとなった鉄筋が少女の小さく柔らかい身体を貫いた。
細い太ももと、両肩が捻じ曲がった鉄筋に貫かれ、少女の身体は瓦礫の上で串刺しとなった。
磔刑とされた少女は小さく呻き声を上げた。
その声ですら苦痛のそれではなく、愛しいものを呼ぶ声だった。
瓦礫の上を這いずり、少女の顔は見る影もなく傷ついていた。
裂傷は元より、可憐で愛おしかった顔は打撲によって腫れあがり、膨らんだ肉がぎっちりと顔を埋めている。
吐く息も弱弱しくなり、鼻も口も、感じるのは熱と血臭しかなくなっていた。
死の淵にある少女は空を見た。
灰色に濁った、色の無い空が広がっている。
そこに一筋の光が差した。
降り注いだ光は、瀕死の少女の傍らに降り立った。
その光は、人の姿をしていた。
桃色と白を組み合わせた、可憐で愛くるしいドレスを、桃色の髪の少女が纏っている。
腫れあがり、肉の裂け目となった目で、少女はその姿を見た。
『はじめまして』
少女が言った。その声には聞き覚えが、いや、身に覚えがあった。
『私、鹿目まどか。あなたは?』
「鹿目まどか」。
その存在はそう名乗り、優しく手を差し伸べた。
この時初めて傷ついた少女は、鹿目まどかは自分への感情によって声にならない悲鳴を上げた。
自らの名前を名乗り、同じ姿と声を持つ存在への恐怖のために。
天蓋を覆う星々の真下。正確には、真下であり中央であり、末端であるとなるだろうか。
広大な宇宙空間に、一つの存在が浮かんでいた。
直立してるとも、空を仰ぎ見ているとも、下界を眺めているとも見えた。
無限の空間の中で無数に浮かぶ惑星や、銀河、星系と比べたら、その存在は大きさで見れば矮小なサイズであった。
だがしかし、その姿を認めたものは、大きさによる優位性や存在感の優劣など無価値と悟るだろう。
人型をしたその姿は、分厚い装甲で覆われていた。
あらゆる部分に鋭角と隆起があり、触れただけで万物を傷つけ破壊するに違いないと思わせる造形をしている。
黒く隆起した装甲で覆われた広い背中には、それよりも更に巨大な円環を描いた翼があった。
背に接続されているのではなく、それ自体が浮遊し浮かび上がっているのだった。
形を例えるならば、アルファベットの『Z』。そして無限大を示す記号に似ていた。
そして何よりも、その形は数字の「ゼロ」に似ている。
事象の終わりであるZ、始まりであるゼロ。
真紅に輝く翼は、永劫にも思える有限の中で無限に繰り返される、始まりと終わりの円環を示していた。
広がる世界そのものを寝床とし、その存在は微動だにせず、ただそこにいる。
ありのままに流れる世界を寝物語として、永遠の眠りの中にいるようだった。
それがふと、変化した。
装甲の亀裂に平いた眼に禍々しい渦状の瞳が浮かぶや、切れ長の眼窩の中を、まるでそれ自体が生きているかのようにギョロリと動いたのだった。
渦巻く瞳は、星々の彼方を見ていた。正確には、その奥を、更にその奥を。
異形の瞳の凝視は、遠方のものを探る、という程度には思えなかった。
世界の裏側の、更に先。例えるならば、世界の成り立ちを、構成されている成分を見ているような。
時間と空間、そして無数の意志と偶然が絡み合っている因果律の歯車。
この存在には、まるでその全てが克明に見えているかのようだった。
やがてそれは、忽然と姿を消した。
それは最初から何もそこに存在していなかったかのような、消失と言っていい現象だった。
ただその存在は消えゆく前に、太く頑強な右腕を虚空の先に翳していた。
広げられた五指は大きく開かれ、まるで世界そのものを掴もうとしているかのようだった。
腕が伸ばしきられ、五指が広がり切った時に、その存在は真紅の翼を翻して飛翔していた。
無限に等しい数の光の遥か先にある一つの輝きを、その存在は目指していた。
あまりにか細く弱く、今にも枯れ落ちそうな。
それは、そんな薄桃色の光だった。