魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

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第10話

「お初に御眼に掛る。貴女は暁美…」

 

『無駄話は結構。私が聞くことを教えなさい』

 

 

 鹿目まどかは、自分と同じ姿をした存在の首を締めていた。

 左側の眼は生来のものであったが、右眼は爬虫類を思わせる瞳孔の紫色の瞳が嵌っていた。

 左眼の中では困惑と心配、そして嬉しさの感情が複雑に混ざり合っている。

 

 前者二つは首を締めている相手に対して、最後の一つは自分の内に宿る存在に対して抱いている感情だった。

 首を締めている鹿目まどかの五指は、黒い靄で覆われていた。それが爪の形を成し、マドカの首を貫いている。

 切断面から血液の類は漏れていなかったが、指先は明らかに肉のような質感を捕えていた。

 その状態で、マドカは平然としていた。落ち着いた表情のまま、鹿目まどかの内にいる存在へと頷いた。

 

 

『では答えなさい。この世界に何が起きたの?』

 

 

 宿りし者は狼狽と怒りと、そして恐怖の感情を込めて聞いた。思念の声のゆっくりとした口調は、激情を抑えているからだった。

 言いながら彼女は振り返る。気付いた時には世界そのものが掌握され、玩具にされていた。

 例えるならそうとしか思えなかった。

 宇宙を改変した張本人としても、理解しがたく受け入れられない現象が生じていた。

 

 

「外から来た者により、空間が支配された。完全に奴の支配下に置かれた為、全てを思うがままにされたのだ」

 

『…なんですって?』

 

 

 少女は、マドカ曰くの暁美は聞き返していた。確かに、状況としてはマドカの言った通りだろう。

 脱出の機会も勝てる見込みもなく、ただただ弄ばれ続けた。

 いや、遊んでいるという実感すらあったのかどうか。

 そして、神格二体が揃って何も出来ないなど、そんな事が有り得るのか。

 

 

「時間と空間、そして概念を含むあらゆる法則。それが支配下に置かれた。貴女方の存在も含め、全てが」

 

『それは…円環の理だけではなくて』

 

「この世界の全て。重なり合った多元宇宙の全て。そして貴女方から見て『現世』に相当する世界。更には未来と過去に至るまで」

 

 

 暁美は驚愕し、マドカは淡々とした様子を崩さずに語る。

 当然の常識を語るような口調だった。例えば、朝になったら日が昇る。夜になったら日が落ちる、とでも伝えたような。

 

 

『外から来た、と言ったわね』

 

「そうだ」

 

 

 マドカは淡々と肯定した。少女は首を締める力を弱めない。

 

 

『それは、神とでも言うべき存在なのかしら』

 

「そうだ」

 

 

 マドカは「奴」と言った。そう言ったとき、桃色の眼が嵌め込まれた目が僅かに歪んだ。

 表情自体は変わらないが、血涙のようなアイラインが施された目が歪む様は、怒りと憎悪の発露に見えた。

 暁美はそこにひどく恐ろしいものを感じたが、今は無視した。別の脅威への認識が急務だった。

 

 

『…その、奴とやらの名前を教えなさい』

 

「その前に、一つ」

 

 

 マドカが前置きを挟んだ。首の圧搾を強める事で、暁美は早く話せと示した。

 

 

「答えると確かに言ったが、奴の名前はそれだけで強い力を持つ」

 

『だから、なんだというの?』

 

「確実に気分を害する。根源的恐怖を呼び起こす名前なのだ」

 

『言いなさい。この子には伝わらないようにするわ』

 

 

 暁美は保証した。マドカは暁美の、鹿目まどかの眼を見た。桃色の眼の中には、強い意志の光があった。

 それは恐ろしい存在を認識すると決めた、決意の眼差しだった。暁美は情報の遮断を諦めた。

 分かった、とマドカは言った。

 

 

 

ラ=グース

 

 

 

 平坦な声でマドカは言った。

 

 

「虚無を司る神だ」

 

 

 これまで殆ど表情の変化を見せていなかったマドカであったが、この時ばかりは違っていた。

 可憐で可愛らしい少女の顔に浮かんでいるのは、紛れもない怒りだった。

 

 

 対して、二人の少女の心の中には恐怖が渦巻いていた。

 イントネーションを含めれば、その名前は僅かに五文字。シンプルな名前といってもいいだろう。

 

 だが、その文字並びからは邪悪な、そして決して触れてはならないといったものが、概念というべきものが感じられた。

 知性ある存在が決してそれを認識してはならず、一生知らずにいれたらどれだけ幸福だったかと生涯に付いて廻る後悔に喘ぐような。

 今、鹿目まどかと暁美は同じ不快感を味わっていた。

 それは、透明の手で体内の臓物をぎゅっと握られ、濡れた表面に爪を立てて擦られているような感覚だった。

 実際、二人はその力によって散々に弄ばれた。

 鹿目まどかに至っては数千億という数が端数になるほどの回数を、生きたまま内臓を握り潰され引きずり出されて殺されていた。

 

 マドカ曰くの虚無を司る神というのが、なんの誇張もないことが感じられた。

 そこで暁美は疑問を抱いた。

 

 

『その虚無の神は、何が目的だというの』

 

「恐らくだが、今回も目的は無い。ただ目に付いたから、そこにいたから。ただ、なんとなくと言った風だろう。そもそも理由があるのかどうか」

 

 

 マドカは同じように淡々と語っている。それを聞いている暁美は怒りや恐怖を通り越して理解不能といった表情と思考に達していた。

 

 

「勝手ながら腕も思考も疲れたと察する。少し休まれるか?」

 

 

 マドカが提案した。暁美は首を振って拒否した。

 

 

『魔獣達も異常な強さと外見になっていたわ。虚無の神の力でも受けて、強化されていたの?』

 

「左様。付与されていた力は、名を『空間兵器ドグラ』という。本質としては、意思を持った異次元の穴だ」

 

 

 新たな名前をマドカは言った。暁美は脳内でその名を唱えた。

 

 

『…ドグラ』

 

 

 禍々しい名前だと彼女は思った。だがそれでも、虚無の神に比べたら軽い。

 文字並びの禍々しさと胸糞の悪さは今まで生きてきた中でも相当なものだったので、比較的と言った程度であったが。

 

 

「そうだ。無限大の空間の中に無尽蔵に増殖する魔物を内包した穴。それがドグラだ」

 

『…魔獣の形が変わっていたのは、そのせいなのね』

 

 

 無限大に無尽蔵。頭が痛いことばかりだった。

 神に近しい存在となっても、まだ上がいるなどとは思っていなかった。

 

 そもそも前提がおかしい。

 虚無の神は外から来たと言った。終わった物語を外部から来たものが好き勝手に蹂躙する。

 それはまるで、新しい物語を始める為に今の世界を壊すかのようだった。

 

 そんな事が、許されていいはずが無い。

 だが、これまでの事を考えると、状況的にはそうだとしか思えない。

 そう思っている間に、マドカは言葉を紡いだ。

 

「魔獣とやらは未観測ゆえ詳しくないが、それで間違いないだろう。恐らく相性が良かったのだな。通常であれば、魔物であれ穴であれ、触れた者はドグラによって浸食されて自我を喪う。あの者達は明らかに共存していた」

 

 

「そのドグラと魔獣が……虚無の神の主力って事?」

 

 

 暁美の声が僅かに上ずる。思い出すだけで恐ろしい。

 そして本当に恐ろしい存在が今、眼の前で姿を変えて喋っているという事も悍ましい。

 だが、それも今は後回しだと強引に自分を納得させる。

 会話が終わるまで、自分はあと何回こうしなければならないのかと、暁美は少し嘆いた。

 

 

「そうではあるが、少し違う。その前に一つ」

 

『何かしら?』

 

「歯に布着せぬ言い回しになる。発言の許可をいただけるか?」

 

『好きになさい。そして今後、話す内容に許可の確認は不要よ』

 

 

 了解した、とマドカは頷いた。

 

 

「あの程度、奴からすれば戦力にすら入っていない。ドグラなど、ほんのチャチな兵器に過ぎぬ」

 

 

 その言葉を暁美は理解出来なかった。理解を拒絶したというべきか。

 

 

「ドグラの主な役割と用途は大量虐殺と拷問、処刑台や疫病の発生源といったものだ。戦闘ではなく無力な生命を苛むために用いられる忌むべき兵器だ」

 

『無力』

 

 

 その言葉に苛立ちを覚え、暁美は思考を再開した。

 怒りが渦巻き、思考の中の虚無を焼いていく。眼の前のこの存在はこちらの精神を把握しているのだろうかと思った。

 無力という言葉を発破として用いたのなら、大したものだと思った。

 だからこそ腹が立つ。幼い思考なのは理解しているが、だからこそ自分自身にも腹が立つ。

 

 内心で吹き荒れる暴風を、暁美は必死で堪えようとした。そうしていると、自分に注がれる視線に気が付いた。

 マドカがこちらを見続けている。嘲弄でも同情でもなく、かといって無関心でもない。

 どう表現したらよいか、彼女にも分からなかった。ただ、「言いたいことがあるなら言え」とでも思っているように思えた。

 勘違いであったとしても構わないとして、暁美はそれに乗ることにした。

 

 

『…さっきから思っていたけど、随分と詳しいわね。そして聞き違いでなければ、少し前に今回もと言ったわよね?』

 

『言った。奴の存在を知ってからそれなりに時が経っている』

 

『つまりあなたも、いや、お前も神という訳ね』

 

「そう捉えてもらって構わない」

 

 

 淡々とマドカは応える。神という単語が比喩ではなく直接的な意味としてしか用いられていないのが忌々しく感じられる。

 神なんて、彼女と自分だけでよかったのにと。

 異常な事象ばかりだが、相手の事を知るにつれて内心が僅かずつ楽になっていく感覚がした。

 どんなものでも未知よりは既知の方がいい。暁美はそう思った。

 

 

『神として、長いのかしら』

 

「貴女方よりは、少し」

 

 

 そう、と暁美は返す。どうにも調子が狂うといった気分がした。

 これが傲慢な相手であれば反感も湧くが、この存在は随分と物言いが丁寧だった。

 演じているのではなく、素でそうしていると感じられるのがタチが悪い。

 これまでの会話から、暁美は一つの仮説を立てた。

 

 この存在がこちらに抱いている感情は、『尊敬』ではないのかと。

 思いつつ、それを心の沙膜でそっと覆い隠した。まだ分からない。判断を下すべきではないと暁美は思った。

 

 感覚が麻痺していたが、この存在を自分は『悪魔』と考えている。

 今の自分がその例えを用いることに抵抗はあるが、それでも悪魔という呼び名が正しいとしか思えない。

 何せこの存在は、自分と愛する者を散々嬲り者にした魔獣達を異形の眷属二体を呼び出して蹂躙し、挙句の果てに宇宙規模の魔獣を握り潰して捕食したのだ。

 そこでふと疑問が湧いた。疑問としては常に抱いていたが、口に出す順番はあとでいいと思っていたことだった。

 順番が来た。暁美はそう思った。

 

 

『ところで、何故その姿をしているの?』

 

「本当の私の姿はとても悍ましいからだ。そんなもの、貴女方は見るべきではない」

 

『でしょうね』

 

 

 自然とそう言っていた。即座に後悔に襲われた。

 それは罪悪感と、報復への恐怖だった。

 だが、何もなかった。

 

 

『…怒らないの?』

 

 

 恐る恐る、暁美は聞いた。

 

 

「何故、怒る必要が?」

 

 

 マドカは首を傾げた。めりっと、皮の奥で指が更に食い込む感触がした。

 本人は痛痒の欠片も浮かべていない。

 

 

「私は自ら悍ましいと言った。貴女は先ほど私の姿を見た。見て感想を抱き、私の言葉に同意した。適正な評価である」

 

 

 どこか得意げにマドカは言った。悍ましいというのは必ずしも、負の要素とは成り得ないらしい。

 

 

「万物は他者に観測されて初めてその輪郭を、形を、意味を成す。何事も個体だけでは続かないのだ」

 

『それが、神の視点?』

 

 

 長ったらしくて遠回しな言い方に、暁美は少し鬱陶しさを感じていた。

 だが今の彼女の質問は、純粋な興味からだった。

 

 

「いや、単なる経験則だ。色々あったものでな。偉そうな言い方になってしまい、申し訳ない」

 

『いいわ、別に。気にしないで』

 

 

 経験則というのが気になるが、神も学ぶことがあるということだろう。

 人間には人間の、魔法少女には魔法少女の。そして魔女や使い魔にすら苦悩がある。いや、それしかないと言っていいかもしれない。

 ならば神もそうであっておかしくない。悩みが無いのは恐らく、忌まわしき獣たちくらいだろうと暁美は思った。

 見ていると、マドカの異変に気が付いた。痛みを覚えているわけではなさそうだが、口を開いては閉じてを繰り返している。

 何かを言おうか言うまいかと、躊躇している様子に見えた。

 

 

『言いたいことがあれば言いなさい。私もそうしていたのだから、そちらにもその権利がある筈よ』

 

「しかし」

 

『言え』

 

 

 恫喝に近い言い方をする暁美。死んだかもしれない、という思いがふと過った。

 幸いにして、マドカは頷きで返した。安堵と、何を言うのかが気になった。

 

 

「この姿は、いや…鹿目まどかは美しい故に」

 

『………』

 

「彼女以外が醜いとか、価値が無いとか、見た目が気に食わないとかでは断じてない。ただ私は彼女を美しいと思い、そして接触するにあたり、不遜ではあるがその姿を模したのだ」

 

『……………』

 

 

 暁美は脳内で言葉を整理する。理に適っていると思った。

 相手の姿は警戒心を植え付けるが、逆にどの姿で前に出ればよかったのだろうとマドカの立場になって考えていると思い浮かばない。

 恐らく誰であっても警戒されるだろう。それならば、本人の姿がいいのではという消極的な解決に至る。

 そこで暁美は考えを止めた。そして別の事を思った。

 

 

『そうね、まどかは美しくて可愛いわ。まどかは最高よ』

 

 

 この時、暁美の瞳が変化していた。爬虫類のそれから、人間の丸い瞳へと変化している。

 マドカは頷いた。暁美も頷く。多くを語る必要は無いのだろう。

 

 

「だが、私は」

 

 

 マドカが言葉を紡ぐ。だが、言葉はそこで途切れた。

 

 

『まどか!?』

 

 

 暁美が叫ぶ。異変は彼女の手にあった。既に第二関節までがマドカの肉に食い込んでいる。

 それが一気に、掌の半ばまでが入り込んだのだった。

 マドカが言葉を止めたのは、彼女のその行為を邪魔しないが為だった。

 

 

「ああ、すまない」

 

 

 首を抉られながらマドカは言った。

 

 

「会話の中で、貴女を除け者にしてしまったな」

 

 

 鹿目まどかは首を振った。眼には涙が浮かんでいる。罪悪感を浮かべた表情をしていた。

 

 

「私を知りたいという事か」

 

 

 マドカの言葉に鹿目まどかは頷いた。

 

 

「口で話すだけでは足りないか」

 

 

 再びの声に、再びの頷き。

 

 

「正直に言おう。私の事は知るべきではない」

 

 

 はっきりとした口調でマドカは言った。鹿目まどかは首を左右に振った。

 

 

「こちらから接触し、私は貴女の事を観測し姿を模した。だがそれでも、私の事は知らない方がいい。身勝手な言い分で、話は通らないと思うのだが。それでも」

 

 

 マドカの言葉を断ち切るように、鹿目まどかは再び首を振り、マドカの言葉を拒絶した。

 そして彼女の口が開いた。声は無いが、マドカには何を言っているのかが分かった。

 

 

「そうか」

 

 

 マドカが呟き息を吐いた。少ない呼気だったが、それは鉛のように重く感じられた。

 

 

「『貴女の望みが私の望み』か。そうか、そうだったな」

 

 

 既に鹿目まどかの眼に涙は無い。桃色の眼には強い意志と覚悟だけが宿っている。

 紫の眼はいつの間にか消えていた。暁美の意思も、鹿目まどかの内へと還ったのだろう。正確には還らされたというべきか。

 爬虫類の瞳孔が人のそれに変わった時、肉体の制御権が彼女に戻っていた。

 ひょっとしたら、鹿目まどかはその機会を狙っていたのかもしれない。だとしたら、相当に強かな少女である。

 過去に何か油断をして、痛い目にでも遭ったのだろうか。例えば、何かを引き裂かれたかのような。

 

 暁美は鹿目まどかの内へと還った。

 一方で指先には未だ、黒い爪が宿っている。

 

 

「私の記憶の回路は開いた。あとは想えばそちらへ行ける。そして望めばすぐにそこから出られる」

 

 

 鹿目まどかは口を開いた。

 『ありがとう』と言っていた。マドカは頷きも動揺もしなかった。どう反応すべきか、分からなかったに違いない。

 そして鹿目まどかは、自身と同じ姿の存在を抱きしめた。

 両手を一度首から引き抜き、今度は抱きしめた上でマドカの背で腕を交差させ、先ほどまで締めていた方とは逆の場所へと指を突き刺す。

 そして想った。

 

 

『私は、あなたの全てを受け入れる。だからあなたを、あなたの全てを私に教えて』

 

 

 そう思ったとき、彼女の願いは叶えられた。視界の一面が眩い光で塗り潰される。それから眼を逸らさず、鹿目まどかは光の中へと堕ちていった。

 同じ姿の存在と触れている体の前面は、冷気を感じていた。

 それは容赦なく体温を奪う雨とも、肉を焼く氷結とも異なっていた。

 マドカの体は、柔らかさの上に金属の冷たさを持っていた。

 鹿目まどかは、自分を美しいと言われて照れていた。

 少し火照った体に、その温度は心地よかった。

 

 

 

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