『ねぇ、魔神』
『何だろうか、暁美ほむら』
思念同士が交差する。思念の主たちの視線の先には座席に座りつつ、それでいて前のめりになりながら画面を食い入るように見ている鹿目まどかがいた。
『まどかは本当に可愛いわね』
『うむ』
魔神は即答した。
『そしてこの連中、本当に可愛くないわね』
魔神は少し黙った。
『可愛さは追及していなかった故』
『外見の問題ではないわ』
暁美ほむらの意思は、鹿目まどかを通してその光景を見ていた。
『この連中は、好かないわ』
暁美ほむらの声には怒りが滲んでいた。魔神の記憶の中で見た光景が脳裏を過る。
そこには地獄があった。
そしてそれは、今現在も展開されていた。鹿目まどかが食い入るように見入っている画面の中に、それはあった。
光で満ちた地獄であった。
なんだ…
獣の意思が流れる。それは困惑に満ちていた。
これは一体、何なんだ
呆然とした呟きを、衝撃と爆音が掻き消した。
長大な大剣の一閃は、直撃せずともその剣風だけで獣の大群を爆砕していた。
獣のみならず、異形の血肉と臓物を重ねたような悪夢の光景をも一変させている。
肉の山から荒涼たる荒地へと、世界の景色が変わっていた。
何もかもを消し飛ばす禍つ風の中、平然と立つ小さな影があった。
『見事なり、暗黒大将軍』
拍手をしつつ、少女の声でその存在は光で出来た巨体を見上げる。
巨体の頂点である厳つい頭部が、小柄な少女に対して仰々しく頷いた。
『配下共も相変わらずの邪悪さで一安心である』
少女の姿をした魔神は周囲を見渡す。無限大に等しい空間の中で、巨大な異形達が獣を相手に殺戮を続けていた。
胸に人の顔を持った大怪鳥は足の大爪で獣を串刺しにし、頭部から生えた二つの触角の先に人間の頭部がある大昆虫は昆虫の眼から放つ怪光線で獣の群れを爆砕する。
尾の先に爬虫類と女の顔を合わせたような異形の顔を生やした巨大なコブラは、口からの溶解液で地形ごと獣達を溶解させていく。
獣が砕け散る度に、その形が崩壊する度に、人面の部分は口を大きく歪ませた。
破壊と殺戮が、心底楽しくて仕方ないのだろう。逃げる獣を追い回し、直接の破壊だけではなく地形を破壊しそれによって獣達を圧し潰したりする様子も見えた。
その度に人面は大笑いし、異形の獣の部分は更なる破壊を成す。
獣達は逃避が基本であったが、時折反撃を試みていた。複数の個体が折り重なり合い、異形の力を以て質量を爆発的に増加させる。
光の異形達の数十倍ほどの大きさの腫瘍まみれの赤子を吐き出す白い獣の姿となり、不可視の破壊の力を振るう。
超重力の渦が生み出され、広大な空間が破砕される。
その渦中にある光の異形達も破壊…されはしなかった。
相も変わらずそこに存在し、獣の無力さを嘲笑っている。
『貴様が、自称とはいえどれだけ強かろうと』
鹿目まどかの姿をした魔神、マドカは言った。何かを演じているような、既に一度聞いた言葉を話しているような口調だった。
『貴様が認識できないものに貴様の攻撃が通じるものか』
魔神の言葉に、光達は咆哮と機械音で応えた。それは嘲笑の歓声だった。
叫びと共に光の異形達、戦闘獣達は一斉に異形の獣へと襲い掛かった。
魔神にオベリウスと呼ばれた怪鳥は口から光の火炎を吐き、イグアナのような個体は光の溶解液を放った。
四足歩行のピラニアは体を反らせて鱗を飛ばし、異形の体でそれが着弾した個所はまるで水に溶かれた粉のように即座に溶解していった。
砕け、との号令が響いた。
腕に鉄球を装着した類人猿型の個体が、一心不乱に異形を殴打していく。
溶かせ、と続いた。
炎に溶解液にと溶解と腐食作用を持った攻撃が幾つも重なる。
切り裂けとの咆哮が上がる。
斬撃に刺突に、弓矢による射撃が放たれる。
『玩具のようにバラバラにしてしまえ』
魔神が無慈悲に告げる。周囲を見渡せば、似たような光景があちこちで広がっていた。
異形の攻撃は戦闘獣達には通じず、一方的に蹂躙されている。
その時ふと、魔神の上空を巨大な影が覆った。
蹂躙され続けた異形達が一斉に跳ね、少女の姿をした者を圧し潰そうと迫っていた。
迫る巨影の数は五十を超えるだろう。巨影達を前に、少女の姿の可愛らしい口元が小さな緩みを帯びた。
優し気な微笑みであり、残忍で無邪気な笑顔でもある。
『行け、七大将軍』
声と破壊は同時だった。
軍勢を束ねる長達の放った死神の大鎌や怪光線、猛獣の牙や大昆虫の大爪、巨大な背鰭、苛烈な羽搏きによる禍つ風が、異形達の存在を許さなかった。
原型を僅かに留めていた異形の巨体が、縦と横に両断される。切り裂かれた異形の奥に、竜人のような姿があった。
『ドレイドゥ』
その姿を見上げ、魔神は名を呟いた。呼ばれた者は、明らかな動揺を浮かべていた。
『あの時はすまなかった。せめて首を撥ねるに留めておけばよかった』
その場に居合わせた全ての者達が動きを止めた。
この存在が何を言ったのか、理解を超えていたのだった。
支配者である闇の帝王にも部下を労う感性はあった。
だがこの存在は、全てを掌握し操っていたこの魔神は、邪悪の権化である戦闘獣達すら超越した理不尽と残虐性の持ち主である。
口答えどころか、ただそこにいるという事すら赦さなかったこの魔神がまさか、非を認めて謝罪するとは。
後半の一文は暴力的であったが、その事を誰もが忘却しきっていた。それほどに、魔神が見せた態度は衝撃的だった。
唖然とする戦闘獣達の内心には疑問が湧き、そしてそれは恐怖へと変わった。
恐怖の根源は、桃色の少女の姿。
『何だお前達、私の顔が珍しいのか』
複数の視線に気付き、魔神は頬に手を添えて言う。そして今起きている現象は、珍しいどころではない。
『言わずとも分かる。この姿は美しかろう』
微笑む少女の姿をした魔神の口調は、自らを誇示するものではなかった。
この時点で異常事態である。自己顕示欲という概念そのものの存在が他者を認め、挙句に褒め称えるとは。
獣達は世界の、宇宙の法則が乱れているような感覚がした。
『やはりかな、めま』
魔神に異変が生じた。言葉が突然途切れ、口の開閉も不自然に止まる。
『めまど』
『か』
『すまぬ、かな』
『めま』
『どか』
『私は』
『なにかま』
『ちがってててててぃうぇひひひひははは』
『そ、うか』
『恥ずかし、かったと』
『い』
『うわけか』
『それは』
『すまな』
『か、たたた』
『だが』
『あな、たの』
『指が、痛んで』
『しま、う』
『だか、ら』
『ボタン、の連打を』
『や、ややや』
『やめめめえめめめ』
『てててててくくくくれくれくれくれくくれれれくれきりかかかか』
戦闘獣達は殺戮を再開していた。獣達が屠られ、体内から桃色の光が引きずり出される。
光は行動がバグっている魔神から目を背け、それでも一挙手一投足に注視しながら淡々と獣を虐殺し続ける。
魔神のいる方向からは悍ましい破壊音が鳴り響き、獣の肉と骨が何かしらの暴虐を受けていると思しき音が聞こえる。
奇怪な笑い声のようなものを上げている魔神が今何をしているのか、誰もが気になっていたが誰も見なかった。
存在が恐ろしすぎて、認識するのが怖すぎたからである。
この時、光の禍つ者達の脳裏には一つの名前が浮かんでいた。
「かなめまどか」
魔神の言葉を繋ぎ合わせると、そんな名前になりそうだった。
恐ろしい、と光を纏いし禍つ者達は思った。あの魔神を、あんなにも無様な姿を晒す程に変貌させた存在が。
集められていく光は、それを触れた者達に光の持ち主の記憶の残滓を垣間見せていた。
無限の牢獄の中、無惨に殺害されていく桃色の少女の姿が見えた。
首を鎖で縛られた状態で宙吊りにされ、口から大量の水を飲まされて腹を膨らまされてから、鮟鱇のように切り刻まれる少女。
可愛らしい顔を石臼に掛けられ、磨り潰される少女。
上顎と下顎を掴まれ、全力で縦と下に引き裂かれる少女。
夥しい数の死が、光の中に籠っていた。
それが「かなめまどか」という存在で、あの魔神はその者が虐げられたことが赦せない。
だから狂っているのだろうと、戦闘獣達は認識した。
それが堪らなく恐ろしかった。
戦闘獣からすれば虐げられているのはただの美しい少女であり、正直機会があれば自らも嬲り殺しにしたいし生きたまま貪り食いたいと思えるような実に弱そうな存在に思えた。
世界を蹂躙してきた者達には桃色髪の少女は虐め甲斐の塊にさえ感じられる。抵抗の一つも出来ずに死んでいく様が、実に似合っていた。
他者に虐げられて蹂躙されるために生まれたのではないだろうか、とさえ戦闘獣達は思っていた。
そんな矮小な存在が、宇宙を簡単に消し去り万物を蹂躙できる魔神を狂わせている。
悪夢の奇跡がそこにあった。
「かなめまどか」。そう呼称された存在が、戦闘獣には堪え難いほどに恐ろしかった。
恐ろしい、「かなめまどか」が恐ろしい。そんなものが二つ合わさっている。
恐怖の度合いは数倍どころではない。未知の領域にまで押し上げられ、表現には新たな概念を必要としていた。
『あ』
異次元の恐怖存在が動きを止めた。全ての眼がそちらへ向いた。
少女の姿をした魔神は、虚空を見つめていた。それと同時に、光の一つが魔神の手に吸い込まれた。
既に周囲に獣はおらず、それが少なくともこの近辺での最後の光であった。
『まだ残っていたか』
『数だけは多い』
『だがこれでもう終わりだ』
淡々とした様子で魔神は語る。言い終えると、『暗黒大将軍』と告げた。
大将軍は即座に眼の前へと進んで平伏する。それに倣い、全てのものも首を垂れる。
獣と人の顔には、びっしりと緊張と恐怖の光の汗が滲んでいた。
『隠れていた者達を見つけた』
『私はそこへ向かう』
『後は好きにするがよい』
そう言って、魔神は周囲を見渡した。平伏する者共の全てに視線を送る。
死を与えられたかのように、戦闘獣達は動きを止めている。
『者共よ、感謝する』
魔神はそう言い、更には頭を少し傾けた。
それが礼であったと配下達が気付いたのは、その姿が光となって掻き消えてからだった。
彫像か化石のごとく硬直した戦闘獣達の頭脳に、最後に魔神が放った意識が焼き付いていた。
それは、激烈な憎悪と怒りに満ちていた。
その怒りを向けられるのが自分ではなかったと、邪悪な者達は心の底から神に感謝していた。
そしてこうも思った。その怒りと憎悪を向けられる相手に、極限の絶望と恐怖と痛みを。
魔神が消えてから十数秒後、異形の獣の体内にて殺戮が再開された。
戦闘獣達の口からは、虐殺の愉悦と魔神の怒りを受けるであろう者達への嘲弄の声が鳴り止むことはなかった。