ぶちのめす、蹂躙する、蹴散らす。
これらの言葉の本質を暁美ほむらは実感できた、させられたと思っていた。
『堪え性の無い者達だな』
崩壊してゆく魔獣を前に、少女は無感情に言った。顔面が胴体に減り込んだ魔獣は、蜘蛛のような長い手足を痙攣させながら消滅してゆく。
『鹿目まどかを散々嬲っておきながら、自分達はこの程度で楽になるのか』
消えゆく魔獣の胸倉を、少女の繊手が荒々しく掴む。
『そんな事が赦されるわけがないだろう』
顔をぐいと近付けると、唇が小さく尖った。可憐な形の唇からは、小さな吐息が漏れた。
それが触れた途端、魔獣は全身を震わせた。全身のありとあらゆる部分、そして異形が蠢く体内の全部分を微細な針が貫く痛みに襲われる。
極限の苦痛を味わいながら、その魔獣は忽然と姿を消した。ほんの僅かに残った瘴気の残滓も、風に吹き散らされる砂のように消えてゆく。
『報いを受けよ』
暁美ほむらは少し離れた場所でその様子を見ていた。このとき闇色の紫の眼には複数の事象が映っていた。
鎖で縛られて台に固定され、今まさに刃物で腹を引き裂かれようとしている鹿目まどか…が、腕の鎖を引き千切り、そのまま魔獣の顔面を拳でぶち抜く様子が。
押し倒された状態で顔を殴打される、前に放たれた前蹴りが筋肉質な男性の姿を模した魔獣の胴体を爆裂させる様子が。
眼に突き刺された、筈の刃物が眼球の表面で砕け、呆然とする間もなく頭部を掴まれた魔獣が、ゴミのように投擲される様子が。
地面に激突しながら視界の端まで吹き飛び、ようやく停止したころには手足はおろか胴体の原型も無くなっていた。
その他、ありとあらゆる場面で魔獣達は破壊され続けた。
魔獣一体につき、数千億回。
実質的に無限にも匹敵する回数、無力な鹿目まどかを苛んだあらゆる暴虐が今の鹿目まどかには通用しなくなっていた。
鹿目まどかの全身を圧搾した器具は逆に破壊され、刃物は刺さらず、拘束は無意味なオブジェクトとなり果てる。
虐殺の光景は全て、別の場面に置き換えられていた。
それは全てが、鹿目まどかの代わりに魔獣が惨たらしい目に遭う場面へと変わっていった。
その様子の全てが重なり合い、それでいて一つ一つが鮮明に視界に入ってくる。
暁美ほむらは今、夥しい数の画面で同時に展開される、マドカによる魔獣虐殺譚とでもいうべきものを見ていた。
全ての場面で魔獣が息絶えた時、その映像は別のものへと変わった。
『応えよ。私はあと何回繰り返せばいい。言っておくが、私は何度でも繰り返すぞ』
そして今もまた、鹿目まどかの蹂躙が続いている。
見滝原中学の制服を着た鹿目まどかに対し、この鹿目まどかは黒のロングシャツと藍色のスリムパンツを着用している。
鹿目まどかであって彼女に非ず。
鹿目まどかの姿をした存在、マドカはそう言った。細い指は太い髑髏の顔を掴んでいた。
指の全てには魔獣を握り潰さんばかりの力が込められている。
そこで、少女の姿をした魔神ははっとしたような表情をした。
『すまない、暁美ほむら。その、つい…』
「気にしなくていいわ。単なる言葉だから」
言い終えると、暁美ほむらは愛銃を構え引き金を引いた。
髑髏の額に弾痕が開き、即座に消えた。一瞬開いた穴の奥には、蠢く触手の群れが見えた。
魔力を込めた弾丸の効果は皆無に等しかった。
『お心遣いに感謝する。では続きだ』
その言葉を、魔獣は破壊された鼓膜で聞いた。壁面に顔を激突させられ、顔が爆ぜ割れ瘴気と触手の断片が散る。
『応えよ、魔獣とやら』
顔が完全に壁に密着させられているが故、魔獣は口を動かせない。
そもそも言葉を発せられるのかどうか。答えが返ってこないことに、マドカは「ああそうか」と呟いた。
『そうか、貴様達は獣であったな。私のやり方が悪かった。丁寧さが大事という事か』
それではやり直しだと言い、マドカは魔獣を再び壁面に叩きつけた。
『何回ですか?』
丁寧な物言いでマドカは尋ねた。
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
『何回ですか?』
言葉の通り、マドカは同じ言葉を繰り返した。
無限の再生能力を付与された魔獣であったが、マドカの繰り出す殴打の前には無力であった。
一撃で顔のみならず全身が破壊されていた。顔面に与えられる衝撃は全身を伝播し、輪郭だけを残してその内部を完全破壊している。
それは魔獣と同化しているドグラという存在も同様であり、体内に広がる無限大の空間も同様に破壊されている。
無限大の領域と無尽蔵の回復能力が無意味になる破壊であった。理不尽と言う言葉すら、異常に過ぎるこの現象には当てはまらない。
暁美ほむらはしばらくその様子を見ていた。殴打の回数が億に達した時、彼女は口を開いた。
「何を尋ねているの?」
『反省をしたかと』
「その答えは?」
『悲鳴と苦痛の呻きしか伝わって来ない』
「残念?」
『元々期待していなかった。予測通りで退屈だ』
マドカも暁美ほむらも声に感情が籠っていなかった。
前者は退屈過ぎるが故に、後者は極限化した怒りと憎悪によって。
『余計なお世話であるが、少しは気分が晴れただろうか?』
「いいえ、全く」
そうか、とマドカは言った。声の調子は変わらないが、少し残念そうだった。
暁美ほむらは魔神に同伴し、魔獣達を根絶して回っていた。とはいえほぼ全てを魔神が行っており、随伴者以上の役割を果たせていなかったが。
観察を続けるうちに、この存在の感情について少し分かってきた。
分かったのは魔法少女に対する態度はまとも、というか少し過敏なくらいに親切なのである。
先の声が残念そうだったのは、役に立てなくて申し訳ないからといった風に感じられた。
それが嘘偽りではないと思えるのは、そうする理由が無いからだ。
あまりにも強すぎて、自分を偽る必要が存在していないのである。
『呻き声を解析完了。私の機能でも存在を確認できた。魔獣は、あと一体しかいない』
「長い道のりだったわね」
髪をかき上げながら暁美ほむらは言う。そうは言ったが、時間の経過感覚は希薄だった。
少し前に尋ねてみたところ『ここの時間と空間を掌握した。外の時間経過は気にしなくていい』とのことだった。
外と言うのは鹿目まどかが実体としての魔神に搭乗している場所であると思うのだが、今いるここも仮想世界とか実体のない世界であるとは思えない。
このあたりがややこしいが、理解出来てしまう。恐らく悪魔となり、世界の理となったからだろうと暁美ほむらは思った。
『情報提供感謝する。ではさようなら』
そう言って、魔神…マドカは唇を小さく尖らせた。これが本物の鹿目まどかだったら、という思いを暁美ほむらは抱いた。
それは既に、数千億回を超えていた。魔獣の数だけ、この光景を観たからだ。
『ルストハリケーン』
呟きと共に微細な風が吹いた。魔獣はそれに触れた途端に体を激しく悶えさせ、全身を掻き毟った。
見るだけで分かるほど、極限の苦痛に身を焼かれていた。
苦痛に苛まれた姿のまま、魔獣の全身は崩壊した。後には何も残らなかった。
「殺したの?」
問い掛けを放つ。これも数千億を超えた回数口にしていた。
『ある意味ではそうだろう。相応しい場所へと贈ったが故』
そう、と暁美ほむらは同じ調子で数千億回目の返事を終えた。
少し前から気付いたが、「送った」ではなく「贈った」という意味が伺えた。
何かに引き渡したのだろうが、絶対に碌でもない存在だろう。それで良いと思った。
魔獣なぞ、未来永劫に苦しみ続ければいい。それでも鹿目まどかへの暴虐に比べたら軽すぎると。
その程度で赦されることを、むしろ感謝せよと。
『では、一足先に』
そう言ったマドカの体の輪郭が、ゆっくりと消えていった。それは初めて見る現象だった。
「私は邪魔だというの?」
『貴女方に傷は負わせられない』
消えゆく魔神はそう言った。言い方を変えているが、暁美ほむらの言葉を肯定したとも見受けられる。
暁美ほむらとしても、理解はしていた。魔獣は魔神にとっては雑魚以下であるが、今の自分には手に負えない存在と化している。
癪だが、魔神の言葉に乗るしかなかった。爆発しそうな怒りをなんとか抑えつつ、暁美ほむらは話題を変えることにした。
「分かるのね」
言いながら、左手の甲を優しく撫でる。そこには美しい紫色の宝石があった。
『失礼ながら無知ゆえに名は存じないが…眩く輝く、美しい緑が見える』
言い終えると同時に魔神は姿を消した。最後の獲物の元へ向かったのだろう。
一人残された暗い部屋の中、暁美ほむらは湧き上がる憎悪と怒り、そして悲しみを感じていた。
その感情に押しつぶされまいとするように、彼女は再び、自らの半身に宝石に手を添えた。
「眩く輝く、ね」
ふっと、彼女は小さく笑った。少しだけ気が楽になれた。
「偶然もあるものね。そう思わない、まばゆ」
繊手が添えられた闇色の奥で光が煌めいた。
それは魔神が告げた通りの輝きを放っていた。
眩く輝く、美しい緑の光が。
様々な雑貨が並んだ室内に、古今東西の映画のポスターが敷き詰められた天井。
乱雑ながら、妙に整った部屋だった。
薄暗い室内の中、緑色の光が輝いていた。それは人の姿に似ていた。
小柄な少女の体躯のそれは、年季の入った炬燵へと身を寄せている。
眩く輝く緑色の光の少女は、炬燵に入りながらテレビから流れる映像を見ていた。
それは、一つの世界の物語だった。
二人の男が、闇の中で奇妙な道を歩いている様子が見えた。漫画の場面を並べたような道だった。
黒髪の二人は、服装と年齢を除けば全く同じ存在だった。ただ、その思考は真逆であった。
若い方の男は語る。
自分は神の使いだと。
君の敗北を伝えに来たのだと。
全ては必然であり、何をしても無駄なのだと。
年を経た男は叫ぶ。
それでも自分は諦めないと。
全てを掌握した神と戦う。
そして勝ってみせると。
神の使いは男の願いを叶えた。
決戦の舞台が用意され、遂に神との最後の戦いが始まった。
そこで、眩い少女は画面を止めた。リモコンの類は使わなかった。止まれと思えば、その願いが叶っていた。
現世にいた頃に欲しかったなぁ、と少女は思った。
少しだけ物思いに耽り、画面を見る。
全てを背負って愛機を駆って飛翔した少年。
荒れ狂う灼熱の暴風が吹き荒れる死の世界。
あらゆる物が破壊され、光を放つものすら何もない虚無の世界が広がっていた。
広大な虚無の中に、悍ましい形を成している虚無があった。
神の使者曰く、遍く世界に概念となって遍在し、時間と空間と並行時空の全てを掌握した機械神がそこにいた。
その姿は少年が駆る鉄の城とよく似ていた。そして、何もかもが変貌していた。
進化の極致、または成れの果てという言葉が少女の脳裏に浮かんだ。
眩い少女は輝く両手で顔を抑えていた。短冊を連ねたような、少し奇妙だが美しく輝く光の髪が本人の動揺を表すように小さく揺れる。
光の体の中では思考が渦巻いていた。頭部どころか体の全体で流動する光が、目で見た映像と情報を全身で受け止めて飲み込もうとしていた。
「ちょっと理解を…超えちゃってますねぇ」
光は小動物じみた声を出した。澄み切ったような美しい声だった。
得た情報は、見覚えが無いわけでもなかった。
所謂ループものといった作品は数多観ていた。この世界もまさにそれであり、そういった作品群で描かれる事象が多々起きていた。
「でも…」
しかしその中身は想像を絶していた。作品の出来不出来、描写の過激さの強弱といったものではない。
嘗て実際にあったことである事実、そしてその世界を掌握していた存在がこの世界にいるという事。
非現実としか思えない現実感に、眩い少女は打ちのめされていた。
正気で要られているのは、その存在が味方であるからである。
ぼうっとする思考の中、それでも少女は必死に頭を働かせた。
今の自分は敬愛する者の心の中に住まう存在であり、直接的に力を貸すことは出来ない。
しかしならばこそ出来ることがある。情報を認識し、愛する者に伝える仕事が。
それが何の役に立つのかは分からない。それでも、何も知らないよりはずっといい。
少女はそう思い、地獄の世界を観続けていた。
点と線を繋げ、自分の持つ世界観や知識を総動員して地獄の世界の分析を図る。
あることに気が付いた。最初は小さな疑問だった。
何を考えているのか、自分でも最初は分からなかった。考えてはいけない、そう思ってしまったかのように。
疑問を掘り下げ、比較し、認識する。
それに気付いた時、全ての思考が途絶した。全身に巡る光の流動が止まり、そして一気に溢れ出す。
激しい動悸を、眩い少女は感じていた。
「……似て、いますね」
胸を押さえながら少女は呟く。
内心を整理するために言葉を意識する。口に出すのが恐ろしかったが、言わずには言われなかった。
この思考が流れてしまわないように、忘れてしまわぬように。
「何処にでもいて、何処にもいない。因果律への叛逆、遍く世界に存在する概念」
ぽつりぽつりと続けていく。事象の重ね合わせを続けていくと、そうとしか思えないと認識が強まっていく。
再び画面を見た。
同時に映像が再開される。
無数の光が迸り、少年が駆る機体の右腕が溶解し紅の翼も大きく傷付いた。
破壊不能の金属が砂糖菓子のように破壊される中、少年はそれでも戦った。
しかし放った鉄拳は更に巨大な拳を前に跡形もなく破壊され、それでも立ち向かう意思を捨てなかった少年と愛機へと無数の光が突き刺さった。
一瞬の後には、辛うじて原型を留めているだけとなった機体の姿があった。
遥か彼方、全ての生命が死滅した世界で、その伴侶たる女神は愛する者の無惨な姿を見つめていた。
悲しみに染まりつつも、最後の最期まで諦めない。美しく、そして悲痛極まりない表情だった。
女神の希望を砕くかのように、神の使者は呟いた。
その言葉に、眩い少女は打ちのめされた。
「これが」
映像を止め、言葉を絞り出す。
画面の中には、神の使者となった少年の凛々しい横顔が映っている。
「これが……すう、おく、かいめ…?」
彼がこれをやるのは既に数億回を超えている。神の使者はそう言った。
諦念とも納得ともとれるし、両方でもない表情が横顔に張り付いていた。
『虚無』という言葉が似合うだろうか。
再び画面が動き出す。
崩壊寸前の機体と瀕死の少年。巨大に過ぎる手が伸び、握り潰すように掴み取った。そして、最期の時が訪れた。
悍ましく恐ろしい口が開き、そして。
そして、全てが闇に閉ざされた。画面もブツリと切れた。
少女の意思が消したのだった。いや、それは意思ではなく反射といってよかった。
極限に至った恐怖が、認識を拒絶したのだった。地獄に次ぐ地獄を少女は観た。
そんな眩い少女でも、今観たものはあまりにも恐ろしすぎた。
体内の光の流動は激しく、終わる気配が来ない。
「似て、いますね。この存在は」
知らずの内に口が開いていた。自分の意思を示すと、気持ちが少し楽になれた。
この後の事を思うと、この安らぎは瞬時に消え去るのだろうと彼女は思った。
それでも言わずには言われなかった。少しでも愛する者の役に立てる様に。
「女神様に…女神様と……そしてあの人に……暁美さんに、この存在は……よく……似ています」
言い終えた少女を、極大の疲労感が襲った。
気付かなければ良かった。しかし気付けて良かった。
愛する者の役に立てたかもしれないと。しかし間違っているかもしれない、できれば間違っていて欲しい。
そんな複数の思いが自分の中で流れ続ける。
奇妙に過ぎる感覚が、眩い少女の中で渦巻いていた。