―――酷な事実であるのは存じます。断言してよろしいのでしょうか?
「ええ。後腐れがないように」
愛生まばゆの部屋で、ミネルバXと暁美ほむらの対峙は続いていた。
共に炬燵に入っているというのがシュールであったが、本人達の間には冗談の雰囲気は微塵もなく、張り詰めた空気が漂っていた。
実際に手で触れられそうな、触れた途端に砕けて弾けてしまいそうな、結晶体のような空気に満ちていた。
―――あれは、ZEROは…貴女方の世界を含む、数多の世界を生み出した創造神です
「………」
ミネルバの言葉に暁美ほむらは沈黙で返した。
実際に映像を見て、そしてその存在によって生み出された女神から今、事実を告げられた。
それが紛れもない事実だと理解出来る為に、何も言えなくなっていた。
―――自らの内に可能性を閉じ込めて支配し、やがてそれに討ち滅ぼされて、滅びる際に発生させたビッグバン
―――それがこの宇宙を含む、夥しい数の世界の開闢です
暁美ほむらは沈黙を守っていた。ビッグバンという現象で宇宙が生まれた事は、雑学として知っていた。
宇宙の概念となった後ですら遠すぎて、或いは近すぎるが故に意識していなかった事柄だった。
それがまさか、あのような存在が起こした事象だったとは。
その事実に暁美ほむらは動揺していた。しない方がおかしいだろう。
だが、彼女の本当の関心は別のところにあった。
紫の瞳をちらと動かす暁美ほむら。視線の先には、その事象が映っていた。
崩壊してゆく魔神、ZERO。砕け散る刹那の最期の光。
その光が形作っている姿は。
「ところで、まばゆ」
『ん、なんですか、暁美さん』
その光景から視線を外し、暁美ほむらは隣を見た。
緑色の光で自分の形を成している少女、愛生まばゆが座っている。もう五個目にもなるアンパンを頬張りながら、まばゆも暁美ほむらを見た。
「なんで、あの映像を作ったの?」
『元のままだとどうしようもないからです。主人公の少年は冒頭から最低で』
「まばゆ」
少し強い口調で名前を告げる。やんわりとした、黙れという意味である。
元の世界の光景は暁美ほむらも観た。
確かに主人公は最低だった。
上条恭介の次くらいには最低だった、と暁美ほむらは思った。
そして、描かれた世界の様子と最期もまた最悪だった。
魔神の過去を知らなかったら、あれこそが最悪の破滅だったと認識していただろう。
「別の世界の映像を使えばよかったでしょう」
『そこは私なりに色々考えた結果でして』
「…例えば?」
嫌な予感がしたが、問いかけてみた。少しだけ迷って、まばゆは口を開いた。
『お』
その最初の文字だけで予測出来た。背筋が凍えた。
「ごめんなさい」
早口で言葉を割り込ませた。まばゆは少し面食らったが従った。
言うべきではなかったと、彼女は思ったようだ。暁美ほむらもまた、問うべきではなかったと。
続く言葉が察せられてしまった。関係性で言えば、恐らくそれが当てはまるのだろう。
だが…。
思考の波に溺れそうになった時、暁美ほむらは奇妙な気配を感じた。
それは左手の盾から感じられた。内部に手を入れると、それが何かが分かった。
捻じれた金色の角のような形の物体。異形の大剣の柄だった。
それが微細な振動を繰り返していた。その様子に暁美ほむらは
「スマホ?」
と思わず呟いていた。ほぼ無意識のうちに、それを耳元に当てていた。
自分の腕よりも長い物体を耳に近づけている様子は、彼女自身でも意味不明だと感じられた。
―――暁美ほむらさん。恐らくですがその相手は
ミネルバの声と表情には、隠し切れない敵意と警戒心があった。
「はい、どちら様?」
それに気付くよりも早く、暁美ほむらは振動に応対していた。
大剣を通して、一つの意思が暁美ほむらへと伝わってきた。
その途端、暁美ほむらの表情が硬直した。美しい彫像となったかのように、暁美ほむらは動きを止めていた。
『ところで女神様。外は大変なことになっていますが、魔神様は本当に勝てるのですか?』
暁美ほむらを放置してミネルバに尋ねるまばゆ。
これは無関心ではなく、暁美ほむらを信用しているのだろうとミネルバは思った。それにしても、愛生まばゆは大物だとも。
―――勝てます。確実に
ミネルバは断言した。
―――あの者、ZEROの取り柄は強さだけで、それはあの者の思考同様に異常です。それ以外は最悪で、存在していることすら赦せませんが
取り柄を愚弄に変える辺りからして、凄まじい憎悪が伺えた。当たり前だろうなとまばゆは思った。
自分達で言うインキュベーターが、魔女が、世界の理不尽さやあらゆる憎悪に悪徳が、ミネルバにとってのZEROなのだろうと。
『(あれ、魔神様ってめちゃくちゃ悪い存在なのでは?)』
今更な感想をまばゆは抱いた。そして記憶を思い出す。赦せるの無理だろうなぁとまばゆは思った。
―――虚無の神は無敵といっていい強さです。広い宇宙でもあれに立ち向かえる存在は殆どいません。為すがままに蹂躙されるだけです
『魔神様が数少ない例外なのですね』
まばゆの言葉にミネルバは頷いた。
―――強さだけがあの存在の唯一の価値です
―――ZEROがいるだけで、宇宙を我が物にしようとする者達は行動を大きく制限されています
『そんなにですか』
魔神の強さ、というか暴虐は散々に目にしていたがそれでも僅かに不安だった。
敵はあの数で、一体一体が息を吸って吐くように宇宙を蹂躙できる、それどころか宇宙そのもの。
大きさの対比は無意味とは思うが、それでも相手が相手である。
勝てるとは思うのだが、果たして無事でいられるのか。
魔神と、そして何より鹿目まどかの事が心配だった。
―――もう一度繰り返しますが、勝てます。確実に
まばゆの不安を悟り、ミネルバは強く断言した。だがその次に告げる言葉を、彼女は躊躇した。
伝えておかねばならない事であるが、それが更なる不安を呼ぶことを察していた。
そして彼女自身も、これから告げる言葉が度し難いに過ぎると感じていたために。
―――何故なら、あれは。あれは、虚無の神の………
ミネルバが告げた言葉に、まばゆは驚愕していた。
それまでの、緊張しつつも保っていた気の緩みなど完全に消し飛んでいた。
これらは奴の、ラ=グースの細胞の一つに過ぎない
ZEROが告げた言葉は、絶望そのものだっただろう。
一体一体が一つどころか数多の宇宙そのものであり、万物の理それ自体。
無限の微睡みの中で揺蕩う忌まわしき赤子。
空間を支配し、全てを意のままに出来る権能を持つ。
そんな強大どころではない存在が、細胞の一つに過ぎない。
人間であれば、細胞の総数は三十七兆に達する。それが神であるのなら、数の概念は無意味となるだろう。
白く染まった虚無の宇宙に、この細胞は鹿目まどかを乗せたZEROの周囲にびっしりと大雲霞の大群のように展開されていた。
無限大の存在が無限大に重なっている状況は、先のインキュベーターの時と変わらないが、あちらとは狂気と強さの格が別次元となっていた。
それに対して、ZEROはこう言った。
慰めの言葉も叱咤激励も不要。魔神はそう判断していた。
そして、それは正しかった。
鹿目まどかは周囲を覆う狂気に怯え、眼に涙を浮かべつつも力強く頷いた。
涙は首を振った際に全て弾けた。拭う必要は無くなった。
宇宙の彼方へ飛び出して行け。手斧を携え、人によく似た眼をした存在から発せられた意思を、鹿目まどかはイメージした。
それは直後に叶えられた。
鋼の魔神、ZEROの円環の翼である『ZEROスクランダー』が眩い光を放った。太陽の輝きだと鹿目まどかは思った。
そう思った場所は、遥か彼方だった。下方では、無数の巨大な蠢きが見えた。
進路上の全てを一瞬でぶち抜き、ZEROは全てを見下ろせる場所へと飛翔していた。
超合金の弾丸と化した魔神の飛翔。
その直撃を受けた固体は原型を留めずに粉砕され、その周囲の個体群もバラバラの寸前程度まで壊されていた。
光速など比較にならない速度と宇宙を引き裂く衝撃を放ったというのに、魔神に一切の傷は無く鹿目まどかは一切の振動を感じなかった。
下方を見た時、既に細胞達の治癒は完了していた。神の力を得たインキュベーターであれば、この時点で既に決着が着いている。
そうならないのは、流石に細胞とはいえ神自体であるということか。
牙でびっしりと覆われた赤子の口が開き、悍ましい音が溢れ出す。聴くものの魂を穢し、溶かし、侵し尽くす破壊の音だった。
破壊の後には、虚無だけが残るのだろう。
魔神はそれに対し回避も防御もしなかった。ただ、鹿目まどかの意思を待った。
鹿目まどかは、その音を聞いた。遮断出来るものであったが、彼女は敢えて聞いた。
それが立ち向かうものの義務であるとでも云うように。
虚無の神の細胞の声は、鹿目まどかの心を確かに痛めた。
これまでに受けた残虐行為さえ、児戯であったとしか思えないくらいにその声は恐ろしかった。
体の底から沸き上がる震え。しかしそれを、操縦桿を強く握ることで強引に打ち消す。
打ち消せたように自らを錯覚させる。それは破壊の音に晒されながら、小動もしない魔神を真似しているかのようだった。
いや、真似ではなくそのものを演じているのだろう。
そこには狂気に等しい憧れがあった。吐きそうになりながらも、鹿目まどかは必死に耐えた。
そして、意思の声を放った。
『あれを使いたい。お願いできますか?』
鹿目まどかが何をしたいのかは、操縦桿を伝わってZEROにも伝わっていた。
再び神の翼、ZEROスクランダーが輝いた。光が放たれた時には既に、魔神の行動は終わっていた。
意思を発し終えた時、魔神の背後では光の嵐が吹き荒れた。光とは、夥しい数の破壊された細胞が散り行く様だった。
その様子を、鹿目まどかは思考の中で映像として認識していた。
右足を伸ばし、全体重を右足の先に掛けた姿勢でZEROは下方に向けて突撃していた。
突き出した剛脚は、無数の光の毒蛇が絡みついたかのように禍々しく輝いていた。
毒蛇とは稲妻であり、雷撃の牙はそれが触れた存在へと一気に伝染し全体を覆い尽くした。
蹴りそのものの威力も尋常ではなく、破壊の音を正面からぶち抜き異形の頭部や胴体を木端微塵に粉砕していた。
稲妻の伝染と蹴りの合わせ技は、先の飛翔による破壊とは比べ物にならない威力と範囲を持っていた。
当然だろう。先程の破壊は行動による結果に過ぎず、今のこれは明確に破壊の意思を宿して放ったものであるからだ。
上空を見上げながら魔神は呟いた。億以下は端数という衝撃よりも、見上げた先の広大な大穴が鹿目まどかの眼を奪った。
魔神が放った蹴り。天使の羽根を持つ龍騎士が見せた存在の知識を引用すれば、「イナズマキック」となるそれは尋常ではない威力を誇っていた。
しかしそうして開いた空間も、間髪入れずに更なる大群が埋めていく。迫り来るそれらを前に、鹿目まどかは身構えた。
魔神が言い終えた途端、その左右から広大な虚無が飛来した。
何もない空間から忽然と顕現した細胞は、ZEROを挟み討ちとばかりに直接圧し潰しに掛ったのだった。
だがそれを、魔神は右と左の剛腕一本ずつで何の苦もなく受け止めていた。
太く長い五指は、細胞の額を掴んでいた。
サイズ差は比較しようもなく細胞の方が巨大だというのに、掴まれた場所を基点に巨大なヒビが入り、異形の赤子の顔の形を歪めている。
言い終えるが早いか、魔神は二つの細胞を上空へ向けて投擲した。
小石でも放るかのような気軽さで数多の多元宇宙を内包した邪悪な神格が投げ飛ばされていく。
そのまま他の個体群へと激突。
勢いは止まらず、夥しい数の細胞達を巻き込んで突き進み、大群を抜けた頃には完全に原型を喪失した小さな欠片だけになっていた。
悪い冗談としか思えない光景を前に、鹿目まどかは魔神の言葉通りに大きく二度の深呼吸をした。
息を吸って吐くだけの行為ながら、その様子は可愛さで満ち溢れていた。
それを終えた時、鹿目まどかの心臓は驚くほど鎮まっていた。割れてしまいそうに思えた痛みは、今では残滓程度しか残っていない。
そうして余裕が出来たのか、鹿目まどかは今の破壊による細胞の撃破数を魔神に尋ねた。
約二百億という答えが返ってきた。
その数に、鹿目まどかは少しだけ残念そうな表情をした。
さっきの自分が必死になって繰り出した技よりも、魔神が何気なく放ったとしか思えない投擲の方が遥かに威力が高かったためである。
元の技の持ち主への申し訳なさを、彼女は感じているようだった。
魔神の言葉に、鹿目まどかは頷いた。そして己の至らなさを素直に認めた。
鹿目まどかは再び強く頷いた。嘗ての記憶、延々と続くループの世界の中の想い出。
弱かった自分が、少しずつ、僅かずつではあったが力を付けていった記憶が呼び起こされていた。
その傍らにいた者達と世界は既に、魔神によって奪還されている。
異界の侵略を前に、自分は完全に無力だった。
世界の奪還も、自分がしなければならなかったのに出来なかった。
だが今は、力を借りているとはいえ戦えている。
これは自分にしかできない事で、やり遂げなければならない事だった。
自己顕示欲でも英雄願望でもなく、鹿目まどかは己の使命を果たすために魔神の操縦桿を握った。
操縦桿を握る鹿目まどかの小さな手に乗せられた想いを魔神は受け取り、鹿目まどかの意思に応えた。
そして、虚無で覆われた宇宙に破壊と光が吹き荒れた。