「まばゆ」
『なんですか、暁美さん』
愛生まばゆの部屋の中で、部屋の主と暁美ほむらは対峙していた。
まばゆは炬燵に座り、上半身を突っ伏している。声もぼんやりとしており、半ば夢の世界に旅立っている事が伺えた。
暁美ほむらはその向かい側に立っている。美しい姿は、まるで闇色の炎が立ち昇っているかのようだった。
炎とは、彼女の体から発せられる怒気だった。
―――まばゆさん
二人の斜め向かいに立つミネルバXはまばゆに声を掛けた。鋼の女神による助け舟である。
残念ながら、まばゆは反応を示さなかった。
「愛生まばゆ」
トーンを落とした声で、フルネームで暁美ほむらは相棒の名を呼んだ。まばゆは即座に起きた。
『な、なんでしょうか暁美さん!?』
「私が何を言いたいか分かるかしら?」
腕を組み、まばゆを見下ろしながら暁美ほむらは尋ねた。
まばゆの脳内で情報が飛び交い、交わり、そして何を言うべきかが決断された。
『もしかして受け取られたのですか?』
質問には質問で返そう。それがまばゆの出した答えだった。とりあえず暁美さんの怒りを鎮めよう。
それがまばゆの配慮であり防衛本能が働いた結果だった。
「ええ。何かの役に立つかもしれないもの」
そう言って暁美ほむらは腕に装着した盾を軽く叩いた。荷物はその中にあるらしい。
彼女の視線には、困惑といくらかの興奮、そしてやはり困惑があった。
『いやその…よくあの方々から受け取りましたね。焚きつけておいてあれなんですけど』
この発言に暁美ほむらは顔の内側で血管が蠢くのを感じた。
それは怒りであったが、それを解放するのは別の機会にしようと、その感情を押し留めた。
何があったのかはよく分からないし分からない事だらけだが、まばゆは自分、暁美ほむらの記録をアーカイブ化していた。
魔法少女となり、幾度ものループを行った記録。それは全十二巻のビデオカセットに収められていた。
アニメで言えば全十二話というところだろう。それの総集編とでもいうべき『始まり』。そして『永遠』。
そして最後に、『叛逆』という物語。何を考えているのかと問い詰めたくなったが、自分にその資格があるのかは自信がない。
ともかく記録として実体化しているそれを、相棒は奇怪な機械文明であるミケーネの連中に見せ、自分を神として、いや、悪魔として祀り上げさせたらしい。
端的にまとめるとそうなるが、どの部分を掻い摘んでみても頭痛がしてくる事象ばかりだった。
タチの悪い二次創作。しかも内容がとっ散らかっていて着地点が分からず無駄に話数だけは多そう。
暁美ほむらはそんな印象を抱いた。嘗て入院生活を送り続けていた頃、ネット小説を読み耽っていたので彼女はそんな印象を今の自分の境遇に抱いた。
これが虚構だったらどれだけよかったことか。
大きく息を吐き、大きく吸う。
少し落ち着いた、ような気がした。
「応える前に、まばゆ。あなたはあの連中にどんな風に私の事を伝えたの?」
『はい、それはもう事実を』
「言いなさい。その事実とやらを」
静かに、そしてドスの効いた声で暁美ほむらは凄んでいた。
怯えるまばゆに、ミネルバは心配そうな視線を送って頷いた。今は嘘も方便です、上手く立ち回れるよう願っています。
ミネルバはそんな意思を視線に乗せた。まばゆはその意図を受け取った。
正直に全て言いなさい。
そう言われたのだと、まばゆは思った。
『ミケーネの方々には、暁美さんは「超絶無敵天上天下唯我独尊ウルトラハイパー悪魔を超えた悪魔」と伝えました。古代ギリシャの人達と聞いてましたので、日本語をこれでもかと使って異文化交流が出来たらなと思いまして』
斜め上の尊称、のようなものに暁美ほむらは天を仰いだ。天井に貼られている多数のポスターが見えた。
それに映った俳優やアニメキャラクターたちが、自分を嘲笑しているとも同情しているようにも思えた。
『残念ながら日本語はご堪能でしたので言語での異文化交流は出来ませんでしたが、それでも暁美さんの記録には感銘を受けていたようです。魔神様も暁美さんには一目も二目も置いていると伝えておきましたが、それに嘘偽りなしと思って貰えたに違いありません』
無言のままに暁美ほむらはまばゆの早口での長い言葉を聞き続けた。
とりあえず、あの連中に自分の存在を知らしめるには『魔神に一目も二目も置かれている』、で済むだろうと思った。
『それで暁美さんは何をしてあの方々を信頼されたのですか?接してる間は親切にしてくれてましたが、全員が猟奇殺人鬼みたいな人達なので私としてはそこが心配でして』
心配なら前もって言っておいて欲しい。そう思わずにはいられなかった。
とはいえ今更それに言及してももう遅い。
何よりまばゆはまばゆなりに考えてから行動を起こしたので、そこは尊重しようと思った。
実際、彼女のお陰で今後の役に立ちそうなものを得られた。そこは素直に感謝しておこう。
不満や反省点を伝えるのは、全てが終わってからでいい。
「私達の世界、物語と言おうかしら。その物語の中で誰が一番嫌いだったかと尋ねたわ。それで連中の倫理観を測ったの」
『吊るし上げるのはイジメみたいでちょと気が引けますが…誰でしたか?』
「上条恭介」
『ああ、納得です』
暁美ほむらが吐き捨てた名前に、まばゆはこくこくと頷いた。
『実際あの少年の行動と結果にはミケーネの方々も激おこでした』
「暴動でも起きたのかしら?」
『いえ、皆様終始大人しくしてましたよ。鑑賞中は巨大パイプ椅子に座ってポップコーンを食べてましたし、そうそう、コーラもちゃんと完備しました』
「度し難い光景ね」
そう言ったものの、脳裏にはその光景が浮かんでしまう。
世界の危機が迫る中、主人公の少年とその仲間達も同じ事をしていたからだ。
『ただ上条君が出た途端、皆様殺気立ってました。音を殺した舌打ちや牙の軋みも感じました。多分本人がその場にいたら鋭敏な感覚も相俟って即死するか、良くて廃人になったのではと思います』
「…そう」
これなら暴動の方が感情を出してる分まだマシね、と暁美ほむらは思った。
「因みに同率で美国織莉子、呉キリカとしても信頼に値するとしたわ」
『んん…呉さんは兎も角として、美国さんは…』
「何よ」
ムッとした表情で暁美ほむらは返した。美国織莉子と呉キリカは暁美ほむらにとっては不倶戴天の仇であった。
『上手く言えないんですが、美国さんは悪い人には思えなくてですね…』
「何故?」
静かな声には怒気と殺気が凝縮されていた。まばゆは思わず小さな悲鳴を上げた。
しかしやがて、おずおずとした様子で口を開いた。
『私達、声が似てませんか?』
そこで暁美ほむらの精神は、僅かだが限界を迎えた。美しい右手を伸ばし人差し指をぱちんと弾いた。
デコピンがまばゆの額を撃ち抜き、彼女の脳を揺さぶり安らかな眠りへ堕とした。
「すまなかったわね、まばゆ」
寝入ったまばゆに対し、暁美ほむらは首肯しつつそう言った。
感情の赴くままに彼女を起こして問い質したが、まばゆも相応に疲れているようだった。
眠りを邪魔した分だけ、追加で休ませようと思っていた。
「女神様、外の様子は」
―――はい。今お伝えします
ミネルバは立ち上がり、少し屈んで暁美ほむらの額に自分の額をこつんと付けた。
その瞬間、欠けていた情報が暁美ほむらへと一気に流れ込む。
一瞬で彼女は、暴れ狂う魔神の様子を認識した。それは暁美ほむらの想像を絶していた。
嘗て自分は一つの宇宙を書き換え新たな概念となった。
そして無敵に近い権能を誇り、己の所業も含めて「悪魔」を自認することとなった。
だがその力は、虚空からの侵略者に対して全くの無力だった。
一方的に存在を支配され、愛する者を壊され自分も玩具として弄ばれた。
それを為した者は、生ける多元宇宙である虚無の神、ラ=グース。その細胞であるという。
たった一つの細胞に、自分達の世界は完全敗北を喫していたのだった。
だがそれが、女神から受け取った映像の中で塵芥のように粉砕されていた。
細胞の一つ一つが異常な強さ、と評していいのか分からないくらいの神格と狂気、呼吸するように宇宙を蹂躙する存在であることは見ただけで理解できる。
細胞が弱いのではない。あの魔神が、ZEROが更に異常に強すぎるだけなのだ。
―――あれでも手加減し、弄んでいます
吐き捨てる様にミネルバは言った。暁美ほむらは、何を言われたのか理解出来なかった。
手加減?弄ぶ?
理解が追い付かない。思考がぱっと白くなり、認識を拒絶している気分だった。
やがて少しずつ、思考の虚無が薄れていく。そういえば、と彼女は女神の言葉を理解していった。
ZEROの攻撃の威力や範囲は何もかもが異常だが、武装の切り替えも頻繁だった。
同じものを使い続けていれば、決着は遠くないのでは、と思った。
―――弄ぶというのは間違ってはいませんが、正確ではありませんでした
―――教えているのでしょう。神の殺し方を
「………」
どうリアクションすべきか暁美ほむらは迷った。
細胞に対する扱いのそれは戦闘ではなく蹂躙に見える、というかそれにしか見えない。
そう認識していても、やはり理解を拒む事象に思えた。
だが一方で納得してしまう。それは魔神が鹿目まどかに「教えている」という部分だった。
頭に思い浮かぶのは、幼体に獲物の狩りを教える猛獣。
例えとしてはそれが最も近いと思える。だがしかし、それを認めてもいいものか。
暁美ほむらの脳裏に一つのビジョンが浮かぶ。
あれは紛れもなく事実、であることに違いないのだが、それもまた認識と理解と、そして受容を拒むものだった。
認めるしかないのかもしれないが、認めたくはない。
そう考えていると心が切り刻まれる気分だった。
精神の苦痛を堪える為に、彼女は別の苦痛を求めることにした。
「疑うようで申し訳ないのですが、あれで細胞、というのが信じられません」
―――はい。その言葉は御尤もだと思います
―――多くの世界を見て、数多の邪悪な存在を見てきましたが
―――その中でもあの存在は異質です。まさか、ZEROに匹敵する存在がいるとは思いませんでした
「匹敵…」
呆然とその言葉をつぶやき、そして暁美ほむらははっとした。
「それが…」
掠れた声を喉奥から絞り出す。歯の音が震えた。言うな、言うなと魂が凍えて焼け爛れて泣き叫んでいるような感覚がした。
「ラ=グースの…本体、なのですか」
暁美ほむらの言葉ミネルバは少し迷い、そして頷いた。
迷いとは相手への配慮と、自分でも理解し難いからだ。
圧倒的な力の神の細胞が蹂躙される。
考えてみれば尤もだった。どれだけ強くても、それは細胞に過ぎない。
例えるなら、同じ強さの人間同士が殴り合っているとする。
さてその際、体内の細胞に何が出来るだろうか。
何も出来ないだろう。ただただ、本体が殴り合う際に壊されていくだけである。
そこで更に疑問が湧いた。それはある意味、最も恐ろしい疑問であった。
「…女神様。今更なのですが、ZEROとは何者なのでしょうか。記憶を見ましたが、それでも理解が及びません」
創造神である、という事は聞いた。そして正体も記憶の世界を通じて察した。
それでもZEROは謎だった。具体的に何が疑問かと問われれば暁美ほむらも答えに窮しただろう。
何もかもが理解が及ばないために、彼女は尋ねたのだった。
―――私の夫であるZに宿る意思、ではありますが、その存在が何処から来たのかは分かりません
―――狂気的な科学者が創り出した人工知能の進化形態、という起源ということになってはいますが
―――恐らくはそれよりも遥かに過去から、ZEROは存在していたと思います
―――私もZEROから生まれた存在の為、漠然とですがそう確信してしまえるのです
矛盾する二つの意味だったが、暁美ほむらにもミネルバの言葉が正しいと思えた。
時間遡行を繰り返した者同士にしかない共感と、ZEROの生み出した地獄の世界を垣間見たが故に、暁美ほむらはミネルバの言葉を我が事のように感じていた。
―――ただ言えるのは
―――何よりも強く、唯一無二の存在でなければならないという傲慢な欲望の塊
―――それがZEROでした
ミネルバは語る。身を切られるような痛ましい表情だった。
問い掛けを放った暁美ほむらも同じような苦痛を感じていた。
「過去形、なのが救いですね」
―――ええ、本当に
―――宇宙を生み出してから、ZEROは戦い続けています
―――自らが生み出した宇宙や、これから生まれてくるであろう宇宙
―――または既に滅び、やがては新しい宇宙を生み出すであろう宇宙
―――それらを守るためにZEROは戦い続けています
―――未来と過去。全ての時間と空間を超越した場所で、未来永劫に終わりなく
―――全てを我が物として取り込み虚無へと還す邪神、ラ=グースから
―――その夥しい眷属達から
―――そして、それら以外のありとあらゆる邪悪達から
―――この宇宙を、世界を守るために
ミネルバの言葉に暁美ほむらは息を呑み、そして背筋が凍えた。
女神の短い言葉から、彼女は宇宙の一端を悟ったのだった。
ZEROに匹敵するのは、ラ=グースだけに非ずと。
宇宙、または高次元と呼ぶべき世界には邪悪が溢れている。
それらは自分達の世界を虎視眈々と狙っていて、今回の事象は正にそれであったと。
「ZEROは」
暁美ほむらは口を開いた。次の一言を発するまで、しばしの時間を要した。
「邪悪を滅ぼす概念、なのですね」
そう言った暁美ほむらの脳裏には眩いばかりの光が映っていた。
それは、少女の形をしていた。
似ている。似すぎている。
こう思うのは既に幾度目だろうか。
そんな事は無いと否定しようにも、相違点を探す方が難しい。
ZEROという魔神と鹿目まどかが成り果てた女神は、あまりにも似すぎていた。
―――そう定義して差し支えないと思います
―――あの存在については、私も心の整理がつきません
―――実際に姿を見ると、それがどの容姿であれ怒りと憎悪に身を焦がされます
―――夫はZEROを友と呼びますが、私はまだそこまで割り切ることはできません
「女神様…」
哀切に満ちた声で暁美ほむらは返した。そんな彼女に、ミネルバは優しく微笑んだ。
―――そんなに心配なされなくても、私は大丈夫です
―――確かに私はZEROに生み出されました
―――世界を救う使命を与えられた、という設定を付与された世界の観測装置として
そう語るミネルバには、自然と悲しみは少なかった。事実を受け入れ、前に進もうという意思があった。
―――その中で私は最愛の者と、多くの愛する人々と出逢えました
―――何も無かったのなら、愛を感じることも無かったでしょう
―――所業に関しては赦すことは出来ない、と思います
―――しかし生み出された事に関しては、そこだけは感謝しているのです
―――結果論でありますし、そう思おうとしているだけかもしれませんが
―――私はそう思っています
暁美ほむらは何も言えなかった。無理をしているというのは痛々しいほどよく分かった。
しかし彼女の言葉通り、それは本音に思えてならなかった。
―――そして暁美ほむらさん。貴女と出逢う事も無かった
鋼の女神は魔法少女へと微笑みながらそう言った。
―――愛する者達と同じく、貴女に逢えて本当に良かったと思っています
「女神様」
胸の中で何かが疼き、そして蠢く。前者は嬉しさ、そして後者は罪悪感。
「私は、貴女が思うような存在では」
―――貴女の選択も含めて、私は貴女を尊敬しています
暁美ほむらの言葉を遮り、ミネルバは優しく強い口調で言った。
残りの言葉を彼女が口にすることで生じる、心の痛みを与えないように。
―――神にも悪魔にもなれる、という言葉があります
―――貴女は後者を選んだに過ぎません
―――貴女は確かに、その側面があるのでしょう
―――しかしその悪魔は、私の内にもいます
―――時間を繰り返したために、私も数多の地獄を生み出しました
―――それは世界を引き裂き、蹂躙したに等しい行為です
―――しかし貴女は違います
―――貴女は災厄の存在などではありません。私はそう思います
「…何故です」
嬉しさと、心底からの疑問を入り混じらせながら暁美ほむらは尋ねた。
「何故私をそこまで肯定し、好意的に受け取るのですか」
冷静さを装ってはいたが、声には困惑があった。
―――ZEROと同じです
―――貴女達の世界が好きだから。貴女達の行動と願いを、否定したくないのです
―――これは一方的で、我儘な想いかもしれません
―――ですが、私にはそう思えてならないのです
そう言い終えるが早いか、小柄な体が女神を抱いていた。
細い背に回った華奢な腕が、自壊を望むかのような強い力でミネルバを抱き締める。
豊かな胸に押し付けられた顔からは、押し殺した嗚咽が聞こえた。
暁美ほむらの眼から溢れた熱い液体が体表を伝う感覚を覚えながら、ミネルバは暁美ほむらの美しい黒髪を優しく撫でていた。
女神として、そしてまるで母親のように。