魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

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第33話

「鹿目まどか。矢張り貴女は筋が良い」

 

 マドカの言葉に、鹿目まどかは照れくさそうに笑った。

 二人は椅子に座り、直径一メートルほどの円卓を挟んで向かい合っている。

 卓の上に垂れ下がった電球が、二人と円卓を照らしている。円卓の上には、チェス盤のような物が置かれていた。

 盤の上には無数の異形が並んでいる。それは脳髄が剥き出しとなった、悍ましい造形の異形の赤子達だった。

 大きさは円卓の半分程度だというのに、そこには一つの世界が広がっていた。

 果てしなく広がる、圧縮された世界。拡大された宇宙の縮図。

 矛盾しているとしか思えないが、鹿目まどかはそうは思わなかった。

 嘗て自分も、そうやって世界を観測していたために。

 

 

「ゲームのようで不謹慎、と思われたらすまない。こちらの方が分かりやすく、そして覚えやすいと思った故」

 

 

 異形の大群に対峙する存在へとマドカは視線を落とし、鹿目まどかはそれをじっと見ていた。

 円環を描いた真紅の翼を背負った鉄の魔神。ZEROがそこにいた。

 マドカの側に並ぶ無数の異形、ラ=グース細胞の大群を前に、ZEROは鹿目まどかを背にして泰然と構えていた。

 ここから先は通さない。そんな意思を鹿目まどかは感じた。

 

 

「何回か調整をしたが、駒としての私の大きさはそれでよろしいか?」

 

 

 マドカの問い掛けに鹿目まどかは頷いた。

 ちょうど、卵くらいの大きさかなと鹿目まどかは思った。

 卵という言葉には複数の想いがあったが、それは表に出さないようにした。

 

 

「繰り返すが、こういった連中…概念存在とでもいうべきものの殺し方は単純だ。認識してぶちのめす。これに尽きる」

 

 

 そう告げられた鹿目まどかは頷き、想いを抱いた。思考の中に複数の選択肢が浮かんだ。

 ルストハリケーン、ブレストファイヤー、サザンクロスナイフ、冷凍光線、電磁波攻撃etc。

 並んだ敵の配置を考慮し、彼女は選択した。

 盤面の上で無数の十字架の光が乱れ飛び、異形の大群を薙ぎ払った。

 先ほども彼女はこれを、サザンクロスナイフを選択した。

 筋が良いと褒められたのは、このことであった。 

 

 

「そこにいる、と認識していないから好き勝手にされる。だからそこにいる、と認識してしまえば怖くない」

 

 

幽霊の正体見たり枯れ尾花。

鹿目まどかはそんな言葉を思い出し、改めてこの状況を納得した。

事象を認識するという事において、遊戯的な盤面化はとても分かりやすかった。

一方で、彼女は操縦桿を握り、パネルを操作してZEROを操縦していた。

盤面を見る自分も操縦する自分もどちらも自分であり、それが違和感も時間差も、精神の負担もなく同時に感じられていた。

どちらの面でもZEROを知れる。一石二鳥だと彼女は思った。

 

 

「全ては自分の認識次第だ。自分は強い。誰よりも何よりも。そう思って振舞えばいい。そうしたならば、世界の方が貴女に合わせる」

 

 

 傲慢にも思えるマドカの言葉。その言葉に、鹿目まどかは一つの言葉を声に出せずに口ずさんだ。

 その唇の動きに、マドカは「その通り」と言った。

 

 

「主人公。実に良い例えだ。仰る通り、主人公になればいい。自分という名の物語を紡ぎ、相手の存在を登場人物と認識して自分の世界に取り込んでしまえばいい」

 

 マドカがそう言う頃には、既に盤面の上では異形の数が復活していた。

 

「自分に否を突き付ける者、物語を全うすることを阻む者。対話が不可能で望まぬ争いを仕掛けてくる者。そんな奴らに容赦はいらぬ。蹴散らしてしまえ」

 

 

 鹿目まどかはルストハリケーンを選択した。

 破壊の大渦が多くの細胞を巻き込み、虚無を光の塵へと変えた。

 その大渦を貫いて、無数の虚無の波動が迸る。鹿目まどかはブレストファイヤーを選び、それを迎撃した。

 鋭利な刃のような二枚の放熱板が毒々しい真紅に染まったかと見るや、それは恐ろしくも美しい深紅の熱線を放った。

 白いキャンパスを巨大な絵筆で薙いだように、世界は紅に染まった。

 多くが焼き尽くされていくが、少なくない数がその超高熱に耐えていた。

 

 まだイメージが足りない。鹿目まどかは思った。

 ZEROは強い。何よりも誰よりも。自分なんかよりも遥かに強い。

 祈るようにそう思った時、耐えていた個体群は水飴のように蕩け、幻のように消え失せた。

 そっか。そうだったんだ。彼女は思った。

 これが概念の認識と殺し方。そして、力の使い方。

 拍手が鳴った。それはマドカが発していた。

 

 

「上出来だ。もう一度言うが、筋が良い」

 

 

 場面が繰り返されたかのように、鹿目まどかは嬉しさと少しの恥ずかしさで顔を赤く染めた。

 一方で、ZEROの言葉をすぐに反映できなかった事を残念に思っていた。

 無敵で最強と思っていた筈なのに、まるで力を疑ったようになってしまった事を。

 

 

「気にすることは無い。蹴散らせているが、こ奴らが強すぎるだけだ。私も大分苦労させられた」

 

 

 戦いを続けながら、鹿目まどかはマドカの、ZEROの言葉を聞いた。

 盤面の選択をする意識を、マドカの方へと顔を向ける事に切り替える。

 戦闘に関しては、操縦桿を握り戦う自分の意識に任せることにした。どちらも自分であり、矛盾なく同時に存在しているからこそ出来る芸当だった。

 何処にでもいて何処にもいない。かつてそうだった事を、思い出させる一幕だった。

 

 

「最初の会敵時、この細胞は今より遥かに小さく、厳めしい顔つきの岩塊のような姿をしていた。そしてこの赤子がかつてはラ=グースの本体だった。細胞一つを葬るのに、時間にして五分も要した。ルストハリケーンを何度連打したことか」

 

 

 鹿目まどかはマドカの言葉をじっと聞いていた。聞き逃さないように、そして度し難さに堪えて認識するために。

 

 

「倒したと思ったらわらわらと湧いてきた。あの時は疲れた。無限に稼働し破壊不能の身を持つこの私が、まさか疲弊するとは。結局半日ほどかけて殲滅したら今度は本体の御出ましだ。その時の私の様子を人間で例えれば、なんというか…」

 

 

 そこで鹿目まどかは唾を飲み込んだ。ZEROが苦戦する。その様子が想像できず、そしてそんな様子は見たくなかった。

 気分を少しでも落ち着けようと、知らずの内に口内で溜まった唾液を飲み込んだのだった。

 

 

「そう、それだ。息を呑む、だ。教えてくれて感謝する。そしてその動きですら貴女は美しいな。筆舌に尽くしがたい」

 

 

 唾液を飲んだことを褒められる。こんなことってあるの、と鹿目まどかは困惑しつつ照れていた。

 褒め方が過剰であるのは分かるのだが、そこに厭味っぽさは無く推しから褒められるのは嬉しいに決まっていた。

 

「結果は痛み分けで終わった。私は奴の顔面を焼き尽くしたが、私も右腕を抉られた。そして悠久とも呼べる時間を戦い、その中で奴を観察してみた。その結果、何も分からない事が分かった。ラ=グースとは虚無だ。そうとしか言えぬ」

 

 マドカはそう断言した。

 

 

「何も分からず、今でも分からない。こんな強そうな見た目の癖に、全知全能とは程遠い」

 

 

 マドカが手を伸ばし、右手の人差し指で盤面の一点を指差した。そこには駒となっているZEROがある。

 

 

「それにしても悍ましい形だ。自分で言うのもなんだが、正義の味方の手本のようなZを原型としながらよくもここまで成り果てているものだ」

 

 

 感心したように、または嫌悪のように、そして言った直後に忘却しそうな無関心さを帯びてマドカ(ZERO)は自分の姿を評した。

 そのどれもが本心だろう。無数の集合意識が、ZEROの本体である為に。

 

 

『綺麗』

 

 

 そんなマドカの元に、鹿目まどかの思念が届いた。マドカはしばし硬直した。

 異変を察し、鹿目まどかが心配そうな視線を送った時にマドカは漸く動き出した。

 

 

「すまない。意味を思い返していた。いや、意味なら分かる。ただその対象が私とは…そして言葉を還すようだが、綺麗とは貴女の為の言葉では?」

 

 

 思わぬ反撃に、鹿目まどかは硬直した。思わず首を左右に振った。振り続けた。

 

 

「そうか。私は数多の世界を認識しているが、貴女ほど美しい存在を見たことはない」

 

 

 マドカは断言した。桃色の髪を振り回し、同色の竜巻のようになっていた鹿目まどかはびたりと動きを止めた。

 嘘偽りの無い賛美。その破壊力の凄まじさを、彼女は噛みしめていた。

 

 

「貴女と貴女の世界を見て、私は驚愕した。我が目を疑うとはこの事かと思った。感動、というべき感情を抱いた。そう思ったのは」

 

 

 あの時以来と、マドカは続けるつもりだったのだろう。

 それを、荒い息を吐いている鹿目まどかの人差し指が止めた。繊手の先は、マドカの唇に触れていた。

 柔らかく、そして心地よい冷たさの唇だった。

 

 

「ネタバレ厳禁、か。そうか、そうだな」

 

 

 納得するマドカ。鹿目まどかは微笑みつつ、僅かに体を震わせていた。それは恐怖の震えだった。

 今指で触れているのはマドカの唇。それがまるで、鋭い牙のように感じられた。

 本来ならば口を覆っている装甲が爆ぜ割れ、歪んだ鋭い牙と化す。

 それが大きく開き、閉じられる。

 開かれた大口の奥へと、終焉の魔神へ挑んだ少年と愛機が飲み込まれていく。

 それが、鹿目まどかが認識した最後のZEROの様子だった。

 邪悪という言葉ですら生温い、最悪の災厄。

 それがかつてのZEROだった。その事実を、鹿目まどかは思い出していた。

 

 ―――違う

 

 鹿目まどかは冷たい唇から指を離してそう思った。

 無音の言葉で彼女は断言した。怯えてはいるが、それでも強引に震えを黙らせている。

 かつては、かつて。今は今。彼女はそう認識した。

 

 

「鹿目まどか」

 

 

 マドカが名前を呼んだ。そして、盤面を指し示した。

 

 

「あと僅かだ」

 

 

 思考を切り替え、鹿目まどかは頷いた。

 卓に座り盤面を見る自分と操縦席に座す自分の視界が重なる。

 数千体の細胞が見えた。たしかに、戦闘の規模で言えば僅かな数だった。

 

 

「トドメを放て」

 

 

 マドカの、ZEROの意思に鹿目まどかは即座に従った。

 最後の一撃はこれにしようと、決めていた武装があった。

 操作を実行し、盤面にも手を加える。澱みの無い自然な動作で、鹿目まどかはそれらを行った。

 自分の体を動かすように、いや、思い描いた願いが即座に実行されるかのような、本当の意味での魔法を行使しているかのような感覚がした。

 その魔法が放たれた。純粋なまでの、光の力として。

 

 

『光子力ビーム!!』

 

 

 ZEROの眼が輝き、双眸から光が放たれた。二条の光が絡まり合い、無限大の記号が連なる光となる。

 形で見れば極めて細い光ながら、それは眩い光で虚無の世界を照らしていた。

 そして光が一閃した直後、虚無の細胞は光と化して爆散した。

 砕かれたガラスが天から降り注ぐような、恐ろしくも美しい光景だった。

 

 

「鹿目まどか」

 

 

 マドカが声を発した。その調子は普段と変わらない。

 しかしどこか、より硬質さを帯びているような気がした。

 

 

「繰り返しとなるが、概念存在を殺すには認識することが必要だ。そこにそれがいると、自分自身で気付く必要がある」

 

 

 マドカの言葉を心の中で繰り返す。違和感を覚えた。異物感のようでもあり、ごく自然にそこにあるとしか思えないものが。

 ごく僅かだったその感覚は、マドカの言葉を受けたことで一気に増大した。

 それは気付きであり、認識であり確信であった。

 心の中で蠢くもの。それは穢れという感覚に似ていた。

 鹿目まどかは胸元に手を伸ばした。かつてそこには、桃色に輝く宝玉があった。

 そこは今は制服で覆われている。その奥には肉と骨があり、更に奥には心臓がある。

 それよりも更に奥。血肉ではない領域に、自分以外の何かを感じた。

 何かとは、虚無だった。

 

 

『ここに』

 

 

 胸を掴みながら鹿目まどかは無音の言葉を紡いだ。

 

 

『いるのですね』

 

 

 せり上がってくる胃液を吐きそうになりながら、なんとか必死に嘔吐感を堪えていた。

 その言葉に、マドカは頷いた。

 

 

「貴女の心の奥深く。魂の本質とでもいうべき深い場所に、ラ=グースの意思が巣食っている。奴がこの世界に訪れた時から、奴は貴女の心の中にいた」

 

 

 マドカの言葉は、死刑宣告に等しいものだっただろう。

 心の中で虚無が蠢いたのを、彼女は感じた。

 

 

「あまりにも奥深く、そして複雑に食い込んでいるために私でも軽率には手が出せぬ」

 

 

 マドカは立ち上がった。同時に二人の間を隔てていた卓と盤面も消滅した。

 

 

「酷な事だが率直に言おう。貴女に巣食った虚無は、貴女自身で祓う必要がある。無論、手助けは惜しまない」

 

 

 そう言った時、鹿目まどかはマドカに抱き着いていた。少し爪先立ちになり、マドカの右肩に顎を乗せて両手でマドカの背を抱く。

 

 

『これで、十分』

 

 

 手助けとは、そういうことらしい。 

 そして鹿目まどかは目を閉じ、意識を自らの内へと集中させた。

 粘度の高い何かが足に触れ、そして一気に全身を包み込む。そんな感覚がした。

 

「貴女を信じている」

 

 意識が溶けゆく刹那に、鹿目まどかは魔神の声を聞いた。

 

 

 

 

 

 闇の中へと、鹿目まどかの意識は降下していった。

 闇の中を進むたびに、意識の中に複数の光景が浮かぶ。 

 通学路、学校、先輩の部屋、友人の家、そして魔女の結界。

 人であった時に生きていた場所、そこにいた人々と経験した場面。

 

 それらが万華鏡のように意識の中を乱舞する。自らの内に入っていくというのを、否応なしに自覚させられる現象が起きていた。

 思い出の場面の中で、そこに映る人々は思い出の通りではなかった。

 場面は同じだが、全員の視線が鹿目まどかを向いていた。

 教師が、友人が、先輩が、父が、弟が。鹿目まどかの存在にふと気付いたかのように動きを止め、彼女をじっと見ている。

 そこに表情は無く、まるで仮面のような虚無の形だけがあった。

 

 それが彼女の意識を取り囲み、覆い尽くしていた。眼を逸らさずに、鹿目まどかはそれらを見た。

 思考を弄ばれている恐怖よりも、映像とはいえ存在を改変させられている人々が不憫に思えて辛かった。

 自分を見る無数の虚無の表情の中で、ただ一つだけが存在していなかった。彼女はそれを探したが、見つけることは出来なかった。

 やがて不意に、鹿目まどかの意識が透き通っていった。人々の姿が消え、再び闇が周囲を包む。

 それと同時に、彼女の両足が地面に触れた。地面もまた、一面の闇だった。

 

 

―――まどか

 

 

 自分の名を呼ぶ声がした。女性の声だった。

 そう認識した途端、鹿目まどかの意識と身体が震えた。

 声の方向の闇が薄れ、一つの姿が現れた。

 

 

―――こうしてまた逢えるなんて思ってもみなかった

 

 

 その存在は、どこか鹿目まどかと似た姿だった。

 紫を帯びた桃色の髪をした、スーツ姿の女性。

 

 

―――あの時は…叩いちまってごめんな。頬、痛くないか?

 

 

 その姿には見覚えがあり過ぎていた。だが今は、その女性との自分の間の繋がりは絶たれている。

 だがそれでも、それでもその女性は自分にとって大切な存在だった。

 

 

―――その様子だと、成し遂げられたみてぇだな。あんたにしか出来ない事ってやつが

 

 

―――あの後もずっと悩んでた。送り出しちまったことが、本当に正しかったのかってな

 

―――例え止めたとしても、あんたはあたしを振り切って進んだんだと思う

 

―――それでもあたしは、あんたを止めるべきだった。せめて一緒に行くべきだった

 

―――それにもっと早くから、あんたの悩みに気付いてあげられればよかった

 

―――何が正解で間違いは何だったのか、今となっては分からねぇ

 

―――でもこれだけはハッキリと言える

  

 

 一方的な想いと関係に成り果ててしまっていても、心の中では常に求め続けていた。

 過去との因果は断ち切った筈なのに、そう思えてならなかった。

 鹿目まどかは目に涙を湛えながら、その女性の言葉を聞き続けた。女性の顔は、優しさと慈愛に満ちていた。

  

 

―――まどか、あんたはあたしの……自慢の……

 

 

 声はそこで途切れた。そして。

 

 

―――だ……だめ、だ

 

―――だめだだめだだめだだめだだだめだだだ

 

 

 表情はそのままに、女性は体をガクガクと揺らしながら声を震わせた。

 顔の形はそのままだが、瞳は撞球のように上下左右に激しく蠢いていた。

 

 

―――だだ、めめだ、まま、どどどか

 

―――あた、しのこと、ばをき、くな

 

―――あたた、ままのの、なかかに…ななにかかがいいやややがががる

 

―――そそそそいいいつつは、ああ、あんたを、ほし、がって

 

 

 そこで女性の体が大きく反った。背骨が折れる音が、鹿目まどかにははっきりと聞こえた。

 直後に反りは直った。女性の口からは血の塊が吐き出された。

 

 

―――こ、こ、こ、ろせ

 

 

 血で濡れた女性の顔には、既に笑顔は無かった。苦痛と怒りと、そして悲しみがあった。

 

 

―――あたしを、殺せ。あたしは、あんたの……じゃ、ない

 

―――ただの、にせ、ものだ…あんたを、ほしがってる、やつが

 

―――あんたに、近づく、ために、つくった、ただの

 

―――にくの、かたまり、だ

 

―――だから、ころせ

 

―――これいじょう、あたしに、あんたの……を、やら、せる、な

 

 

 血を吐きながら苦痛を堪えて女性は言う。

 

 

―――守りたい、もの、が…あるん、だろ…

 

 

 血染めの顔で微笑む、が、その表情は即座に打ち砕かれた。

 歯を剥き出しにした、悪鬼の表情へと変わる。それを鹿目まどかは、変貌ではなく演技であると確信していた。

 何度も何度も、この女性とは出逢っていたからだ。

 

 

―――だが、ら、ごろぜ、ご、の…

 

―――ご、の、ぐぐ、ぐぞがぎぃぃぃいいいいいい

 

 

 叫びと共に、大量の血が吐き散らされる。口だけではなく全身から血を噴いていた。

 女性の姿が崩壊していく。

 全身に傷が入り、衣服は破けて鮮血が溢れ、破れた腹からは壊れた内臓が垂れ下がる。

 その状態で、女性は死を懇願していた。一刻も早く自分の存在を終らせたい。そう願っているようだった。

 

 

―――ごろぜ、ねぇ、なら

 

―――あだじが、あんだを

 

―――ごろじで、や、る

 

 

 顔が引き裂け、顔中から血が溢れた。流れ落ちる血の滝を、女性は両手で受けた。

 滴る血流が地面の手前で氷結したように凝固する。女性の手首から先は、凝固した血液で覆われていた。

 大きなガラス片を皮膚に直接埋め込んだような、凄惨で異様な刃となっていた。

 傷と血の赤で覆われた顔の中で、剥き出しになった眼球が鹿目まどかを見ていた。

 

 

―――じにだぐ、なげりゃ

 

―――あだじを、ごろぜぇぇぇえええ!!!!!!

 

 

 喉を裂きながら女性が叫び、鹿目まどかへと突進する。

 異形の刃となった両手を振りかざしながら迫る様は、悪夢そのものだった。

 しかし鹿目まどかに恐怖は無く、ただ悲しみがあった。殺すと言いながら、そこに殺意は感じなかった。

 殺される為に、この女性は自分に向かっているのだと分かった。

 凄惨な願いを前に、鹿目まどかも願った。

 あの人から、苦痛を消し去りたいと。でも、どうすればいいのか分からなかった。

 女性の姿が眼前に迫った時、鹿目まどかの思考の中に一筋の想いが奔った。

 それは、概念存在の殺し方。

 

 そう思った直後、違う、そうじゃないと彼女は思った。

 思考として思うより前に、救いたいと願った。

 だが直後に激烈な痛みが、心の中を駆け巡った。

 苦痛は鹿目まどかの体表から光となって溢れて迸り、寄り添い合って形を成した。

 鹿目まどかが知る限りで、最も強い形となってそれは顕現した。

 黒い装甲で覆われた巨大な右手が闇の中から伸び、女性の体を掴み取った。

 

 これらの一連の流れは、鹿目まどかが意図したものではなかった。

 落としたものを掴むために、反射的に伸ばした腕と落下物を掴んだ手。

 そんな、本能にも沿った動きだった。しかし本能とはいえ、そこには鹿目まどかの意思があった。

 

 形として選ばれたのは魔神の手で、それを選びこの行動を選んだのも自分自身。

 それを彼女は理解した。これしか道は無く、これしか出来ない事が理解できた。

 だがしかし、その選択は鹿目まどかの心を大きく傷付けていた。

 そして次いで出現した鋼の左手が五指を広げ、女性を掴む右手に覆い被さった。それは胸の痛みから逃げ、所業から眼を背けるようだった。

 手の影に隠れる刹那、女性の口が動いた。

 

 

―――気に、すんな。あたしは、あんたの…

 

―――母親じゃ、ない

 

 

 言い終えた後の唇は、緩やかに微笑んでいるように見えた。

 悲痛な叫びが鹿目まどかの喉から迸る。同時に、鹿目まどかが顕現させた魔神の両手が女性の姿を握り潰した。

 一瞬にも満たない極僅かな時間が流れた。役割を終えた時、魔神の両手は姿を消した。

 肉が潰れる音も聞こえず、その破片も見当たらない。ただ、その前に吐き出された血の跡が地面に残るだけだった。

 

 しかし鹿目まどかの両手には、女性を、母を握り潰した感覚と感触がはっきりと残っていた。

 震える両手を見つめると、肌色である筈の手は血に染まって見えた。

 そして自分の両手に重なり、黒い装甲の手が見えた。罪悪感が鹿目まどかの心を刻んだ。

 一つは母の姿を持った存在を殺したこと。もう一つは、母を殺す処刑装置として魔神の姿を借りた事。

 罪を擦り付けたと、鹿目まどかは己の所業をそう定義した。

 

 その時、鹿目まどかの視界がぶれた。

 闇の中を呆然と見つめる自分の視界に、光が注ぐ場所が見えた。

 そこに映っていたのは、伸ばされた自分の両手。

 そしてその手が、マドカの首を締めている様子だった。

 母を握り潰した感触に、自分自身の首を締める感触が重なる。

 

 

「その心の痛みは、貴女の優しさの表れだ」

 

 

 自分と同じ声で、普段と変わらぬ無表情さでマドカは言った。

 その体には、蔦植物を彷彿とさせる無数の管が巻き付いていた。虚無で出来た、白色の管だった。

 足元から生えたそれらは既に、マドカの下半身を覆い尽くして胴体と肩にも伸びている。

 自分の所為だと鹿目まどかは瞬時に悟った。機体としてのZEROに乗り、ZEROは自分に制御を明け渡している。

 自分の心に触れているために、ZEROも影響を受けたのだと。

 

 

「ああ、これのことなら気にされるな。貴女から私に奴が移るなら寧ろ好都合だ」

 

 

 淡々とマドカは言った。首を締める力が徐々に弱まってくのを鹿目まどかは感じた。

 その言葉通り、ラ=グースが自分からマドカへと移動しているのだと分かった。

 安堵による脱力が身体を駆け巡った。だがしかし、彼女はそれに身を委ねなかった。

 

 

「貴女を苦しめた報いは、私が」

 

 

 違う。それじゃ駄目。

 魔神の意図に感謝しつつも、鹿目まどかはその選択を拒絶した。

 マドカが、ZEROが言い終える前に、鹿目まどかは飛び掛かっていた。

 触手が顔に迫った時、鹿目まどかとマドカの額が激突した。

 

 

「な…」

 

 

 紛れもない驚愕の言葉が漏れた。

 鹿目まどかの口から。

 そして激突の衝撃で離れた瞬間、マドカの姿は完全に虚無の蔦で覆われ、消えた。

 虚無に閉ざされる寸前、マドカは微笑んでいた。鹿目まどかの表情で。

 接触の時間は刹那を百に分割するよりも更に細かかった。

 

 肌が触れあった感触は残るが、痛みと損傷は皆無。

 軽い音を立てて、鹿目まどかの足が地面に着地する。

 その状態で、鹿目まどかは静止していた。

 十秒ほど経ち、ようやく動きが再開される。下がっていた右手が上昇し、繊手の先で右頬に触れる。

 

 

「鹿目まどか」

 

 

 鹿目まどかは、自分の名前を言った。その言いざまは、他者に対するものだった。

 

 

「貴女は……」

 

 

 そう呟いた鹿目まどかの表情は、表情のし方を忘れたかのような虚無の顔となっていた。

 まるで今生まれたかのような、零に還ったかのような。

 鹿目まどかの表情は、マドカのそれとなっていた。

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