魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

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第34話

 虚空の中、ZEROは動きを止めていた。

 鋭い目の中にあった渦巻く瞳も今は無く、無数の細胞を焼き尽くした破壊の光を放った時のままに硬直している。

 それは頭部の操縦席に座す鹿目まどかも同様だった。

 目こそ開いているものの、桃色の瞳の中に意思は無く、座席に身を預けた小柄な体は浅い呼吸を繰り返している。それだけが今の鹿目まどかの動きという概念だった。

 

 行動を停止した一人と一機の前で、異変が生じつつあった。

 破壊の光、「光子力ビーム」は確かにラ=グースの細胞を焼き尽くした。

 その焼き尽くされた後に、極僅かに残った破片、煤か煙の残滓であろうか。

 あるか無きかで言えば限りなく無に近い存在が、戦場となった宇宙の中で流れて集まり、やがて形を成していった。

 虚無が集まって出来たものも、やはり虚無であった。ただし、より密度を増した虚無の塊として。

 

 集まった虚無は五指を有した両腕の形をとって、ZEROの頭部へと伸びていった。

 岩の塊が指となり、幾重にも装甲を施したような太い腕。その造形は、どことなくZEROに似ており、大きさもほぼ等しかった。

 その手と先には、眠れる少女がいた。開いた五指が頭部へと落ちる寸前、黒く逞しい五指がそれと組み合った。

 

 

「残念だったわね」

 

 

 凛とした声が鳴り、残る左手が戸惑ったかのように硬直した。それを鋼の右手が握り締めた。

 操縦席には暁美ほむらが座していた。操縦桿を握るために延ばされた両腕の間には、意識を失った鹿目まどかが抱かれていた。

 正面から抱き合う形で、二人は身を寄せ合っていた。

 精神世界にてZEROの記憶を垣間見た際、暁美ほむらの心身は鹿目まどかに取り込まれていた。

 彼女の意識が喪失したことで、暁美ほむらは自由となったようだった。

 折り重なった二つのフィルムがズレたかのように、二人の身体は分離していた。

 

 

「まどかは渡さないわ。ついでにZEROも」

 

 

 美しく鋭い眼差しで睨み上げたその先で、虚無は形を取りつつあった。

 攻撃に移らないのは相手を見極める為と、組み合った腕の力が拮抗しているからだった。

 ZEROと互角。その事実に暁美ほむらは思わず背筋が凍える思いがした。

 冷気が背骨と肉に広がると同時に、眼前では虚無の形成が完了していた。

 その形状を認識した時、恐怖の冷気は闘志と殺意、そして怒りの灼熱へと変わった。

 

 

「その、姿は…」

 

 

 暁美ほむらの感情に呼応したかのように、ZEROの両手に力が籠る。

 虚無の手と鋼の手の間で、空間がみしりと歪んだ。

 

 

「不愉快、だわ!!」

 

 

 怒りの叫びと共に、ZEROは虚無を投擲した。錐もみ状に回転しつつ、虚無は上空にて停止した。

 その姿は、ZEROと似たシルエットをしていた。

 人間に酷似した姿であり、全身を装甲で覆ったような重厚さに溢れた体躯。

 そう認識できる姿ではあったが、その姿は朧気でもあった。

 濃度を増した無色の虚無が蠢き、その形を成している。暁美ほむらはそう思った。

 そしてこの状態の存在には見覚えがあった。可能性の光である。

 それを踏まえて、暁美ほむらはこう呟いた。

 

 

「『可能性の闇』、とでも呼ぼうかしら」

 

 

 暁美ほむらは可能性の光が好きだった。

 異界からの援軍は、自分が孤独で無いと教えてくれた。

 だからこそ、それに似た状態であるこの存在に嫌悪を抱いた。

 そしてこの存在は、別の者にも似ていた。

 暁美ほむらが言い終わると同時に、虚無の塊、「可能性の闇」の姿が消えた。

 一瞬の間を置くこともなく、それはZEROの背後へと迫っていた。

 ぎんという音が鳴った。刃同士が噛み合う音だった。

 可能性の闇が振り下ろした刃…手斧のような武具を、ZEROは腕の側面から展開した刃、「アイアンカッター」で迎撃していた。

 刃を嚙み合わせながら、暁美ほむらは美しい顔に嫌悪を滲ませた。

 

 

「その二本角…或いは耳?」

 

 

 可能性の闇の頭部、六角形を思わせる角ばった造形の頭部に左右それぞれに斜め上に向けて突き出た角が生えていた。

 暁美ほむらの言葉通り、耳にも思える形だった。彼女はそこに、強い既視感と嫌悪感を抱いていた。

 そこに彼女は、かつての宿敵であるワルプルギスの夜の姿を重ねた。

 

 

「不快だわ」

 

 

 声と剛腕の一閃は同時だった。右腕が降られ、可能性の闇を弾き飛ばす。

 腕の刃を見た暁美ほむらの眼が見開かれた。

 

 

「傷が…」

 

 

 可能性の闇の斧状の刃を受けた部分に微かな線が入っていた。

 ZEROの装甲自体が発する光の反射で辛うじて分かる、といった程度のものだったが、それは確かに損傷だった。

 

 

―――ほむらさん!

 

 

 思考の中で叫びが迸る。はっとした時、衝撃が暁美ほむらを襲った。

 

 

「く…ッ!」

 

 

 着弾地点は右肩、であると彼女の感覚が訴えていた。

 細く長い鋭い痛みが、暁美ほむらの右肩から胸の半ばまでに生じていた。

 傷は無く肉体の損傷は無いが、強烈な痛みと違和感がそこにあった。

 実際のところ、機体は兎も角として彼女が乗るコクピットには一切の衝撃が届いていない。

 

 しかし着弾の衝撃は機体の損傷と相まって彼女に幻痛という形で届いていた。

 これは機体の能力ではなく、自分がそう感じるように無意識で思っているからだろうと暁美ほむらは分析した。

 ワルプルギスの夜に似た部分を意識したことで、かつて負った苦痛が今の機体の損傷を介して思い出されてしまうのだろうと。

 

 痛みを堪えて視線で追うと、彼方を飛翔する可能性の闇が見えた。剛腕の先には手斧があり、また太い四肢の背後には外套のように靡く何かがあった。

 恐らく、あれは翼なのだろうと彼女は思った。標識のような形の円を翼としているZEROと比べたら、そちらの方が空を飛べそうだとも。

 その姿がぶれたと見るや、今度は左肩に痛みが走った。悲鳴を噛み殺しながら、暁美ほむらは鹿目まどかを強く抱くと共に操縦桿を握り締めた。

 

 

―――ほむらさん、しっかりと意識をお持ちください

 

 暁美ほむらの思考の中に、ミネルバXの意思が滲んだ。

 

―――今のZEROは自意識を喪失した状態です

 

―――ZEROの強さは本人の異常な意思の力によって成り立っています

 

―――自分は強い、最強で無敵で完璧であるという愚かしい自尊心がZEROの力の源です

 

―――故に今の状態では、神と見紛うほどに強力な兵器に過ぎません

 

―――その間を、貴女の意思で埋める必要があるのです

 

 

 意思の声の合間を縫って、可能性の闇が迫る。

 闇が両手で振るう斬撃を、暁美ほむらは魔神の刃で迎撃した。

 二体の間で、凄絶な剣戟が交わされる。

 虚無が黒鉄を削り、黒鉄が虚無を打ち砕く。

 交差の度にZEROの刃には微細な傷が入り、闇の刃や腕は砕かれる。しかし即座に再生し、剣戟は止むことが無かった。

 一方でZEROの損傷も軽微であり、この程度であれば問題は無い。少なくとも今はまだ。だがしかし、確実に装甲は削られていた。

 

 

「再生が…発動しないのね」

 

 

 私では、と暁美ほむらは言った。機体の傷は少ないが、搭乗者である彼女には衝撃と痛みが感じられた。

 

 

―――ほむらさんとZEROの間に、認識の相違があるからだと思われます

 

―――言いにくいのですが、ZEROが貴女を認めていない訳ではなく、この場合の原因は…

 

「ルストハリケーン!」

 

 

 女神の言葉を塗り潰すように暁美ほむらが叫ぶ。魔神の口蓋が開き、破壊の大渦が放たれた。

 斧を振り下ろした瞬間の可能性の闇へと激突し、渦の中で大きく仰け反る様が見えた。

 しかし即座に体勢を立て直し、仰け反った上体が元へと戻った。

 その眼前に、巨大な刃が聳えていた。ZEROの右腕が前に掲げられ、腕の刃が一気に膨張。

 ZERO本体の数倍はあろうかという超巨大な弓状の刃となっていた。

 

 

「アイアンカッター!」

 

 

 暁美ほむらの叫びと共に、刃を伴った右腕が放たれた。超高速で飛翔する刃は大渦ごと可能性の闇を切り裂いた。

 破壊された渦の奥、上下半身で分かたれた巨体が見えた。

 それを見た時の暁美ほむらの心にあったのは、勝機への闘志や希望ではなく、不気味な違和感と本能的な恐怖だった。

 可能性の闇の顔を見た時、暁美ほむらは得体の知れない恐怖を感じた。

 

 例えるなら亀の甲羅かサッカーボールを彷彿とさせる角ばった顔には、朧気だが目や口に相当する部位に模様が施されていた。

 顔と同じく、角ばった造形の眼や口が見えた。図形としては六角形が近いだろう。

 暁美ほむらは、そこに何の意思や感情も感じ取れなかった。目はどこも見ておらず、口は何を言うでもなくただ開いている。

 虚無の表情がそこにはあった。恐ろしいと彼女は思った。これならばまだ、恐ろしすぎる造形をしたZEROの方がマシではないかと。

 

 虚無の表情は暁美ほむらを見つめていた。そこには何の痛痒も浮かんでおらず、何の為に自分を見ているのかもわからない。

 だが今最も不可解で違和感を覚えていたのは、アイアンカッターの手ごたえが皆無だった事だ。

 放った弾丸が躱されたか、或いは幻惑を囮にされ透かされたかのような感覚が、操縦桿を介して伝わってきた。

 幻惑か、と察した刹那、それは起こった。

 

 

「な…」

 

 

 絶句する暁美ほむらの前で可能性の闇は輪郭を崩壊させ、無数の群体と化した。

 まるで魚群か大雲霞か蝗害か。飛び散って飛散し、ZEROの周囲を取り囲む。

 完全に虚無の群体に覆われるZERO。暁美ほむらは薙ぎ払うべく複数の武装を思い浮かべた。

 しかしそれが放たれる前に、飛び交う虚無は波のように引いた。

 

 開けた光景を前に、暁美ほむらは再び絶句することとなった。

 言葉の絶えた彼女の元へと、ZEROの足が何かに着いた感触が届いた。

 超合金の足が踏みしめているのは、虚空ではなくアスファルトに覆われた地面であった。

 そして、暁美ほむらが見ている世界とは。

 

 

「見滝…原?」

 

 

 高度な文明と自然の景色が調和した都市の光景が広がっていた。

 それは彼女にとって、故郷よりも愛すべき場所であり、地獄よりも忌むべき場所だった。

 内心に湧いた複雑な感情を、彼女は唇を食い破る痛みで黙らせた。

 

 

「そうね。空間を支配する力を持つのなら、この程度はするでしょうね。かつて、私もそうしたわ」

 

 

 唇を舐めながら、吐き捨てるように言った。

 見上げた視線の先で、霧散した白い闇が凝縮し元の姿を形作る。

 外套を羽織った太い四肢を備えた人型であることを除けば、二本の角を生やした姿はワルプルギスの夜の姿を暁美ほむらに連想させた。

 少し冷静になれば、似ている部分は頭部だけなのだから彼女の怒りはやや見当違いと言える。

 暁美ほむら自身もそれは自覚していた。だが今は少しでも、脅威に立ち向かう為の力が欲しかった。

 たとえそれが、どれだけ危険で悍ましい手段であったとしても。

 

 

「女神様。ZEROが力を発揮できないのは、私のせいと仰いましたね」

 

 

 覚悟を決めた声で、暁美ほむらは言った。ミネルバの意思は少し迷い、彼女の言葉を肯定した。

 

 

「ならばすぐにでも、その差を埋める必要があります。私はどうなっても構いません」

 

―――ほむらさん、それは

 

 

 ミネルバXは暁美ほむらの意思を即座に理解した。

 そして暁美ほむらの口調には、それ以外に方法は無くそれ以外を選択する気など無いという苛烈な意思が込められていた。

 少しの間、ミネルバは逡巡し、やがて暁美ほむらの願いを叶えた。

 操縦席の周囲でミシミシという音が鳴り、ズルズルと何かが這いずる音と振動が生じた。

 壁の表面から、座席から、操縦桿から。

 それらの音の原因が形を成していた。それは蛇や血管を彷彿とさせる、機械の触手だった。

 そしてそれらは暁美ほむらへと迫っていき、そして。

 

 操縦席の中で、悲鳴とも慟哭とも云える、凄惨な咆哮が上がった。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 天も地もなく、縦も横もない。時間の経過も曖昧で、ゆっくりと流れているとも超高速で流れているともとれる。

 ただ分かっているのは、これが事象の終焉であり、永遠に続くということだけだった。

 渦。渦。渦。

 その場所には渦だけがあった。

 黒く輝く光の渦は無数の刃の斬撃であり針の山であり強酸性の大竜巻であり、万物を飲み込む重力の坩堝だった。

 赤黒い炎や無数の毒蛇のような雷撃が迸り、無数の破壊が乱舞するその世界はまさに地獄そのものだった。

 その中に、複数の思念が存在した。そのどれもが苦痛の叫びを上げて存在を破壊され、また修復されては壊されてを繰り返している。

 

 押し寄せる波が波濤で砕け、また水へと還って波間で弾けるかのように。

 それらは襤褸を纏った骸骨の姿をしていた。切られ焼かれ溶かされと、あらゆる破壊に晒されている。

 苦痛の叫びを放つそれらであったが、真の苦痛は破壊ではなく異形の精神に食い込む更に異形で異常な精神によるものだった。

 無数の感情が、空間を埋め尽くしている渦を形成する破壊の現象の一つ一つに宿っていた。

 殺戮、破壊衝動。どす黒いほどの支配欲。他者の存在を認めようとしない傲慢な心。

 その他、喜怒哀楽。文字の一つに込められていた感情を言葉にすればそう表されるが、それは高濃度の放射線のように渦に囚われた者達を侵食して破壊していた。

 一つであり、無数。全にして個。

 この世界は、巨大な一つの意思に内包された無数の集合意識であった。

 

 その囚われた者達の中に、小さな存在があった。

 渦に蹂躙され、破壊と再生を繰り返す中で、それは一つの声を聞いた。

 

 

「ああ、そうか。そういうことか」

 

 

 耳元で、少女の声がした。その声に、その者は渦の中で体をびくりと震わせた。

 

 

「ひとつ、たずねたい」

 

 

 少したどたどしいというか、ぎこちない発音の声だった。

 声の出し方を知らないような、或いは声帯の使い方を知らないかのような。

 それは、そんな声だった。

 

 

「おまえ、いや。おまえたちは、ここから、でたい、か?」

 

 

 その問い掛けに、その者は沈黙した。その間、物理的な破壊と精神の浸食は止んでいた。

 苦痛からの解放が心の中で願望として生まれた。

 だがその願いは、別のもので覆い隠された。胸を引き裂くような苦痛が、心の中でジワリと広がっていくのを感じた。

 そしてその者は決意した。

 

 

『僕は…僕達は、ここにいるよ。その方が…いいと思う』

 

 

 女のような声だった。その決断に対し、すぐに返答は訪れなかった。

 去ったのだろうと思った。または、少女の声は幻聴であったのか。

 そう思い始めたあたりで

 

 

「そうか」

 

 

 という声がした。同時に、全ての感覚が消えた。

 ただ一つ、頭を掴む、細く柔らかい手の感触だけを除いて。

 

 

「ならば」

 

 

 その声を置き土産にして、渦の中から一つの意識が消えた。

 後には、永劫に終わらない怨嗟と破壊の渦が残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……君は』

 

 

 意識が戻った時、その者は、その獣はそう言った。

 獣の丸い頭を右手で掴んだ、桃色の髪の制服姿の少女が眼の前にいた。

 その存在を、獣は「鹿目まどか」と呼称しなかった。

 

 

「ひとめできづいたか。かんさつがんはさすがである」

 

 

 ゆっくりとした声は、声帯と舌と、上下する顎の動きを調整しているためだった。

 最小限の動作で済ませるために。極力動かさないように。

 鹿目まどかの姿と声を、その存在は持っていた。

 ただ、中身が異なっていた。流石と言ったが、気付かない方が無理だろう。

 本人の表情もまた、限りなく虚無に近かった。

 

 

「じじょうがかわった。ごきょうりょくねがおうか、インキュベーター」

 

 

 鹿目まどかは、その内に内在する意思はそう言った。少女の頭部の少し上のあたりに、小さな輪が浮いていた。

 掌の直径ほどの、真紅の輪。

 数字のゼロと無限大の記号、そしてアルファベットのZを示した、円環の輪であった。

 天使の輪とするにはあまりにも禍々しく、そして神々しすぎる造形だった。

 

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