魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

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第35話

 破壊の奔流。そうとでも呼べるような現象が世界を蹂躙していた。

 それは光であり炎であり暴風であり、その全てであった。

 ビル群は風で吹き散らされる粉粒のように。

 山々や大地は車輪によって上がる砂埃のように。

 海はまるで霧雨のように。

 

 世界を構成する地形や文明が、一瞬にして無意味で微細な物質へと還られていく。

 だがほんの僅かでも、それが電子顕微鏡でもなければ観測不可能な大きさであっても形が残るのはまだ、世界に痕跡を残せるという意味では幸せな方だった。

 破壊の後に残るものは殆ど無かった。破壊の中央には、光と闇があった。

 それらは互いの身を、武装をぶつけ合い、互いを破壊し合っていた。

 世界の崩壊は、二体の戦闘に巻き込まれたことで起きていた。

 単なる余波で、世界が蹂躙されていた。

 

 

「ルスト…」

 

 

 くぐもった、しかし美しい声が生じた。

 黒く眩い光を放つ魔神、ZEROの頭部の操縦席の中で。

 

 

「ハリ…ケーン…!」

 

 

 暁美ほむらが叫ぶと同時に、ZEROの口からは夥しい数の大竜巻が放たれた。

 それぞれが大口を開けた巨大な龍のように、竜巻は闇へと向かっていく。

 ワルプルギスの夜とどこか似た頭部を持った、外套を羽織った人型の巨体。

 蠢く白い闇で構成されたそれを、暁美ほむらは『可能性の闇』と呼称した。

 

 自らを飲み込む大渦を前に、可能性の闇は前進した。

 外套状の翼を翻して飛翔するその両手には、一対の手斧が握られていた。

 手斧の斬撃と大竜巻の激突の瞬間、世界は混沌に覆われた。それは輝く闇であり、漆黒の光であり、それらが混ざり合った混沌だった。

 全てが形と色を喪い、万物がその中へと溶けていく。

 

 

 

 しかし次の瞬間には、世界は色と形を取り戻していた。

 

 

「!?ぐっ…」

 

 

 視覚と痛みで、暁美ほむらはそれを実感した。

 落下していく中で見えたのは、かつての学び舎だった。反射的に身を捩り、そこに墜落することを避けていた。

 思い入れというものは希薄だが、それでもこの学校の制服は長い間着用していたし、何より愛すべきものと出逢えた場所だった。

 立ち上がったZEROの前に、可能性の闇が上空から悠然と下降していく様が見えた。暁美ほむらは歯軋りをした。

 同じく、ZEROの上顎と下顎も軋んだ。両者の動きは完全にシンクロしていた。

 このとき暁美ほむらの手は操縦桿を握り、足元はペダルに触れていたがどちらも動いてはいなかった。

 代わりに、彼女の皮膚の上で動きがあった。正確には、皮膚の上と下で。

 

 

「まだ、足りないのね」

 

 

 荒くくぐもった声が漏れた。声の間には、がちがちという金属音が挟まれている。

 

 

「なら、もっと」

 

 

 そう決意した暁美ほむらの脳裏に、美しい女性の影と声が響いた。静止の手と声を、暁美ほむらは罪悪感と共に無視した。

 ずるりという蠢きを、暁美ほむらは体表と体内の両方で感じた。

 その彼女の元へ、可能性の闇は飛翔した。手に持った刃が振り下ろされる。

 がぎん、という激しい金属音共に斬撃が受け止められた。

 可能性の闇の手斧を、ZEROの剛腕の側面から生えたアイアンカッターが受け止めている。

 その様子に、闇はやや困惑したようだ。これまでの戦闘の中で、闇の刃はZEROの装甲を僅かではあったが傷付けていた。

 それが今は無く、完全に受け止められている。

 

 

「毎回、毎回、上手くいくとは…思わない事ね…!」

 

 

 頭突きが繰り出され、闇の姿を弾き飛ばす。市街地へと吹き飛んだ可能性の闇は多くの建物を薙ぎ倒していった。

 立ち上がった可能性の闇の顔面を、ZEROの鉄拳がぶち抜いた。

 そのまま吹き飛ぶ、ということを好しとせずにZEROは両手で可能性の闇の首を締め上げる。

 

 

「その不愉快な姿を…潰してあげるわ」

 

 

 呪詛を吐く暁美ほむらの姿は、異様なものとなっていた。

 操縦席の至る所から生えた銀色の触手が、魔法少女姿の暁美ほむらの体へと何本も、何百本も突き刺さっていた。

 うなじから腰までの間には親指ほどの太さの触手が背骨に沿って接続され、体内で枝分かれしては体の奥深くへと穿孔していた。

 耳から脳にも至り、頬の内側から突き出た触手は下顎を貫いている。

 機械の触手で覆われた暁美ほむらの今の姿は、繭を張り掛けの幼虫か寄生虫に貪り食われる生体を思わせた。

 

 凄惨な風体ではあったが、最初に突き刺さった瞬間を除けば触手が肉を抉る痛みは無い。

 この感覚に、暁美ほむらは麻酔下の手術か痛覚遮断をした状態での負傷を彷彿とさせた。

 嫌悪感が滲むが、今はそれを考えないようにしていた。

 この行為にを行ったことで、思っただけで操作が可能となっている。

 

 触手を通じて速やかに機体に情報が伝達される、というよりも機体と乗員との境界が狭まっているとした方が正しい。

 かつて破壊神だった頃のZEROが数多の世界を滅ぼした際に用いた方法を、暁美ほむらは疑似的に再現しているのであった。

 闇の首を締め上げているとやがて、何かが折れる感触がした。

 ワルプルギスの夜にも似た造形の頭部がダラリと下がる。

 勝機とみて、暁美ほむらは握り締めた首を振り回し、大地へと激突させる。

 

 接触の瞬間、あまりの力と速度によって地面は瞬時に蒸発し、激震が大地を襲う。

 隕石でも落下したかのようなクレーターの中央で、暁美ほむらはZEROの剛腕を用いて可能性の闇の顔面を殴り続けた。

 一撃ごとに威力が上がり、余波で地面が抉られ続ける。かつての宿敵に似た姿が打撃で歪む様に、暁美ほむらは込み上がる獰悪な感情を堪え切れずにいた。

 口の端から触手を垂らした状態で、口角が悪鬼の笑顔のように吊り上がる。

 憎悪に歓喜に破壊衝動。それらの想いが身体を駆け巡っていくのを暁美ほむらは感じていた。

 体内に広がる触手と血管の中を、ドロドロとした黒い感情が流れていくのが分かった。

 殴る度に、ZEROを自分の身として扱うたびにその感情は増幅し機体の力も上がっていく。

 しかし五発目の殴打を見舞った時、変化があった。

 

 振り下ろされた剛腕が、同じくらいの大きさの手で受け止められ、逆に押し返されたのだった。

 歪んでいた顔が、体が、上体が起こされるのと同時に変貌していく。

 太かった手足は更に太く長くなり、体格全体がZEROと互角から一回り大きく肥大化した。

 やがて変貌が完了した。各部が肥大化した上で体の各部に刃を思わせるような先鋭さが付与されたとはいえ全体的なフォルムはあまり変わらない。

 

 だが頭部の造形は一変していた。二本の角は溶け崩れ、代わりに三本の角が生えていた。怒髪天を衝く、という言葉が暁美ほむらの脳裏に浮かぶ。

 ドラゴン。

 そんな言葉が脳裏を掠めた。

 それは彼女の内にいるミネルバXが発した一言であったが、そこには怯えが孕まれていた。

 しかしその言葉は一瞬にして消え失せていた。

 いや、全ての感情や思考と呼ぶべきものの全てが希薄化していった。

 

 

「そちらも…変わるの…なら…」

 

 

 希薄化していく思考と感情。その中で暁美ほむらは言葉を紡ぐ。

 内外を侵食する触手が増加し、眼球の中へも触手が這う。暁美ほむらの紫の瞳の上で、同色の触手がとぐろを巻いた。

 

 

「私、も…変わる…わ」

 

 

 

 感情と思考が、体内を巡る触手の中へと流れ込み、全身に拡散されていく。それは暁美ほむらの体内だけではなく、ZEROの巨体の中へと暁美ほむらの存在が流れていくことを意味していた。

 例えるなら、それは数多の水脈を通じて陸地から海へと水が流れていく様に似ていた。

 その水は、決して清らかなものだけではなかった。

 怒りが、痛みが、悲しみが、あらゆる感情がZEROへと流れていく。

 

 流れ続けた感情は渦を巻き、増幅と拡散を続けていく。そしてZEROの眼に再び光が戻った。

 それは眩い黄金の輝きではなく、昏く輝く闇を孕んだ紫の色だった。

 その輝きが増したと見えるや、二つの眼から同色の光が放たれた。

 ほぼ同時に、形を変じた可能性の闇もまた額から白色の一閃を放った。

 闇色の光と輝く闇は激突し、再び混沌が世界を覆った。

 

 

「グゥゥゥアアアアアア!!!」

 

 

 迸った咆哮が混沌を打ち砕き、世界が形と色を取り戻す。

 それを認識する前に、暁美ほむらは殴打を放っていた。

 拳よりも先に、巨大な刃が可能性の闇の胴体を貫いた。

 両断される寸前、闇は剛脚でZEROの脚部を蹴って背後へと逃れた。

 蹴りによる損傷は皆無であり、ZEROは小動もしなかった。

 

 闇は鋭い目でZEROを見た。その姿に変化があった。

 右腕から生えた刃は異常なまでに肥大化し、体躯に等しい大きさと化していた。

 背部の円環の翼は巨大な黒い炎と化している。全てを憎み蹂躙せんとするかのように、悍ましい色の炎は燃え盛っている。

 地獄の魔神。そうとでも呼ぶべき姿へとZEROは変貌していた。

 再び咆哮が放たれた。悍ましい声だったが、それは紛れもなく暁美ほむらの声だった。

 

 炎の翼が翻り、ZEROの巨体が消えた。直後に金属音が鳴り響く。

 ZEROは可能性の闇の背後へと一瞬で飛び、斬撃を見舞っていた。

 闇はそれをこれまでと同じく斧で受けた。サイズは以前の倍ほどの長さと横幅になっており、形状は両刃の戦斧と化していた。

 それを両手に一本ずつ持って交差させ、闇はZEROの斬撃を受けきっていた。

 

 互いの刃が弾け、反動で離れた。と見えた瞬間には再度の激突。そしてまた再び。

 互いに大型の得物であるというのに、取り回しの悪さといったものはなく、剣戟は乱れ飛ぶ光の乱舞の体を為していた。

 斬撃の速度は一撃ごとに増していき、その度に世界が切り刻まれていく。

 未来的な造形の病院が剣戟に巻き込まれて根こそぎ破壊され、先ほどは庇われた学校は吹き飛ぶ建造物や地形に潰され、空中に舞う残骸の仲間入りとなった。

 

 その間、暁美ほむらは叫び続けた。自らの内から滾々と湧き出る感情のままに、美しい獣の咆哮を上げ続けた。

 そして刃の交差が十を数える頃には既に、疑似見滝原の大部分が破壊され尽くしていた。

 地面がアスファルトから露出した大地に変わっても、二体の動きは止まらず激しさは増す一方だった。

 ZEROの刃は斬撃の中で形と長さを変え、間合いや相手の斬撃に対して的確に対応し、闇の斧裁きを上から叩き潰している。

 まるで前以て知っていたかのような動きは、幾つもの戦場と世界を渡り歩いた暁美ほむらの戦闘スキルによるもの…だけではなかった。

 

 

「……高次……予…測…!」

 

 

 暁美ほむらの口から言葉が漏れる。その次の瞬間には、再び叫び声が上がった。

 暁美ほむらの視界には、無数の光景が浮かんでいた。コマ送りのようにゆっくりとした動きで斬撃を放つ可能性の闇の姿。

 それは彼女の瞳の中で渦巻く触手の中で描かれていた。

 次の瞬間に訪れるであろう光景が予測され、光のビジョンとなって眼球の中を乱舞する。

 無数の光景の中で一際強い輝きを持つものを、暁美ほむらの意識は選んだ。感覚でいえば、タッチパネルを操作し所望の存在を選ぶ行為に似ている。

 その映像に対処した動きを、正確無比な精度でZEROは実現した。

 高次予測。超々高精度な状況シミュレーション。

 それは未来を予知するに等しい。その能力を常時発動させ、暁美ほむらは戦っていた。

 滾々と生まれ、そしてZEROへと流れていく感情。それを暁美ほむらの意識は、自らを贄と捧げて魔神の力を引き出しているように感じていた。

 それはかつて、この魔神が散々に繰り返していた事だった。

 自分は今、それを再現している。自分が生まれた世界を守るために。

 疑似的とはいえ、自分の世界を破壊しつつ。

 そこに暁美ほむらは胸の痛みを感じていた。生まれてはZEROへと流れ、またZEROと同化している自分の内で再び覚える痛み。

 希薄化と濃縮を繰り返す感情の痛みは終わる気配が無く、苦痛の円環が重なっていく。

 

 

「好都合、だわ」

 

 

 それを、暁美ほむらは唇を歪ませて微笑みながらそう言った。

 苦痛と憎悪と怒りは幾らでも湧いてくる。

 今のものと過去のもの。重ね続けた感情は今も暁美ほむらの中で蠢いている。

 自分はそれを閉じ込めている心の鍵を開ければいい。彼女はそうイメージした。

 もう感情も、思考も必要ない。ただこの手で抱いている、愛しいものを守り切れればそれでいい。

 異界の侵略者も、この宇宙の創造神だという魔神も全てこの世界には不要。

 全て消し去り、元の世界を取り戻したい。

 

 

「…はっ」

 

 

 暁美ほむらは息を吐いた。それは嘲笑の響きに似ていた。

 元の世界とは何だろうかと思い、自らを嘲笑ったのだった。

 今胸に抱かれている鹿目まどかが願った世界か。それともその前の世界か。

 或いは、自分が彼女を引き裂いた後の世界か。

 

 

「私の…ここ、ろ……」

 

 

 胸にジワジワと広がる痛みだけを残し、暁美ほむらは自らに残った全ての思考をZEROへと注いだ。

 

 

「ZEROに…還り…なさい……!」

 

 

 絞り出した声が絶えたと同時に、暁美ほむらの、ZEROの口が悍ましい叫びを放った。

 背部の黒炎は更にどす黒く染まり、ZEROの全身も黒々と変色しはじめた。

 

 

「がァァァアあああァァアア!!!」

 

 

 狂った獣か、狂った機械の歯車か。非人間じみた、それでいて確実に人のものだと分かる叫び声が上がった。

 変化の中でも続いていた剣戟は、この時に終わりを告げた。

 咆哮と共に放たれた一撃はこれまでのものとは一線を博していた。

 鉈と斧を合わせたようなZEROの右腕の刃は黒味を増し、その表面は粘液質な輝きを放っていた。

 見ればZEROの腕や脚関節から、その黒い泥濘は溢れていた。

 

 暁美ほむらの感情が物質化し、溢れ出しているのであった。それは展開された刃の上を這い、刃を更に巨大化させていた。

 脚部から溢れた黒い感情は膝を覆うエッジへと変貌し、ただでさえ刺々しい造形をされているZEROを更に異形化させている。

 あらゆるものを拒絶し破壊する魔神の姿。

 暁美ほむらが抱くZEROという存在のイメージがこれだった。

 部分的な変化に留まっているのは、素の状態でZEROは既に邪悪極まりないと認識しているためだ。

 かつての事象を経て、今は変わったというのは理解している。だがそれでも、理解したくない事柄はある。

 その怒りとも我儘ともつかない感情を糧に、暁美ほむらは異形のZEROを操り可能性の闇へと襲い掛かった。

 

 両腕を巨大な刃へと変えたZEROの斬撃を、闇は受けようとはしなかった。背後に退避し、機会を伺おう、とした姿がずれた。

 アルファベットのエックスを描いて振られた斬撃を、闇は十分以上の距離を離して回避していた。

 だが刃から迸る感情の泥濘がその距離を埋め、さながらウォーターカッターのように闇の体を切り裂いていた。

 そして切断されたのは闇だけではなかった。

 感情の波濤は斬撃の軸線上にあった全てを切断していた。

 大地は裂け、その底は大空へと抜け、広がる雲も断ち切っていた。挙句、その先にある月をも切断していた。

 傷付けられた大地は自重を支えきれず、惑星は崩壊を始め全てが崩れ去っていく。

 その中でもZEROは、暁美ほむらは狂気の咆哮を上げて可能性の闇へと襲い掛かっていた。

 闇はZEROへと両手の斧を投擲し、ZEROは横薙ぎの一閃でそれらを砕き世界を完全に破壊した。

 そして次の瞬間には、新たな世界が広がっていた。

 

 

 

 そこは一つの部屋だった。趣味の良い家具や調度品、三角形のガラスの机。

 暁美ほむらはそこに見覚えがあった。今のZEROと闇はその部屋の中に浮かぶ小さな物体に過ぎなかった。

 十円玉硬貨ほどの大きさだろう。だがそれでも、両者の破壊力はなんら衰えてなどいなかった。

 咆哮と共にZEROの両目からは闇色の光線が放たれ、闇の額からは光の虚無が放たれる。

 接触した闇と光の炸裂は、生まれたばかりの世界を崩壊させていく。

 机は瞬時に溶解し、書物や家具が炎上の過程を飛ばして蒸発する。舞い上がる炎の中で、ZEROと闇が激突する。

 殴り合い、切り合い、更に世界の崩壊が加速する。全てが砕けた時、景色が変じた。

 

 次の戦場は、古びた教会だった。人が絶えて久しく、廃墟に等しい荒涼を晒していた。

 それがZEROのブレストファイヤーによって、一瞬で床板の全てが焼き尽くされた。

 更に闇が放つ光の虚無が壁面をズタズタに切り裂き、辛うじて保たれていた施設の形を崩壊させる。

 神の家を葬ったのが世界の創造神とそれの宿敵である神格であるということに、今は亡き教会の主は何を思うのだろうか。

 だが今の暁美ほむらには破壊衝動以外の何もなかった。

 その意思を彼女は破壊の大渦に乗せて放った。廃教会は跡形もなく削り取られ、また新たな世界が開かれた。

 

 幾つの世界を巡ったのか、戦闘が始まって数時間かあるいは数分、または十数秒足らずだろうか。

 荒れ気味の豪邸やテディベアが飾られた博物館。平凡な街並みと中世の城塞。

 レトロな雰囲気の漂う邸宅に古びた劇場。

 戦場となったそれら全てを破壊しながらZEROと闇は戦い続けた。

 闇の攻撃はZEROの装甲に決定打を入れられず、ZEROの攻撃も闇を消すには至らなかった。

 だが着実に、両者にダメージは蓄積していた。破壊不能のZEROの装甲には僅かな歪みが生じ、可能性の闇の輪郭にも乱れがあった。

 

 

「フゥ……フゥ………」

 

 

 喘鳴のような息を吐きながら、暁美ほむらは前を見た。

 戦場は再び、見滝原の光景となっていた。何度も何度も、この世界が壊れていく光景を見た。

 もう終わりにしよう。希薄化した意識の中で彼女はそう思った。思った頃には既に機体は動いていた。

 闇の翼で飛翔し、可能性の闇へと肉薄する。刃で切りつけるのではなく、右手で可能性の闇の頭部を鷲掴みにした。

 蓄積したダメージ故か、闇はそれに反応出来なかった。勝機の二文字が脳裏に浮かぶ。

 

 

「グ…あぁアアぁアアああア!!!」

 

 

 狂気の叫び声を上げる暁美ほむら。その叫びに合わせ、ZERO自体も狂ったように動いた。

 出鱈目としか思えない機動で大空を縦横無尽に飛翔する。一瞬の間に地球を何周も廻り、それだけで地表の建造物は全てが塵芥と化した。

 ワルプルギスの夜の全力疾走すら比較対象にもならない、異常に過ぎる速度だった。

 速度は低下どころか上昇していき、ZEROは地表に向けて落下していった。

 地面との着弾の瞬間、広大な範囲の大地が沸騰し地殻が砕けた。

 

 範囲で言えばユーラシア大陸ほどの広さの空間が破壊され、圧し潰された地面は陥没しその周囲の大地を押し上げた。

 砕けた大地からは地球の大出血とでもいうように大量の赤々とした溶岩が噴き上がる。

 莫大な破壊の中心にいながら、その行為によって傷の一つも付けずにZEROは可能性の闇の体を右手一本で吊り上げていた。

 闇の形状は曖昧さを増していき、今にも消えそうな炎を暁美ほむらに連想させた。

 意識が戻っている事を自覚するより前に、暁美ほむらは叫んでいた。

 

 

「ブレスト…ファイヤァァアアアア!!」

 

 

 正確な武装の発動。トドメを刺すには必要なそれは明確な意識が無ければ出来ないとして、暁美ほむらは本能的に自意識を取り戻していた。

 超巨大な火口の中心で、ZEROは可能性の闇へとほぼゼロ距離でのブレストファイヤーを放った。

 その莫大な熱量に、生まれたばかりの大火口と湧き上がる溶岩が瞬時に蒸発する。

 このとき宇宙から地球を観測したのなら、ZEROを中心に高速で大地に拡散していく真紅の色と、宇宙の彼方へと昇っていく紅蓮の輝きが見えた事だろう。

 その超高熱は太陽系の大半を消滅させ、銀河系をもずたずたに切り裂いて蕩けさせた。

 地球が蒸発していないのは、威力を絞ったためである。

 

 

「これで…終わり…かし…ら」

 

 

 荒い息を吐きながら、暁美ほむらが途切れ途切れの言葉を発する。

 見上げた先には可能性の闇の頭部を掴むZEROの腕がある。これほどの熱量でも、それを発したZEROには影響が無いらしい。

 これはそういう仕様なのではなく、ただ単純に底知れぬほど頑丈だから、というのが伺えた。

 今の今まで、暁美ほむらはZEROと同一化していたからである。

 改めて暁美ほむらは上を見た。可能性の闇は頭部と胸部の一部しか残っておらず、腹部と下半身が消失している。

 これならば頭部もブレストファイヤーに巻き込めばよかったと思いつつ、暁美ほむらは闇を握り潰すイメージを抱いた。

 触手による同化はまだ解除しておらず、彼女が思った事をZEROは実行可能な状態にあった。

 だが。

 

 

「な…!?」

 

 

 握り込まれる前に、その手が闇の頭部から離れた。離したのではない。

 太く長い手を支える手首のあたりで切断され、手は虚空を舞っていた。

 その光景を目の当たりにしても、暁美ほむらの行動は迅速だった。左手を刃へと変えて上半身だけの闇へと斬撃を見舞う。

 だが接触の寸前、闇は上空へと飛翔し凶刃から逃れていた。

 逃がすかと翼を展開した瞬間、彼女の視界は上空にあった。

 投げられたと理解した。一体何にと思った途端、残る左手もまた手首から切断されていた。

 

 幸いにというべきか、彼女はその瞬間が目撃出来た。

 ドリル、という言葉が頭を過った。細長い三角錐が高速で回転し、その鋭い先端でZEROの装甲を砕いて手首を破壊した。

 そしてその凶器は、これもまた三角形の上半身に繋がっていた。人体で例えると、右腕がドリルであった。

 反対側には肩と腕が続き、手は五指ではなくマジックハンドのような刃で形成されている。

 その形を認識できたのもほんの一瞬であり、反撃を試みる前に視界から消え失せていた。

 

 それと入れ替わるように、地上から上空へと駆け上がる飛翔体が視界の端に映った。

 こちらは先ほどの全体的に細いフォルムとは完全に相反する、重厚で太い趣に満ちていた。

 五指を備えた手と蛇腹状の長い腕が垂れ下がっている様が見え、先ほど自分を投げ飛ばした犯人がこれであると即座に理解出来た。

 損傷について確認すると、信じられない答えが返ってきた。

 頑丈で分厚い黒い装甲で覆われたZEROの膝の一部が握り潰され、装甲が粘土のように毟り取られていた。

 上昇していく先には、可能性の闇の頭部があった。そこに向かって、二つの存在は速度を上げた。

 闇もまた身を翻し、自らから分かたれた存在を出迎えた。

 激突した瞬間、可能性の闇の姿が変わった。

 

 泥と泥が交じり合うようにして溶け合い、衝撃で飛び散るように広がり、形が形成される。

 太い手足が生まれたが、それは太さはそのままに長く伸びた。

 肩部は異様な膨らみを見せ、腕の側面からはZEROの腕のように刃が生えた。

 背中からは蝙蝠のような…いや、悪魔のような翼が生えた。

 天を圧するような、全てを取り込むかのような巨大な翼であった。

 そして最後に、頭部が形成された。その形状は、最初に見た時の造形に酷似していた。

 

 二本の角を生やした、どこかワルプルギスの夜を彷彿とさせる造形の姿。

 自らを見下ろしているその様に、暁美ほむらは激しい怒りと嫌悪を覚えた。

 そして彼女は決して認めないであろうが、彼女はその姿に恐怖を抱いていた。

 ラ=グースという名前を聞いた時のような、得体の知れない感覚が全身を覆ったような気がした。

 存在を認識してはいけない。接触してはいけない。その存在を見るな、発する音を聞くな。

 宇宙の創造神の中にいながら、拭い難い不安感が暁美ほむらを包み込む。

 だが、彼女は退かなかった。悲鳴ではなく咆哮が、暁美ほむらとZEROの口から放たれた。

 叫びは破壊の大渦となり、眼からは闇色の閃光が、そして胸部からは紅蓮の超高熱が放たれた。

 

 眩い破壊の光の先で、煌々とした輝きの闇が見えた。それは球体をしていた。

 そう見えた時、大渦が、閃光が、紅蓮が。その球の形に削られた。正確には、吸われたということだろうか。

 それはZEROの力を吸って巨大化し、暁美ほむらがそれが眼前に迫っていると認識した頃には、ZEROの体躯を上回る大きさとなっていた。

 咄嗟に両腕をクロスさせ、接触に備えた。触れた瞬間、暁美ほむらは全身が総毛立つのを感じた。

 鹿目まどかの魂を蹂躙する魔獣達に、暁美ほむらは筆舌に尽くしがたい怒りを抱いた。

 虚無の神の存在を認識した時とZEROの存在を認識した時、そして新しい姿となった可能性の闇を見た時に、暁美ほむらはそれまでに感じたものとは別種の恐怖を感じた。

 自らの世界が侵食され、奪われていく恐怖。

 

 だが今、暁美ほむらはそれらとは異なる感覚に身を包まれていた。

 心身に滲んでいくのは、『安息感』だった。

 もう心配する必要などない。負の感情に囚われる事などない。もう誰も祟らない、呪わない。

 慈愛に満ちた想いが、願いが心身に満ち満ちていく。

 それが、彼女は堪らなく恐ろしかった。

 これに触れたら、飲み込まれたら終わると察した。勝てないと悟ってしまった。

 その力が、何に由来するか理解出来てしまった為に。

 

 

「円環の…こと、わり…」

 

 

 言葉に出したことで、彼女の恐怖は彼女自身に耐えられる限界を超えた。

 心の中で新たな宇宙が生まれたかのような、爆発的な感情の増幅。それが暁美ほむらの全身に突き立つ触手を介してZEROへと流れ込む。

 膨大な力により、組み合わされた腕の前で止められていた虚無の球体が押し返されていく。

 この存在を遠ざけなければ。安堵感を恐怖で浸食さえることで精神の屈服を防いでいた。

 その視線の先で、虚無の球体の奥から接近する存在を彼女は認めた。その瞬間、暁美ほむらは感じた。

 恐怖の極限にして希望の終焉。

 絶望という感情を。

 そしてそれは直後に安堵へと変わった。精神が屈服した瞬間だった。

 虚無の球体の奥から飛来した可能性の闇は、全身に球体と同じ力を纏い、その身をZEROへと激突させたのだった。

 その力、暁美ほむらが「円環の理」と称した権能はZEROを包み込んだ。

 そして、全ての動きが停止した。

 

 視界が閉ざされ、暁美ほむらは深い何かの底へと落ちていく感覚がした。

 それは温かい泥の様であり、体の動きを奪いつつも心地よい感触だった。

 このまま消え去れたらどれだけ楽か、という思考が頭を過る。

 駄目だと即座に思い、唇を歯で食い破ろうとした。だが開いた口はそのままで硬直した。

 数ミリも動かすことが出来なかった。そもそもこの現状が精神なのか肉体なのかの区別がつかない。

 高次元存在と化した今、肉体と精神の差は限りなくゼロに近いが、それでも感覚というものはある。

 それさえもなく、動きが止まる感覚だけが強かった。

 最後の抵抗として、暁美ほむらはこの意識が絶えることだけは防ごうと思った。

 意識が絶えれば、全てが終わる。

 安寧と安堵の牢獄に囚われ、全ての可能性が消える。もう彼女を守れなくなる。

 だから諦めない。

 諦めて溜まるかという意地が、今の彼女を支えていた。

 

 その時、彼女は周囲を包む泥の様な感覚が別のものに変じたのを感じた。

 それは硬質で、冷たかった。掴まれていると彼女は思った。それが何であるか理解すると同時に、彼女は引きずり込まれていた。

 安寧や安堵の牢獄とは別の場所へと。

 

 

 

 

 

 

 状況を理解するのに、暁美ほむらはしばしの時間を要した。

 導かれた場所。そこは自分の部屋だった。

 奥行きの定かではない白一色の壁。天井には多量の歯車があり、巨大な振り子が壁面に影を刻んでいる。

 机や寝台などの家財道具らしきものは見当たらず、代わりに半円状の大きな椅子が複数の四角い腰掛けに囲まれるようにして並んでいる。

 我ながらというか、どう表現したらいいか疑問に感じる内装であり、状況を整理するために脳内で視界を文章化すると中々に意味不明な空間であると感じられた。

 その中で、暁美ほむらは桃色髪の少女と対峙していた。

 それは少し前まで腕の中で抱かれていた眠り姫、鹿目まどかであった。

 制服を着た鹿目まどかの姿をした、何かだった。

 暁美ほむらは視線を上げた。紫色の眼の先には、鹿目まどかの頭部の真上に浮かぶ真紅の円環があった。

 

 

「何をしているの、ZERO」

 

 

 暁美ほむらはそこに向かって話しかけた。声に熱量は無く、限りなく冷え切っていた。

 

 

「かなめまどかにからだをのっとられ、いれかわられた。まさにざんきのきわみ。べんめいのよちもない」

 

 

 ゆっくりとした、まるで赤子が発するような声で鹿目まどかは言った。

 脳の整理が追い付かない。追い付かないが、休んでいる暇はない。

 そう思った時、視界の端に何かが見えた。

 それが白い獣の尾であると見えた時、彼女の思考は沸騰した。

 怒りのままに盾から愛銃を抜き、引き金を引いた。

 白い部屋の中、複数の銃声が轟いた。

 

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