魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

36 / 51
第36話

「きもちはわかる、とはいわない」

 

 

 言葉を覚えている途中の幼児が話す様な口調で、桃色髪の少女はそう言った。

 

 

「だがいまはこらえてくれまいか、あけみほむら。このものたちには、やるべきことがある」

 

 

 少女が伸ばした右手は、真紅の円環を握っていた。直径は約三十センチほどで、フリスビーのようにも見える。

 少女の背後には、白い獣がいた。獣の周囲の床は抉れ、空いた穴からは硝煙が立ち昇っている。

 

 

「問答無用」

 

 

 美しい声に銃声が覆い被さった。それを貫き、風切り音と金属が弾ける音が鳴る。

 暁美ほむらは真紅の円弧が六発の弾丸を一薙ぎに払う瞬間を見た。

 数十秒前に起こったことと同じく、獣を狙った弾丸は床へと払い落とされた。

 粉砕や切断では破片が周囲を傷付ける。それを配慮しつつの薙ぎ払い。人には不可能で魔法少女でも困難な所業だった。

 そんな事はこの存在にとっては呼吸に等しく攻撃は無意味だろうとは予測していたが、それでも暁美ほむらは銃撃を抑えられなかった。

 

 

「殺してやるわ。紛い物のインキュベーター」

 

 

 この獣は世界を異界の神に売り飛ばした存在であり、実験と称して鹿目まどかを散々に弄んだ。

 魔神によって地獄の底へと突き落とされた筈だが、それでも憎悪は消えず、そしてここにいる事が許せない。

 今は鹿目まどかの肉体に宿っているという魔神の言葉も、半分以上が頭に入っていないしその言葉を理解していても殺意と憎悪を堪えることは無理だっただろう。

 今度は直接殴るかと思って歩き出した時に、獣は口を開いた。

 

「いい、んだよ。暁美ほむら」

 

 

 獣の言葉に暁美ほむらは足を止めた。

 

 

「僕は、僕達は殺されて当然だ。それだけの事をしてしまった」

 

 

 獣は体を小刻みに震わせながら、そして苦悩の表情を浮かべて言った。

 紛い物と暁美ほむらは言った。この獣の凡その外見はインキュベーターのそれである。

 だがこの存在は大きな瞳を持ち、テレパシーではなく口を開閉させて言葉を発している。自分の知っているインキュベーターとは明らかに異なる存在だった。

 それに何より、この存在からは感情が感じられた。そんな馬鹿なと、思わざるを得なかった。

 動揺により殺意が僅かに薄れ、困惑が暁美ほむらの心に広がっていく。そんな暁美ほむらの前で獣は二足で立ち上がり、両腕を広げた。

 気持ち悪い、と彼女は思った。

 

「さぁ、暁美ほむら。遠慮はいらない。思う存分、今までの恨みを晴らしてくれ。形と意識が続く限り、僕達はそれに応えるよ」

 

 

 獣の言葉には打算は無かった。ただ、贖罪を求める生贄の願望があった。

 

 

「何、これ」

 

「ざいあくかん」

 

 

 手に持っていた円環を放り投げ、鹿目まどか…の姿となった魔神は告げた。

 円環は魔神の、ZEROの頭部の上で停止した。

 それはさながら、天使の輪にも見えた。割と似合っているのが癪、と暁美ほむらは思った。

 

「そのかんじょうが、このものたちをかえた」

 

「そうなんですよ、暁美さん。キュゥべぇの気持ちに嘘偽りがないことは、このパラメータが示しています」

 

 

 声の方向に視線を送ると、年上の相棒がいた。

 光で体を構成した曖昧な姿ではなく、生身に魔法少女の服を纏った姿となっている。

 やや露出が高めで紫と白で構成された姿は、どこか映像のフィルムを彷彿とさせた。

 そんな彼女が少し誇らしげな表情で、魔法で造ったと思しき円形の端末を掲げている。

 液晶に表示されているのはインキュベーターの解析結果だった。

 心音脈拍に現在の感情が表示されている。

 記憶を辿ると、魔神の記憶の中にいた狂気の天才科学者が動揺の言い訳をするのに用いていた機械だった。

 つまり、彼女にとってどうでもよかった。一瞬でそう判断し、次の行動を考えて決断する。

 

 

「今の状況を説明なさい、ZERO」

 

 

 銃を収めて尋ねる。一度聞いたが、もう一度聞いておきたかった。

 何かの間違いだと思いたかったからだ。

 

 

「かなめまどかにかのじょをもしたにくたいをのっとられた。せいかくにはいれかえられた」

 

 

 やはり度し難い答えが返ってきた。そもそも眼の前の存在が既に答えを示している。

 ふと不安が湧いた。

 

 

「まどかの体の感触、それを」

 

 

 どう続けるべきか暁美ほむらは迷った。どう言っても変態的な言葉が続くとしか思えなかった。

 しかし、はっきりとさせておきたい事柄だった。

 

 

「わたしはかのじょのにくたいのかんかくをかんじていない。いまのわたしは」

 

「頭の上の輪っかで、そこからまどかを操作しているのね」

 

 

 ホッとした、と同時に予測を述べた。相手は頷いた。

 その様子を見て、ぞくりとするものを感じた。

 物体から操作される肉体、という事象に寒気を覚えたのだった。

 魔法少女と言う仕組みからは逃れられない、そんな気がした。その思いを振り払って暁美ほむらは再び尋ねた。

 

 

「状況、どこまで把握しているのかしら」

 

「わたしのほんたいはやみにのまれた。あなたのふんせんにむくいれず、すまない」

 

「………」

 

 

 暁美ほむらは返事に困った。

 自分がZEROを操縦したのはそれまで操縦していた鹿目まどかが意識を失った為で、ZEROの意思が消えたのも鹿目まどかが原因である。

 そういう状況に陥らせたのはZEROであるので鹿目まどかではなくそちらへ批判が出来そうだが、自分もまた敗北した結果ここにいる。

 何を言っても批判と言い訳にしかならず、彼女は言葉にしばし詰まった。

 

 

「大丈夫、なの…その…あなたは」

 

「ものすごく、ねむい」

 

 

 小型のZEROスクランダーから操作されている鹿目まどか、『零まどか』とでも呼ぶべき存在は言葉通りの声色と表情でそう言った。

 こういう状況でなければ、いや、それは兎も角として鹿目まどかは可愛いと暁美ほむらは思った。しかし、危機感があった。

 

 

「侵食されているってことかしら……私のせいね」

 

 

 暁美ほむらは歯噛みした。ZEROを操縦していた際、彼女は操縦席の各部から機械の触手を生やさせて自分の身体を貫かせ、機体との同化を図った。

 となれば今浸食を受けるべきは自分である筈であり、その自分はなんともない。

 つまり、肩代わりされているという事だった。

 

 

「あなたのせいではない。そして」

 

 

 零まどかは一瞬目を閉じて息を少し大きく吸ってから口を開いた。

 

 

「この空間は私が掌握している。時間経過に関しては、今は心配召されるな」

 

 

 発音にメリハリが着き、明瞭となっていた。恐らく意地か、安心感を与える為だろうと暁美ほむらは思った。

 少し安心しつつ、ついでに零まどかの背後を見た。

 俯いて何やらぶつぶつと言っているインキュベーターを、まばゆが頭を撫でつつ何かを言っているのが見えた。

 唇の動きを読むと「泣いている暇があったら手伝って下さい」と言っているのが見えた。嫌な予感しかせず、そして何をさせたいのかの予測が出来なかった。

 

 

「今はと言ったわね。どのくらい持ちそう?」

 

「少なくとも一万年は問題ない」

 

「目と鼻の先ね。先に言っておくけど、その姿で謝らないで」

 

「承知した」

 

 

 一万年といえば途方もない長さだが、神格となった今では感覚が変化したのか一年か数か月の感覚に思える。

 そういえば魔神の記憶の中では地獄の名を持つ狂人が一万年前にタイムスリップし世界の裏で暗躍していた。

 自分の時間遡行がその繰り返しだったらどうだっただろうと一瞬思い、すぐに消した。

 妄想の中の悪夢より、今は現実の悪夢に立ち向かう必要がある。

 

 

「鹿目まどかに寄生した細胞は、貴女が戦ったものの端末だろう。内外から鹿目まどかへの浸食を試みている」

 

 

 零まどかはそこで一度言葉を区切った。暁美ほむらは「ええ」と言って言葉を引き継いだ。

 

 

「侵食は進んでるわね。一部だろうけど、あの子の力が奪われていたわ」

 

 

 零まどかも頷いた。

 恐らく、というか確実にと思いながら暁美ほむらは思考を巡らせた。

 円環の理。魔法少女の魂を導く存在。その力の一端を、暁美ほむらは攻撃として受けた。

 例えようのない安堵感に包まれ、心身を掌握される感覚。

 導くのではなく、引きずり込むといった感覚だった。似ているようでまるで違う。

 同じであってたまるかと彼女は思った。

 

 そしてこの力は、鹿目まどかが侵略を受けたときに奪われたのだろうと思われた。

 ZEROが介入する前に、虚無の神によって掌握された権能。

 それが全てではなく一部であると断言できるのは、全てが掌握されたのなら自分や鹿目まどかの存在も根こそぎ消えている。

 今自分の意識が存在している事が、何よりの証拠。そう彼女は思った。

 

 

「…ZERO。あなたの考えでは、あの存在…可能性の闇の目的は何だと思う?」

 

 

 暁美ほむらは尋ねた。凡その予測は着く。自分もまた、概念を壊した存在だから。

 尋ねたのは、相手は嘗て遍く世界を掌握した存在だから。

 そして零まどかは口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは無で満ちた世界だった。

 どこまでも見通せるように透き通っていて、そして何も見えないほどに白く濁っている。

 その中に鹿目まどかはいた。黒い長シャツと藍色のホットパンツを履いた鹿目まどかは、体育座りをして俯いていた。

 開いた眼の中の瞳は、眩い光の色をしている。自分からは見えないものの、鹿目まどかはその色が認識できた。

 かつての自分、女神だった頃の自分と同じ色であると思った。

 同色で、より濃く淡い。自分よりも幾星霜の時を重ねた故の結果だと感じられた。

 額を膝小僧に触れさせると、体内の脈動が伝わってきた。

 それは轟々と荒れ狂う暴風や大津波、大噴火に大寒波。想像し得る全ての破壊の事象と現象と力の流れが、体内を巡っているのが分かった。

 それでいてそれらの力は酷く穏やかで、そよ風や温かい湯のようにも感じられる。

 これもまた、かつて女神となった瞬間に感じた事と同じだった。

 同じであり、より強い力。

 

 魔神曰く、この身体は嘗て数多の世界を貪り食った際に用いた触手が素材だという。

 自らの搭乗者と依り代である機械人形を侵食し、我が物とするために用いた触手。

 その様子は鹿目まどかも見ていた。

 操縦席の至る所から、或いは搭乗者の少年の体内に球体として出現し、少年の体を土壌として根のように張り巡らされた触手。

 魔女の捕食行為ですら、これに比べたらまだ大人しい。

 

 そうやって支配した少年の肉体を操作し自らを動かし、世界の全てを破壊する。

 そんな悍ましく恐ろしい事象の存在ながら、鹿目まどかの心は落ち着いていた。

 自らの内に流れる力は頼もしく、悍ましい触手で造られているという体は質感こそ柔らかで生身と変わらないが、決して傷付かず壊れないという実感があった。

 額をぐりぐりと膝小僧に押し付けながら、鹿目まどかは思考した。

 

 虚無の神が、自分を欲しがっている。

 母であり、母に非ずの存在の複製に言われた言葉だった。

 その存在を握り潰した感触は両手に色濃く残っており、砕ける骨肉の硬さと飛び散る血の熱さと匂いが心身に沁みついていた。

 何かを吐く、といった気分には至らないが、心がざわつき自己嫌悪に苛まれる。

 それでも鹿目まどかは考えた。何故、自分を欲しがっているのかと。

 生きた多元宇宙であり、空間を支配する。全知全能に等しい存在としか思えず、そんな存在にとって自分などは取るに足らない存在にしか思えない。

 自分と世界を卑下しているのではなく、単に力の差としてそう思えてしまうのだった。

 

 

「それはね」

 

 

 耳元で声がした。

 心臓、に相当する場所が疼くのを感じた。

 その声は、愛らしい少女の声だった。背後から伸びた手が、鹿目まどかの両頬にそっと触れる。

 触れた瞬間に確信した。これは、自分だと。自分と同じ形をしていると。

 

 

「貴女は」

 

「貴女自身が思ってるより」

 

「ずっとずっとずーっと凄い存在だからだよ」

 

 

 鹿目まどかの頬を撫でながら、微笑みながらそれは言った。

 その存在は鹿目まどかの周囲を廻って前に来た。

 前を向いた鹿目まどかの顔の前に、少女の顔があった。

 桃色のセミショートヘアーに白い肌、柔和な丸い眼の中には桃色の瞳。

 雪のような純白のワンピースを着た少女がいた。

 

 

「自分に自信を持って、鹿目まどか」

 

「貴女はどんな時でも諦めなかったでしょう?自分の願いを叶える為に頑張ったんでしょう?」

 

 

 微笑みながら少女は言う。人形のような、硬質な笑顔で。

 

 

「私は、そんな貴女に憧れてるの。ううん、それじゃ足りない。全然足りない」

 

 

 微笑む少女の瞳の中には、鹿目まどかの怯える顔が映っていた。

 鹿目まどかの顔は縦に割られていた。瞳の中には、瞳を二分割するかのような縦線が入っていた。

 

 

「私は貴女が欲しい。私は貴女になりたいの」

 

 

 微笑む少女の顔は、鹿目まどかと同じ形をしていた。

 開いた口の中に見えた歯は、全てが鋭い牙だった。牙の奥、口腔の中で蠢く触手が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鹿目まどかとの同化。それによる世界の完全掌握。それが奴の狙いだ」

 

 

 零まどかは言った。言い終えつつ、「いや」と付け加えた。

 

 

「同化というのは正確でもない。同化し、彼女そのものになり、鹿目まどかとして振舞う。これが正しいか」

 

「詳しいわね」

 

「私ならそうする」

 

「あなたの所為ってだけではないのだろうけど、その姿で言うと説得力があるわね」

 

 

 零まどかをじっと見つつ、暁美ほむらが口を挟む。

 敵の目的はそうだろうと思っていたが、断言されたことで気が重くなり、一方で少しだけ誤差程度に楽になれた。

 何も分からないよりは、確定された方が対処が出来るし戦う算段が取れるからだ。

 悪趣味であろうが、冗談めかしてそう言ったのは彼女なりの鼓舞でもあった。

 この現状ごと、鹿目まどかへの侵略を粉砕してやろうという意気込みが込められている。

 一方でぞっとする思いも脳裏に過る。

 

 既に存在しているものに成り代わって支配するとは、ZEROが繰り返してきた事象そのものであるからだ。

 この存在が味方で良かったと、暁美ほむらは思わざるを得なかった。

 またそれとは別に言いようのない気分が心に滲む。

 

 既存の存在が変貌し、新たな世界となる。それは鹿目まどかにも当て嵌っている。

 違うと思えば思うほど、こじつけに過ぎないと思っていても、共通点が湧いてくる。

 この想いとの折り合いが付けられない。付けてはいけないのだろうと彼女は思った。

 そう思って気持ちを切り替えた。

 

 

「それで、やる事はもう決めているのよね」

 

 

 暁美ほむらは疑問形を用いなかった。予想が着いたのだった。

 その予想は度し難かったが、その効果は既に証明されている。

 予想への疑問よりも確信の方が強い。彼女もこの状況に慣れてきたのだろう。

 零まどかは頷いた。その背後では、まばゆがインキュベーターの脇の下に手を入れて猫のように持ち上げつつ、どこか誇らしげに頷いていた。

 ああなるほど。適役だと彼女は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界はね、悪いもので満ちてるの」

 

 

 鹿目まどかの両頬に手を添えながら、彼女と同じ顔をした存在は語る。

 ワンピース姿に縦線の入った瞳孔、鹿目まどかの記憶の中にはその姿の名称が刻まれていた。

 それは『魔獣マドカ』といった。魔獣ではあるが、実質的には暁美ほむらの心が生んだ虚構の存在。

 それに極めて酷似したものが今、自分の眼の前で言葉を発している。

 その様子に心はざわめき、怯えている。一方で体は拘束されておらず、腕の一振りで払えるし反撃も出来る。

 この体の性能はよく分かっており、戦う事も出来る。

 

 だが鹿目まどかはその選択を選ばなかった。それが解決に至る道だとは思えなかったからだった。

 賭けに過ぎないことは分かっていたが、彼女はその道を選んだ。相手の話を聞く道を。

 内心の怯えを押し殺し、鹿目まどかは微笑んだ。ぎこちなく、笑みと恐怖の入り混じったちぐはぐとした微笑だった。

 その様子に魔獣マドカは、いや、正体が邪神であることを踏まえれば『邪神マドカ』となるか。

 邪神マドカは朗らかな童女の笑みで応えた。

 

 

「この世界には、死と苦痛、そして争いが満ちてるの。誰も彼もが互いに争って、自分達の事だけを考えて傷付けあって殺し合う。貴女にも、身に覚えがあるんじゃないかな?」

 

 

 笑顔のままで邪神は語る。鹿目まどかの心の中に、幾つもの光景が浮かんだ。

 世界を観測する中で見た、数多の光景。邪神が語った事象は、大なり小なり世界に満ちている。

 魔法少女が契約に至る切っ掛けも、悲劇や欲望由来のものが多い。

 それは自分が女神となってからも変わらず、人の世に満ちている。

 邪神の言葉をそのまま受け取るならば、それは高次元の存在であっても同じであり、つまりは世界の何処にも完全な平和は存在いないという事になる。

 世界の残酷さと無情さの一端を垣間見て、少女の心に疼痛が宿った。

 

 

「うん、そうなの。その通りだよ。完全平和な世界を誰が求めているけど、それはこの世界の何処にもないの」

 

 

 心が見透かされている。鹿目まどかはそう思った。

 縦線が入り、二分割されているかのような瞳を通して、邪神は鹿目まどかの全てを見通しているかのようだった。

 そして邪神は歯を見せて笑った。

 太陽のように明るい笑顔であったが、邪神の歯は全てが鋭い牙であり舌と口腔は蠢く触手で出来ている。

 全てを獲物として見ているかのような、捕食者の笑みでもあった。。

 

 

「たった一つを除いてね」

 

 

 その言葉に、鹿目まどかははっとした。それが邪神の求めるものだと気付いたのだった。

 そして彼女は恐怖した。何故それがすぐに頭に思い浮かばなかったのかと。

 それはその力が、自分から離れているからだと示していた。そう思った鹿目まどかの前で、眩い光が煌めいた。

 邪神の掌の上に、それはあった。

 

 

「そう、この力だよ。この広い広い宇宙で、たった一つの美しい奇跡」

 

 

 それは桃色の光だった。その光を、邪神マドカは陶然とした表情で見つめていた。

 

 

「『※※の※』だよ」

 

 

 邪神が告げた言葉が、鹿目まどかにはそう聞こえた。音として聞こえてはいる。

 だが、それを思考で理解出来ない。認識が、出来なかった。

 それは視界も同じであった。ただ、光としか認識できない。

 辛うじて、光の奥に丸い模様が見える、としか思えない。

 だがそれもすぐに記憶から消えた。光が何を形作っていたかの認識が、彼女は出来なくなっていた。

 ただ、沈みゆくような安息感が残っていた。それも波が引くように消えていく。

 

 

「あはは。ごめんね、貴女にはもう見えないのかな」

 

 

 邪神は笑い、手を握る。光はその中に閉ざされ、消えた。

 すると、鹿目まどかの意識の中からもそれは消えた。

 今の彼女にはただ、邪神が手を開いて握ったとしか認識できていない。

 光の存在が、頭の中からすっぽりと抜けている。

 ただ、言いようのない喪失感があった。

 

 

「これを見た時、本当に感動したの。魂の吸収、保管、そして完璧な隷属」

 

 

 邪神は鹿目まどかから離れ、両手を広げてくるくると踊り出す。虚無の中、花畑で遊ぶ幼児のような朗らかで純粋な心のままに。

 笑いながら紡がれる言葉の一つ一つを、鹿目まどかは心の中で繰り返した。

 何かが欠けて生じた心の空洞の中で、邪神の言葉が反響する。

 何を言っているのか分からないが、本能がその言葉を理解してしまう。それが本当に恐ろしかった。

 

 

「私はね、これを全ての世界に広げたい。みんなで幸せな気持ちになって、全ての争いを止めたいの」

 

 

 邪神の口の中から舌がちろりと覗く。開いた口の上下に並ぶ牙が、唾液の糸を引く様を見せて閉じられる。

 世界が喰らわれたような、そんな感覚がした。

 そうか、と鹿目まどかは理解した。この存在は自分を掌握して、世界の全てを喰らいたいのだと。

 そう思った時、鹿目まどかの心の中に茫洋とした景色が広がった。

 光のモザイク画のようなそれは、一つの世界の終焉の光景だった。

 一面に広がる紅い海、瓦礫の山。生命の途絶えた世界で鼓動を刻んでいるのは、仰向けに横たわる少年と少女の二人のみ。

 それは、ZEROが呼び出した光の天使から受け取った異界の光景だった。

 限りなく虚無に近い光景は、確かに平和な世界だろう。何もないのなら、何も起きない。

 邪神の願いはこの状態に限りなく近い。自分を手に入れ、このような光景を全ての世界に適用したいのだと理解した。

 

 

「そうだよ。それが理想の世界。誰もいなくて何も起きない。完全平和な世界だよ」

 

 

 硬質の笑顔で邪神は歌うように告げる。

 

 

「貴女が創った世界、※環の※はそんな理想の世界なの」

 

 

 違う、違うと鹿目まどかは心の中で否定した。歩み寄ろうとしたその時、邪神マドカは自ら鹿目まどかへと身を寄せた。

 しっとりとした質感の肌は、濡れた生肉のような感触だった。

 

 

「だから、その力を私に頂戴。私は貴女になりたいの」

 

 

 邪神マドカは鹿目まどかの胸に顔を埋めてそう言った。途端に、その顔が鹿目まどかへと沈んでゆく。

 その時、鹿目まどかは手を伸ばした。広げた五指が邪神の背中に触れる。

 邪神の顔は完全に埋没していたが、この後に起こったことは邪神に困惑の表情を浮かべさせたかも知れない。

 鹿目まどかは邪神の背を引くのではなく、自らの内へと押し込んだのだった。

 目的は同じ故、邪神は抵抗せずに飲み込まれた。

 

 接触から同化まで、二秒と経っていない。

 虚無の中には、鹿目まどかだけが残された。

 しばしの間、立ち尽くしていた体はやがて膝を突き、そして見えない壁にもたれ掛かるようにしてずるりと地面に崩れ落ちた。

 黄金色の瞳を有した眼は閉じられず、世界の何処も見つめぬままに停止していた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。