魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

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第39話

 夜の街を桃色のワンピースを纏った少女が踊るように駆けていく。

 空には月も星もなく、周囲を埋め尽くすビルにも一切の光が無い。

 光源が全くないにも関わらず、少女は闇の中で明確に自らの色と形を世界に示している。

 光の中で自らの存在を示している様子はまるで、闇色のキャンパスに描かれた絵画の存在の様だった。

 向日葵のように笑いながら、華奢な手足を風に揺れる花のように振り回して進む。

 輪舞の最中、地面を踏みしめる裸足と細い膝が僅かに撓む。それが伸ばされた時には、少女は、鹿目まどかの妹は幾つものビル群を飛び越えた先の虚空にいた。

 

 吹き荒ぶ強風や低温化ですら、少女の笑顔に変化はない。

 脚の遥か彼方には乱立するビルの群れがあった。一跳びで数百メートルを飛翔した少女は常の存在ではなかった。

 そして少女は両手を揺らした。いつのまにか少女の腕の中には輝く物体が収められていた。

 それは少女の姿を映し出す鏡であった。割れて砕けた何十枚もの鏡の全てに少女の姿が映り、同じ笑みを浮かべている。

 

 

「えーい!」

 

 

 それを、無数の自分が映った鏡の破片を少女は空へと放った。

 投擲された鏡同士が激突し、数十は数百となり、更に数千の鏡の流星となる。

 粉砕された鏡は闇の夜空を彩る小さな星雲と化した。

 高空の更に上空で拡散される鏡の星雲を、鹿目まどかの妹はじっと見ていた。

 表情は、口角の上がり方は笑みのそれであったが、眼には感情が廃されている。

 

 感情の無い丸い目と、口内にびっしりと生えた牙を見せて口を開けている様子は鮫か鰐の横顔にも見えた。

 恐ろしい造形ながら、それでいて全体的な姿は美麗で可憐。

 極めて自然な様子であり、そして却って異形さを引き立てていた。

 感情の無い捕食者の瞳の中が光で満たされた時、空に広がる光に変化が生じた。

 

 朧げな球体や光の尾を引く流星といった様態から、茫洋ながら明確な形状を備えた姿へと変わっていく。

 形を変えながら、或いは生み出しながら、それらは一斉に天から下方へと向かっていった。

 鹿目まどかの妹へと。

 迫る光の大群を前に、彼女は変わらず微笑み続けていた。その顔へと、一つの光が辿り着いた。

 その時、妹の口が閉じられた。無音が生じた。

 閉じた上顎と下顎の間には、鋭い牙で挟まれた巨大な爪があった。

 その主へと、妹は視線を動かした。

 

 

「怖いのは分かっているはずなのに、それでもまた先手を切ってきた」

 

 

 牙の隙間からは愉快そうな声が流れる。牙の間からは、のたうつ舌が見えた。

 舌は口内の光の爪を弄んでいる。舌の先端で触れた剛爪が音もなく蕩け、口内で崩れ落ちる。

 

 

「そして逃げない。英雄的行為、素敵だね」

 

 

 餌を見る鮫の眼差しで、妹は賛美の言葉を発した。

 声の先には、光の装甲で覆われた人型がいた。全体的な形状は、直立歩行する猛虎であった。

 数瞬前に光から発生したというのに、装甲の各部には亀裂があった。亀裂からは光が漏れ、形成されたばかりの輪郭が崩れていく。

 それでも猛虎は残る左腕を突き出した。感情の無い眼球に爪先が達する寸前、その剛腕は宙高く舞っていた。

 逆さまの雷光のように跳ね上がった、鹿目まどかの妹の右脚による一閃だった。

 

 脚の一撃は腕だけではなく猛虎の胴体も薙いでいた。だが縦にほぼ真っ二つにされかけながら、それでも猛虎は前に進んだ。

 引き裂けた装甲と破断された両腕を用いて、鹿目まどかの妹の…邪神マドカを拘束しようと動いていた。

 その行動を前に、邪神は動こうとはしなかった。ただ相変わらず、捕食者の眼差しで周囲を見つめているだけだった。

 邪神の眼の中には、微細な無数の点があった。その様子を凝視すれば、超高密度に密集した穴の群れと映るだろう。

 蓮の花、にも似ていた。その無数の穴を以て、邪神は周囲の全方位を認識していた。

 猛虎に抱き抱えられながら、邪神は周囲を見渡して微笑む。

 

 

「紫毒の蛇王」

 

「闇の翼」

 

「蹄の王」

 

「白銀の犀」

 

 

 数多の中からいくつかの存在の、その姿から思い浮かべた言葉を発する邪神。

 長大な体を持つコブラは口から輝く毒の濁流を吐き、巨大な翼の蝙蝠は翼から光の波動を放つ。

 直立するレイヨウを大群を率いて突撃し、装甲に覆われた犀はそれらに負けじと猛然と突進していく。

 猛虎に拘束されている邪神は、そこで軽く手を捻った。

 胴体に添えられていた左手がくるりと動くと、途端に猛虎の全身が破裂した。

 猛虎の体は光の榴弾となって周囲に飛散する。

 それは邪神が投擲した鏡以上の範囲と飛翔速度、そして数を以てして群がる鏡の魔物達を出迎えた。

 

 あるか無きかの、しかし確実にそこに存在する極微細の光の散弾は魔物達の体を放射線のように貫き、輝く肉体を引き裂いた。

 頑丈な装甲や頑強な体組織が、風に吹かれた砂のように崩れていく。

 だがそれでも、崩壊しながらも魔物達は止まらなかった。

 

 最後に残った爪や牙で邪神を襲う。微笑みながら、邪神は手の一振りでそれらを掻き消した。

 だが完全に消えゆく光の粒子を貫き、渦巻く光が邪神の後頭部へと向かっていった。

 完全に虚を突いた攻撃は然し、僅かに傾けた首の傍らを通り過ぎた。

 それは、崩壊してゆくコブラの尾であった。

 

 

「ふーん…」

 

 

 邪神は僅かに感情を忍ばせたような声を出した。その時には既に、蛇王の尾は彼女の手の中にあった。

 捻じれた先端から一メートルほどのあたりで切断されて握られ、その形状を観察されている。

 その様に激怒したのか、穴だらけとなりながらも蛇王は牙を鳴らして突撃した。

 この時には既に、頭部しか蛇の面影は残っていなかった。

 光の毒が滴る牙を、少女の姿をした邪神の細指が掴んだ。五指はそれぞれが蛇のように蠢き、蛇王の牙に絡みつく。

 

 

「ありがとう。大切に使わせてもらうよ」

 

 

 虚無の瞳で虚ろに微笑むと、蛇の頭部を投擲した。途端に光が炸裂した。

 無数の光が飛来し、一瞬にして蛇の頭部を粉砕していた。その一瞬の間に、邪神は細い体を捩って飛翔する。

 空いた隙間を光の奔流が駆け抜けた。それは数百メートル離れた地上へと落下し、林立するビル群を瞬時に蜂の巣へと変えた。

 巨大質量を支えきれずに、巨大なビル群が倒壊し夥しい数の破壊が連鎖していく。

 それは断片的ながら、まるで世界が終焉を迎えたような光景だった。

 

 光の根源を見ると、そこには巨大な角を生やした人型がいた。

 全身を装甲で覆った人型の猛牛は、両手に携えた巨砲から無数の光弾を放っていた。

 その矛先は即座に邪神へと向かった。回避もせず、邪神は虚空の中に留まった。

 ふふ、という楽し気で無感情な微笑みが高空を漂い、そして邪神の姿もろとも光の奔流によって飲み込まれた。

 

 

「ふふっ」

 

 

 数秒後に、再び微笑が大気を揺らした。放たれる光の濃度が薄まり、邪神の姿が再び顕れる。

 無数の光の弾丸が、邪神の前であらぬ方向に逸らされていた。細い左腕の先には、毒蛇から剥ぎ取った捻じれた尾があった。

 邪神はそれを鈍器のような刃として揮い、無数の弾丸を薙ぎ払って打ち落としているのだった。 

 異常な行為でありながら、腕の速さはまるで団扇で微風を生み出す様なゆっくりとしたものだった。

 邪神の表情にも真剣さは皆無であり、ただ描かれた存在のように微笑み続けている。

 払われた弾丸が別の弾丸を打ち落とし、破壊が連鎖していく。邪神の位置を基点として、前方からの銃撃が全方位に撒き散らされる。

 邪神の手が加わった時点で変化したのか、払われた弾丸は元来とは異なる存在へと変質させられていた。

 通常でも総攻撃によって街の一角を跡形もなく粉砕する威力であったが、今では弾かれた弾丸の一発でその威力となっていた。

 たったひと欠片の銃弾が落下した場所では光が炸裂し、そこに存在していた物体が跡形もなく消滅した。

 道路に建造物に地形にと、対象の硬度や大きさなど完全に無視されていた。

 それは破壊による崩壊ではなく、消滅であった。直径数十から百メートル、挙句にはキロ単位の大穴が地面に穿たれ、その底は果てしなく続いている。

 

 

「あげるよ、それ」

 

 

 言いざま、邪神は手を離した。全体が歪み、大きく抉れた毒蛇の尾が投げ捨てられ、装甲を纏う猛牛の胴体を貫いた。

 内蔵された弾丸や動力源を破壊したのか、眩い光と共に猛牛の姿は光となって飛び散った。

 それもまた、邪神が弾き返した弾丸と同じく触れたものを消し去る虚無の力へと変じていた。それは周囲一帯だけではなく、大空を駆け巡って空一面を覆い尽くした。

 光が着弾した地面は円形に削がれて消えていく。その傍らには、蠢く数多の存在があった。

 それは四肢や翼を捥がれ槍で串刺しにされた異形の天使であり、自らが所持する剣で胴体を貫かれた聖戦士達であり、装甲で身を固めた騎兵達にフレームが剥き出しの機械の体や、腕を切断された少年に酷似した姿の存在だった。

 その他にも原型を留めつつ、僅かに身を動かす程度しか出来ないほどに破壊された存在達が無数にあった。

 

 全て、邪神が行った所業だった。そして今、トドメとばかりに蹂躙した者達へと虚無の力を放って地形ごと消滅させていた。

 邪神としてはトドメという感覚は無く、虚無の力の及ぶ範囲が広すぎる故に巻き込まれた、というだけかもしれないが。

 この時、遥か高空から観測していたのなら、この惑星の地表を覆っていく無数の虚無の円が見えた事だろう。

 実体が消し去られ、全てが虚無へと還ってゆく。建造物も地形も消されていく中で、唯一動くものがあった。

 

 それは微細な光の粒だった。粒は寄り集まって線になり、線は束ねられて鎖のようになり、渦を巻いて形を成していく。

 その現象は一つだけではなく虚無の隙間を縫いながら無数に発生していた。

 やがて形を成したそれらは、今しがた虚無へと還った光の者達だった。

 形を取り戻して早々に、異形の天使は槍を携えて翼を広げ、紫毒の蛇王は光の毒を口内から迸らせながら咆哮した。

 戦意は衰えてはいない。だが、その姿は既に傷に覆われていた。

 装甲の各部が破壊され、内側からは血か体液のように光が漏れている。

 魔物達が鏡から発生した時もこうだったが、先ほどよりも傷は多くそして深くなっていた。

 

 

「今夜だけでもう十回目」

 

 

 微笑みながら邪神は言う。

 

 

「頑張るねぇ」

 

 

 感嘆の言葉には全くの感情が含まれていなかった。飛んでいる蚊か蠅を駆除する人間も、ここまで無感情ではないだろう。

 そして光の者達の損壊はこれが原因だった。あまりにも破壊された回数が多くそして苛烈だったために、本来なら傷一つつかないか負ったとしても完全に修復される傷が蓄積し悪化する羽目になっていた。

 邪神は光の者達の手に負える相手ではなかった。それでも不完全な再生を果たした光達は闘志と殺意を以て邪神へと向かっていった。

 それらを前に、邪神は首を傾げた。表情は相変わらず、薄く口を開いた半月の形で、眼には感情の類が無い。

 感情が無いなりに、少し悩んでいるようではあった。

 

 

「もう少し相手をしてあげたいけど」

 

 

 そこでふああ、と邪神は欠伸を一つ放った。

 

 

「今日はここまでかな」

 

 

 そう言って邪神は手を叩いた。その瞬間、全てが消えた。

 光を砕いて虚無の力へと変えて、世界や光達を虚無へと変えた時とは異なっていた。

 手を叩いた途端に生じた不可視の何かが迸り、文字通りに世界を消したのだった。

 光達は抵抗も反応も出来なかった。照明を落とされた光源のように、光の者達と世界が消えた。

 天も地も無く、ただ無色の光景が広がっている。

 例外は、邪神ともう一つだけ。少し離れた場所に存在しているそれの元へと、邪神は少女の体で歩み寄っていった。

 

 

「明日もまたよろしくね。お姉ちゃん」

 

 

 邪神の眼に、この時初めて感情が浮かんだ。それは敬愛と親しみの色だった。

 邪神の視線の先には、ベッドの上で横たわる鹿目まどかの姿があった。

 世界の消失や凄惨な戦いの事など露も知らず、彼女は穏やかな表情で眠り続けていた。

 その顔を微笑みながら見つめる邪神。

 二人の周囲で、虚無が渦巻き始めた。

 それは砕けた光が元の姿を取り戻していく様子に似ていた。

 邪神の手によって消し去られたのは惑星ではなく世界そのものだった。それは世界が、虚無から生まれていく光景だった。

 無から有が生まれ、宇宙に、世界になっていく。

 消し去られてから再び世界が生まれていく光景に囲まれながら、邪神は眠り姫である鹿目まどかを見つめて可憐に微笑み続けていた。

 

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