「マジンガー…ゼット」
鹿目まどかは一つの世界の名を唱えた。
世界にはそれぞれ、その世界を示す存在が映っている。
魔物を従える騎士達の世界は深紅の龍と契約した龍騎士が映り、不死身の異能者の世界には土埃と硝煙渦巻く荒野を歩く装甲の騎兵が描かれている。
その世界は、白と黒の装甲に覆われた人型の存在が映っていた。
中世の甲冑にも戦国時代の兜のようにも見える頭部は、悪魔の如き恐ろしさと神のような荘厳さが感じられた。
なるほど、と鹿目まどかは思った。
悪魔と、神。
だからこその
「魔神」
魔なる神。
そう思った時には、世界が再生されていた。
長い時間が流れた。
鹿目まどかはその世界をつぶさに観た。
自分が生きた時代よりも、自分の親であった者達が子供だった頃よりも前の世界がそこにはあった。
ただ、機械の技術に関しては現代を遥かに凌いでいた。
『くろがねの城』と謳われるマジンガーZと、それに敵対する悪の科学者Dr.ヘルの繰り出す機械の獣、『機械獣』との壮絶なデスマッチが繰り広げられた。
正義と悪の戦いという構図はシンプルでオーソドックスであった。
それは鹿目まどかが知る世界よりも古い世界と同様に、新しさよりも古さを思わせる構図だった。
しかしそれは代り映えがしない、という事ではなかった。
マジンガーZは強力なロボットだが、それでも苦戦が多かった。
全体的な性能が高いZに対し、機械獣達は多彩な外見と能力で挑んでいった。
総合力では劣るが部分的には上回る個性で立ち向かう様は、戦いの次の一手が読めずに心を揺さぶられた。
機械獣の奇怪な戦法に対して、Zもまた多彩な力で迎え撃っていた。
Zの外見は装甲を纏った人間、といった風なのでかなりシンプルではある。
だが一方、その身には多数の兵器が内蔵されていた。
接近戦では全身を構成する極めて頑丈な金属である超合金Zによる徒手空拳で敵を圧倒し、距離が離れれば目から放つ光子力ビームに、腕を切り離して飛翔させるロケットパンチが機械獣達を粉砕する。
更には口から放たれる強酸の大嵐、ルストハリケーンに胸部の放熱板から発するブレストファイヤーは機械獣達に原型を残す事すら赦さなかった。
その他にもドリルミサイルにミサイルパンチ、挙句に冷凍ビームまで装備している。
それぞれで破壊の描写も異なっているから観てて飽きず、そしてあまりの豊富な武装故に次に何を繰り出すのか全く分からなかった。
武器の豊富さと威力は正に魔神であり、このロボットの恐ろしさを示していたが、鹿目まどかはそこに恐怖を感じなかった。
主人公の少年、兜甲児はマジンガーZに乗り込み、機械の人形に人の心を与えてその力を正義の為に振るっていた。
ここでいう正義とは、自分の愛する人々や属する世界を守るための行為である。
正義という言葉の定義については、概念となった少女にとっても難しい事柄であったが、彼女の眼から見る兜甲児とマジンガーZは正義を標榜する者に見えた。
同年代の者達には時には横暴にも思える態度で接していたが、それは相手側も同じであり喧嘩するほど仲がいいと言った風に見受けられた。
その上で目上の者にはきちんと敬語で接しており、客観的に見て彼は(年齢的に言えば少年だが)好青年そのものに見えた。
そこでふと、鹿目まどかは疑問を抱いた。
兜甲児を平凡な少年とは思えないが、それでも決して特別な存在とは思えなかった。
何処にでもいるとは言わないが、それでも人を惹き付ける魅力を持つ者というのは存在する。
彼もその類と思うのだが、それでも何故、彼が戦いに臨んでいるのかが分からない。
物語の都合と言えばそうなのだが、それでも思考を巡らせたくなった。
祖父から遺産としてマジンガーZを受け取ったとしても、戦う立場は他者に任せられたかもしれない。
祖父が殺害されたことへの怨恨もあるのだろうが、それでも十六歳という年齢は若すぎる。
そんな歳の者が戦わなければいけないなんて、それはなんて残酷なのだろう。
そう思うと、鹿目まどかは胸が痛んだ。それは自分達も同じ事だった。
自分の場合はと思うと、世界によっても状況は異なっていたが戦うという行為に憧れを感じていた。
自分が戦う事で誰かを守り、平和な世界を創っていく。
それを人は立派な事と思うかもしれない。実際、自分が他者から戦う理由がそれだと告げられたらその考えを肯定すると思った。
だが改めて、自分に戦う理由を当てはめてみると、それは自己顕示欲と自己満足によるものであり何処までも自分本位であると思えた。
戦いを肯定しその行為に高揚するというのは、まるで悪魔のそれではないか。
しかしこの時、彼女の心の中に光が差した。それを促したのは、先に思った一つの単語。
それは、悪魔という言葉。
「神にも…悪魔にもなれる」
言葉にしたとき、その光は鹿目まどかの心を照らした。
そうか、そうだったんだ。
彼は、兜甲児は選んだのだった。
それは神でも悪魔でもなく、人であるという道を。
神として人の上に君臨することもなく、そして悪魔として人に牙を剝くこともなく。
されど平和を守るための戦いには臆することなく、強大な敵に立ち向かっていった。
彼は人であり続け、人であるが故に人間と人の世を守り続けた。
その姿が鹿目まどかの心を照らしていた。
自らの理想とする生き方を、兜甲児という少年は為しているようだった。
「英雄」「正義」「無敵」。
そんな言葉が心に浮かんだ。それは眩く輝く光の文字で出来ていた。
その光があまりにも眩しくて、鹿目まどかは視界が潤むのを感じた。
そして両眼から滴る熱い液体を拭い、画面を見つめた。
この世界をもっと観たい。
願うようにそう思い、世界を観続けた。
それは何かに縋り、求めるような衝動に突き動かされていた。
自分は既に「答え」に達した。
人であった頃の最後の行動で、その後の時間の全てを、自分はこうあるべきとした鋳型に注ぎ込んで今の立場と世界を創った。
それが自分の答えであり全てである。
自分は既に完結し、これからも未来永劫にこの世界を維持し続ける。
しかし、今観測しているこの世界はまだ終わっていない。
どんな結末を迎えるのだろう。その過程には何が起こるのだろう。
鹿目まどかはそれが気になって仕方なかった。その一方で、胸の中で強い痛みを感じていた。
物語は始まった以上、いつかは終わる。
それは当然の事であるが、とても悲しい事でもあった。
出来るならば、この世界をずっと観ていたいとさえ思った。好きな物語が永遠に続く世界。それはなんてすばらしい事だろうと。
世界を観る為に生まれ、存在している身である為か、鹿目まどかは飽きるという事を知らなかった。
テレビアニメに例えるなら、マジンガーZの物語は既に五十話を超えている。それでも未だに終わる気配が無い。
次々と展開される物語を、鹿目まどかは眼を輝かせて見守っていた。
多彩な人間ドラマや異彩を放つ敵の様相など、夢中になれる要素は幾らでもあった。
戦闘は後半になるにつれて激しさを増し、マジンガーZが窮地に陥ることは珍しくなかった。
だがそれでも最後には勝利し、人類の希望の象徴として力強く聳え立つ。
だから彼女は、安心して物語を観ることが出来た。
そして世界を観測し続けていく中、彼女は動きを止めた。
次の話へと進む、という選択をする際に、次話ではない別の選択肢が現れたのだった。
「『マジンガーZ対暗黒大将軍』!?」
震える声で、鹿目まどかはその選択肢に冠された名称を叫んだ。
叫んだ後、慌てて口を閉ざした。周囲の気配を察すると、自分の声で起きたものはいないようだった。
ほっと一息ついてから、再びその選択肢を見た。
「マジンガーZ対暗黒大将軍」
再びその選択肢を、タイトルを口にする。
暗黒大将軍。その名前だけで分かる。絶対に悪い人なのだと。
間違いなく、観る者に恐怖を与える存在なのだと。
そして自分は世界を観る者であり、その恐怖に晒される者であると。
鹿目まどかは即座に世界の観測を開始した。未知への恐怖はあったが、畏れはなかった。
鉄の城、マジンガーZは無敵である。
来るなら来てみろ、掛かって来いという気概さえあった。
更に言えば、無敵のマジンガーZを相手取る羽目になる相手に同情さえしていた。
それは自分の権能によってねじ伏せられることを運命づけられた、魔女達に対して抱く想いにも近かった。
僅かな憐憫を抱きつつ、鹿目まどかは世界を選択し物語を再生させた。
自らの信じる英雄の活躍と勝利を確信しながら、鹿目まどかはその世界を観た。
認識に要する時間はそう長くはなかった。
例えるなら短編のアニメ映画程度の時間。通常のテレビアニメ二本分といった程度だろうか。
だが観終えた時、鹿目まどかは多大な負担を感じていた。
肩が重く、吐く息は鉛のように感じられた。
そして脳内には混乱が渦巻く。
「なんなの…これ…」
呆然とした言葉が自然と出ていた。言葉の通り、自らが観測した事象は信じ難いものだった。
震える指先で端末を操作し、物語を最初に戻して再び観測を開始した。
「こんなの」
二週目を観終えた。何かの間違いだと思っていた光景は間違いではなく厳然とした事実であり、疲労は倍どころか二乗となって蓄積した。
「こんなのぜったいおかしいよ」
かつて叫んだものと同じ言葉を、鹿目まどかは呟いた。
あの頃とは異なるものの、理不尽への戸惑いと、そして怒りがあった。
そして震える唇で、それらの感情の対象の名を呟いた。
それは世界のタイトルに冠された者、即ち『暗黒大将軍』ではなかった。
「グレート…マジンガー……?」
その声は困惑に満ち、理不尽への怒りに震えていた。
湧き上がる感情の制御と、自分が何故そう思うのかの整理が鹿目まどかには出来なかった。
絶望を受け止め浄化する権能を持った存在である彼女が、それほどに心を掻き乱されていた。
冷静になろう。いったん世界の観測を止めようと、鹿目まどかは停止のボタンを押した。つもりだった。
だが単なる操作ミスか、それとも無意識での意図的なものか。
指先は巻き戻しと再生を選んでいた。
三回目の再生が始まった。それを止めることも出来たが、彼女の視線は画面に釘付けになった。
平和な世界に突如現れた異形の軍団、「ミケーネの戦闘獣」。
世界を蹂躙した邪悪な者達の魔の手は東京にも迫っていった。
その行く手を阻むべく、鉄の城マジンガーZは敢然と立ち向かった。
だがそれは悲劇の始まりだった。
数多の強敵、機械獣達の猛攻を防いでいた装甲は厚紙のように破壊され、マジンガーZは壊れた人形の如く無惨な有様となった。
この光景を観るのは三度目だが、鹿目まどかにはその光景が信じられなかった。
マジンガーZも完全に無力ではなく、攻撃が直撃さえすれば相手を斃せるといったところが、これが自分の幻覚ではなく事実として突き付けられている感覚がした。
搭乗者である兜甲児も無傷では済まず、研究所も破壊されてZの修理もままならず。
挙句の果てに負傷した身で弟への輸血を行った為に、彼のコンディションは最悪を極めた。
それでも敵の進撃は止まらず、立ち向かえる存在はマジンガーZしかいない。
例え逃げたとしても、誰も彼を責めないだろう。
だが兜甲児は逃げなかった。力あるものを所有する者としての責務を果たすべく、自らの命を戦いの運命の輪の上に乗せ続けた。
亡き父と祖父の遺影に語り掛ける彼は、戦いへの恐怖に涙を流していた。
自分の弱さを認めつつ、それでも彼は人類の最後の希望として悪の軍団に対して傷付いたマジンガーZと共に、血みどろになって挑んでいった。
だがしかし、戦力差は圧倒的だった。
抵抗は出来ても勝利の可能性などなかった。
腕を噛み砕かれ、切られ、溶かされ、投擲された槍によって岩壁に串刺しにされたZに最早成すすべはなかった。
この時、鹿目まどかは両手を組んでいた。それは祈りの形であった。
何度世界を観ても、手は無意識に組まれていた。
どうか、神様。
この世界を救ってください。
そんな想いで、幼き救世の神は傷付いた魔神の勝利を祈っていた。
その祈りは、ある意味では届いていた。それは救済であった。
救済であり、世界の崩壊でもあった。
「グレート…マジンガー……」
それを為したものの名を、鹿目まどかは再び声に出して呟いた。
窮地に陥ったマジンガーZの前に、その存在は現れた。
『グレートマジンガー』。
その名が示すように、その力は圧倒的だった。
最悪の状態とはいえ、マジンガーZが手も足も出なかった戦闘獣達を、ものの数分で完膚なきまでに叩き潰した。
攻撃の命中は即死を意味し、逆に相手の攻撃はグレートマジンガーに対して何の効果も与えられなかった。
それは一切の抵抗も赦さない一方的な殺戮であり蹂躙だった。
その様子に、鹿目まどかは言いようのない焦燥感と不安を感じていた。胸の内にある心臓は、動悸に震えている。
「フゥ――――――はぁ――――――………」
落ち着こう。そう思い、鹿目まどかは大きく深呼吸をした。
そうすると少し気分が落ち着いた、ような気がした。
少なくとも、ものを考えられる程度には落ち着いた。そう思う事にした。
世界の再生を停止し、画面の中をじっと見た。
その中には、天に向けて高々と手を伸ばし、指先で稲妻を受ける魔神の威容があった。
『グレートマジンガー』。その姿はマジンガーZに似ている。
似ているが、器の様な形をしたZの頭部に対してグレートのそれは刃の様な鋭さとなっている。
それ以外にも全体的にスリムさが目立つフォルムであるように見えた。
全身がまるで鋭利な刃のようだと、鹿目まどかは思った。
その姿は偉大の名を冠する通り、名前負けしていない迫力と格好良さがあった。
そこは鹿目まどかも認めていた。
物語としても、絶体絶命の窮地を覆す存在が現れて全てを救うという流れは正しいと思えた。
これ以外に現状を打破する手段はなく、戦闘の継続は間違いなくマジンガーZの破壊と兜甲児の死を意味しただろう。
だからこれが正しい。
それ以外に道はない。
鹿目まどかもそれは理解していた。
「だけど」
頭で理解するのとは別に、心は反発を示していた。
「こんなのぜったいおかしいよ」
再び、少し前に発したのと同じ言葉を呟いた。
絶対におかしい。鹿目まどかはそう思っていた。
これは、この世界は「マジンガーZ」と「兜甲児」が主役の筈だった。
なのにそこに現れたのは「グレートマジンガー」と「剣鉄也」。
その二つの存在は主人公の立場を完全に奪い取り、絶対的な強者として世界に爪痕を残した。
それは世界の破壊であり、自分が今まで観ていたものの価値観を大きく傷付けた、ある意味悪役以上の暴挙だった。
こんなことが許されていいのか。そう思わずにはいられなかった。
そもそも対暗黒大将軍と言っておきながら、当の本人は地底深くの本拠地にいるだけで直接対峙をしていない。
そう思うと叫びたくなってしまった。
こんなの、完全なタイトル詐欺ではないかと。
それからは夢の様な時間が流れた。
垣間見てしまった世界の事は何かの間違い、または悪い夢のように思えた。
再び展開された世界の様子に鹿目まどかは熱狂し、歓喜し、そして感動を覚えた。
だが世界が進むにつれて、一抹の寂しさも増していった。
それは、物語がもう少しで終わるという予感であった。
やがて世界の中で決戦の火蓋が切られ、死闘が展開された。
息を呑み、小さな拳を握り、体を震わせながらその結果を見届けた。
その結果は、平和の到来だった。
こうなることは分かっていた。
未来を見たのではなく予測したのでもなく、こうなることを信じていた。
だからこの結末に安堵を覚えた。
そして別れの寂しさも重なっていたが、それでも鹿目まどかの心は晴れやかだった。
これがこの世界の終りであり、ハッピーエンド。
傷ついた果てに、待ちに待った平和が来る。
こんな素晴らしい終わり方が他にあるのだろうか。
そう思った時、鹿目まどかは気が付いた。
まだ終わってはいない事に。
最後に一つ、物語が残っていた。
何だろう、と首を傾げて世界を観測し始めた。
それが悪夢の再来であることに気が付いたのは、ほどなくしてからの事だった。
訪れた結末に、鹿目まどかの口は悲痛な叫びを上げた。