円環の理。そう呼称される空間から少し離れた、または遥かに遠い場所にその世界はある。
そこは幾つもの部屋が連なったアパートの様であり、広大な空間そのものが闇色のステンドグラスのように彩られた場所でもあった。
無数の部屋や空間が連なり、全てと繋がっている。鏡同士を合わせれば、無限の空間がその内部で広がるように。
それら内の一つ、夥しい数の書物とCDやDVD、挙句にVHSやLDまでが堆積に堆積を重ねた部屋があった。
その部屋に、二人の少女がいた。
「大丈夫ですか?暁美さん」
緑髪の少女、愛生まばゆは同居人に声を掛けた。
掛けられた方の少女、暁美ほむらは部屋の中央の炬燵に突っ伏している。
「大丈夫よ」
伏したまま返す暁美ほむら。そのせいで声はくぐもって聞こえた。それもあって、まばゆには大丈夫には思えなかった。
「もしよかったら記憶消します?」
私服姿で近くに立つまばゆは魔法少女に変身すると、右の人差し指と中指を動かした。
それは鋏をチョキチョキとさせるような動きだった。
顔を少し動かし、暁美ほむらはそれを見た。紫を帯びた視線には、重苦しい疲労があった。
「冗談でもやめなさい。その魔法は、もう懲り懲りよ」
「…これは失礼しました」
すみませんと続け、まばゆはぺこりと頭を下げた。炬燵の中から右手を出して軽く振り、暁美ほむらは謝罪を受け入れた。
言い過ぎた、または別の言葉で返せばよかったという後悔が暁美ほむらの中に渦巻く。
それが余計に彼女を疲弊させる。だが本当の意味で彼女を疲れさせているのは、それとは別の思考であった。
思考というか、それは映像に音だった。
彼女の思考とはまた別のものが、彼女の心と脳内で展開されていた。
それは、彼女が生み出したものではなかった。
「…まどか。あなたは何を観ているの」
「何って、これですよね」
同じく炬燵に座るまばゆ。そして魔法でリモコンを生成し、ボタンを押した。
分厚く古めかしいテレビに電源が入り、映像が映し出された。
映ったのは、上空から見た何かの施設。
その中のプールらしきものが映ったと思いきや、それは湖面を割りつつ水中から何かの姿を顕せ始めた。
流れる水の間から現れたのは、全身が金属で出来た鋼の巨体。
その存在の名は。
「…マジンガーZ」
画面に映る存在の名を、暁美ほむらは呟いた。
それと同時に、画面内の威容のすぐ下に同じ文字が並ぶ。
カラフルな色で彩られた様子は、番組のタイトルの様な演出がされていた。
誰によるものかは、考えるまでもない。
「まばゆ」
「はい!ぶっつけ本番ですが上手く行きましたね」
「………ああ、そういうことね」
炬燵から起き上がりつつ、暁美ほむらは言った。
まばゆの言葉は色々と端折られたものだったが、長い付き合いなので察せていた。
それでもまばゆを見ると、そわそわしている様子が見えた。
頷きと目配せを行い、行動を促す。
示したのは「説明して」という意思表示。
「暁美さんの頭の中の映像をテレビに飛ばしました。少し楽になれたのでは?」
「ええそうね。大分良くなったわ」
礼を言ったことで、先ほどの罪悪感が少し消えた。
見透かされたのだと暁美ほむらは思った。
「物質の根源は波っていうのを最近知りまして。そのイメージを使って、暁美さんの思考の中の光を私の魔法で切り取ってテレビに送れないかなと」
「大成功ね。大したものだわ」
でも今度から使うときは私に一言言いなさい、という言葉を彼女は飲み込んだ。
先ほどの負い目はまだ完全に消えてはおらず、それは後でいいと思ったからだ。
またそれはそれとして、まばゆの説明も理解出来たかは自信が無かった。
このあたりは魔法の持ち主であるまばゆにしか分からないので、分かったということにした。
しかしながら、彼女が語った言葉は自分もどこかで聞いた覚えがあった。
『物質の根源は波』。はて、どこで得た知識だっただろうか。
「暁美さんも大変ですね。叛逆したときの後遺症でしたっけ?」
「ええそうね。ここ最近、ときどき彼女の思考が流れてくるの。原因は貴女が言った通りでしょうね」
まばゆの言葉を暁美ほむらは肯定した。
彼女の言う『叛逆』については想う事が多すぎるが、それでも動詞のように用いられるのはどうかと思った。
とはいえ一々突っ込んでいたら疲れが溜まる。それに何より、自分はそのことについてとやかく言う資格はない。
気を取り直して画面を見た。
鹿目まどかが観測している世界の様子が展開されている。
その様子はまるでテレビアニメの様だった。恐らくは、というかほぼ確実にまばゆが編集しているのだろうと思った。
よく見れば映像には既視感がある。
脳内に勝手に流れ込んできたときはノイズに近いものだった映像はクリアになり、断片的にしか分からなかった事象が物語として描かれている。
光を操る魔法の応用であると、近くに座るまばゆは誇らしげな表情をしていた。
それに対して少し微笑み、暁美ほむらはノイズから物語になった存在を観る事にした。
「編集してて思いましたが、面白いですねこの世界」
「そうね」
まばゆの評に暁美ほむらも同意した。
映像を観ながら暁美ほむらは考えた。
この世界、正確には作品というか、やはり世界というべきか。
鹿目まどかが観測し、自分の中に流れ込んでくる映像は確かに面白い。
正義と悪の対立構図はシンプルだが、それだけに物語の王道としての強さがある。
それは観やすく、分かりやすい。受け手として物語を観る上で、それはとても楽だった。
またその事については、どうしても自分達の存在と比較してしまう。
自分はかつて魔法少女という存在だった。
名前だけを見れば、それは正義のヒーローであり悪と戦う平和の使者に思えるだろう。
然してその実態は、日夜血で血を洗う抗争に明け暮れ同族を喰らい、挙句の果てに資源扱いで遣い潰される存在だった。
搾取対象の気を惹くためか、または単にそういう能力だからそういう名前にしたのかは定かではないが、契約の際の名称に「魔法少女」と用いた白い畜生については腹が立って仕方がない。
幾ら時間が過ぎても、魔法少女を超えた存在に成ってもこの思いは変わらず、恐らく永遠に変わらないと思った。
不愉快な気分になってきたので再び映像を観る。
その時、声が聞こえた。
「行けぇぇえ!!マジンガーZォォォ!!今ですよ今!飛ばせ鉄拳ロケットパーーーーンチ!!」
年上の後輩が熱中している声だった。
画面の中ではマジンガーZが腹部の装甲を開き、そこから放ったミサイルで敵である機械獣を爆殺していた。
暁美ほむらは黙ってそれを見ていたが、炬燵の内側では拳をぐっと握っていた。
この回はミサイルでトドメを刺しそう。そんな予感を立てており、それが当たったことへの嬉しさがあった。
「あちゃー、今回はミサイルパンチでしたかぁ」
「何故パンチ?」
暁美ほむらは首を傾げた。
そういえばと思い返すと、パンチとは基本的に殴打を意味するが、本質的には「貫く」という意味である。
とすれば間違っていないと思った。疑問なのは、その名称を用いたまばゆの態度に全く迷いが無かったところだ。
むしろまばゆは、聞き返した暁美ほむらの態度に驚いている。
「あれ、暁美さん。発射命中ミサイルパンチって言葉、知りません?」
「なによそれ」
「歌ですよ。世界の歌」
「世界の、歌?」
驚いた様子でまばゆはそう言った。疑問を持ちつつ、暁美ほむらは理解しようと努めた。
光は情報でもある。なのでそれを操る者だけに、何か感じ取れるものがあったのだろうと思った。
「その世界の人々がですね、この世界の主人公とかヒーローだって思う存在への想い。それに意識を集中させると、時々歌になって聴こえるんですよ」
「それは随分と不思議な現象ね」
「これでも魔法少女ですから」
誇らしげに胸を張るまばゆ。割と露出の多い衣装なので、それなりに発達している胸が誇張なしに張り出されている。
はしたないと思ったが、後ろにちらっと視線を送ると何も言えなくなった。
部屋の隅にあるハンガーには、自分の衣装が吊り下げられている。
漆黒のドレス、と言えば容易いが布面積より肌面積の方が多い。
服というか体に張り付ける布や羽根と言った方が正しそうだった。
軽く首を振り、脱線した思考を拭う。
「その歌、私も聴けるかしら」
「勿論ですよ!」
はいどうぞ!と差し出されたのは一組のワイヤレスイヤホン。
漆黒の色と形状は、自分の魂の現身と酷似した形状をしていた。
耳に掛かる部分に至っては、尾を丸めた黒いトカゲの姿をしてる。
最近何か作ってると思ったら、と考えながら暁美ほむらは両耳にイヤホンを装着した。
再生の意思を想うと、両耳から音が聴こえた。
「なるほど」
聴き終えるのに長い時間はかからなかった。二分と少々程度だろうか。
「分かりやすくて、その通りね」
人々の想いが歌となり、世界の中心にある存在を謳う。
人の思いが神も悪魔も生んだとはどこかで聞いたが、恐らくこれもそうだろうと思った。
勇壮な歌詞で綴られるのは、恐るべき超兵器を平和の為に使う魔神の威容。
脅威ではなく守護神として、人々の明日を守る存在を讃えた歌だった。
聴き終えるとイヤホンを外し、静かに炬燵の上に置く。
外した時、思わずほっとしてしまった。
あまりにも自分達と違い過ぎていて、触れ過ぎるのは毒とさえ思ってしまった。
「無理もないわね」
知らずの内に独り言が漏れていた。
やはり自分達とは違い過ぎている。
マジンガーZは神にも悪魔にもなれるというが、作中だとまさに神のような存在で、平和を脅かすとは思えないし想像すらできない。
その筈だった。
「………?」
しかし、暁美ほむらは何故か疑問を覚えた。
何故そう思えてしまうのか。疑問を抱くことに疑問を感じていた。
そもそも何が疑問なのだろうかとさえ思った。
疲れているのだろうか、と反芻すれば確かに疲れてはいる。でもそこまで脳の機能は落ちていない。これでも悪魔である。
しかしその悪魔である自分がどうも不調であると思えた。
問題を先延ばしにすると碌な事が無いのは散々身に染みているので、彼女は即座の解決に乗り出した。
敬語を使われていていつも呼び捨てにしていても、内心では尊敬している年上の後輩へと視線を向けた。
相談をしようと口を開けた瞬間、暁美ほむらは硬直した。
「あ…いえ、すみません。ええと、これはそういう事ではなくてですね」
慌てるまばゆの声が、暁美ほむらは半ば以上を聞こえていなかった。
いつの間にか立ち上がっていたまばゆは、部屋の隅のハンガーに掛けてあった暁美ほむらの黒衣を手に取り、闇が凝結したような漆黒の表面へと顔を押し付けていたのだった。
暁美ほむらが視線を向けた瞬間に顔を離していたが、それでも黒衣の持ち主がその光景を認識する方が早かった。
あたふたと慌てるまばゆを、暁美ほむらはじっと見つめた。
顔を埋めていたのは事実だし、吸うような呼吸音も聞こえた気がしていた。
それとは別に、後輩兼相棒は手には魔法の鋏と糸を通した針を持っているのが見えた。
何をしていたのかは分からない。分からないが、暁美ほむらはこの後の行動を決めた。
『見なかった事にしましょう』
宇宙の概念を引き裂いて上書きし、事象の改竄を行った悪魔であっても認識したくない事はある。
無言で眼を逸らし、画面を操作する。いつの間にか炬燵の上に置かれていたリモコンを操作すると、メニュー画面が開かれた。
鹿目まどかから暁美ほむらへと流れ込み、それを抜き出したまばゆが創作物の形に編纂した世界の様相が、番組タイトルの一覧となって展開されていた。
「…92話もあるの」
呆然とした声は、呆れではなく感嘆の響きがあった。
これがテレビアニメだとしたら、毎週なら二年に渡って放送されることになる。信じられない長さだった。
話数に驚きつつ、暁美ほむらは次に観る話を選ぶことにした。
傍らでは、まばゆが何か言いたそうにしていた。
何を言いたいのかは分かっている。観るなら順番通りに観ろということだろう。
全くその通りであるのだが、これはまばゆへの小さな報復行為でもあった。
適当に一話を観たら、元のペースに戻って観返すつもりだった。
話を選んでいる時、暁美ほむらは一つの疑問を抱いた。
「まばゆ」
「すぅ…」
「まばゆ」
「あ、はい。何でしょう暁美さん」
開き直ったのか、隠しもせずに自分の衣の匂いを嗅いでいたまばゆを暁美ほむらは呼びつけた。
今度話し合った方が良さそうだという今後の予定をいったん放置し、疑問解決に取り掛かる。
「一話、足りなくないかしら」
「あ…ええと、それはですね」
まばゆは困っているようだった。
全92話とは、画面に表示された母数の値がそれだったので一目で分かった。
だが実際の話数は91話しかない。本当に92話もあるのかと気になり、暁美ほむらは悪魔的な知覚能力で数を数えたのであった。
「ちょっと、どころではなくかなり悲しいお話でして。これはちょっとなぁと…」
まばゆの様子にふざけた成分など皆無だった。
となるとその欠番とされた話は相当に悲劇で満ちた物語であるらしい。
本気で自分を気に掛け、悲しみから自分の事を遠ざけてくれたのだと暁美ほむらは分かった。
ならば、と彼女は思った。
「ならば観せなさい。あなただけに、その悲しみを受けさせはしないわ」
当然の事とばかりに、暁美ほむらは言った。
少しだけ戸惑い、まばゆは欠番の物語を再出現させた。
それは物語も半ば手前。
39話とされた回であった。
話数に加え、その物語を示す画像と、そして題名が打たれた。
それらを見た時、暁美ほむらは自分の瞳孔が猫のように開いたのを感じた。
「謎のロボット」
題名を口ずさむ。その声は震えていた。何故こうなるのか、彼女自身には分からなかった。
ただ、まばゆはその様子から眼を逸らしていた。その表情には、悲痛なものがあった。
「ミネルバ……エックス……?」
そう呟いた暁美ほむらの口調は、疑問を孕みつつの声となっていた。
物語の画像の中には、女性の姿をした美しいロボットの姿があった。
鋼の女神という印象を暁美ほむらは抱いた。
その姿はマジンガーZによく似ていた。
無敵の魔神であるZに伴侶がいるのなら、彼女に違いないと思わせるほどに見目麗しい鋼の女神。
Zの傍らに常にいるのが似合いそうな、そんな雰囲気を持つロボットだった。
その姿に、暁美ほむらは胸を打たれていた。
美しい、美しすぎるという感動のせいでもあった。
だがこれはそれだけではない。
だがそれが何か分からない。
ただ、冬の寒さを払う太陽のように暖かで穏やかな安堵の気持ちと、そして身を裂くような悲しみがあった。
それが何故かは分からない。ただ、この気持ちと痛みは真実以外の何者でもなかった。
思考で動作を思う前に、暁美ほむらはその世界を再生していた。
湧き上がる感情と鋼の女神の正体を知るべく、彼女は世界の観測を開始した。