そこは奇怪な場所だった。
足の踏み場もない、という言葉の通りに大量の紙片が散乱し堆積していた。
元は白であった紙は裏表共に多種の色で塗りたくられ、それらには未だに粘度と塗料の臭気が生々しく残っている。
更に地面を覆う紙を踏み潰し、巨大な影が幾つも聳えている。
それらは一体として同じ姿かたちの存在しない異形だった。
生物的でもあり、機械の様であり、また平面にも立体にも見える。
異界の色彩が形を成したような、悪夢が具現化したような存在の名は。
「魔女」
それらを見上げながら、暁美ほむらは言った。うんざりという感情を、彼女は隠しもしなかった。
「お褒め頂きサンクス」
そんな感想を、彼女は賛美として受け取った。暁美ほむらは心の中に不快さが滲むのを感じた。
彼女としては、相手の感情を考慮などしていない。
自分の創造物を視認した相手が、創造物の本物を見た時に感じる嫌悪感と同じものを抱いたのなら、まずは満足と思っているからである。
「じゃ、これ使って」
鹿目まどかと暁美ほむらが口を開こうとする前に、アリナはそう言って自分の前に座る二人の前に二本の鉛筆を放り投げた。
酷く使い古され、長さは五センチもない。その一方で、その先端は槍のように鋭く尖っている。
「use this」
アリナは傲然と告げた。
正座しながら、鹿目まどかは困惑の表情で見上げた。
同じく正座をしている暁美ほむらは敵意の眼差しを送った。
そして改めて、アリナ・グレイという魔法少女の姿を見る。
どこか軍服を思わせる衣装だが、何を原型とした姿なのかが分からない。
ただ、緑を基調とした姿は極めて毒々しく感じられた。
そして外見同様、どころではなくそれ以上に中身は毒そのものに思えた。
「何をしろと?」
怒気を抑えながら暁美ほむらは尋ねた。
アリナは首を傾げた。
まるで、未知の言語を聞いたかのような反応だった。
「何って、女神とデビルのFinal battle用なんですケド。それ使ってさっさと戦って決着つけて、storyをendさせて欲しいんだヨネ」
ハリーアップと言ってから、アリナは魔法で生み出した椅子に腰掛けた。
脚と背もたれの一部程度しか見えないが、それは腐乱死体と骸骨を組み合わせたようなグロテスクな形状をしていることが分かった。
嫌悪感に心を蝕まれていると、ハリーという言葉が連呼されてきた。
アリナの手にはスケッチブックが置かれ、椅子と同じようにグロテスクな形をした机の上には毒々しくも美しい色彩の絵の具が無造作に落とされている。
「そうそう。場所を貸してあげるんだから、なるべく血飛沫や肉片、主に臓物とか。あと悲鳴や絶叫を撒き散らすようにシテ」
大真面目に真顔で告げるアリナの顔には悪意も敵意もない。
ただ二人の戦いを自分の芸術の一部か、またはインスピレーションを受ける為の素材としてしか見ていないことが分かった。
出会ってから数分程度だが、暁美ほむらは心底からアリナが嫌いになれた。
そんな彼女を放置して、アリナは既に筆を走らせている。
悪魔的な知覚能力で描画を確認すると、彼岸花の咲き誇る丘の上で楽しそうに笑っている自分と鹿目まどかの姿が見えた。
それは思わず息を呑んでしまうほどに、美しい絵であった。
なんでこんな奴にこのようなものが描けてしまうの。
暁美ほむらはそう思わざるを得なかった。
「ところで叛逆デビル」
「暁美ほむらよ」
「デビルホムラ。あの羽毛というか体毛みたいなセンシティブ衣装は着ないノ?」
二枚目に取り掛かりながらアリナは尋ねた。
どう返すかで暁美ほむらは悩んだ。
着用しようと思えば、今すぐにでもあの衣装は纏える。
だがそれはこの女に誘導されているようで癪だった。
それに体毛だの羽毛だのと言われると羞恥心が湧いてくる。
今更ながら、もう少し肌面積の少ない衣装でも良かったのではと思ってきた。
とはいえもうどうしようもないし、あの時は色々大変で勢いで突っ走ったからというのもあるのだが。
しかしその一方で、彼女は別の思考もしていた。
デビルホムラ、という単語が脳内で反響する。
悪くない、と暁美ほむらは思っていた。その時、アリナの背後の景色が揺れた。
空間が陽炎のように歪んだ途端、それは少女の姿に変わった。
「それっ」
掛け声と共に、まばゆはアリナの背後から何かを被せた。
それはアリナの上半身をすっぽりと覆うほどの、奇怪なオブジェクトだった。
粘土で作ったと思しきそれは、歪んだ角に三日月のように開いた口。口の中には鋭く短い牙が無数に生えている。
悪魔、という単語が暁美ほむらの脳裏に浮かぶ。
「ちまちま話してても埒が飽きませんからね。さっさと話を進めましょう」
「…」
得意げに語るまばゆの言葉を暁美ほむらは咀嚼する。
恐らくアリナに被せた物体は、自分と鹿目まどかは垣間見た世界の記録であり、それをアリナにも追体験させて協力を取り付けようというものだろう。
ご都合主義にも思えたが、自分達は女神と悪魔である。
このぐらいの特権はあっても罰は当たらないし、超越者である自分達に誰が罰を与えるというのか。
傲慢さを自覚しながらも、暁美ほむらは改めて今の自分達が高次元の存在と化していることを自覚した。
そう自覚する事象が、これでいいのかはよく分からなかったが。
「あ」
まばゆが声を発した。
暁美ほむらもそちらを向いた。
異形の被り物を被せられたアリナは動きを止めている。
というよりも被せられた時も、今に至るまで一声も発していない。
「これちょっとヤバいですね。アリナさん、Zとグレート以外の世界も観測して」
「え?」
「危険人物と聞いてましたからね。情報には制限を掛けてましたが、どうやら突破されてしまったみたいで」
「ヴァァアアアアアアア!!!!!」
沈黙を破り、アリナが吠えた。
被り物の内側だというのに、その咆哮は爆発音に等しかった。
やがて被り物にはヒビが入り、ほどなくして内側から砕け散った。
粉微塵になって吹き飛んだ造形物が煙となって飛散した奥に、絶叫しながら走り去っていくアリナの後ろ姿が見えた。
「あちゃあ…数多の世界を観て、情緒がバグったみたいですね。芸術家っていう生き方も難儀なもので」
暁美ほむらは複雑な思いを抱きながら、他人事のようなことを言うまばゆの言葉を聞いていた。
アリナとの会話を半ば放棄した自分が強く言えることは無いのだが、あまり歯切れがいいとは思えない。
面倒事を解決しようと思ったら、更に面倒なことになってきたとしか思えない。
とはいえあまり理不尽な気がしない。それが何故かは分かっている。
今まで問題を解決しようとして上手くいったことなどほぼなく、失敗と更なる悲劇の連打を繰り返し続けてきたからである。
成功体験なんてあっただろうか、とさえ思ってしまう。
そう考えていると、煙の奥へと進んでいく小柄な影を見た。
隣にいた鹿目まどかは何時の間にか立ち上がり、アリナの後を追っていったのだった。
「暁美さん、ここは鹿目さんに任せましょう」
白煙の奥へと消えていく鹿目まどかを見届けながら、まばゆは主に向かって言った。
当の本人はといえば
「まどか…後ろ姿も可愛いわね」
と、陶然とした声を出していた。
予測通りの様子だったので、まばゆは少し安心した。
ここ最近は色々な世界を観測し続けてきたので、主の嗜好が変わってないかなと少し心配していたのであった。
それはそうとして、時間が出来た。
「そういえば暁美さん、まだ未観測の世界がありますよ」
暁美ほむらは名残惜しそうに視線を戻すと、まばゆは魔法でテレビとビデオデッキを生成していた。
同じく炬燵と座布団も生成され、炬燵の上にはお茶と茶菓子、そして焼きたてのアンパンまでもが設置されている。
まばゆ本人は既に炬燵に滑り込み、アンパンを齧っている。
手際の良さに感心しつつ、先にくつろいでいる姿に少しムッとし、暁美ほむらも後に続いた。
そしてまばゆが用意した世界を観測し始めた。
「ヴァアア!!ヴァアアアア!!!ヴァアアアアアアアアア!!!!!」
アリナは叫んでいた。
生きていた頃なら、喉が張り裂けて出血していたであろうほどの声量で。
叫びながら、頭を何度も何度も壁面へと打ち付ける。
これもまた尋常な勢いではなく、人間であったなら額は砕けていたであろうほどの回数と力が込められていた。
しかしこれらの行為は、アリナの肉体にはなんの苦痛も損傷も与えなかった。
この世界が永劫の安らぎの世界で在るが故の事象であった。
だがその反面、彼女の内心は地獄の如き様相と化していた。
荒れ狂う感情の奔流に、その主であるアリナは身を焦がされていた。
その感情の最たるものは、『嫉妬』だった。
叫びアリナの思考の中を、無数の世界とその世界に存在する者達の姿が駆け巡る。
主に人の姿をした鋼の者達が織り成す物語と、その者達の造形にアリナは圧倒されていた。
自分が思い描いていた美という概念に、敗北を喫したというのではない。
観測した世界の者達を見て、彼女が思った事は。
「なんで…なんで、アリナはこれらを創造できなかったの……!!」
それらの者達を、自分が描くことが出来なかったという想いと、自分以外のものによってそれらが描かれたということへの嫉妬だった。
自分が出来ず、そしてこれからも生み出す事が出来ない存在達へと、アリナは嫉妬と羨望、そして後悔の感情を向けていた。
猛毒で満ちた盃を飲み干したかのような感覚をアリナは味わっていた。
だが一方で、頭の中で生じている苦痛の乱反射はアリナに刺激を与えていた。
今まで自分が知らなかったものを見て、そこから新しいビジョンが次々と生まれていた。
その中で、特にアリナを刺激していたものは。
「KIKAIJUU……機械の獣……機械獣………」
呪詛のように悍ましく、そして幼子の名を呼ぶ母の様な声でアリナは異形の者達の名を呼んだ。
非生物でありながら、生物のように動く機械の獣達。
獣と言いつつもその姿かたちは個性に満ちており、一体としてデザインが重なる存在がいない。
生きているようで生きていない。生と死を超えた存在に思える異形達。
その者達の存在と造形は、アリナの関心を大いに集めた。
そして、だからこそ。
「ヴ…ァァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
これらを創造したのが自分ではない事に、酷く情緒を揺さぶられるのであった。
感情の整理がつかず、そして不快であり快くもある。
新たに得た情報によって自分が変容していく感覚は、悍ましくもあり愛おしくもあった。
複数の感情の奔流に、アリナ・グレイは翻弄されていた。
恐らくこのまま放っておかれれば、もしかしたら永遠にこの状態を維持したかもしれない。
紡がれたり解けたりする思考の中で、アリナはそう思った。それも悪くないと思った。
それを終らせたのは、一つの足音だった。
小動物がこっそりと歩くような、弱弱しさがそこにはあった。
アリナはそれに気付いた。また彼女は生前、捕食者側の存在だった。
壁からゆっくりと顔を離し、背後へと向ける。
壊れた人形が無理矢理首を動かしたような、不気味な動きだった。
「…ガキ女神」
毒々しい視線と声を以て、アリナは鹿目まどかを迎えた。
アリナの視線の先の鹿目まどかは、一瞬びくっと震えた。
それは明らかに怯えであったが、彼女はそれを隠そうともしなかった。
鹿目まどかは怯えたままで、しかし真っすぐにアリナの視線に自らの眼差しを合わせた。
幼い女神の瞳の中に、アリナは懇願の意思を感じた。
桃色の瞳をアリナは凝視し、彼女の中にある感情を読み取ろうとした。
それは絵画から、書き手の意図を探る様子に似ていた。
「そう」
ほどなくして、アリナは溜息と共に声を出した。
ひどく疲れた様子だった。
「アナタも同じ気持ちなんだネ。心の中に巣食ってるモヤモヤを壊したい。そのために、壊すカタチを創造したい」
ぽつぽつと、アリナは鹿目まどかの感情を代弁した。
鹿目まどかもまた、彼女の言葉に対して頷いている。
鹿目まどかのモヤモヤとは、マジンガーZが敗北したという終焉についてだった。
主人公なのに主人公を全うできず、敗北することで物語が終焉した。
更にそれを見て自分が夢として見た世界でもまた、マジンガーZは負けていた。
この終わり方は納得できない。
だからせめて、自分で物語を紡ぎたい。
しかしその技量が足りない。
だからこそ。
「ダカラ、アリナを洗脳したってワケね」
自嘲気に言ったその言葉に対し、鹿目まどかは首を振ろうとしたがアリナが手を伸ばして止めた。
自分は負けた。視線を重ね合い、その結果自分の感情を相手に寄せると決めた。だからこその敗北であり、それを否定されると余計に惨めになる。
彼女はそう思っていた。
「good」
負けを認めながらも、アリナの表情は晴れやかだった。
肩の荷が下りたという感覚があった。
だがその一方で、彼女の顔には難題に挑む前の覚悟があった。
「その思惑に乗ってアゲる。アナタの妄想、可視化してやるからアリナに寄越せ」
傲岸不遜にアリナは言い放ち、自らがガキと称した少女へと手を伸ばした。
鹿目まどかはその手を取った。
手が触れた時、アリナは片膝をついて鹿目まどかの前に跪いていた。
不遜な言葉とは裏腹に、アリナが取った姿は神に対する忠実なるしもべのそれだった。
それは新しい世界を見せて、創作への新しい意識を与えてくれたことへの、アリナなりの礼であった。
鹿目まどかは、それを有り難く受け取った。
恭しく手を取り、頭を下げた。
「…暁美さん、これは…………」
主のいなくなった部屋で、まばゆは気まずそうな声を出した。
その声を受けて、暁美ほむらは両手を上げた。
掲げられているのはアリナにも被せた異形の被り物であり、彼女は暇つぶしも兼ねて新たな世界を観測していた。
被り物の中に収められていた長い髪は普段よりも重くなっていた。汗でじっとりと濡れていたからだ。
「まばゆ」
声を震わせながら暁美ほむらは言った。
「あなたの言いたいことは分かっているわ」
汗で濡れ、疲労を湛えた顔で暁美ほむらは頷いた。
「そうですね。これは鹿目さんには」
まばゆが言いかけている時に、二つの足音が聞こえた。
その時だった。
「待ってたわ!まどか!」
まばゆが反応する間もなく、暁美ほむらは跳躍していた。
手を繋いで歩くアリナと鹿目まどかが反応する間もなく、暁美ほむらが背後に立った。
「デビルホムラ、何を」
「黙りなさい、間女」
アリナが身構えるのを無視して、暁美ほむらは鹿目まどかの頭に先ほどまで自分が被っていた被り物を被せた。
落下しないよう、丁寧に被り物を支えながらこう言った。
「あなたを待っている間、新しい世界を観ていたの。この世界を、あなたもきっと気に入る筈よ」
興奮気味に暁美ほむらは言った。
対してまばゆは両手で顔を抑え、「暁美さん…」と呟いた。それは嘆きであった。
また、被り物から漏れだした世界の気配をアリナは悟った。
そして、こう呟いた。
「
アリナが呟くのと時を同じくして、被り物の中から悲痛な叫びが上がった。
それは鹿目まどかが観測した世界が、彼女の心を大きく抉った証であった。