カリカリカリカリカリ
ガリガリガリガリガリ
ゴシゴシ
ゴシゴシ
アリナ・グレイの部屋の一角で、それらの音は響いていた。
物を書いて書いて書きまくり、そして消してはまた書くというのを繰り返している音だった。
アリナ・グレイの部屋の一角で、鹿目まどかは一心不乱に何かを書いていた。
それは文章であり絵であり、または斜線や丸の羅列であった。
部屋の中に放置されていたテーブルに座り、この作業を始めてからどれだけの時間が経ったのか。
鹿目まどかには分からなかった。
正確には、分からないようにしていた。
そうしないと、心が苛まれるからである。
ふとその時、ペン先が止まった。
一心不乱に書きまくり、その結果、イメージが尽きたのだった。
途端に、心の中に空白が出来、その空白へと毒の様な想いが滲む。
その発生源とは。
「………マジンカイザー…………」
苦々しいことこの上ない、とでもいうような渋さが、彼女の声にはあった。
グレートにすら感じた事の無い毒々しい感情を、鹿目まどかはその存在へと抱いていた。
「…マジンカイザー」
俯きながら、名前を呟く。
暁美ほむらから見せられたその世界の名と、その世界の主人公たる存在、「マジンカイザー」の力は圧倒的だった。
その力は、マジンガーZを敗北寸前に追い詰めた戦闘獣を一蹴したグレートの力すら遥かに凌駕していた。
Zとグレートより一回り以上巨大な体躯と破壊不能としか思えない堅牢さは、それだけで強力な武器であり、挙句に搭載された武装の破壊力は一つ一つが地形を破壊するほどだった。
作中では少々の苦戦はあれど、全ての戦いに圧勝していた。
『魔神皇帝』の名を持つその存在は、まさに名を示すように圧倒的だった。
だがハッキリと言って、それは別に良かった。
問題はそこではない。
その世界の人間としての主人公は兜甲児であり、マジンガーZもその世界に存在していた。
しかし、彼が搭乗するのはZではなくカイザーである。
正確には、Zの後にカイザーに乗り換えていた。
「…ッ!」
鹿目まどかは、自分の鼓動が跳ね上がったのを感じた。
一つの言葉、というか事象が脳内を巡る。
兜甲児はマジンガーZからマジンカイザーに乗り換えていた。
乗り換えていた。
乗り換えていた。
乗り換えていた。
「~~~ッ!!!!」
声にならない声を口内で押し殺し、そして両手で両頬を打った。
自室なら机に両手の拳を打ち付けていたに違いなかった。
しかしここは人様の部屋なので、勝手な行為は憚られた。
傷つくという行為を禁じた世界であったが、それでも生きていた頃に感じた際の痛みが思い返せた。
その痛みによって、いくらか冷静になった。冷静になれたと、自分を偽ることが出来た。
思考を整理しようと努め、状況を整理する。
まず、「マジンカイザー」という世界はその名の通りマジンカイザーが主役機であり、主人公は兜甲児である。
その時点でモヤっとしたが、そういう世界なのだから仕方ない。
しかし問題はここからだった。
この世界にもマジンガーZが存在していた。ついでにグレートもいる。
ついでに、という想いを抱いてしまうのには申し訳なさもあるが、どうにもグレートは苦手だった。
とりあえずこのあたりで、鹿目まどかは嫌な予感がした。
そしてそれは的中した。
機械獣軍団の猛攻を前に破壊され、奪取されたマジンガーZ。ついでにグレートも敗退した。
挙句の果てにZは改造され、原型は残しつつも異形の姿に改造された。
この時点で、鹿目まどかは自分の中で随分と負の感情が溜まっていくのを感じていた。
半壊したグレートを異形のマジンガーZが撃破しても、その気分は晴れなかった。
そもそもグレートの事は苦手であって嫌いではないのだ。
共に平和を守る正義の魔神であり、それらが争う様子には胸が痛んだ。
だがその痛みを上回る激痛が、この後に到来した。
破壊寸前に陥ったグレートが完全にトドメを刺されようかとしたその時、今まさに放たれようとしていたブレストファイヤーを遥かに凌駕する真紅の熱線が戦場を横切った。
直撃した機械獣は瞬時に蒸発し、掠ってすらいない場所にいた機械獣達でさえ溶解させた。
その場にいた誰もがその熱線の根源へと驚愕の眼差しを送る。
視線の先に、その巨体が聳えていた。
それからの展開は、先ほど自分が思い返した通りであった。
マジンカイザーはその圧倒的な力でマジンガーZを抵抗すらほとんどさせずに捻り潰し、叩き壊した。
壊れた人形のように投げ捨てられ、そこでマジンガーZの出番は終わった。
そう、ここでマジンガーZの出番は終わりだった。
兜甲児はマジンガーZからカイザーに乗り換え、その圧倒的な力で物語を終らせた。
これが、鹿目まどかにとってはどうにも納得いかなかった。
圧倒的な強者が現れ、元の主役を引きずり降ろしてその地位に居座る。
これはグレートの時でさえ無かった、暴挙を超えた暴挙に思えた。
グレートの時はまだ、兜甲児は最後までマジンガーZで戦い抜いていたから、まだよかった。
だが今度は違う。世界を根底から破壊し尽くすかのような、いや、正に破壊尽くしたに等しい。
「なんで」
嘆きの言葉が鹿目まどかの口から零れる。眼には涙が浮かんでいる事が分かった。
「なんで、捨てちゃったの」
カイザーが世界を救ったことはいい。
だがその代わりに、物語の途中から欠片も物語に絡まず存在を忘れられたとしか思えないマジンガーZが憐れだった。
世界からぽっかりと消え去ったかのような喪失に、鹿目まどかは深い痛みを覚えていた。
なんでこう感じるのかは、マジンガーZが好きだからというだけではない。
世界から消えた存在というところに、思わず自分を重ねているのだろうと思った。
自分が世界からいなくなっても、世界は続いた。
そうあるように世界を書き換えたのだから、それは当然のことだった。
だがそれを他の存在を元に認識したことで、より寂しさがこみ上げてきたのだった。
考え過ぎと指摘されれば、そうなのだろうし自分でもそう思う。
だけどそれ以上に、寂寥感が滲む。
そしてそれゆえに、燃え上がってくるものがあった。
それは数多のイメージだった。
マジンガーZと兜甲児への憧れ。
グレートマジンガーの登場による心の乱れ。
マジンカイザーによって主役を奪われたことへの言いようのない感情と、前述通りの寂寥感。
それらが自分の中で渦を巻き、思考を掻き乱す。
それ故に、無数の思考が生まれていった。
鹿目まどかの内で思い描かれていたのは、「自分の思い描いたマジンガーZの物語」だった。
自分が観た事の無い、新しい物語。
憧れも怒りも、言ってしまえば解釈違いによる心のざわめきなどの全ての感情から沸き上がってきたビジョンを、彼女は文章や絵で書き殴っていった。
整合性や上手い下手は今はいい。
とにかくアイデアを書き連ねていく。
今は数が大事だった。
「私が…私が描くのは」
強い意志を宿した声で、鹿目まどかは呟いた。
「絶対に負けない。最強で無敵の」
ペン先が霞むほどに素早く動き、ノートに一つの姿を描いた。
「マジンガーZの物語」
言葉の通り、それはマジンガーZだった。
既に何百回も描いた姿であり、それで千回目の模写となっていた。
少し感慨に耽った後に、更に次のページを捲った。
そして再びペンを走らせる。
終わりなき作業に、鹿目まどかは没頭していた。
「………」
暁美ほむらは悩んでいた。
創作行為に励む鹿目まどかから十数メートルほど離れた場所で、彼女もまた鹿目まどかと似たような机に座ってペンを握り、ノートを広げていた。
だが鹿目まどかとは異なり、暁美ほむらのノートは白紙であった。当然、ペンは握られているだけで動いていない。
「ハリー」
机から少し離れた場所から、アリナは声を掛けた。
自前の椅子に脚を組んで座っている。王者の様な傲慢さを隠そうともせず、意識すらしていないといった振舞だった。
また暁美ほむらも、アリナの言葉を聞いていない。
アリナは呼吸のように作業を急かし、暁美ほむらも鼓動のようにアリナを無視している。
双方が相手の事を全く思っておらず、険悪な雰囲気というものすら漂っていない。
そこには、空虚な無があった。
無と言えば、暁美ほむらの思考もまた同じだった。
正確には、無ではなく無数のイメージがあった。
自分が描きたいものははっきりしているが、その手段を決めかねている。
「いや…違うわね」
言葉を紡ぐと、脳内のイメージがぱっと消えた。
その理由は明白だった。
描く必要が無くなったからだった。
その理由とは。
「マジン…カイザー…」
畏怖の感情を込めて、暁美ほむらは呟いた。
従者であるまばゆから見せられたその世界は圧巻だった。
Zやグレートを遥かに上回る、皇帝の異名を持つ最強のロボットは正に無敵だった。
マジンガーを超えたマジンガーと呼ばれていたが、正にその通りだった。
「暁美さん、カイザーはグレートを破壊してましたがそこはいいんですか?」
「あれは試作で、そして役目をしっかり果たしたわ」
お茶を汲んできたまばゆに、暁美ほむらはそう返した。
熱い緑茶で満たされた湯呑を一息に煽り、丁寧に器を返す。
その顔はやや上気していた。それは熱によるものだけではなかった。
「そして真のグレートの強さは…素晴らしかったわ。本当に」
彼女の脳裏には、仲間の窮地に颯爽と現れたグレートマジンガーの雄姿が映っていた。
カイザーが行動不能となり、それまで以上の強さを得た機械獣達の総攻撃により全ての希望が潰えたと思ったその時に、雷を孕んだ曇天と共に偉大な勇者が戦場に舞い降りた。
「グレートが駆け付けなければ大勢が命を落としていたし、カイザーの救援も間に合わなかったかもしれなかった」
言い終えると同時に目配せをすると、新しい茶が寄越された。煮え滾る茶を、暁美ほむらは悪魔的な速度で飲み干した。
「グレートマジンガーはやはり、偉大なる勇者ね。素晴らしい、完璧な兵器だわ」
「…」
無言で茶を啜るまばゆ。
一瞬劣勢でしたけどね、という言葉を茶と共に飲み込んだ。
反論しても面倒だし、実際、真のグレートの強さは異常だったので合体機械獣の拘束からもなんなく抜け出しただろうと思っていた。
「だからこそ、まどかの気持ちも分かるわ」
「…ん?」
アンパンを齧りながら、まばゆは不意に話の方向性が変化したことに驚いた。
静かに魔法を発動させ、自分の周囲数メートルから暁美ほむらの言葉が出ないように処置を施す。
理由は嫌な予感がしたからである。
「グレートが強過ぎるから、嫉妬してるのね」
「…」
暁美ほむらの言葉には哀惜があった。
確かにそうである。
鹿目まどかの抱えた感情は、好きになった世界が別の存在によって作り変えられたことによる解釈違い現象であり、つまりは嫉妬でもある。
グレートさえいなければ、マジンガーZは無敵の主役でいられたのだから。
部分的に正しいがそうではないという事態に、まばゆは悩んでいた。
そして音を消したことは正解だったと思わざるを得なかった。
「フールなんですケド」
ホッとしたのも束の間であり、この部屋の主からは指摘が飛んできた。
愚弄の声に感情は無く、ただ事実を指摘しただけだった。
だから何も起きないだろうとまばゆは思った。
だがそれに反して、暁美ほむらは考え込んでいた。
「なるほど、分かったわ」
おお、とまばゆは思った。
年下の先輩なりに、内省する部分があったらしい。
成長したなぁと、一応は年上なりに感慨深く感じた。
「グレートやカイザーの存在は、まどかにとって環いろはのようなものなのね」
確信に満ちた声で暁美ほむらは言った。
沈黙が訪れた。
場に生じている音は、遠くで生じているペン先が紙を削る音のみ。
「はい?」
それが声であったか思念であったか、まばゆには判断が付かなかった。
暁美ほむらは頷いた。
疑問ではなく、肯定と受け取ったのである。
「確かに、気に喰わないわよね。新主人公なんて」
頷きながら暁美ほむらは言う。
その眼には真摯な炎が燃えていた。
「ええ。確かに気に喰わない。この世界の主役はまどかだというのに」
強い確信を込めて彼女は言った。
『この世界の主役は鹿目まどか』、というのは暁美ほむらの感想ではなく厳然とした事実なので否定することも難しい。
話の前提が間違っているのだが、それを指摘するのはどうしたものかとまばゆは考えた。
「その主人公を引き裂いて、デビルに進化したのは
思考して間もなく、アリナが言葉を投げてきた。
炬燵の中で、まばゆの手は親指を立て、アリナの言葉に敬意を払った。
「黙りなさい、毒虫」
「ちょ、暁美さん!」
痛いところを突かれたせいで、暁美ほむらの反応は迅速だった。
まばゆも慌てて言葉を遮ろうとしたが無駄だった。
あわや開戦かと思った時、アリナは
「シャラップ。Fools,Girls」
と吐き捨てて椅子から降りると、背後へと歩いて行った。
今のうちにと拳銃を取り出した暁美ほむらを、まばゆが必死に止めていた。
「今はこっちのフールガールのお世話タイムなんだヨネ」
その言葉に、暁美ほむらとまばゆの両名は言葉を止めた。
見れば、部屋の奥の異形の作品群の中央にベッドが置かれていた。
年相応の少女のものではなく、まるで病室のベッドの様な簡素さと味気無さがあった。
今の今まで気づかなかったのも、死をイメージさせる作品群の中にそれがあったため、風景に溶け込んでいたのだろう。
ベッドの上には紫がかった髪色の少女が寝かされている。
アリナは丁寧にシーツを剥がし、眠る少女の体勢を仰向けから横向きに変えた。
床ずれの防止、ということらしい。
その一連の動きの中、アリナの表情に変化はなかった。
ただどうでもよさそうに、丁寧に手を動かしていた。
患者服のようなパジャマを着た少女の、衣服に包まれていない手足や顔を清潔なハンカチで拭ってから、アリナはシーツを掛けた。
そして何事も無かったかのようにすたすたと歩き、元の椅子の上に座った。
「ハリー」
再び急かすアリナであったが、先ほどとは様子が違っていた。
明らかに、苛立ちを見せている。
「アリナ・グレイ、あなたは」
「デビルホムラとガキ女神、さっさと話を進めて世界を動かせ」
アリナが見せた人間性に動揺した暁美ほむらの言葉を、アリナは苛立ちの言葉で断ち切った。
「少し前から、ドイツもコイツも眠りこけてフリーズしてるんだヨネ」
苛立ちと呆れ、そして無関心さが滲むという奇怪な声色でアリナは告げた。
それは彼女の心境の表れだった。
要するに、介護している少女以外の大多数はアリナにとってどうでもいい存在であるということだろう。
「私達が原因とは」
「限らなかったら他に何?」
噛みつくような声でアリナが反発する。
こういう攻撃的なタイプと相対したことが無いわけではないが、アリナはその中でも格段に狂っている。
近い存在では呉キリカだろうが、あれは狂っているから狂っている。
アリナの場合、正気がそもそも狂っている。
しかしながら、アリナの言葉には一理あった。
円環の理が停止するなど、どう考えても自分達のせいだった。
「アンタら、存在そのものが多元宇宙で並行世界なんだから、そこに存在するだけで世界を歪めるんだヨネ」
行動には責任を持ってほしいんですケド。
アリナはそう付け加えた。
そう言われるとぐうの音も出ない。
腹が立つが、それ以上に胸のむかつきと正論故の納得を感じる。
むかつきとは罪悪感であり、少なくとも人間としては年上だから納得してしまうのだろうと思った。
女神と悪魔とはいえ、所詮は大人になる過程をすっ飛ばして高次元存在化しただけの子供であるという事が、嫌でも理解させられた。
「という訳ですから暁美さん」
はい、と言ってから、まばゆは暁美ほむらにペンを差し出した。
何かの拍子に落としたらしい。
礼を言ってから受け取ったが、彼女の顔には迷いがあった。
現状の停滞というのは、間違いなく自分と鹿目まどかの心の迷いである。
それを何らかの形で具現化させ、もやもやを消し去る。
そうすれば停止しているらしい円環の理は動き出し、何より自分達の気分が晴れる。
とはいえである。
「実はもう、書く意味が無さそうなのよね」
言いにくそうに暁美ほむらは言った。
というものの、彼女の中では半ば解決しているのであった。
彼女が描きたいのは、ミネルバXがマジンガーZの伴侶として添い遂げられる平和な世界である。
マジンガーZの世界でミネルバXは、あと少しと云う処で想いを遂げられず機能を停止した。
あと少しでもマジンガーZが強ければ彼女を守れたのに。
その思いがどうしても抜けず、さらにその上、元々世界を観測していた鹿目まどかもまた、この世界を観て心を乱されていたので助けるついでに自分の心も整理を付けようと思ったのだった。
文字に起こして思考すると当人以外には度し難い事象だが、悩みなど当人たちの問題であるから仕方ない。
しかし今、暁美ほむらの中ではそれが希薄化していた。
原因は、「マジンカイザー」の存在だった。
マジンカイザーの強さは圧倒的だった。
Zもグレートも凌駕する戦闘力で、殆どの場面で苦戦どころか、てこずりもせずに機械獣軍団を殲滅していった。
それは即ち、マジンガーZが不要であることを示している。
つまりZは戦う必要が無く、ミネルバXも傷付くことが無い。
マジンガーZがいるからこそ悲劇があるのであれば、いなければ悲劇は起きない。
だから。
「それはただの怠惰で逃げでショ」
「………」
内心を見通したように、アリナの指摘が暁美ほむらの胸に突き刺さった。
「書きたいものを書けばいい。上手い下手は後から考えろ」
欠伸をしながらアリナは言った。
言葉は真面目だが、創作者であるアリナにとっては当然のこと過ぎて特別感は皆無なのであった。
「だから、ハリーアップ」
うぐっと呻き、ペン先を紙の上に乗せる暁美ほむらであったが、ペン先は一ミリも動かない。
ここに来て改めて、物語を描くという行為の大変さを思い知ったのだった。
「『今の私は"魔"なるもの』」
微動だにしていなかったペン先がびくっと震えた。
暁美ほむらは、生理的な嫌悪感を覚えていた。
今発せられた言葉には聞き覚えがあり、その声色は気持ち悪いほど自分に似ている。
「『摂理を乱し』」
つまらなそうな顔をしながら、アリナ・グレイは言葉を発する。
よく見れば彼女の白い喉には緑色の毒々しい魔力が付着していた。
病原菌をモチーフとした魔力で声帯を変化、というか変形させて声を真似ているのだった。
だがこの時、暁美ほむらは嫌悪感以外のものも感じていた。
それはやがて、嫌悪を上回っていった。
「『この世界を蹂躙する存在』」
「……!」
アリナが言い終えた時、暁美ほむらのペン先が動いた。
それは誕生の瞬間でもあった。
かつて自分が発した言葉に全ての答えがあった。
そう、蹂躙してしまえばいいのである。
好き勝手に世界を壊し、そして創造してしまえばいい。
自分は悪魔なのだから。
暁美ほむらは、知らずの内に口角が吊り上がっていくのを感じた。
ペン先は悪魔的な速度で動き回り、あっという間に白紙を彼女の妄想の色に染め上げていった。
「…っ」
暁美ほむらが創作に打ち込んでいる頃、彼女とは対照的に鹿目まどかは動きを止めていた。
描きたいものは決まっており、そこにブレはない。
『最強で無敵のマジンガーZの物語』。
それが彼女が描きたいものである。
そしてこれによって、彼女は困難にぶつかっていた。
その原因は。
「マジン…カイザー…」
畏敬に満ちた声で、彼女はその名を絞り出した。
そう。
マジンカイザーは、あまりにも強過ぎた。
強い、強い、強過ぎる。
作中で謳われたように、マジンガーを超えたマジンガーとして君臨している。
偉大な勇者すら超えた、『魔神皇帝』。
神にも悪魔にもなれるマジンガーZに対し、マジンカイザーは『神を超え、悪魔をも斃せる究極の魔神』。
正に『最強で無敵』の存在だった。
それはつまり、鹿目まどかはこの存在を上回る力を描かなければならないのであった。
「うーーーーーーーーー………」
鹿目まどかは唸った。
唸り声だったが、それは子猫が喉を鳴らす様な可愛らしい音だった。
唸りながら彼女は考えに考えた。
今まで生きてきた頃の思い出を総動員して、『強さ』というものを考え直した。
全ての魔女と魔法少女。魔女モドキに使い魔にウワサにキモチにドッペル。
それらの戦力を分析し考察した結果。
「……勝てない」
鹿目まどかはがっくりと項垂れた。
それほどに、マジンカイザーは強かった。
通常の魔女ならサイズ差によって踏み潰されるし、ターボスマッシャーパンチやギガントミサイルは魔女を結界ごと粉砕するだろう。
ルストトルネードやファイヤーブラスターに至っては、ワルプルギスの夜さえも一撃で粉砕するに違いない。
恐らく放たれたら最後、見滝原も崩壊するだろうと。
自らの現身である絶望の魔女ならと思ったが、それでも勝てる気がしない。
何故ならマジンカイザーはあまりにも強すぎて、敵である機械獣軍団と戦ってはいたがそれは一方的な蹂躙であり戦闘が成立していたかが分からない。
その上、本編での性能はごく一部である可能性があり、実際最終盤面での覚醒ですら大いなる力の一端であるらしいので底が見えない。
マジンカイザーとは、彼女の想像力を超えた存在だった。
「………」
無言となり、俯く鹿目まどか。
落とした視線の先には、自分が模写したマジンガーZのイラストがあった。
その隣には、同じくマジンカイザーのイラストがある。
見比べてみると、改めてカイザーの理不尽な強さが再認識させられた。
そもそも、体格が違い過ぎる。
大人と子供とまでは言わないが、カイザーは全体的に鋭利且つ重厚。
対してマジンガーZは非常にシンプルな外見となっている。
それは決して劣っているということではないのだが、それでも足りない部分である事に違いなかった。
そしてカイザーの外見を観ていると、どうしてもグレートの存在が頭を過る。
カイザーの武装はどちらかといえばZを踏襲しているが、外見はどう見てもグレートの要素が強い。
パイルダーの名前こそ残っているが、カイザーパイルダーの外見もブレーンコンドルのそれに近い。
事実として、カイザーはZとグレートを超える為に造られたのでグレートに似るのは当然ではある。
ただそれは、マジンガーZはカイザーの試作品ということを示している。
グレートに関しては完全版が用意されていたのがその証拠だろう。
この事に関して、鹿目まどかは心の中で何かがふつふつと湧いていくのを感じた。
試作型グレート→オリジナルグレートであれば、
マジンガーZ→マジンカイザーという図が成り立ってしまう。
そうするとZからカイザーに乗り換えたのはごく自然な流れであり、マジンガーZは役目を終えたという事になる。
「…嫌」
それに対し、鹿目まどかが抱いたのは反発と拒絶だった。
「そんなの…私は認めない」
諦めない。
鹿目まどかは挫けず、新たな可能性を探し始めた。
もう少しで何かに気付ける。
そんな微かな希望が感じられたからだった。
「………」
鹿目まどかが諦めずに創造と向き合ってた頃、彼女とは対照的に暁美ほむらは動きを止めていた。
悪魔的にフル回転した悪魔頭脳は、地獄の様な熱を放って悪魔的な苦痛を彼女に与えていた。
そんなことを客観的に思ってしまうほど、今の暁美ほむらは疲れていた。
理由は単純明快であり、ネタ切れに陥ったのだった。
ミネルバXの物語を書きたい。
だがいくら設定を出してもそれを形にするのが難しすぎた。
ミネルバXはマジンガーZよりは小柄だがそれでも巨大ロボットである。
なのでどうしても行動に制限が掛る。
言葉を発することも出来ない為、どう物語を描けばいいのか分からなかったのだ。
「はーい。暁美さん、動かないでくださいね」
ぼーっとしている暁美ほむらの頭に、まばゆは冷えたタオルを置いた。
それを何度か繰り返されると、頭の熱は大分冷えた。
まばゆに礼を言うと、暁美ほむらはしばし休むべきだと思って背を伸ばした。
ごきごきっと、細身の少女の身体から出たとは思えないほどのえぐい音が彼女の肩で鳴った。
「機械の体なら、こんなことも無さそうなのに」
そう呟いたが、逆により酷いかもしれない。銃のメンテナンスは頻繁に行っている事を考えれば、より複雑な構造である人型のロボットならばさらに大変そうだった。
そんなことを思いながら、暁美ほむらは自分が描いた存在に視線を落とした。
ノートの中には、ミネルバXのイラストがあった。
かなり忠実に描かれていたが、書き手の趣味かより機械感が増している。
顔は口が無く、まるで仮面を被っているようだ。
機械を道具か兵器と思っているからだといいうことは、暁美ほむら自身も自覚していた。
「それにしても、きれいね」
自分で描いたものながら、彼女は自らが描いたミネルバXを美しいと評した。
人だった頃は絵が下手な方だったが、銃のメンテや武器の改造が役立ったのか指先の精度が上がり、ついでに絵心も増していたようだった。
その経験の過程と結果は過酷なものだったが、役に立つこともあるものだと思った。
だが、しかし。
「問題は物語を描くための人生経験ですよね」
「……ええ」
まばゆによる忌憚のない意見に、暁美ほむらは頷かざるを得なかった。
人生を振り返ってみると、大半を時間遡行に費やしている。
確かに経験は積んだが、それを人生経験と考えるかは少し難しい。
触れ合った連中は魔法少女関係が殆どであり、それ以前も入院が多すぎて同世代との交流が皆無に近い。
時間遡行回数は十三回であり人の一生ほどの時間を繰り返していないが、それ以降は高次元存在と化したので人としての生を投げ捨てている。
どうしたものかと思い悩むが、これは問題の一つでしかないことにまた頭が痛くなり始めた。
再びイラストに眼を落す。
疲れてはいるが、それでも自分が描いた人形の様なミネルバXを見るとその美しさと、絵であるが故の小ささに思わず気分が和んでしまった。
その時、彼女は閃いた。
「小さい…………小型化!」
彼女は思わず叫んだ。そして不意打ちを受けたまばゆが奇声を発するのにも構わず
「アリナ・グレイ!」
と怒鳴るように叫ぶ。
「資料はその辺に置いてあるから、適当に使え」
対するアリナはといえば、暁美ほむらの行動を察知したように近くの棚を指差した。
様子を察したのか、彼女は相手の方を見もしなかった。
大きな棚には資料と思しき大量の書物や紙が無造作に突っ込まれていた。
作業中にも使う為か、紅いインクで汚れているそれらはまるで、大量の死体を詰め込まれた墓穴にも見えた。
まばゆはそれに君の悪さを覚えたが、暁美ほむらは平然と棚を漁り始めた。
「good」
アリナはこの時、一つの作品を仕上げていた。
作業服に着替えたアリナの顔や軍手はインクでべっとりと汚れていたが、その顔には爽やかさと達成感があった。
彼女が今、作っていたものとは。
「因みにアリナさん、一番好きな機械獣は?」
「ボスボロット」
まばゆが用意したストロー付きのドリンクを受け取りながら、アリナは応えた。
まばゆも随分とこの空間に慣れてきたらしい。
またアリナも一定の常識はあるのか、飲料を飲み終えた後は礼を言っていた。
このあたりの常識はあるのか、またはよほどご機嫌であるらしかった。
アリナの言葉通り、彼女が今製作していたのはボスボロットのモニュメントだった。
大きさは魔女ほどもあり、その巨体は誇らしげに右腕を掲げていた。
「このデザイン………good」
アリナはいたくお気に入りの様だった。
何がこの異常者の感性に刺さったのか、まばゆは気になった。
ひょっとして何か他人とは思えないものでもあるのだろうか、とさえ思った。
それはそれとして、気になることがあった。
「ボロットが機械獣…ですか?」
「この感情の豊かさ、機械獣以外にあり得ないんですケド」
さも当然のことを言うようなアリナの言葉であった。その言いざまは、まばゆから的外れな質問を投げかけられたかのようだった。
しかしアリナからの返答は、まばゆとしても納得のいくものだった。
パートナー回路が搭載されて自立可動するミネルバXはまだしも、人が乗らないとそもそも動かないZやアフロダイ等とボスボロットは明らかに非なるものだった。
スクラップから製作されたとされているが、それはもしかしたら機械獣の部品を指しているのかもしれない。
となればボロットが機械獣というのは決して間違っていないだろう。
「ははぁ…それは面白い考察ですねぇ」
「明言されてないなら好き勝手に考えてもバチは当たらないと思うワケ。そういう世界線とか思えば、好き勝手にできるんだヨネ」
棚を漁りながら、暁美ほむらは二人の会話を聞いている。
会話の内容が彼女の思考と混ざり合い、新たなイメージを紡ぎ出す。
「世界線…」
そう呟いた時、彼女の中で思考が弾けた。
鹿目まどかは相変わらず、創作に没頭していた。
マジンカイザーという圧倒的な存在を相手に、マジンガーZをどう際立たせるかが課題であった。
強さという概念を根底から覆す様な、そんな発想が求められていると思った。
「神も悪魔も超える」
鹿目まどかは呟き、遠くを見た。
アリナ・グレイの資料棚を漁る、悪魔となった友人がいた。
彼女を悪魔と認識した時、鹿目まどかは閃いた。
「「あ」」
その声は同時だった。
女神と悪魔の両方が、方向性は違えど同じ結論に至ったのだった。
示し合わせたように、二人は互いを見た。
同じ考えに至ったのだと、両者が気付いた。
自分が描きたいもの。
それの最大の元ネタというか、参考元があった。
何よりも近い存在として。
それは他ならぬ、自分自身であった。