一つの力の流れ、揺らぎとでもいうべきものがそこにはあった。
元は一つであり、安定していたものが分かたれ、そして生じたものだった。
それは元々、波か風のような存在だった。
ただそこに存在し、意思も思考も何も無く、ただ法則に従いそこにある。
何も生まれず何も始まらず、そして何とも関わらず。
それで完結している存在だった。
異変が生じたのは、その場に異物が混入したからだった。
この時に、揺らぎは二つに分かたれた。
一方はその異物を模倣し、排除に掛った。
元が虚無の存在であるため、何者にも成ることが出来た。
排除に掛ったのは、自ら以外の存在を認めることを容認していないからだ。
巨大な人型と、その内部に存在する少女の姿をしたものの姿を取り、そして空間を埋め尽くすほどの数となって人型と少女を包囲し攻撃を続けている。
無数に存在していてもそれらは自分である為に、それは矛盾とはならないのだろう。
それは子供のような我儘による癇癪であり、そして神の傲慢さによる断罪であり処刑であった。
そしてもう一方は、元となった存在と共にあった。
その存在に感情はなく、ただ論理的または道徳的といった概念があった。
その存在は自らが現象であり力の揺らぎであると定義していた。
故に自分に力があると自覚している。
逆に言えば、自分には力しかないと思っている。
そして人型と少女には自分ほどの力が無いことも分かっていた。
力あるものの義務または法則として、この存在は人型と少女を守護する立場を選んだのだった。
人型の周囲、そして内部を膜のように覆い、降り注ぐ災厄から文字通り身を挺して守っている。
とはいえこれが献身や正義の心かと問われれば疑問が残る。
もし仮にもう一方が守護の道を選んだのなら、こちらは逆に攻撃の方を選んだとでもするような、消去法による決定にも思えた。
感情の無い虚無の存在には、そういった事象は無縁だからである。
しかしそれだからこそ、この存在は愚直なまでに人型と少女を守護していた。
また被膜として覆っている以上、その存在の形は人型と少女と同じであった。
破壊の力も衝撃も、人型と少女には一切伝わらない。
堅牢という言葉すら生易しい絶対障壁として存在していた。
守護される少女は、その存在を微かに感じ始めた。
自らが座す人型の性能を疑ったのではない。
自らに纏わりつく虚無の気配に、何かを感じていたのだった。
感じてたというよりも、それは思い出しの感覚だった。
身に纏う気配の既視感が、思い出しかけた瞬間に忘却される。
それを自分が望んでいるような、そんな気がしていた。
実際、今のこの状況は彼女が望んだことでもあった。
何者でもない自分であったが、今は確たる自分を構築してここにいる。
そしてこの空間を埋め尽くす虚無という脅威に立ち向かう事で、虚無が他の存在を害することはない。
それは自分がかつていた世界を守る事にも繋がっており、それこそが自分の役目に思えた。
だから、この状況が永遠に続いて構わない。
忘却と覚醒を繰り返す中で、永遠に存在し続ければいい。
彼女は、女神の意思はそう思っていた。
しかし、彼女の願いは叶わなかった。
虚無の微睡みの中、彼女は自らの内に熱を感じていた。
やがて熱は光となり、女神の意思の困惑を他所にその内部から解き放たれた。
白光の中を、二つの光が飛翔していく。
共に美しい女性の姿をしていたが、片方は十七、八歳ほどでありもう片方は十四歳程度の姿をしていた。
女性達は共に背中から、輝く翼を生やしていた。
鳥のそれではなく、硬質そうな輪郭を備えた翼であった。
輝く輪郭で縁取られた二人は手を繋ぎながら飛翔していく。
それらはまるで二人の女神にも見えた。
女性は少女を慮りながら、決して置いて行かぬように速度を合わせていた。
どれほど飛翔したか、やがて二人は光の果てに辿り着いた。
光の果てとは闇であり、その光景を観るのは二人にとっては二度目だった。
なので、やるべきことは分かっていた。
女性は頷き、少女は後退した。
女神は美しい女体の、豊満な胸を下から抱くように麗しい造形の腕を通して交差させた。
―――ブレストファイヤー
女神の胸が一際輝き、光の奔流を放った。
それは闇の一点を貫き、微細な孔を穿った。
本来であれば、闇を貫くには更に膨大な力と助力が必要であったが、今の闇は少し前に破壊された箇所の修復が済んでいなかった。
その為、女神が強大とはいえ一人の力でも孔を穿つ事が出来たのだった。
また元より、ここにはもう誰も来ないであろうとされた場所であった為、孔さえ無ければこの世界の誰にとっても無害であったのだろう。
それを今、自分は破ろうとしている。
少女には破壊者としての自覚があった。
そして、彼女が世界の理を崩すのはこれが初めてではなかった。
少女は左手を掲げた。華奢な腕には円形状の物体が装着されていた。
その中へと繊手を滑り込ませて引くと、その手は捻じれた何かを掴んでいた。
更に引くと、それが長大且つ幅広な刃の柄であることが分かった。
強引に腕を捻って取り出したのは、長さは少女の身の丈の倍近く、そして幅は彼女の肩幅ほどもある巨大に過ぎる刃だった。
鈍器や鉈、または断頭台を思わせる禍々しい刃は然し、剃刀よりも鋭い切っ先を見せている。
取り出した巨大質量を、少女は揮うのではなく高々と掲げた。
その時、刀身が煌々と輝いた。
光はやがて刀身から光弾や光線となって放たれた。
そしてそれらは、飛翔の最中で形を得ていった。
現れたのは幅広の鰭を持つ海洋生物、エイのような存在だった。
長い尾や鰭には、光の雷撃とでもいうべきものが纏わりついている。
そしてもう一体、それは七メートルはある巨大な影。
それは形や光の濃淡が曖昧であったとしても、それと分かる姿をしていた。
それは、真紅の東洋龍の姿をしていたのであった。
顕現した二つの存在は、時間も惜しいとばかりに行動に移った。
真紅の龍は口から光の火炎の奔流を吐き、エイは鰭と尾に帯電する雷撃を空間に開いた微細な孔へと叩きつけた。
孔は不安定さを増し、その輪郭が揺らいだ。
その瞬間に、少女は斬撃見舞った。
大剣の振り下ろしは、巨大な滝の瀑布を思わせた。
そこに更に、左手で大剣を掴んだままに残る右手を盾の内に滑り込ませる。
そして勢いよく引いた動作は、横薙ぎの一閃となって煌めいた。
一閃により、人一人が微かに通れる隙間が空いた、と見えた瞬間に少女はその中へと滑り込んだ。
女性とエイと、そして東洋龍も自らを光の粒子に変えて少女が握る大剣に宿り、彼女の後を追って行った。
「…ここは」
少女は、暁美ほむらは自らの置かれている状況を見た。
そこは広大な空間であり、自分はその一角に存在している。
服装は魔法少女の姿であり、その全身を光輝く糸か何かが覆っている。
特に手首と足首を縛られて輝く壁面に拘束されており、磔刑とされていた。
そして首を傾けると、そうなっているのは自分だけではないことが分かった。
輝く壁面はまるで生物の体内のようにも見え、そこには複数の存在が拘束されている。
自分と似たような様子であったが、それらはより全身が光の糸で覆われている。
閉じられた瞼を眼鏡が覆い、長く伸びた三つ編みがだらりと垂れ下がっている。
様子ではなく、姿も酷似どころか同一であった。
眼鏡を掛けて、三つ編みをしていた頃で、守られる立場であった時の自分が至る所に拘束されていた。
数えてみた限りで、その数は十二体。
自分を含めれば十三体。それは、時間遡行の数に等しかった。
「そう…そういうこと」
暁美ほむらは、かつての自分達を見渡しながら呟いた。
「ここは、貴女の心の中なのね」
大量の自分が拘束されている光景に、暁美ほむらは冷静だった。
これと似ていて、そして更に悍ましい光景を既に観たからであると彼女は思っていた。
そしてその光景と似ているこの状況から、今起きている事態を察した。
「私を忘れられないけど、忘れようとしているのね。貴女の存在は、私が生み出してしまったようなものだから」
自分が時間遡行を繰り返した事で、鹿目まどかを人間から神に祀り上げてしまった。
暁美ほむらはそう思っている。
更に言えば、彼女にその選択肢を押し付け、それを為すための力を与えてしまったとも。
「切り離したいけど、私がいたから今の貴女があるから切り離せない。だからせめて、極力見ないように閉じ込めている」
彼方へと向かった存在が、鹿目まどかを女神へと昇華させた存在。
女神の意思とでもいうべきものであることは、ここに赴く前に気が付いていた。
「それが貴女が世界を守る術なのね」
その存在について、暁美ほむらは自分でも驚くほど冷静に存在を認識していた。
原因は、他ならぬ自分が彼女を引き裂いたからだと、彼女は自覚している。
「私はかつて、貴女の世界を壊したわ」
その事実を暁美ほむらは口にした。
「そして今一度、貴女の世界を壊してあげる」
血を吐くような声で、暁美ほむらは言った。
その顔には、苦痛しか浮かんでいなかった。
拘束を強引に払いながら、彼女は左腕を掲げた。
左腕に装着された盾が、煌々とした光を発した。
そして盾から放出されるのは光だけではなかった。
眼を背けたくなるほどに毒々しい、闇の奔流も溢れ出していった。
「あなたの世界もね」
そう呟いた時、暁美ほむらの顔から少しだけ苦痛が減っていた。
貴女ではなく、あなたであり、その対象は女神の意思とは別であった。
減った分だけ、別の感情が付与されていた。
それは蠱惑な笑みを伴った、悪意の感情にも見えた。
「私達の、この宇宙の創造主と、そして女神の意思よ」
突き出した左手の盾から放たれる光と闇は、周囲の拘束されている暁美ほむら達も飲み込んでいく。
そしてやがて、この周囲の空間を巻き込みながら、光と闇の混沌は形を成していった。
「被造物である私達が、創造主である貴方達を救ってあげるわ」
混沌は、その発生源たる暁美ほむらをも飲み込んでいく。
「それが、私達の叛逆よ」
形を成していく混沌を前に、暁美ほむらは悪魔のように微笑んだ。
闇で覆われた空間の中で、鋭い鋭角が光を放つ。
それが眼であることは、空間の先をじっと睨んでいる事からも明らかだった。
胸の内から解き放たれる熱。
それを前に、女神の意思は鹿目まどかという少女の姿で見悶えた。
悶える中、彼女は見た。
薄い胸の上から沸き上がり、迸っていく光と闇、即ち混沌を。
それが自分どころか、自分が搭乗しているマジンガーZをも飲み込むのを。
闇とはブラックホールのようであり、光とは形を成していく成分であった。
女神の意思とマジンガーZの姿が飲まれ、別の姿に置き換わっていく。
先ほどと似た、そして異なる現象が起きていた。
異変を前に、無数の虚無のマジンガーZと鹿目まどかの幻影達も動きを止めた。
「中々笑える状況ね。ちっとも面白くないけれど」
光と闇の中から声がした。
同時に混沌が弾け、明確な形が露わとなった。
「本物でないのは分かっているけれど、貴方達には思う事があるから手加減はしない」
それは一対の剣を携えた、もう一体の魔神であった。
「暁美ほむらとグレートマジンガーが相手になるわ」
偉大な勇者の操縦室に座し、操縦桿を握りながら暁美ほむらは言った。
同時に、無数のZと鹿目まどかの幻影も動きを再開させた。
虚無の熱線や拳、虚な光の鏃が飛び交う中、無数の影達へと極大の雷光が降り注ぎ、偉大な勇者の剣戟が見舞われていく。
女神の意思は、その様子をじっと見ていた。
存在自体は暁美ほむらの中、魂を司る宝石の中にあり、彼女の視界を自らのそれとして世界を観ている。
また同じく、グレートに備わった観測機器により戦場を把握していた。
自分の代わりに戦う暁美ほむら。
それはまさしく救援であり、間違いなく彼女にとっての味方である。
だがしかし、それでも彼女は違和感を覚えていた。
湧き上がる、または新たに発生していく感情に心の整理がつかなくなっていた。
そして彼女の心の奥で、何かが蠢いていた。
それは力の揺らぎであり、虚無の意思とでもいうべきものだった。
虚無は女神の意思を通じて世界を観ていた。
正確には、ある存在を凝視していた。
―――グレートマジンガー…
その存在は、名を唱えた。
その時に、虚無の意思は己の中の一つの感情に気が付いた。
それは万物を焼き尽くし、痕跡をも残らず消し去らんとするような、激烈なる怒りであった。