振り下ろされた拳が砕け、その後に続く腕も崩壊していく。
巨大な黒い拳を受け止め、更に握り潰したのはより黒く大きな拳であった。
グレートマジンガーの操縦席に座す暁美ほむらの盾から漏れた光が、巨大な腕と拳を形成していく。
それはグレートの頭部ごと暁美ほむらを粉砕したであろう、終焉の魔神の右腕を砕くや一気に全身を露わにした。
マジンガーZを基調とし、より凶悪な姿と戦闘力を有する『終焉の魔神』。
その魔神よりも、その存在は更におぞましい姿をしていた。
全体的な形自体はそう変わらない一方、より成り果てたような、それでいて洗練された姿をしている。
それは限りなくマジンガーZに近く、そして果てしなく遠い姿であり、本来の姿を冒涜しきったかのような得体の知れない恐ろしさに溢れている。
その姿と恐ろしさを、暁美ほむらも言語化する術を持っていなかった。
だが、今この存在に救われたことは事実であった。
「遅かったわね」
恐ろしさを拭うように、暁美ほむらは敢えて挑発的な口調で言った。
それでも、語尾が上擦っていたように感じられた。
そう言った時に、終焉の魔神は残る左腕を振り下ろした。
悍ましい姿の魔神は迫る拳を一瞥した。その瞬間、終焉の魔神の肘までが消えていた。
何が起きたと思う頃には、腕に次いで上半身が消えていた。
バリバリという咀嚼音と、おぞましく動く髑髏の口から暁美ほむらは何が起こったのかを知った。
口内の血を拭いながら、彼女はその存在の名を唱えるべく口を開いた。
その時には既に、終焉の魔神は喰らい尽くされ跡形も残っていなかった。
「ZERO」
名を告げた瞬間、ZEROの名を持つ魔神は暁美ほむらの方を見た。
形容し難い感覚が、暁美ほむらの体と感覚と、そして魂を包んだ。
金色の眼に、そういった効果があるのではない。
その存在を真っすぐに見ただけで、根源的な恐怖が湧き上がってくるのだった。
改めて造形を確認すると、その異様さがよく分かる。
原型としてのマジンガーZを大量に屠ったことで、違いがより実感できるのであった。
マジンガーZは一目でロボットであると分かる。
それが変異した終焉の魔神も、変貌してはいるがロボットの延長線にいる。
だがZEROは違う。
機械であることは間違いないのだが、体形がより人間に近くなっている。
血肉の通った存在を、マジンガーZの装甲で覆ったような。
そんな非現実じみたような、悪夢めいた造形に思えるのだった。
この嫌悪感は、同族嫌悪にも近いと彼女は思った。
自らの内に存在する何かによって変貌するという事象は、あまりにも身近すぎた。
―――手間を掛けさせて、申し訳ない
それに相反して、脳裏に響くのは誠実な意思であった。
ああ、と彼女は思った。
紛れもなくこの存在はZEROであり、偽物などではないと。
―――似合っている。とても良く
―――心なしか、グレートも嬉しそうだ
こちらが何かを言う前に、あっちの方から意思を伝えて来た。
内心の動揺や考えも見透かされているのだろうと思った。
何しろ、相手は神である。
それも、並ぶものが存在しない絶対神にして
「どんな心境の変化かしら、私達の創造神」
―――その呼び名には同意しかねるが、私をどう認識するかは自由だ
「相変わらず傲慢で元気そうね。安心したわ」
―――心の安息が得られたのなら何よりである
敢えて悪魔的な口調と態度で接するが、そうでもしないと心が持ちそうになかった。
段々と不安は減っていくが、体感的に数日会っていなかっただけで、心底からこの存在が恐ろしい。
こちらに配慮した口調も思考も本心であり、その裏に打算性など無いというに、そしてだからこそ恐ろしい。
神という言葉と概念が、真なる意味でそこにあると突き付けられる感覚が、どんな表現を用いても表せない不安感と恐怖を与えてくる。
―――ついでに余計なお世話をさせていただく
輝く眼が一瞬、更に強い輝きを放つ。
眼を細める間もなく、終わったそれが何を意味していたのか、暁美ほむらは全身の痛みの喪失によって気が付いた。
ザクロのように爆ぜていた舌も頬も、滑らかな表面となり新しい歯も生えている。
そしてグレート本体も完全修復されていた。
―――貴女達の傷付く姿は、お節介ながら見たくはない
―――傲慢な神の我儘と思っていただけたなら幸いだ
我儘な小娘としての皮肉を言うべきか迷ったが、彼女は一旦口を閉ざすことにした。
強がりによる恐怖の逃避より、この存在に慣れた方が良いと思ったのだった。
そしてこの強がりとは、逃避に加えてもう一つの感情によるものだと自覚した。
それは、嫉妬である。
自分よりも上位の存在に対しての、自分の無力感を突き付けられること。
そしてこの存在に、女神の意思が執着していること。
女神自身がどう思おうと、暁美ほむらにとって彼女も鹿目まどかなのである。
―――では、そろそろ始めよう
「何を」
―――最後の戦いを
反応する間もなく、再び魔神の眼が輝いた。
「魔神」
気付かぬうちに、彼女はその言葉を呟いていた。
ZEROに感じていた恐怖の正体に、彼女は気が付いた。
マジンガーZとグレートマジンガー、そしてマジンカイザーは魔神の名を冠する機械である。
しかし、この存在は違う。
正真正銘の、魔神であると。
眼の前に、いや、取り巻く世界の全てを光が包んだ。
虚無で満ちた世界を、煌々たる輝きが駆逐していく。
微細に見える光の炸裂の一つ一つが、幾重にも折り重なった並行世界と宇宙に等しい空間を、虚無を完膚なきまでに粉砕しているのが分かる。
その事象が、自分が感知できる限界までの領域を、更に近く不可能な領域にまで及んでいる事が分かる。分かってしまう。
これに似た光景を、彼女はかつて観た事があった。
世界が蹂躙され、改変されていく光景が事象としては最も近い。
鹿目まどかの願いの結晶を引き裂き、自らの願望を宇宙に課した際の光景に。
だがそれは、雨粒の一滴が弾けた事と、宇宙開闢のビッグバンの炸裂を同義と捉えるような比較に等しいと思えた。
万物を覆い尽くす光の炸裂は、先ほど自分を癒した魔神の両眼から発せられていた。
既に放射は終わり、光の残滓が僅かに両眼に宿っている。
「光子力…ビーム……」
ZEROが発したのは、正に光子力ビームである。
無限の形を彷彿とさせる輪の連なりの形で形成された直線が通った個所は勿論の事、着弾した部分から枝分かれした破壊の閃光が世界を覆っている。
桁違いどころか別物の威力であった。
ビームという表現が正しいのかすら疑わしい。
―――やはり、浅いか
―――焼け石に水とはよくいったものだ
魔神は意思を発した。
淡々とした、無感情な様子で。
「…え?」
言葉の意味どころか、言葉の概念すら、自分の中から消え去ったような感覚の中、暁美ほむらは呟いた。
―――この宇宙が生まれる以前から存在する古きもの
―――神を、万物を喰らう恐るべき虚無
何を言っている。
それが暁美ほむらの頭蓋の中で反響していた。
全知全能の創造神が、そんな意思を発するとは。
悪夢が見る悪夢のような、最悪の冗談に聞こえた。
―――魔でも神でもなく、よりおぞましきもの
その意思は、自分への問い掛けだと彼女は思った。
以前にも、同じ経験をしたからだ。
恐怖に心を慄かされながら、彼女は頷いた。
恐怖とは恥ではない。
それを知らないものは、単なる愚かか無知であるかだ。
戦うのなら、その存在を知るべきだと暁美ほむらは決断した。
―――時天空
―――それが奴だ
「…そ、れは」
意識が混濁する。
虚無と自分の境目が曖昧になる。
肉体と精神が分断される。
生きながら解剖されていくような苦痛の中で、彼女は言葉を絞り出す。
「あなたと、ラ…グースの…親戚、かしら」
かつて遭遇した、最もおぞましき存在の名前を彼女は敢えて口にした。
それは苦痛を別の苦痛で紛らわす行為であった。
文字の羅列と音だけで魂が汚されるような、文字通りの邪神の名を。
―――恐らくは
「!!!!!!」
魂が冒涜される感覚は幾度も味わったが、ここに来ての苦痛の連続はあまり経験がない。
心が壊れ切らないのは、あまりにスケールが大きすぎて精神への衝撃が恐怖か驚愕か、何に該当するか分からないからだ。
―――原初の始まりから存在し、そして各々が世界へと、宇宙となった
―――その中で、奴は最も広大な空間を己という存在で覆っている
―――何も作らず生み出さず、ただ浸食を続けるだけの存在だ
魔神の意思の口調は、天気や法則を語るに等しい淡々さがあった。
―――つまりかつての私と同様の、どうしようもなく、つまらなく下らない存在だ
口調は変わらない。
だがそこには、隠しようもない嫌悪と憎悪が満ちていた。
―――奴はここで倒す
―――貴女達を、奴の手には渡さぬ
力強い、という言葉では到底足らぬ魔神の決意に、暁美ほむらは心の平穏を取り戻しかけていた。
しかし、魔神の言葉に違和感を覚えた。脳内で思考を巡らせると、恐ろしい予測が湧いてきた。
「…あれも、時天空も……」
どうか違っていて欲しいと思いながら言葉を紡ぐ。
「まどかが…呼んだの……?」
―――そうだ
魔神は肯定した。
処刑宣告に等しい言葉であったが、暁美ほむらの中で別の感情が湧き始めた。
「なら…戦うしかないわね」
力強く、出来るだけ強く彼女は言った。
操縦桿を握る両手が軋むが、そこには既に恐怖の震えは無い。
骨と肉を軋ませるほど強く握り、強引に恐怖を闘志に変えていく。
そしてこれは、けじめでもあった。
自分達から遠ざける為に、魔神はこの存在を単騎で相手取っていた。
自らも虚無の存在となって外部からの関係を絶ち、永遠にただの事象として存在し、封印し続ける為に。
その封印を自分達は破ってしまった。
彼方へと去った魔神が消し去った痕跡を、好奇心と欲望に駆られて辿っていき、遂にはここに来てしまった。
その結果が自分達の世界どころか宇宙滅亡に瀕する事象になるとは、思ってもみなかった。
だからこそ、彼女はこう言った。
「最初から、私達に協力を乞えばよかったのよ」
自分の何処にこんな度胸があったのかと、言いながら暁美ほむらは驚いていた。
滅茶苦茶な言い分なのは分かるが、それでも言わずにはいられなかった。
―――では改めて、ご助力願いたい
そう告げられた瞬間、視界に異変が生じた。
視界に無数の亀裂が入り、見るもの全てが切り刻まれた。
それは、ZEROの名を持つ魔神も例外ではなかった。
―――奴の動きが再開した
―――我々を、それぞれ別の領域に誘うらしい
その状態で、魔神は平然と告げた。
一方で暁美ほむらは時天空の力に戦慄した。
何の予兆も無く、その存在は魔神に対して力を奮い、そして干渉に成功していた。
―――私は奴の核を叩く
―――露払いを願いたい
魔神の言葉に、暁美ほむらは自らの役割を理解した。
「雑魚狩りということね。慣れてるわ」
もう幾度目か分からないほどの、強がった発言であった。
これから対峙するものは間違いなく、自分がこれまで遭遇してきた雑魚どころか敵の中で最悪の存在であろうにと。
「そちらこそ、あの子を頼むわ」
―――了解した
そのやり取りを最後に、魔神の姿が消えた。
何の前触れもない、完全な消失だった。
虚空の中、暁美ほむらは取り残された。
確実に存在しているのは、自分とグレートマジンガーだけの虚無の世界に。
「強がりなのは、私だけではなかったみたいね」
その中でぽつりと、彼女は独り言を漏らした。
先ほどまで傍らにいた魔神の背には、絶対的な力を示す巨大な翼が存在していなかった。
―――なるほど
虚空の彼方、ZEROは一つの存在と対峙していた。
それはZEROによく似ており、そして全く異なっていた。
―――そう来たか
ここでも変わらず淡々と、そして敵愾心に満ちた意思を魔神は発した。
魔神の視線の先には、もう一体の魔神がいた。
それは虚空に聳える、くろがねの城。
時天空の核と称した存在は、マジンガーZの姿を以て魔神の前に顕現していた。
―――では、始めよう
魔神のその言葉は、相手ではなく自分に向けられていた。
自分の中に存在する、もう一つの意思に向かって。
女神の意思は、魔神の言葉に頷いた。
魔神の視線に己の感覚を宿し、同じ眼で相手を見据える。
そして、最後の戦いが始まった。