白い少女と、黒い少女がいた。
片方は花嫁を思わせる衣装を、もう片方は奇術師か従者を彷彿とさせる衣装を纏っていた。
主従のような二人は、広い庭に設けられた椅子に座り、テーブルに置かれた紅茶と菓子を賞味していた。
少女達は人の形をしていたが、眼鼻は無く、人形のような滑らかな体表をしていた。
それが無音で動き、無言の会話を繰り返している。口元に寄せられるティーカップの中身は無く、傾けては戻し、また傾けるのを延々と繰り返している。
同じ動きを延々と繰り返す。異常な光景だったが、両者はどこか幸せそうだった。
二人だけで完結している世界。それが二人の理想であるかのように。
その二人から少し離れた位置に、道化のような姿の少女がいた。何かを伺っているのか、物陰に身を隠している。
その三人を、眩い光が包み込んだ。それは無色の空を貫き、遥か彼方から飛来していた。
自らに何が起こったのかを悟る時間も無かっただろう。着弾した光は炸裂し、何もかもを消し去った。
世界の何処かで、思念が生じた。暗闇に満ちた世界の中、それは闇に異を唱えるかのように煌々と輝いていた。
それは光の文字で示されていた。
別の場所では、博物館に集う少女達がいた。収集されたテディベア達の前に、人形のような少女達が集っている。
光は博物館の屋根や壁を貫き、少女達へと正確に命中した。そして、光が全てを包み込んだ。
少女達の名前が光となって浮かぶ。
その光の傍らを、新たな光が飛んでいく。螺旋を描いた光は、互いを砕き合うかのように互いに抱き合い、やがて弾けた。
弾けた光は更に枝分かれし、更にそれも分かれ、無数の光弾となって飛翔していく。
光の弾は、あらゆる場所に向かって飛んでいく。
暗黒の世界は既に光によって制圧されていた。
光の中心には、巨大な姿が佇んでいた。
光を放っているのは、黒鉄で全身を構築した機械の神だった。その背面には、無限と終焉を意味する円環の翼があった。
神が光を放つのは、頭部に空いた二つの鋭い切込み。
人間でいう、眼に当たる部位である。
それは破壊と殺戮に狂う狂気の光か。或いは別の何かか。
確かなことは、その光の矛先が破滅を迎えている事だった。
嘗て青い輝きで満ちていたその惑星は、既に破壊と破滅に満ちた世界と化していた。
海は干上がり、大陸は沸騰している。
少女達を消滅させた光は地表を貫通し、惑星の裏側に抜けていた。
それでもなお、光は止まらなかった。
虚空を貫き、遥か彼方まで光は飛んでいく。
その先にも世界があり、少女達もいるに違いない。
黒鉄の神の言葉通りに、最後の一人に至るまで、全てを滅するまで光の蹂躙が終わることはないのだろう。
「鹿目まどか」
魅惑的なだみ声が鳴った。それは喉を震わさず、どころか体の何処も動かさずに発せられていた。
「素晴らしい手つきだ。出来栄えは見なくても分かる。先ほどよりも上達している。私の顔に描かれているのは、天上の美に違いない。いや、美という概念自体がそうあるように変化すべきだ。きっとそうだ、そうしよう」
表する少女の前には、同じ顔で異なる服の少女がいた。
制服姿の鹿目まどかは、椅子代わりにしたコードの上に座るもう一人の鹿目まどか…マドカとでも呼称すべき存在に化粧を施していた。
マドカは作業中、体を全く震わせず、常に励まし…のような言葉を延々と言い続けていた。
言葉選びや内容は無駄にスケールが大きく、鹿目まどかも少し困惑していた。
ただその困惑は褒められたことによる嬉しさからのものだったので、彼女の創作意欲は燃え上がっていた。
その表情は真剣そのもので、可愛らしい額には汗が珠となって浮いている。
それを拭い、鹿目まどかは出来栄えを見た。感覚にして一時間ほどをかけた力作だった。
最初は満足感が心を満たした。
しかし二秒経つと、疑問が渦巻いた。色の配置、化粧の糊り具合、完璧に思えていた全てが「これは違う」と叫び始めた。
「もしよかったら、私にも見せてくれないだろうか」
マドカは言った。声は相変わらずだみ声で、機械が出しているような声色だったが、それでも内に秘めた期待が滲み出ている。
その顔を、鹿目まどかは布で拭った。丁寧に丁寧に、決して傷を付けないように。それでいて一筋の痕跡も残さないように。
絵心には少し自信のある自分であったが、やはり上手くはいかなかった。
誰のように上手く出来なかったか、と考えた時、少女の手が止まった。
脳裏には自分より背が高く、髪の色が濃い、美しい女性の姿が浮かんでいた。ぱっと浮かび、ぱっと消えた。幻のように。
実際、それは幻である。彼女が見た存在との自分の間には繋がりがない。
失われたのではなく、最初から存在していないのであった。
鹿目まどかは顔を拭った。
袖を濡らしたのは、汗だけではなかった。
「鹿目まどか。少し休んではいかがだろうか?勿論、これは私の勝手な提案であり決めるのは貴女だが」
布越しにだみ声が去来する。丁寧であり堅苦しく、聞き方によっては結論を急いでいるかのような口調だが、そこに厭味はなかった。
なので鹿目まどかは、その提案に同意することにした。
マドカの右隣に鹿目まどかが座る。スカートの裾を正しての、行儀の良い座り方だった。
並んだ二人は、身長も完全に同じであった。異なるのは制服か、黒シャツか藍色のスリムパンツかの違いしかない。
しかし、発せられる雰囲気がまるで異なっている。外見が同じだけに、それは異様なまでに際立っているのだった。
それを鹿目まどかも感じていた。
もじもじと体を動かし、どうしたものかと考えている。
「如何された」
マドカが問うた。鹿目まどかは少し困ったようだった。
声を出そうとしたが、先ほどからどうにも上手くいかない。舌はあるのだが、喉が声の出し方を忘れているような感覚に陥っている。
「御意見を仰りたいなら歓迎しよう。何でも遠慮なく思うと良い。質問があれば可能な限り応えよう」
言う、ではなく思うと言った。
ならばと鹿目まどかは思った。すんなりと受け取りすぎであったが、この存在からは敵意が伺えなかった。
彼女にとっては、今はそれだけで信用に値した。
思念で言葉を描くと、マドカの眼が少しだけ吊り上がった。
「私が」
冷静な声だが、少し震えているような気がした。
「貴女は、私が自分の姉に思える…?そんな…私には…不遜に過ぎる」
今度は明らかに声が震えていた。だがその震え方は、どこか機械的だった。
震える周期が同じというか。それでも、それは動揺に他ならなかった。
「貴女の意思を否定する訳ではないが、何故私を年上と?」
マドカの問いに鹿目まどかは答えた。マドカは首を傾げた。
「そう、なのか?だから私は年上のようだと?それで、姉と?」
鹿目まどかは頷いた。しかし自分で言った事は少し外れていたなとも思っている。
この存在は自分と同じ姿で、口調は固く態度には余裕がある。
時折困惑しているが、それでも泰然と構えている様子は崩れない。
だから目上の存在で、且つ自分と同じないしは酷似した姿なので『姉』という表現を用いたのだった。
だが、見てみるともう少し上の年のように思えてくる。
となると、それが当てはまるのは。
そう思ったとき、鹿目まどかは脳内に電球が輝く様子を幻視した。ピッコーンというやつである。
「失敗した。もう少し幼くしておけばよかった。そうすれば無駄な不安を与えることは無かったのに」
両手で顔を抑えて、意味不明な事象を嘆くマドカ。鹿目まどかはその両手首を優しく握ると、両手を顔からそっと剥がした。
なんの抵抗もなく手は退けられた。現れたマドカの顔は、平静そのものだった。
「その表情」
マドカの声の調子が変化していた。魅惑のだみ声が抑えられ、少し低めの音程に変わっている。
先ほどの発言からすると、年少者の声にしても良さそうなのだが、本人は気付いてなさそうである。
多分、構われて嬉しいので思考がバグったか何かだろう。
「そうか。何かを思い付かれたのだな」
マドカは言い、鹿目まどかは自信をもって頷いた。
「ならば、貴女の望むがままに」
貴女の望みが私の望みと、少し前にマドカは言った。鹿目まどかもそれに応えたかった。
相手からの期待とは、時に呪いのように自らを縛る。
鹿目まどかは、それを身をもって思い知っている。胸が痛まない時はないくらいに。
だから、という訳ではないが、鹿目まどかは全力を尽くすことにした。
手に取られたのは、真紅の塗料によるアイライナー。
思い描いた姿はシンプルだった。難しく考える必要は無かった。
『女は外見で舐められたら終わりだよ?』
嘗てそう言われた。
自分だけが覚えている記憶の中で、女性の姿をしたものがそう言った。
指をゆっくりと動かし、真紅を肌の上に塗る。
鹿目まどかは真っすぐにマドカを見ていた。
意識の中では、この存在は自分よりずっと年上に見えた。
同じ姿だが、中身が違う。
生きてきた時間が違う。それは中学生として生きた時の感覚ではなく、高位の存在となってからの意識と比較しても、そう思えてしまうのであった。
だから、眼で見る姿と心の中の姿が乖離していた。
マドカの姿は変わらず、意識の中で変化していく。
自分よりも遥かに大人びていて、とても似ていて、それでいて異なる姿に。
それは自分の形を生み出すために、愛する者と愛し合った者の形となっていた。
きっと、これが似合う。そう思って鹿目まどかは朱の色を丁寧に走らせた。
それは、眼の下を縁取った真紅のアイラインだった。
可愛らしい顔つきに強い意志が足された。彼女はそんな気がした。
ほんの少しの変化だが、大きな変化に思えた。
「とても上手だ。素晴らしい」
抑揚を抑えた声には、だみ声が混じっていた。
それは恐らく、動揺だったのだろう。感情の種類は恐らく、感動である。
その時、鹿目まどかは何かを感じた。
自分が赤いアイラインを施した自分に似た姿に、どこかで見覚えがあった。
赤い目の縁取りが、何故かとても懐かしい。幼少期に化粧道具を悪戯したときだろうか。
或いは、何かのキャラクターを思い描いたときだろうか。
何故だろう、という疑問が湧いた。
疑問は頭の中で渦を巻き、視界が急速にぼやけていく。
止めようと思っても止まらなかった。
心中に不安と焦燥感、そして恐怖が巻き起こる。
止まらない。回り出した歯車のように、坂道を転がり続ける輪のように。
追憶の衝動が止まらず、止められない。
膜が張ったような視界の中で、鹿目まどかは求めるように手を伸ばした。
それはマドカの眼に触れた。瞬きもせず、マドカは鹿目まどかの両手が両目に触れることを許していた。
マドカの眼球に触れる鹿目まどかの指先が捉えていたのは、ガラス珠のような感触だった。
「すまない、鹿目まどか」
マドカの声が届いたとき、鹿目まどかの体が前に倒れた。
両手も下がり、下方に流れる。
紅いアイラインが枝分かれし、下へと伸びる。
それはまるで、血の涙を流しているかのように見えた。鹿目まどかは気を喪う前に、そう思った。
『それを見てはだめ。それを思い出してはいけない』
何処からともなく、気を喪う瞬間にその声が聞こえた。それは遠く、そして近くから聞こえたようだった。
それは悲痛な声だった。
意識が消えていく中、体内でどぐんと何かが高鳴った。
脈動したそれは心臓であり、肺であり、胃であり腸であり肝臓であり膵臓であり、骨であり血管であり。
そして、命を育む袋であった。