『………』
女神の意思は世界を巡る。
世界とは、万物が死に至らしめられていく様であった。
ZEROの名を持つ魔神は世界そのものとなり、時間と空間を操作し夥しい数の地獄を宇宙にもたらした。
自分以外の万物の存在を認めず、自分が世界そのもので無くては気が済まず、そうなってもなお永劫の時間を費やし世界を食い潰す。
最悪を超えた最悪の世界の中で、兜甲児とマジンガーZ、そしてミネルバX達は抗い続けた。
やっと手にした平和でさえも、更なる地獄の呼び水に過ぎず悲劇と惨劇に際限がない。
そもそも、彼ら彼女らの存在自体がZEROが用意した宇宙という舞台の上で、ZEROが描いた脚本の通りに踊る演者であり愚者であった。
兜甲児達には最初から勝利の可能性など存在せず、彼らは未来永劫に破滅と絶望を繰り返し、やがてはZEROという神に還ってまた同じ役割を負って生まれ直すだけの存在に過ぎなかった。
ZEROとは、最悪のという言葉の権化。
人が思い描いた地獄や残虐行為など、到底及びもつかない邪悪な存在だった。
そう思った上で、女神は言葉を発した。
『………私と、同じ』
呟いた時も、世界は進んでいた。
周囲の空間と女神の知覚で認識されているのは、勇者を超えて皇帝となったグレートが、地球ごと粉砕された場面だった。
「我ながら、この光景には呆れるわ」
グレートのコクピットの中で、暁美ほむらは言った。
言葉というものを久々に使ったため、舌は痺れていて口内は乾いていた。
随分と長い事、彼女は動きを止めていた。
コクピットから覗く景色は、一面の闇だった。
どこにも光は無く、赤黒い血膿のような闇が満ちている。
闇の正体は、暁美ほむら自身の心の現身だった。
彼女がかつて、魔女となりかけた時に生み出した呪いの海。
それが複製され、幾重にも折り重なったもの。
複製とオリジナルに差はなく、今の彼女は自らの呪いによって拘束されていた。
高次元存在となった彼女ではあるが、相手の力はあまりにも圧倒的に過ぎていた。
「時天空………」
恐るべきものの名を、彼女は敢えて口にした。
字で思えば、これ以上の存在はないと思えるような名前だった。
実際、魔神から聞いた話からしてもそうだった。
自分の手に負える存在ではなく、それに歯向かった結果、今この状況に陥っている。
当然のことが起きている。ただそれだけのことだった。
今の状況を例えるなら、途方もなく巨大な生物に喰われて胃袋の中におり、消化を待っている状態だろう。
それが例えではなく事実であることも暁美ほむらには分かっていた。
「付き合わせて悪いわね、グレートマジンガー」
重苦しい気分の中で、暁美ほむらは乗機に謝罪した。
グレートからの反応はない。
偉大な勇者の名を冠された機体は、ただ静かに動かされる時を待っている。
暁美ほむらの両手は操縦桿を握っているが、その腕に動きはない。
周囲を覆う自らの感情が、呪いが、距離を隔てていても暁美ほむら自身に沁み込み、彼女の動きを奪っていた。
このままでいいとは思わないが、行動に至るまでの思考が阻害されている。
今の彼女の脳裏には、自らの辿ってきた光景や記憶がフラッシュバックしていた。
それは万華鏡のように同時に無数に、そして視覚だけではなく音に苦痛、その場の空気の匂いまでもが完全に再現されていた。
そして苦痛だけではなく、ループの中で僅かにあった楽しい思い出の快い感情までもがあった。
自分の心が、魂までもが時天空に掌握されているのだと暁美ほむらは知った。
それが、暁美ほむらには恐ろしく感じた。
時天空の存在に、悪意や敵意、それどころか意思すらも感じない。
ただ現象として自分達に接し、自分達はその圧倒的な力に触れて蹂躙されているだけであることに。
この呪いの再現も、時天空の力に接したことで自分が勝手に引き起こしたことであると思った。
「私が一番嫌いなものが何か、私が一番よく知ってるわ」
指一本動かせない状態ながら、口だけは動かせることに彼女は己を呪いたくなった。
周囲がそれで覆い尽くされている現状でのその思いに、彼女の口からは乾いた笑い声が断末魔のように溢れた。
「一瞬にしてマジンガーZは敗北するだろう」
兜甲児の姿をした少年が、淡々と語る。
彼は巨大な黒い立方体に乗り、彼方の光景を見ていた。
それは、荒廃した世界でマジンガーZとZEROが対峙する場面であった。
「兜甲児がこれをやるのは既に数億回を超えている」
無感情に告げる彼の眼には、圧倒的な力に蹂躙され、崩壊寸前となったマジンガーZと瀕死に追い込まれた兜甲児の姿が映っていた。
既に動かず、辛うじて宙に浮くだけとなったマジンガーZを、巨大な手が掴み取る。
荒廃した地表で戦いを見守っていたミネルバXが、その光景を前に絶望の表情で空を見上げる。
そしてZEROの名を持つ魔神は、巨大な口でマジンガーZと兜甲児を喰らった。
全ての希望は、この時に絶えた。
その様子を、女神の意思は無言で見つめた。
この光景を観るのは二度目だが、心は張り裂けんばかりに痛かった。
『やっぱり』
女神の意思が言葉を発する。
思った事が、そのまま彼女の口から出ていた。
『私と、同じ』
言い終えた時、女神は胸の痛みが引いていくのを感じた。
抑えた胸の奥にある、心臓に相当する部位の鼓動が安らかになっていく。
客観的に見て、女神はそれは異常であると思った。
世界を蹂躙する存在を観て心が癒されるなど、それは悪にも劣る邪悪ですらない異形の精神にしか思えない。
理性ではそう思いつつ、本能では違っていた。
それは自分もまた、世界を蹂躙していた存在だからという自覚があったからだった。
鹿目まどかは魔女のいない世界を望み、女神である自分がその願いを叶えた。
それは既存の世界を書き換え、多くの世界を消し去ったが故に生まれた世界だった。
自分が望む世界以外の存在を認めず、神となって君臨する。
魔神と自分に違いはなく、どちらも世界の蹂躙者に他ならない。
だからこそ、女神は安堵を覚えていた。
自分よりも多くの世界を破壊し、掌中に収めた魔神を見た事で、自分の心が軽くなる感覚があった。
それがどれだけ罪深いものかは分かっていても、それでも心は安らぎを得ている。
鹿目まどかであることをやめた自分は孤独であるが、それでも近い存在がいることに同族意識のようなものを抱いていた。
そしてこの思いに至ったのは、無慈悲な破界神である筈のZEROが自分達を助けてくれたからだった。
暁美ほむらに敗れ、知らずの内に自分は力を求めていた。
その結果呼び寄せられた神々に、自分は全くの無力だった。
それを救ってくれたのがZEROだった。
力の差を考えれば、ZEROが宇宙全体なら自分は細菌程度。
文字通り次元が違う存在ながら、言葉を使い過去の出来事も隠さず告げた。
一貫して自分達の為だけに行動し、圧倒的な力を奮う。
それに自分が魅せられるのに、そう時間はかからなかった。
世界の蹂躙者であるのはあくまで過去であり、今のZEROではない。
何故そうなったのか、女神は知りたくて堪らなかった。
そして、ここまでの出来事は以前既に観た。
残りの世界を観測する前に、暁美ほむらによって中断されたのだった。
彼女が今どうしているのか、女神の意思は不安を感じた。
その感情を抱いたまま、彼女は先に進むこととした。
鹿目まどかを通じて自分が知る暁美ほむらであれば、今も戦っている筈であり、自分もまた戦いの渦中にいる。
無事と勝利を祈りながら、女神は更に深く意識を魔神の内へと沈めていった。
「これでもう、何周目かしら」
暁美ほむらは呟いた。
彼女とグレートの周囲は暁美ほむらから生まれた呪いで満ち、動きと思考の中には絶望の光景が滲んでいく。
脳内で繰り広げられる自分の行動とその結果を、暁美ほむらは延々と観続けていた。
万華鏡のように同時に展開されていたそれはいつしか、物語のように、まるでテレビアニメや映画などのようにして彼女の思考の中で流れていく。
暁美ほむらはそれを、自分の脳が思考の繰り返しになり、情報の整理の為に行っている事だろうと思った。
寝ている時に、脳が情報を整理するために働き、その結果として夢という物語が描かれるのと同じようなものであると。
感覚的にはグレートの操縦席が座席であり、風防が映画のスクリーンのようにも感じられた。
「それにしても、私は不器用ね」
繰り返される物語を観ながら、彼女は呟いた。
繰り返される世界の中で、もがき苦しむいくつもの自分が見えた。
「簡単なことですぐ泣いて、泣かなくなっても心は痛んで、そして経験は積んでいるのにいつまで経っても喋るのが下手で」
ぽつりぽつりと言葉が漏れる。
「そのくせ強情で、他人を切り捨てる事に割り切れなくて…これだったら、あなたみたいな兵器であれば楽だったわ」
剥がれるように操縦桿から手が離れ、並ぶボタンの表面に触れる。
「ごめんなさい。あなたは何も悪くないのに」
グレートは何も答えない。
言葉も無く感情も無く、意思もない冷たい鉄の感触が暁美ほむらの手先に滲む。
「思えば、あなたも散々ね」
自らの記憶を眺めながら、彼女はグレートにも思考を移す。
「魔神の複製として造られて強い力を与えられ、それでも勝てない相手に挑まされるなんて」
自分の記憶に心を削がれつつも、グレートの境遇にも悲痛なものを感じた。
偉大な勇者が挑んだ相手はあまりにも強過ぎていた。
「でもあなたは、生まれてきた理由を立派に果たしたじゃない」
暁美ほむらの記憶の中に、かつて観た光景が広がる。
それは、この宇宙が誕生した原因の光景。
今自らが操縦しているこの偉大な勇者が、停止していた世界を切り裂き宇宙開闢の礎を為した光景だった。
無数の光が虚空に溢れ、光が炸裂する。
そして無数の宇宙が生まれ、その中の一つで自分達が発生した。
あまりにも壮大で、しかし自分も高次元存在と化した為に理解出来てしまう光景だった。
そう思った事が、彼女の意識を僅かに変えた。
自らの記憶を観続ける暁美ほむらの心に変化があった。
「私も」
恐る恐ると言った風に、彼女は震える声を出した。
「こうして見ると…結構……頑張っているのね」
血を吐くように、命を削るようにしながら彼女はそう言った。
その言葉には、かなりの苦痛が伴われていた。
そして言い終えた時に、彼女自身も驚いていた。
自分の行動を、少なくともループを繰り返した事を、かなり限定的でかつ妥協してとはいえ肯定できる日が来るとは思わなかった。
自分の記憶を主観ではなく客観で見れたことで、そしてこの宇宙が発生した原因を思い出し、その呼び水となったグレートと自分を重ね合わせることで彼女は少しだけではあるが自分自身を認めることが出来ていた。
これが自分勝手で、決して真っ当ではないとは思いつつも、そして何の慰めにもなっていないと自覚しつつ、それでも暁美ほむらは自分の行動を肯定できた。
誰かに誇りたいのではない。
ただ、かつての自分の行動と、この宇宙を発生させる原因となった勇者達に報いたいと思った。
そしてそれは、彼女の中で一気に炎となって燃え上がった。
炎は闘志になり、そして力となって強い意志を彼女に与えた。
「ごめんなさい、グレート。私の長い愚痴と休息に付き合わせてしまったわね」
グレートは言葉を返さない。
ロボットであり、マシンであるからだ。
「また力を借りるわ」
そして意思無き機械であるからこそ、彼女の操縦に従い力を発揮した。
世界を圧するような呪いの海の圧力さえ、グレートは力で跳ね除けた。
動けなかったのは、暁美ほむらの心が自らの心によって傷付き抑えられていたからだった。
呪いに打ち勝ったわけではない。
過去の自分を全肯定出来たわけでもない。
ただ、幾分か心の整理がついて、動けるようになっただけだ。
そして今はそれで十分だった。
―――もちろん、何時でも手を貸しますよ
「!」
呪いの海を突き破ろうとした時に、彼女は自分以外の声を聴いた。
それは腕の盾から生じていた。
何の疑いも無く、全幅の信頼を以て彼女は盾を掲げた。
銀の盾が眩い光を放ち、呪いの闇を照らし出す。
照らされた闇の中へと光は入り、闇の中で形を成していった。
それが何であるのか、おぼろげながら見えるシルエットだけでも彼女には分かった。
その存在へ向け、暁美ほむらはグレートを走らせた。
泥濘のような呪いの海でさえ、勇者の俊足は鈍らない。
力強く跳んだ先で、彼女はグレートの翼を格納させる。
飛翔するグレートの背に何かが迫る。
それは、今格納した翼よりも遥かに巨大な物体だった。
「ブースターオン!!」
合体の瞬間、衝撃により呪いの密度が僅かに薄くなる。
現れたのは、巨大な翼を背負ったグレートマジンガーの雄姿。
『グレートブースター、合体完了です!』
グレートの背後からのまばゆの声に、暁美ほむらは頷いた。
まばゆがA-Qに造らせていたのは、これであった。
何故ここに来たとか、その他の疑問は今の暁美ほむらには無かった。
ただ今は、相棒の助力に感謝していた。
「全光子力エンジン解放!」
グレートブースターとは、グレートマジンガーの追加装備にして特攻兵器である。
しかし、彼女の認識はそれとは異なっていた。
魔神の力を最大に引き上げる、文字通りブーストする超兵器。
それが暁美ほむらの認識だった。
だが。
『そして!』
「え」
その予想は、覆されることとなった。
『ティアラエールアンドアーシュガード、分離!!』
「なっ…」
まるで場数を踏んで成長した軍人のように、まばゆの叫びは凛々しかった。
言葉の内容を確認すべく、データを見る。
暁美ほむらの認識にあるグレートブースターには存在していなかった、翼のような装飾が見えた。
『にひひ、似てましたかね?』
悪戯っぽく言うまばゆの言葉は、既に元に戻っていた。
「ええ」
呆れ半分、それでも頼もしい相棒が誇らしく、暁美ほむらは満足げだった。
そして緩やかな微笑みは、一転して戦意の表情へと変わる。
「でもまだ、あの地獄には足りないわ」
彼女の脳裏に浮かぶのは、観測した世界の一つ。
地獄を名乗る二人の狂人の姿が脳裏に浮かんでいた。
暁美ほむらは手を伸ばした。
呼応するように、グレートもまた手を伸ばす。
伸ばした先には、暁美ほむらの呪いの海が無限と思えるほどに広がっている。
それが、グレートの手へと吸い込まれ始めていった。
時天空によって無限に増殖させられた彼女の呪いが、繰り返されてきたループの記憶が勇者の名を持つ魔神へと吸い寄せられ、装甲へと沁み込んでく。
「全ての私は、今の私の糧と成れ」
傲慢なる悪魔のような口調で、暁美ほむらは言った。
眼を背けたくなるような悍ましい色彩の呪いの海の中、魔神が存在する場所だけは目が眩むような煌々たる光が放たれていた。