金色の眼の視線が周囲を泳ぐ。
空間の概要を把握し、口を開く。
その状態で、ZEROは固まった。
結局、鹿目詢子のそれと同じ形をした唇は動かずに閉じた。
言葉を控えようと、魔神は思ったようだった。少なくとも、今はまだ。
「おーい、何やってんだ」
声と共にこっち来い、とキャリアスーツが通された手が手招きをしている。
ZEROは踵を返し、そちらへ向かう。
本人も知らない内に、ZEROは口から息を吐いていた。
吐き出されたのは万物を破壊する大渦ではなく、溜息だった。
そこにいたのは、椅子に座した女性だった。
前にある長テーブルの上には、大量の本が重なっている。
かなり大きなテーブルだが、横にも縦にも書物が堆積し、女性の姿は頭頂程度しか見えなかった。
「あんたも一緒に読めとは言わねぇから、近くに座ってな。色々語りてぇんだ」
そう言って女性は自分の隣の席を軽く叩いた。
ZEROはそこに座り、横を向いた。
「飲み仲間みたいなものか」
「分かってんじゃねえか。酒は飲むのかい?」
「味は嫌いではない」
「神様が酒好きってな、本当みてえだな」
はははと、女性は楽しそうに笑った。
二人の存在は同じ顔の造形をしていた。
服装以外で違う点を挙げるなら、魔神の目元は原型の通りに赤い縁取りがあり、そして髪飾りが円環の翼の形をしているところだ。
「同じだな」
女性、鹿目まどかの母である鹿目詢子はそう言った。
しげしげと興味深気に、自分と同じ姿を模した魔神を見つめる。
「外側だけは。嫌ならば変えよう」
「変えられたらな」
にやっとしながら、鹿目詢子は魔神の言葉を迎え撃った。
ZEROは少し沈黙した。
「自ら変える気はなく、恐らく変えられぬ」
淡々とZEROは言う。
同じ姿であるので声帯も同じ機能の筈だが、声の出し方は別人のようだった。
しかし声色で同一人物と分かる声をしていた。
「嫌でないならこの姿を拝借する」
「拝借じゃねえ」
少し怒ったように言うと、鹿目詢子はテーブルの上にあったグラスに口を付けて一気に煽った。
強い匂いが空気に触れる。かなり度数の高い酒らしい。
「あんたの、いや、あたしの姿はそれだ。マジンガーZERO」
「………」
ZEROは黙った。どの部分に対してから言葉を発しようか、少し迷っているようだった。
「悪いな、兜甲児じゃなくってよ」
「いや、いい。良き姿だ」
「そう言ってくれると嬉しいね。あたしも双子になった気分で楽しいよ」
ZEROも頷いた。頷いた後、微かに瞼が痙攣していた。
自分が今同意した事象に、驚いているのだった。
自ら以外すべての存在を認めなかった自分が、双子という概念を認めるとは。
「ところで、それは何周目だ」
内心の動揺を糊塗するように魔神は問うた。
「10回目くらいかな。面白いから飽きねぇよ。読み終えたから、また最初から読むわ」
そう言って鹿目詢子は右手と左手に書物を取った。そして表紙をZEROへと見せる。
「『真マジンガーZERO』、『真マジンガーZEROvs暗黒大将軍』」
表紙のタイトルを魔神が述べた。
それは、究極の魔神と人類の闘いの物語。
長い長い、とても永い物語だった。
「要点を纏めてもコミックス17巻分か。連載機関なら八年くらい。大長編だな」
「………」
ZEROは黙っている。自らが人類への、そして世界へ施してきた加虐の歴史であるが故に、何を言っても言い訳になると思っていた。
「描写が過激だから、あの子にはまだちょっと早いな」
「耳が痛い」
鹿目詢子の言葉にZEROは苦々しく同意した。
そして二人は同じ方向に視線を送った。
視線の先には、地面に座っている少女がいた。
律儀に正座し、そして視線を上に向けている。
少女の前には、全身を包帯で覆った巨体が静かに聳えている。
巨体の頭部で眠る青年も、寝息の一つ立てずに触手に覆われたまま動きを止めている。
鹿目まどかは、それらをじっと凝視していた。
「可愛いな、まどかは」
鹿目詢子の言葉にZEROは頷いた。
さてと、と鹿目詢子は言い、息を吐いた。
覚悟を決めたような、そんな気配を出していた。
「気付いてるだろうけど、あたしは」
「鹿目詢子だ」
言葉を遮り、ZEROは言った。
「鹿目詢子本人だ。誰が何と言おうとも、神である私はそう認識し肯定する」
抑揚の無い機械の声でZEROは断じた。
感情は籠っていないはずなのに、神の威厳と威圧感に満ちた声だった。
「ありがとよ」
小さく笑いつつ、鹿目詢子は礼を述べた。
優しいんだな、あんた。
彼女のはそう付け加えた。
「でも、当人だからこそ言わせてもらう。あたしは「鹿目詢子」の寄せ集めだ」
異論を赦さない響きを持った魔神の言葉に、鹿目詢子は反論した。
ZEROは表情を変えず、黙って聞いている。
まるで反論されることが分かっていたかのようだった。
「あの妙な名前の邪神、ラ=グースってやつだっけか?あいつが手に入れた世界の中で、繰り返された時間の中で消えていった「鹿目詢子」の寄せ集め」
思い出すように鹿目詢子は語る。
邪神の名を出した時、僅かに眉間に不愉快さの皺が刻まれていた。
宇宙の中で最も恐れられる存在の一つは、名前だけでも精神を侵す猛毒でもある。
「記憶の断片だったり、その時その時の思いだったり感情だったり……そもそも人間ですらねぇ」
しかし邪神の名に含まれる毒気以上に、鹿目詢子は自らの言葉によって傷付いていた。
血反吐を吐くような自己分析が続いていく。
「それを邪神が組み合わせて、鹿目詢子の形に成形したのがあたしだ」
ゆっくりとした口調は、魔神にも自分にも言い聞かせる為だったからだろう。
それだけに、ZEROが先程告げた肯定の言葉からは心強さと苦しさを感じていた。
魔神の強い意思も相俟って、より自分が鹿目詢子ではないと思い知らされる事になっていた。
「その意思と記憶は、邪神のものか」
彼女の葛藤を貫くように、ZEROは問うた。
いや、それは問い掛けでなく確認だった。
「娘への愛は幻か」
「違う!!」
鹿目詢子は叫び、拳を机に叩きつける。
触れる寸前、柔らかな感触が拳を止めた。
自分の掌と同じ質感であり、そして金属のように冷たかった。
「私をこの姿にしたのは」
「あたしだよ」
ZEROが差し入れた掌から拳を離しながら鹿目詢子は言った。
「私もあの時、この姿を選んだ。しかし自分で行うよりも早く、この姿になった」
「………」
鹿目詢子は沈黙しながら、その時のことを思い出す。
無限に物語を、世界を生み出す存在である鹿目まどかの世界を、マジンガーZEROはその権能ごと吸収した。
自らに掛かる負荷から解放された鹿目まどかは、再び女神と同化した。
そしてかつて生きていた頃の自宅の居間でZEROと向き合い、ZEROを生みの親と呼んだ。
それに対し、ZEROは待ったをかけた。
創造主ではあるが、鹿目まどかの言葉は一線を越え欠けていた。
だから、本当の親を告げようとした。
しかし鹿目まどかは、そして女神はそれを否定した。
自らの記憶の中にいる生みの親は、既に母ではないと。
「その時に、あたしは目を覚ました。つっても意識はあった気がする。あんたの意識の裏で、あんたの眼で世界を観て、あんたの心で世界を感じてたよ」
鹿目詢子は思い返していた。夢のような感覚だったと彼女は思った。
そしてちょうどいい例を思い付いた。
「あー、そうそうあれだ。マジンガーZがゴードンヘルとバトってたときに、魔神化拒否って自我を自覚したのと一緒だ」
あれすげかったよなぁ、と鹿目詢子は告げた。
既にその場面は何度も読んでいるが、くろがねの城と最強の機械獣との史上空前最強バトルは何度見ても興奮が冷めないようだ。
「あ、悪いな。あんた的には複雑な気分か」
「自分の形と輪郭を持つことは良い事だ」
「そう言ってくれてありがとよ。あんたが言うと説得力あるわ」
鹿目詢子は新しいグラスを用意し、そこに琥珀色の酒を注いだ。自分の器にも同じく注ぐ。
軽く礼をしてZEROは受け取ってグラスを掴み、既にグラスを掲げていた鹿目詢子と器を合わせた。
液体で濁った澄んだ音が鳴り、二人は同時に酒を煽った。
コンマ一秒のズレもなく飲み干され、二つのグラスは同時に机に置かれた。
鹿目詢子はその様子に少し驚いていた。
ZEROは無言であり、寧ろ鹿目詢子が驚く様子が不思議そうだった。
それがおかしくて、鹿目詢子は少し笑った。
やっぱりな、と彼女は言った。
「なんとなくさ、出来ると思ったんだ。あたしとあんたは実質同じもの同士だからな」
「………うむ」
間を置きつつ、ZEROは同意とも相槌とも言えない言葉を発した。
鹿目詢子はそれを前者であるとした。
「兎に角、あなたは鹿目詢子だ。世界を手にした魔神たる我がそう認識している。それに」
「ん?」
重ね重ねに存在を肯定したZEROは、右手を握り人差し指を伸ばし、くるりと回した。
抑揚の無い声且つ無表情でマハールターマラフーランパ、という呪文を唱える様子に、鹿目詢子は思わず噴き出した。
「このように、あなたが鹿目詢子であるとパラメータも示している」
ZEROの指の先には円形のパネルが浮かんでいた。
正常値を示すのか、パネルに浮かぶのは丸い線の連なりだった。
見覚えのある状況に、鹿目詢子は爆笑した。
「ぶはっ!お、おま、え…!!」
その様子をZEROは黙って見ている。その様子に、彼女はこれが魔神なりの気遣いであると思った。
「そこ面白いよな。めっちゃ早口だし」
鹿目詢子は震える手で一冊の本を手に取った。
『真マジンガーZERO』の九巻であった。
ぱらぱらとめくらず、一発でページを開いた。
狂人や悪人どころではない大悪人な大狂人の悪の天才科学者が、冷や汗を流しながら言い訳をしている場面があった。
「っていうかよ、このDr.ヘルって面白すぎんだろ。極悪人どころじゃねえけど、見てる分には滅茶苦茶すぎて面白えや。変にまじめな所あるし」
笑う鹿目詢子であったが、顔付は段々と冷静さを帯びていく。
「いや、問題は多いけどよ。この爺さん、上司としてはかなり偉いな。福利厚生ちゃんとしてるし何より部下から慕われてやがる。これは中々出来る事じゃねえ」
感心する鹿目詢子であった。
読んでいる場面ではDr.ヘルが、戦死した部下達を涙ながらに弔う場面が描かれている。
一方、ZEROは黙っている。世界を操っていた張本人であるから、気まずいのだろう。
ついでにヘルは、部下が生き残っていてしかも人質にされた際にはマジンガーZごと握り潰そうとしていたなと思い出していた。
それについて鹿目詢子も同様に思い出していた。
そのため、彼女はこう切り出した。
「そういやぁ、あんた。あたしを握り潰したよな。ああ、痛みも苦しみも無かったから安心しな」
「それが私の中にあなたがいた理由だろう」
ラ=グースが鹿目まどかに寄生した際、邪神は彼女の精神を篭絡すべく鹿目詢子の複製を生み出した。
その複製が今の鹿目詢子である。
彼女は自らが複製であり、そして邪神の目的に気付き自らの破壊を懇願した。
その願いを、ZEROは圧搾による殺害という形で叶えていた。
ZEROも鹿目詢子も、そこで存在が終わったと思っていた。
しかし実際は、今の通りである。
「ああ。その後は、さっきも言ったけどあんたの心の中にいた」
「すまない」
「何を謝んだ。そのお陰であたしはあたしになれた」
笑い飛ばすように鹿目詢子は言った。
しかしZEROを見る眼には、親しみ以外の成分も含まれていた。
ZEROの心を垣間見たのを、思い出したのだろう。
「誰の心にも、見られたくねぇものなんざ幾らでもある。あたしはそれを勝手に観ちまっただけだ」
自らを納得させるように鹿目詢子は言った。
「それにあんたは、ただ邪悪なだけじゃねぇだろう。過去に苦しんでいても、眼の前で困ってる奴を放っておけない。忙しすぎて迷ってる暇なんざそもそもない」
ZEROの心に宿ってから、これまでにあったことを思い出しながら彼女は言った。
どれだけの死闘の中でも、かつて最悪の存在であった魔神は他者の事だけを考え続けていた。
「過去ってのは難儀だよな。どこにでもついて廻りやがる。あんたの事を十七巻分の本に纏めても、それまでの過程はこれだけあるしな。いや、これでも極極極僅かにすらならないか」
長机の上の本には、ZEROが繰り返してきた世界が記録されている。
全十七巻分の本編に至るまでの過程と結果、滅びと死と再生、希望からの絶望、絶望に次ぐ絶望と破滅の物語の堆積だった。
一冊の大きさは本編のものと大差ない。しかし一冊の中身は、果てしなく続き読み終えるまで永劫の時を有するほどだった。
それが見えているだけでも数百冊。
それでも氷山の一角ですらない。
例えるなら、宇宙に存在する全物質に対する、分子一つ分程度だろう。
それでも比較になるか、定かではない。
「人なら、きっと忘れようとするんだろうな。でもあんたはずっと覚えてる。世界が忘れても、こうしてずっと過去を覚えてる」
開いていた漫画を閉じ、鹿目詢子はZEROを見る。
相変わらずの、無表情さをした自分と同じ顔が見えた。
悲しみも苦しみも、そこからは伺えない。
表すことが出来ず、泣くことも出来ないのだろうと思った。
非人間さの塊であり、実際人間ではない。
それでも、彼女はこう思った。
「あんたは自分で思ってるよりもずっと、人間らしいと思ったよ」
「そうか」
ZEROは返した。感情は伺えないが、悪い気分はしてなさそうだと思った。
頃合いだと、鹿目詢子は思った。
「それじゃ、そろそろ頃合いかな。話聞いてくれて、ありがとな」
座ったままで両手を上げ、背伸びしながら鹿目詢子は言った。
ZEROは口を開こうとした。
その唇に、鹿目詢子の人差し指が触れた。
「大したことはしていない、なんて言うなよ」
指先が僅かな呼気を捉えた。
それが動揺であり、図星を突けたと鹿目詢子は思った。
「とりあえずは自分の心にも整理がついたし、それにあんたなら大丈夫そうだ」
鹿目詢子は視線を送る。
それはZEROを超え、その先にいる少女の背中に至っていた。
ZEROも既に立ち上がり、自らと同じ姿をした女性に背を向けている。
「あなたは立派な母親だ」
自分の娘と話すに値する存在かを値踏みしたことを、ZEROは讃えていた。
「あなたでもあるし、あたしでもある。あたしに言わせりゃ、あんたも立派な親で神様だ」
少女に向けて歩き出した魔神に向け、鹿目詢子も賛美を送った。
ZEROは顔を後ろに向けた。
「ありがとう、鹿目詢子」
無機質な、そして定められた法則を告げるような声でZEROは言った。
「ああ。親同士、仲良くしようぜ。マジンガーZERO」
笑いながらそう告げ、ZEROは頷き再び歩き出した。
桃色の髪の少女の場所に至るまで、時間はかからなかった。