「眠るのは好きだ。理由は考えた事はない。ただ好きなのだ」
倒した座席に仰向けとなり、鹿目詢子の姿の魔神は語る。
視線の先には漂白された宇宙が広がっている。
視界の端で、桃色の何かが動くのが見えた。
「そして好きな理由が出来た」
視線を下方へと動かすと、元の姿より起伏の少ない胸が見えた。
黒いシャツで覆われたそこに、桃色の髪の女神が頬を乗せている。
少女の髪は桃色に輝き、そして長く伸び、意思を持つように動いていた。
それは棘皮動物の触手のようであり、また猫の尾のようだった。
女神は魔神の眼を見ていた。共に金色の輝きを放つ瞳を重ねたまま、ZEROが口を開く。
「かえろうと言ったが、とりあえずはこれでいいか」
「はい。ここは私が生まれた場所です」
二人の神が存在するのは、機体としてのマジンガーZEROのパイルダーの中だった。
機械的でもあり、また有機的にも見える壁面を、女神は愛おし気な手つきで撫でた。
「長い間、離れ離れだったんです。娘の我儘を赦してください、ははさま」
「限度はあるが、赦すことなど何もない」
女神のまどかは、かつてZEROのパイルダーの中の存在を素体にして発生した。
無数の可能性の光がある中で、それは彼女だけであり、故に彼女はZEROの唯一の娘であると自覚した。
ZEROもまた人格的にはどちらかと言えば女性であると認識し、母であることを認めた。
宇宙開闢以前に生まれ、互いに生まれた事と生み出していた事を知らなかった同士が再会し、今の状況となっている。
女神は嬉しさを隠そうともせず、魔神も無表情に近いながら微かに微笑んでいた。
「髪が傷むぞ」
微笑みながらZEROは言う。
女体の形をした体の各所には、女神の髪の毛が絡みついている。
服の隙間から内部に侵入しようとしているのも見えた。
しかし隙間が存在せず、全くとして進めない。
「ははさまが教えてくれた通り、私はもっと力が欲しいんだと思います」
「ふむ」
会話の間にも、女神のまどかは際限なく伸びる毛髪を用いてZEROを覆っていく。
厚さは体の輪郭が分かる程度に、しかし首から足の爪先までを、新たな服を着せたように覆う。
自らを取り込もうとしている相手に魔神は理解を示した。
少し前にも、女神はZEROを自らのものにしようと行動を起こした。
それを受けて今も同じことをされているのに、魔神は平然としている。
当然と言えばそうかもしれない。
これはかつて、魔神自身が億回どころではなく、無限に行ってきた事だからである。
「でもそれだけじゃなくって、もっとははさまを近くに感じたくて、ははさまと…一つになりたくて…」
捲し立てる女神のまどか。その様子を、魔神はじっと見ている。
表情は変わらないが、金色の瞳の中の渦がうねりを増した、ように女神には見えた。
「あ、でも違います!性欲とか肉欲とか、そういうのじゃありません!そういうの、私は超越してますから!女神ですから!」
「では何だ?」
慌てる女神に対し、魔神は平然としていた。
平然としつつ、少しずつ自らのキャラクター性と口調を模索していく娘の様子を楽しんでいる。
「愛です」
顔を赤くさせながら、火のように熱い吐息を吐きながら女神は創造主に告げた。
「良い言葉だ」
氷で作った鉄仮面のような表情と声で魔神は返した。
無表情ではなく微笑んだ方がよいのだろうなとは、魔神本人も自覚している。
少し前に笑うという事を覚えたが、使いどころが掴めていない。
ゆっくり覚えればいいと、母という属性を獲得した魔神は思った。
「しかし、強過ぎる言葉と概念でもある」
金色の視線が動き、自分の身体を眺める。
鹿目詢子をベースとした体の表面には、今も桃色の髪が這い廻っている。
締め付ける力はより強くなり、隙間を憎悪しているかのように密着を強めていく。
「超合金ニューZなら潰れているかもしれないな」
褒めと揶揄の声を滲ませた、器用な声で魔神は言った。
褒めは力を示した娘に対してであり、揶揄は偉大な勇者への呪詛である。
勇者自体の名前を出さないのは、魔神なりの成長の証かもしれない。
「完全同化したら、こうしてそなたと話せないし撫でられぬ」
全身を圧搾されながら、ZEROは平然と動いた。
髪を引っ張られる感覚は全くなく、水や空気ほどの抵抗も感じさせずに手が動く。
呆気に取られている女神の頭に、魔神は右手を置いた。
「それは惜しいな。実に惜しい」
眼を細めながら、ZEROは手を動かす。
女神の左耳と側頭部のあたりに五指を立てて、静かに撫でる。
指先が微かに触れる程度の接触は、撫でるという行為に慣れていない為だろう。
決して傷付けず壊さぬように、創造主の手が被創造物を撫でていく。
触れる時間が五秒を過ぎたあたりで、女神が背筋を仰け反らせた。
開かれた口は、代謝に不要なはずの酸素を求めて喘いでいる。
「はは、さま、少し、加減を」
「そうだな。確かこうだったか」
頬へと小指が僅かに触れた。
途端に、甲高い声が女神の口から放たれた。
声は長く続き、やがて途絶えた。
仰け反った体勢からやや回復し、女神は自らが母と認めた存在と向き合った。
「刺激的に過ぎます。ははさま」
「すまないと思っている。赦すかはそちらに任せる」
女神はしばらく声を発せず、髪の震えと微笑みで応えた。
それは歓喜の振動でもあった。弛緩しきった髪は魔神の体表からするりと離れた。
離れる時も、髪は名残惜しそうに震えていた。
「これ、なんだか懐かしい感覚でした」
顔中を汗で濡らしながら女神は言った。
神としては不要な機能を用いてまで、自分の感情を顕している。
「触れて触れられて、存在が近くなっていく。鹿目まどかの人生には、鹿目詢子への受胎時と出生時以外にはこれほど密接な同化に等しい密着はありませんでした。ははさま、何か知りませんか?」
娘の言葉を聴きながら魔神は思考した。
とりあえず、生物としての生々しい表現は当人にはしないようにとは伝えるつもりだった。
口を開こうとした時、白い手袋で覆われた手が顔の前で垂直に立てられていた。
「分かりました、当てましょう。高次予測します」
誇らしげに言うと、女神の瞳の中で渦が巻いた。
言葉は伊達ではなく、ZEROから受け継いだ魔神の権能が発動している。
力を示すことで、女神は自らが魔神の娘であると誇示したかったのだろう。
「分かりました」
瞳の中の渦が止まる。
女神の髪が再びざわめいた。
「私の前世は、この子ですね?」
持ち上がった髪が絡まり、奇怪な形を形成した。
それは触手で形成された、棘皮動物と昆虫を合わせたような存在だった。
鎌や刃にも見える脚を蠢かせ、細かい牙を震わせている。
それはかつて、兜甲児を内部から侵食し同化・吸収していた魔神の力であった。
女神は無限に伸びる毛髪を用いて、その存在を再現していた。
「ぎしゃー、ぎしゃー」
牙の開閉に合わせ、異形のものの声真似をする女神であった。
異形と相反する美しさと可愛さは、異界の美を思わせた。
本人としては、例えるなら抱き抱えた猫の鳴き真似をしている気分なのだろう。
「それはあくまで力の一部だ」
女神の言葉を魔神は否定しなかったが、どこか気遣ったような言い回しだった。
「でも今の私も、あまり変わってないかもしれません」
そう言って、女神は異形の姿を優しく撫でると元の髪へと戻した。
解けた髪に、女神は名残惜しそうな視線を送った。
「私は鹿目まどかの形を借りて、自らをこの姿にしたのですから。それはあの子の存在を食べて、今の私に置き換えたのと変わりません」
女神の言葉に、負い目も自嘲も無かった。
むしろ、誇らしさがあった。
「そういうところもあなたと同じですね、ははさま」
そう言って、女神は母へと倒れ伏した。
胸の上に頬を置き、肌を摺り寄せる。
「最終にして原初の魔神…マジンガーZERO」
祝詞のように厳かな口調で、女神は創造主の名を呼んだ。
「良い名前で、素敵です。ははさま」
「よく褒めるのだな、そなたは」
「それもははさまに似たのです」
女神の記憶の中、鹿目まどかの姿でこの存在と遭遇し交流していた際、ZEROは事あるごとに褒めていた。
その恩返し、というのも違っていた。
ただ思ったままに親を慕い、思ったままに抱いた愛情を言葉にしているだけである。
かつてZEROがそうしてきたのと同じように。
「そうか」
やり取りの中、魔神が何かを察した。
「そなた、名が欲しいのか」
女神はぴくりと震えた。
しまったという思いが脳裏を過る。
自然な風を心がけていたが、名前の話題を出したことで察されたと思ったのだった。
「はい。でも、まどかであることは残してください」
ああそれと、と女神が付け加えた。
「兜以外の苗字が希望です」
「そこまで無神経でもない」
やや憮然としたように魔神は言った。
本気で悩んでいるらしい。
「悩むな」
魔神は心情を口にした。
無表情だった顔には、僅かな変化があった。眼が細まり、眉は少しだけ歪む。
そして態々息を吸って吐いている。
人間のように思考を巡らせているのだった。
「かわいいです。ははさま」
「この見た目だからな。鹿目詢子は美しい」
感心した声を出し、魔神は借り物である手の形を見て、左手で頬を撫でた。
二十代でも十分に通用する美貌の形を確かめている。
「どちらもです。機械神としてのあなたも可愛くて美しい」
「なに?」
「だってははさま、さっきから凄く嬉しそうですよ」
娘からの疑問を確かめるべく、ZEROはコクピットの端に顔を寄せた。
女神はそこにも着いてきた。頬を摺り寄せ、体を預ける。
髪を撫でてやると、女神は甲高い声を上げた。
声が上がるのと同時に、魔神は事態を把握した。
機体としての自分の口が開き、牙を見せて嗤っている。
内心を確認すると、人の姿よりも機械としての姿の方が、今の感情をより表立たせていた。
「本当だ。動いていないつもりだったのだが」
興味深く、自分の姿を確認する。
そちらに注意が向いているのか、片手で娘の髪を撫でる手付きは先ほどよりも少し早い。
「歳かな」
独り言のようにZEROは尋ねた。
その時、女神は自分の顎を撫でさせていた。
まるで巨大な猫である。
実際にごろごろと喉を鳴らす真似さえしている。
その様子に魔神は既視感というか、何かと似たものを感じた。
「あ、キュゥべえの真似でしたが分かりました?」
「複雑な気分かもしれないが、私はインキュベーターも好きだ。しかし他の者には言わぬ方がいいだろうな」
「ちなみにどこが一番お好きなのですか?ははさま」
「胴体。はんぺんの様な味がする」
「それも、他の人には言わない方がいいと思います」
「それは分かっている。美味いのは本当だが、冗談を学習中だ」
言い終えると、両者は息を吐いた。疲労の息だった。
「会話とは難しいですね。今までは鹿目まどかの思考をトレースしていましたが、今ではそれも利きません」
「実験台ならここにいる。幾らでも試すといい」
魔神の言葉に女神は満足げに頷いた。
この言葉を引き出すために、面倒な言い回しをした可能性があった。
だとしたら策士だなと魔神は思った。
「私も疲れを感じている。多分慣れない事をしているせいだ」
「ははさまも疲れるのですか」
魔神は頷いた。
「悩むのは苦手だ。悩んだ経験自体が少ない。強いて言えば、強過ぎることが悩みか」
「強いのはいい事です」
冗談として言った言葉を女神が拾った。
「こうしていると支配下にあることを実感して、安心できます」
「せめて保護下と言え」
「嫌です。傲慢な支配者のままでいてください、ははさま」
そう言って、女神は魔神の胴を両手で抱いた。
相変わらず熱の無い冷たさと、スタイルの良い肉体の心地よさを感じると女神は思った。
「どこまでもあなたについていきます。ははさま」
「どこにも行かぬし、どこにも行けぬ」
魔神も女神の頭に手を置いた。
和やかだが、互いが互いを拘束し合っているような姿となっていた。
「私はそなたたちの世界そのものだ。だから、ずっとここにいる」
魔神の言葉に女神は我が身が震えるのを感じた。
「天国も地獄も、希望も絶望も、誕生も死も、全ては等しく私の中にある」
ZEROの発する一語一語を聞く度に、ぞくぞくという感覚が背筋を這い廻る。
「もっと、もっと言ってください」
女神は喘ぐように懇願した。
「強く、恐ろしい言葉を私に授けてください。私があなたの支配下にあると示してください」
哀願にして懇願に魔神は頷いた。
「それでは聞け、ただ一人の我が娘よ」
ZEROの口調は変わらない。
しかし込められた感情が、声色を恐ろしく悍ましいものへと変えていた。
この存在と出会ってはいけない。あまつさえ、敵対などしてはいけない。
根源的な恐怖を呼び起こすような声で、最終にして原初の魔神は娘の願いを叶えていった。
「無様に這いずり」
「のたうち回り」
「百の残骸となろうとも」
「私がそなたの傍にいる」
「そなたと鹿目まどかが生み出した世界は、いつでもそなたの傍にいる。何時も何時でもずっと見ている」
「だから私以外を恐れるな、怯えるな」
そう言うと、ZEROは両手で女神の頬を静かに、そして優しく包み込んだ。
互いの鼻先が触れそうな距離まで、魔神は顔を近付けた。
「そなたの恐怖の顔は、私だけに見せておくれ」
魔神は微笑みながら言った。それは女神が見た中で、最も深い笑みだった。
機械神としてのZEROが浮かべているものに似た、恐ろしい表情が鹿目詢子と同じ顔を媒体として滲んでいる。
恐ろしく、故に美しい笑顔だった。
女神は自分の口が震えているのを感じた。
全てを超越した存在から生まれたことと、それが母である事の歓喜。
そして母たる魔神から感じる恐怖によって。
何かを言おうと女神は思った。
黙っていたら、心が焼けてしまう。
そう彼女は思った。
しかしその前に、魔神が言葉を発した。
「と、いうか」。と聞こえた。
「無様に這いずりのたうち回り、百の残骸になる前に私に力を使わせろ。そんな光景は見たくない」
「嫌だと言ったら?」
咄嗟の返しにZEROは視線だけを向け、言葉を発しなかった。
冗談が過ぎたのかと女神は思った。
実際はどう返したものかと魔神も悩んでいた。
視線が威嚇になってしまったかと思っているくらいだった。
「ごめんなさい、ははさま。怖くて嬉しくて面白くて可愛くて、感情が迷子なんです」
「互いに新しい立場に慣れておらぬな」
魔神は乾いた笑いを上げた。これもまた、感情の練習なのだろう。
「我らは動いているが、他の者達の時間は止まっている。それを鑑みれば、互いに母と子になって一秒たりとも時間は経っていない」
無感情なように、感慨深く魔神は言った。
その身に女神は深く身を寄せた。母と呼ぶ存在の衣に自らがなりたいとでも云うように。
「この時が続けばいい、そう思っているか」
髪を撫でながら魔神は言う。相手の胸に頬を摺り寄せながら女神は頷く。
「私もだ」
娘の耳元で魔神は言った。
世界そのものとなっているため、時を止めているとはいえ彼女だけに告げるようにしたのだろう。
依怙贔屓というのを、少しでも避けようという意思を感じた。
かつての自分の所業を思い出している、のではない。
魔神たる母にとって、過去も今であり、だからこそ行動で示そうとしているのだと分かった。
それが、女神にとってはたまらなく愛おしかった。
何よりも強いこの存在が示した弱さ、と思えてしまう一面を自分が支えなければと思った。
思っても言葉にしなければ伝えきれない。
そう思った時、魔神は娘を強く抱き寄せた。
「ははさま、何を」
吃驚はしたが、同時に驚きとは比べ物にならない幸福を感じた。
しかしその感情を貫くように、異様な感覚を女神は感じた。
宇宙で最も強い存在に抱かれているというのに感じたそれは、不安であった。
不意に闇の帳が降りたかのような、冷たい風を浴びて身体の強張りを感じたような。
「時を戻すのは後だ」
女神を抱いたまま、魔神は言った。
「邪魔者が来た」
静かな口調でZEROは言った。
ああ、と女神は微かに呻いた。それは恐怖の呻き声だった。
コクピット越しに虚空を見上げる母たる魔神の金色の眼には、幾重もの渦が見えた。
それはこれまで魔神と接してきた中でも、見た事が無い輝きに見えた。
憎悪か嫌悪か、その両方の混沌か。
少なくとも、怒りであることに違いは無かった。
漸く巡り合えた娘との触れ合いを邪魔した怒りが、魔神の両眼を獰猛な輝きで彩っている。
それほどの怒りを母たる魔神に抱かせられたことに、女神たる娘は背徳的な嬉しさと愛しさを感じていた。