魔法少女☆鹿目まどか 円環最期のZERO秒間   作:凡庸

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第9話

 そこは一面の闇で満ちていた。

 どこまでも、どこまでも闇の褥が広がっている。

 果ても終わりも存在しないその空間は、何もかもが蠢いていた。正確に言えば、空間という言葉は適さなかった。

 その場所には、僅かな隙間など存在していないからだ。

 蠢く闇は形を伴っていた。その形を認識できたとしたら、その者はそれを『異形』と捉えるだろう。

 流動する闇で形を成しているのは、襤褸を纏った髑髏の群れだった。

 僅かばかりの肉のような膜を被った、醜悪なる髑髏の軍勢。それらが身を絡ませ、大河の流れや蠢く無数の蛇のように絡み合って空間を埋めている。

 

 異形に覆われた世界で、その例外は僅かに二つだけだった。

 蠢く闇の大河の中で、醜悪な異形の闇とは異なるもう一つの闇があった。

 それはまるで闇が結晶化したような、美しい宝玉を思わせる紫を帯びた闇の球体だった。

 

 

『消え去りなさい、魔獣ども!』

 

 

 闇の宝玉は意思を発した。それは少女の声で奏でられた、怒りに満ちた咆哮だった。

 それは力の波濤となって放たれた。宝玉と同色の美しい闇が表面から溢れ、醜き闇へと、その者曰くの『魔獣』へ襲い掛かる。

 刺々しい闇の波濤は際限なく広がっていった。拡大の中で放たれる闇同士が結合し、身を寄せ合って交わり、極彩色の輝きへと変貌する。

 それはまるで闇から生まれた新たな命が、他者を喰らって拡大していくかのようだった。

 闇から生まれた光の拡大は、全てを覆い尽くす…前に止まった。闇と光は弱まり、やがて消えていく。

 光と闇の後には、僅かな空白が出来ていた。夥しい数の魔獣の内、少なくない数が消滅し、多くが傷を負っている。

 

 だが、それだけだった。

 例えるなら大河を、いや、大海原に満ちた水からバケツ一杯分の容量を除いたとして、何が変わるのだろうか。

 何も変わらない。変わるわけがない。

 喪失した魔獣はすぐに無事な魔獣から、這いずりながら生れ落ち、魔獣の負傷も断面が泡立ち即座に修復される。

 その光景に、美しき闇は、正確には闇の中にいる者は自らを苛むほどの歯軋りを堪えられなかった。

 既に幾度も、数千数万回も、億に達する回数は観た光景だったが慣れるわけもなく認めてはならない光景だった。

 

 

 嘗て宇宙を蹂躙し改変した力ですら、魔獣達には無力に等しかった。

 しかし魔獣達は美しき闇を許さなかった。闇の奔流とは比較にならない数と勢いを以て、魔獣達が一斉に闇の宝玉へと向かった。

 反撃もする間もなく、宝玉は魔獣達に覆われた。

 魔獣達に対して、大きさでは宝玉の方が大きい。例えるなら、一つの部屋ほどの大きさだろうか。

 魔獣のサイズ比を人間ほどの大きさとすれば、部屋の周囲を大勢の人間がびっしりと取り囲んでいるような状態となる。

 美しき闇は、その様子を思い浮かべ、嫌悪感に満ちた表情を浮かべた。

 

 闇の宝玉の中には、闇の本体である少女の姿があった。宝玉に対して、闇の少女はあまりにも小さかった。

 部屋の中にある家具、例えば固定電話ほどの大きさだろうか。

 魔獣達は宝玉に歯を、骨のような指や爪を立てていた。接触面では闇と闇が喰らい合い、闇の火花とでもいうべきものが散っている。

 散り行くものは魔獣のそれが多かったが、宝玉も確実に削られていた。

 

 少女は美しい顔を悔しさで歪めた。

 相手が無数とはいえ魔獣と自分との間には嫌というほど実力差があり、魔獣達の行為が自分を弄んでいるという事が分かっていた。

 その気になれば宝玉は簡単に砕け散る。

 今の自分は、例えるならくるみ割りに掛けられた胡桃も同然で、単に加えられる力が弱いから耐えられているだけだった。

 

 

『離れ…なさい!!』

 

 

 闇の少女は再び力を放った。宇宙を破壊する力に、群がる魔獣達は僅かに怯む。ほんの僅かな、二秒程度の時間だけ。

 魔獣は即座に爪を立て、闇の少女へ報復した。

 宝玉に罅が入って全体を覆い、闇の表面が剥離する。

 魔獣達は少女から剥ぎ取った闇を奪い取り、喰らい、そして玩具のように弄ぶ。

 

 その様子に性的な凌辱の意味合いを感じ、少女は吐き気に襲われた。

 獣ではなく、人間にしか持ち得ていない悪意と邪な欲望。それを持ち合わせた魔の獣。それが魔獣だった。

 平和になった筈の世界で生じた世界の歪み。完結した物語を弄ぶ邪悪。

 少女の脳裏には、この存在への嫌悪と憎悪、そして理不尽への怒りがあった。

 だがそれ以上に、彼女の心を占めていたものは。

 

 

『その子から……まどかから離れなさい!!』

 

 

 遥か彼方を見上げ、闇の少女は叫ぶ。

 紫の視線の先には、巨大な桃色の光があった。その大きさは、闇の宝玉とは比較にならない大きさだった。

 一つの惑星ほどもあると、闇の少女は思っていた。

 だがそれを、闇の大雲霞が覆い尽くしていた。桃色と見えたのは、少女がその色であると知っているからだ。

 無数の魔獣に埋め尽くされ、その下で暴虐を受けている桃色の美しい宝玉。

 それが、闇の少女にははっきりと見えた。正確には、その様子が思考に流れ込んでくるのであった。

 

 桃色の光は魔獣達の手で千切られ、殴られ、蹴られ、噛まれ、引き裂かれ、齧り取られている。

 少しずつ少しずつ、時間をかけてゆっくりと。

 その様子を、魔獣達は闇の少女に届けていた。そして、別の光景も少女の脳裏に映っていた。

 醜い闇によって破壊されていく美しい光の断片の中、その光の根源がどのような扱いを受けているのかが。

 

 無数の手が小柄な少女へと伸びる。無抵抗な体を抑えつけ、考えられる限りの暴虐の元に晒される。

 性的な辱めが無いことだけが救いだった。この場所に幽閉された際、あの忌まわしい獣はそれだけを約束した。

 信じているわけではないが、今のところ届く映像にそういったものはない。

 原因は恐らく、長く長く苦しめる為だろう。そして既に、悍ましいほどの時間が経過している。

 異変としか言いようのない異様な感覚に気が付いた時には、既にここにいた。

 

 逃避を促す連絡も間に合わず、そして無意味だっただろう。

 戦う間もなく、神格である自分達は敗北していた。

 いや、そもそも、戦いという形式になっているのかどうか。

 気が付いたら支配されていた、というのが正しいか。

 しかし自分は、そして彼女も支配される気は毛頭ない。形と意識の続く限り、抵抗をやめないだろう。

 揺るぎない意志を振り絞るが、その思考には地獄の光景がじわじわと沁み込んでいく。

 

 全身の皮を剥がされ、剥き出しになった肉に塩や毒を刷り込まれ、悲鳴を上げてのたうち回る鹿目まどか。

 

 足のつま先から、絶命に至るまでゆっくりと鑢で削られていく鹿目まどか。

 

 手足を潰され眼も鼻も抉り取られて鎖に繋がれ、最低限の生命維持を施されて衰弱死するまで生かされ続ける鹿目まどか。

 

 脳と最低限の臓器だけを残し、それを液体で満ちたガラス箱の中に押し込まれ、液体の中を揺蕩う肉片という残忍な造形物として生かされている鹿目まどか。

 

 首を吊られた状態で腹を割かれ、伸ばされた複数の手によって臓物を四方八方へと引き出される鹿目まどか。

 

 

 最悪、という言葉を幾つ重ねても足りない、悪逆の限りが尽くされた最悪の饗宴は無限に等しい数が繰り返されている。

 鹿目まどかはその中で生かされ、死んでいく。自分はそれを一つ残らず見せ続けられていく。

 

 鹿目まどかと自分、どちらの心が先に砕け散るのか。

 もしかしら、この場を設けた存在はそんな風に考えているのかもしれない。

 ひょっとしたら、それで賭け事でもしているのだろうか。

 自分と鹿目まどかのどちらが先に絶望に屈するか。

 次の鹿目まどかはどうやって死ぬのか。

 死ぬまでにどのくらいの時間が掛かるのか。

 卓の上に鹿目まどかの首や臓器を重ね、その血を酒代わりに啜りつつ、賭け金として使いながら。

 

 

『黙れぇええええええええええ!!!』

 

 

 闇の少女が吠えた。脳内に渦巻く最悪の饗宴と、狂気に侵されていく自らの心を振り払う為に。

 再び力が発動する。今度は全方位への放射型ではなく、力を黒い長針に変えての拡散型の攻撃だった。

 夥しい数の針が生成され、魔獣達を貫いていく。

 本来は眷属達に任せている攻撃だが、眷属達は既に力尽きている。

 闇の少女は空間から針を生み出して思念で飛ばし、または直接自分の力で投げていく。

 息を荒げさせ、時には罵り声を上げながら、神に等しい存在ながら、闇の少女の行動は恥も外聞も投げ捨てての必死さに溢れていた。

 

 しかし、それも空しい抵抗だった。

 夥しい数の魔獣が、今でも桃色の宝玉を弄んでいる。針で貫いた者達が落下するが、そうやって空いた隙間もすぐに塞がる。

 だが闇色の少女はそれを続けるしかなかった。

 自分が愚者に等しいと認めながら、ほんの僅かな時でも傷付けられることがないようにと、理不尽に対し必死に足掻いていた。

 

 そんな闇の少女の様子を、魔獣達は無音の哄笑で見守っていた。

 髑髏の貌で口を揺らしながら、狂った機械のように開閉を繰り返している。

 針の投擲を続ける少女には、魔獣が持つ幾つもの姿が目に付いていた。

 

 襤褸を纏った髑髏、剣のようなもので武装した魔獣、結晶体が連なったもの。

 闇の少女の記憶の中にはこれらがいた。しかし無数の蠢きの中には、それ以外のものも多くいた。

 動物や昆虫、魚類や爬虫類の要素を持つものや、それらが合わさり異形と化したもの。

 

 有機物以外にも、機械と思しきものを埋め込んでいる魔獣もいた。体の各所から、歯車のような器官を生やしているものまでいる。

 これは魔獣なのか、それとも別の何かなのか。少なくとも忌まわしき獣は『魔獣』と呼んでいた。

 知ったことかと、再び魔の力を放射し魔獣達を粉砕する。

 感情が昂っていたためか、今まででもかなり多くの数を破壊した手応えがあった。

 見れば、歯車の魔獣が何体も崩壊していく様が見えた。

 

 だが壊れてゆく魔獣の、髑髏の口元が奇怪に歪んだ時、少女の背筋に悪寒が走った。

 割れた歯車が歪んだ回転を繰り返している。その姿に少女は、かつての宿敵の姿を思い出した。

 そして思わず察してしまった。終わりへの歯車が回り出したのだと。

 この最悪の状況の中でも、更に良くない事が起こる。そう思えてならなかった。

 

 そしてそれは現実となった。崩壊する魔獣達の中から、一つの姿が生まれ落ちた。

 最初は、細い指だった。次いで細い腕が出た。

 魔獣を突き破って出たそれに、闇色の少女は胸の中で何かが跳ね上がるのを感じた。

 あれを見てはいけないと、理性が認識を拒絶し始めた。だが視線は逸らされず、少女はそれを見つめた。

 やがて頭部が出でて、胸に腹に腰にと続いた。

 体を構成する全ての部品が小さく、華奢であった。

 それは闇で構成された存在だったが、その闇は黒の下に桃色を映えさせていた。

 歪んだ再現度でありながら、それが何を示しているのかはすぐに分かった。

 

 だがそれは、形だけに留まらなかった。完全に体を抜け出し、生み出した者達を足場として踏みしめている者の姿を注視したとき、少女の口から小さな悲鳴が漏れた。

 

 

『なんて…なんてこと……』

 

 

 辛うじてと言った風に少女は声を絞り出す。

 その紛い物は、紛い物にあって紛い物に非ずであった。

 首や腹、手足は関節部分で切断され、その間を闇色の棒が貫いて形を合わせてる。

 そうして歪んだ造形の少女の紛い物を成していたが、それを構築する部品は紛い物ではなかった。

 

 闇が薄れ、顔の部分が僅かに見えた。そこにあった瞳は、針で眼窩に縫い留められている。

 先ほどまで闇の少女が投擲していたものの縮小版なのは、魔獣達からの厭味だろう。

 だが、問題はそこではなかった。

 

 一度抉り取られ、再び戻されたと思しき眼球は、黄金の瞳を有していた。

 この姿の存在は、本来であれば桃色の瞳だった。

 それが変化している。

 更に、手や足を覆うのは純白の装飾であり、衣装もかつての姿と異なる。

 この存在が模しているのは、ある種少女の成れの果てとでも言うべき存在。

 闇色の少女はその存在を、少なからずそう思っていた。

 

 つまり、これに用いられている素材とは。

 

 

『女神となった少女の骸』

 

 

 そう気付いた時、少女の口から叫び声が溢れた。

 それはやがて絶望へと至るであろう、破滅の産声だった。

 狂気に浸る寸前の悲鳴と叫びは、これまでで最大の破壊力を伴った闇の力として開放された。

 魔獣達はそれを嘲笑い、女神の残骸はぎくしゃくとした動きで手を伸ばした。

 

 右手の先で発生した、歪な円環を描いた障壁は一瞬で彼方まで広がり、闇の波濤を真っ向から受け止めた。

 小雨を防ぐ傘のように、闇の少女の攻撃は異形の障壁に阻まれた。

 残る力を振り絞り、闇の力の出力を上げるが、小雨が雨に変わった程度。

 何も変わらなかった。ただ、闇の少女の体力は限界に達していた。

 

 声もすでに枯れ果てており、思考力も削れている。

 自分の持てる全てを力に変換し、闇の少女は力を放っているのであった。

 彼女が放つ闇は、彼女そのものだった。

 数段階は向上した光は、女神の骸を僅かに後退させた。

 魔獣達も哄笑を止めている。怯えているのだろう。

 これまでに散々弄んできたというのに、優位性が僅かでも揺らぐと恐怖を覚える。下劣な畜生であることの証明だった。

 

 だがそれでも、女神の力には及ばない。少しの力を込めただけで、闇の少女の最後の抵抗は砕け散った。

 跳ね除けられた闇は、異形の円環が連なる障壁の上で撓み、そして消えていく。

 障壁と闇の接合面では、空間が歪んでいた。強大な二つの力の激突に、世界自体が耐えられなかったのだろう。

 

 しかしそれも、数秒程度で元に戻る。

 闇の少女一人だけなら、そしてもう少し体力が残っていたら、その歪みから脱出できたかもしれない。

 だがどんな状況でも、少女はこの場から逃げなかっただろう。

 空間が歪むというのも、あの獣か魔獣が設定したお遊びか何かだろうか。

 眩暈と吐き気と酷い頭痛の中、闇の少女はそう思っていた。

 それでもまだ体は動いた。指先は痙攣し、体内の臓器が稼働を拒否しているのが分かる。

 もう終わりたいと、自分の肉体は思っている。だが、少女は屈しなかった。

 最後の最期まで、ではない。死のうがどうなろうが、抵抗を辞める気にはなれなかった。

 もう二度と、喪いたくはないからである。

 

 再び、もしかしたら最後になるかもしれない抵抗の為に、少女は手を伸ばした。

 手の先には、異形と化した女神がいる。少女の手は、それを追い求めているとも、握り潰そうとしているとも見えた。

 伸ばした手の先で、異変が見えた。

 歪む空間の表面が少し揺れた、と見えた時、異形の女神は姿を消していた。

 

 それに、誰もが気付かなかった。

 女神の周囲を覆う魔獣達も、同様に消えている。消失から逃れた範囲の魔獣達も、何が起こったのか気付いていなかった。

 闇の少女だけが、それを見る事が出来た。

 彼女の権能が、時に関わるもののためだろうか。

 

 

 彼女が認識したのは、巨大な物体だった。

 それは刃であったのだろう。大きく湾曲した刃の先端が女神の残骸を千々に砕いた。

 正確には、体の部品を繋ぎ合わせている黒い針を切断し、拘束から解放したのだった。

 その他の存在、女神の周囲に侍っていた魔獣達は、原型も残らず切り刻まれて霧散している。

 瞬時に発生する再生も発動していない。切り刻まれ、それで存在を完結させられていた。

 刃の斬撃はあまりにも速く、当人に意識があるかは分からないが、何も感じなかったに違いない。

 バラバラになった破片は、バラける前に消えた。巨大な何かに掴まれたのだと、闇の少女は思った。

 

 

 

赦セ、ナドトハ言ワヌ

 

 

 

 その存在は意思を発していた。闇の中でそんな思考が流れていた。

 正確には、文字と言うべきか。

 その思念が発せられた時、それを受けた少女の脳裏には、そんな文字が描かれたのだった。

 意思の根源へと、少女は目を走らせた。

 それは突然の異変への敵意か、或いは藁にも縋る思いか。後者である可能性は無ではないが低かった。

 爬虫類を思わせる鋭い眼差しには、警戒心と敵意が強い。

 

 だがそれはその存在を見た時に途絶した。感情が凍えたとでも表現すべきだろうか。

 彼女が疲弊していたというのもある。だがそこにいたのは、彼女の理解を超えた存在だった。

 闇の中、魔獣よりも、自分の力よりも。

 その場にいた何よりも、更には彼女が認識しているありとあらゆる闇よりも色濃い黒が、そこで形を成していた。

 人に似た形状が、朧気ながらに感じられた。その背後には、本体よりもはるかに巨大な円が広がっている。

 円環を思わせるそれを、少女はこの存在の翼だと思った。

 暗黒の中で輝く、漆黒の神。

 または。

 

 

「悪魔」

 

 

 闇の少女は呟いた。神に近い存在としての立場でも、人としての思考でもそう思っていた。

 

 

コレハ、魔獣…トイウノカ

 

 

 思念の文字が脳裏に浮かぶ。この時になって、ようやく魔獣達もこの存在に気が付いた。

 その全てが動きを止めていた。桃色の宝玉への加虐も停止し、光の破壊は漸く絶えた。

 絶えず流動していた魔獣の大群が止まる様子は、堰を止められた川が湖にでもなったかのようだった。

 或いは、全てが死したかのような。

 

 

私ハ知ラヌ

 

 

 文字の大きさや形は変わらない。だが少女は、そこに感情の揺らぎを感じた。

 

 

 

ソノ見タ目

 

ソノ名前

 

気二喰ワヌ

 

 

 それは怒りであった。しかも、傲慢で理不尽な怒りだった。

 

 

顕レヨ

 

 

 漆黒の影が動いた。とはいっても、巨大な体躯の両腕を微かに動かしただけに過ぎない。

 ただそれだけでも、ただそこに存在しているだけで万物を圧する威圧感があった。

 それ自体が超重力を発し、全てを己の内に捕えているかのような。

 両腕には、側面から巨大な鋭角が生えていた。恐らく、先ほど女神の残骸を切り刻んだのはこれだろう。

 巨大な刃の側面もまた闇色であったが、銀の光を帯びていた。それが鏡のように輝き、その表面が湖面のように揺れた。

 

 

ガラダ

 

ダブラス

 

時ヲ稼ゲ

 

魔獣トヤラノ相手ヲセヨ

 

獣同士デ戯レルガイイ

 

 

 それは、鏡面を揺らせたものの名前であったのだろう。

 湖面から跳ねる魚のように、それらの者はその内から現れた。そう見えた時には、その二体は魔獣の只中へと突撃していた。

 飛翔した二体の姿は、闇の少女の認識能力でも鮮明ではなかった。

 動きが速すぎるというのもあるが、その形は曖昧模糊としていて認識自体が覚束ないのであった。

 ただ、どこにいるのかは分かった。その場所の闇が、防波堤に激突して砕ける波のように破砕されているからだった。

 破壊されて噴き上がった闇の奔流が激突し、名を呼ばれた二体の姿を墨絵のように映し出した。

 

 ガラダと呼ばれた者は、魔獣と同じく髑髏の意匠が見受けられた。

 それが癪にでも触っているのか、それは手に持った大鎌を狂ったように振るい、麦でも刈るように魔獣達を狩っている。

 

 ダブラスと呼ばれた方は、その名が示すかのように二つの頭部を持っていた。

 双頭の竜のごとき長い頭部を振り回し、魔獣達を数十体はまとめて絞め殺している様子が見えた。

 二体の速度は速く、また攻撃の範囲は広大でその威力は異常としか思えなかった。

 投擲された大鎌や、頭部から発せられる怪光線は魔獣を一度に数十、数百体どころか宇宙を埋め尽くすような大群自体を切り裂き破壊していった。

 魔獣もただやられるだけではなく、斬撃や怪光線を掻い潜って接近し、爪や牙、そして武装や瘴気による攻撃を試みている。

 

 だがその目論見は、二体の体表で空しく弾けていた。

 二体を覆っているのは皮膚や甲殻ではなく、尋常ではない硬度の金属で造られた装甲だった。

 闇の少女にはそれが分かった。恐らくは、武器に精通していたからだろうと思った。

 二体の造形からは、生物ではなく無機物であることが感じられた。

 しかしその一方で、その二体は機械とは思えないほどの機動性と、まるで獣のようにしなやかな動きをしていた。

 

 非現実的な存在は、彼女の知識の中に幾らでも存在する。

 死神のような姿のガラダ、人の体から双頭の竜が生えたようなダブラスに比べたら、同族以外であれば一つとして同じ姿とならない魔女や使い魔の方がよほど異形だった。

 だがこの二体は根本的に異なっている。

 例え世界が幾度繰り返されようとも、自分達のいた世界では産まれえない、ここに存在するはずが無い悪夢のように思えた。

 

 その悪夢が悍ましいまでの破壊を振りまき、この世界の邪悪を相手に殺戮を繰り広げている。

 殴る、蹴る、握り潰して踏み潰す。

 武器や武装以外にも、二体の異形は可能な限りの方法で魔獣達を蹂躙していた。

 殺戮や破壊が、無邪気なまでに大好きなのだと思えた。苦しみ呻く魔獣達の怨嗟を全身に浴びながら、機械の異形達は魔獣の闇を切り裂き砕き、追い立てていく。

 つい先ほどまで、この世界の支配者として君臨していた魔獣達は、今や弱者や玩具どころか無害な資源にさえ思えた。

 魔獣達が弱いのではなく、この二体が異常なまでに強過ぎるのだった。

 

 これらを、彼女が『悪魔』と認識した意思は『獣』と称した。

 そして同じ世界のものとは到底思えない。

 だとするとまるで、この二体は別の世界、地獄(HELL)とでも言うべき場所から生まれた機械の獣とでもいうのだろうか。

 そう思い浮かんだ思考が、少女には間違いであるとは思えなかった。

 目の前で展開されているのは、地獄を破壊する更なる地獄であるからだ。

 魔獣達が逃げ場を失った、と思えた頃に、彼女曰くの『悪魔』が動いた。

 

気二喰ワヌトイッタガ
 

喰ワズ嫌イハ可能性ヲ狭メルダケダ

 

 文字が頭に流れ込む。この存在からは知性を感じたが、何を言っているのかの理解が及ばない。

 思念を発しつつ、悪魔は手を伸ばした。魔獣達はその前にいた。

 二体の機械の獣、機械獣に追い立てられ、どこにも逃げ場がない。

 そしてそもそも、この存在から逃げられたのだろうか。この存在が来た瞬間に、魔獣達は既に終わっているのだった。

 大きさに関しては、サイズの比較をするのも馬鹿馬鹿しいほどの差がある。

 悪魔の大きさは、少女の感覚では数十メートル程度。嘗てのワルプルギスの夜にすら及ばない。

 対して魔獣は宇宙規模の大軍勢。比べるべくもない。

 だが、視覚に反して認識はその逆、どころではなかった。

 巨大な掌の上で、無数の魔獣達は身を寄せ合って怯えている。

 そう思えてならなかった。

 

 

 

 

 伸ばされた手が魔獣の一角に触れ、指が曲げられた。

 その瞬間、宇宙が揺れた。

 

 

「な…」

 

 

 ずるりという揺れを、少女は振動ではなく感覚で感じた。神格としての知覚能力故だろう。

 曲げられていた指が伸び、また掴んで引かれる。再び同じ感覚を覚えた。

 そして無数の魔獣の苦痛と恐怖の叫びを。視線を送ると、少女は驚愕に目を見開いた。

 宇宙を覆っていた闇が、その大きさを半減させている。

 また指が伸びて、掴んで引いた。その途端、闇は消えていた。

 

 後に残ったのは、宇宙本来である漆黒の色。

 その中で、その存在はより色濃い黒色で輝いていた。

 握られた五指は、魔獣の闇を掴んでいる。

 圧搾された苦痛からか、闇は必死に蠢いていた。

 最も多い骸骨型や騎士型、歯車を生やしたものや蜘蛛のような怪物じみた姿のもの、果ては魔法少女を模したような姿の魔獣達が同類を踏み砕きながら必死に拘束から抜け出ようとしていた。

 だが五指の拘束は緩まず、逆に圧搾が強まり抵抗は完全に打ち砕かれた。手からはみ出していた魔獣達が、完全に手の中へと納まる。

 

 この存在は自らの前に追い遣られた宇宙規模の魔獣達を、ただ掴んで引き寄せ拳の中に閉じ込めたのだった。

 例えるなら、机の上にでも置かれたA4サイズ程度の紙を掴んで握って纏めたという風になるだろうか。

 現象としてはそれと同じでも、理不尽に過ぎている。

 あらゆる法則を無視した、いや、この存在こそが法則であるかのような無法極まりない暴虐だった。

 だが、その先があった。

 

 

デハ頂クトシヨウ

 

 

 何を言ったのか、少女は理解できなかった。聞こえていたが、理解を拒絶していたと少女は思った。

 

 

奪ッタ光ヲ私二渡セ

 

 

 そう言って、その存在は口を広げた。

 砕けた装甲の様だと少女は思った。横に引き裂けた装甲は、剥き出しの歯と歯茎を思わせた。

 その中へと、魔獣達は放り込まれた。悲鳴と怨嗟と、そして絶望の叫びが上がった。

 しかし悍ましい音は、一瞬で消え去った。口が閉じられた時、宇宙には静寂が戻っていた。

 ガラダとダブラスと呼ばれた奇怪な者達も消え去っている。

 宇宙には桃色の宝玉と、漆黒の巨影だけがあった。

 

 

トコロデ

 

 

 思念が届いた。それは流れて来たのではなく、少女の元へと直接届いていた。

 

 

其処二、誰カイルノカ?

 

 黒い巨体の頂点、魔獣を喰らった口の上にある二つの眼が、遥か彼方の少女の方へと向けらえていた。

 鋭い切り込みの眼窩には、渦が巻かれた瞳があった。

 あれは地獄だと、少女は思った。あの巨体の内側には地獄があり、それが眼を通じて外に漏れ出しているのだと。

 その眼は、次の贄を渇望しているかのようにも見えた。

 既に疲弊しきり、動くこともままならない。それに自分を散々に弄んだ魔獣を文字通り手玉に取った相手に何が出来るというのか。

 しかし相手が誰であれ、素直に従う気は毛頭ない。

 

 

「暁美さん」

 

 

 臨戦態勢に入った際、闇の少女は声を聞いた。自らの内から届いた声だった。

 

 

「あれは多分、多分ですけど、きっと、おそらくは大丈夫です」

 

 

 何を言っている、と少女は思った。

 

 

「なんか…私と似た雰囲気を感じます」

 

「…はい?」

 

 

 思わず声が出た。流石に正気を疑い、反論すべきだと思った。

 

 

「ですがとりあえず、今は」

 

 

 言葉の途中で、少女の姿が掻き消えた。正確には、不可視の存在となったのだった。

 消えゆく寸前、ほんの僅かに緑の輝きが薄っすらと生じていた。

 不可視となった少女は、視線を向けていた者を見た。彼方で、渦巻く瞳がギョロリと動くのが見えた。その焦点は、こちらから大きく外れているように見えた。

 安堵を抱く前に、少女は飛翔していた。桃色の宝玉を目指し、その中へと飛び込んでいく。

 

 視線を逸らせていた漆黒の神は、闇の少女が飛び込んだ場所に視線を戻した。

 少女らは確かに不可視であったが、例外も存在するらしい。例えば、そのもの自体が光である存在など。

 少女達が消え去るのを見終えてから、巨影は両手を宝玉へと翳した。

 それぞれの手の中央から、桃色の粒子が溢れ出した。

 粒子は宝玉へと向かい、その欠損を埋めていった。見る見る間に、宝玉は元の大きさを取り戻していった。

 惑星ほどの大きさから、太陽系へと、そして銀河系から、更に拡大し一つの宇宙の大きさとなった。

 

 

漸ク此処マデ来タカ

 

 

 影は呟き、そして背面の翼を輝かせた。

 真紅の円環が輝くと、その巨体は漆黒から純粋な光へと変わった。

 自らの形の輪郭を放棄し、光の影とでも言うべき曖昧な形へと変貌していく。

 それが完了した時、光の影は宝玉の中へと吸い込まれていった。

 宝玉の表面には傷一つ、接触による波紋の一つも浮かんではいなかった。

 初めから何もなかったかのように、宝玉は美しく輝いていた。

 

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