灰の海を越えて   作:赤穂あに

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一度も見たことがない

 

 感応受容型ビーコンの敷設計画が開始してから、テツコは目に見えてクリサンセマムにいる時間が減った。

 元から多忙な身ではあったが、以前は少なくとも朝晩のどちらかは必ず食事を共にしていた。それが今や、一週間姿を見せないこともざらにある。

 グレイプニルや他のミナトで寝泊まりしているならともかく、もっぱら寝床はグロブの中だというからクレアは目眩がした。食事もレーション中心だと聞き、たまらず連絡をした。普通の人間であればとっくに体を壊している。

「お願いですから一度戻ってきちんと検査を受けてください」

 今にも泣き出すのではないかというクレアの悲痛な声色に、テツコはすまないと短く謝罪をし、浮かれていたから気にもしていなかったと返した。

「浮かれてた?」

『ああ。思ったより上手くいって、じっとしていられなくてな』

 必ず今日中には戻るし、明日でよければメディカルチェックを受けると約束して、テツコとの通信は終了した。クレアはまあそういう気持ちにもなるのかな? と、先日参加したプレゼンを思い出す。

 バラン発とは思えないほど公益性の高い事業は、好調なスタートを切っているそうだ。クリサンセマムにもデータ提供のために使用する分がすでに届いており、順次敷設作業が進む予定だとイルダに聞いた。

 何かしら怪しい仕掛けでも施されているのでは、と何個かキースが分解していたが、オートで情報を抜くような仕込みもなければ、粗悪品が混じっている様子もなかったと聞いている。付け加えるなら、特段珍しい技術でもないのが悔しいと歯噛みしていた。

 アイデア負けではなく、実現できているのが末恐ろしいという意味だそうだ。ビーコン全てにアーティフィシャルCNS──つまりはアラガミのコアを使用している。つまり、生産数イコール回収できたコアの数ということになる。

 テツコさんの全面協力って、いうまでもなくそこだもんなぁ。

 一体全体、計画のゴーがかかるまでに何体のアラガミを倒したのかわからないし、討伐した数だけビーコンに使用できるだけの状態でコアが回収できるわけでもない。そう考えると、途方もない話だ。

 それが実ったという話なら、浮かれてしまうのもわからなくはない。浮かれた結果、寝食を粗末にして朝から晩まで駆けずり回るようになってしまうのは全く意味がわからないが。

「ともかく、無理は禁物ですよ。……恐ろしいくらいに全て健康的な数値ですけど」

「体の丈夫さには自信があるんだ」

「過信しないでください。テツコさんだって、突き詰めればただの人間なんですよ」

「久しぶりにそんなこと言われたよ」

 普段どんな扱いをされてるんだと返しそうになって、船医という立場がなければ自分も似たようなものかもしれないと口をつぐむ。テツコには──クレアにとってはシュヴァルも同じだが、なぜだか大丈夫だろうという信頼が勝ってしまうのだ。

 それでも、医者として、仲間として。そんな信頼とは別に苦言を呈するのも自分の役目である、とクレアは理解している。

「だったら尚更、検査の時期くらいはきちんと帰ってきてください。ちょっとでも悪いとこ出てきたらお説教してあげます」

「それは怖い」

 ちっとも恐れていないような笑顔で、テツコは気をつけるよと返事をした。

 

 テツコさんて昔からああなんですか、とクレアがいささか疲れた顔でアインに尋ねた。アインには『ああ』というのが何を指すのか正確にはわからなかったが、ここしばらく声も聞いてないことから死なない程度の無茶なら簡単にしてしまうところだろうかとあたりをつけた。

 アインの返答に、クレアはやっぱり昔からそうなんですねと思いっきり顔を顰めた。その表情と言葉に、アインはかつての仲間を思い出す。

 リーダー! テツコ! と、年下からことあるごとにいい加減にしろと叱られていた日が懐かしい。

「言っても聞かないだろうから諦めろ」

「なんとなくそんな気はしてました……」

「あれでもマシになった方だ」

「あれで?!」

「……いや、語弊があるな。なんと言ったものか……、無茶はするんだが、道理を引っ込めるほどの無茶は単独ではしないようになったというか」

「なんのフォローにもなっていませんよ……」

 クレアはため息をついて、浮かれるのも程々にしてくださいってアインさんからも言ってもらえませんか、と言った。

「浮かれる?」

 昼間の自分のような返しをしたアインに、クレアは数時間前に聞いた話をした。テツコが事業のスタートが好調なため浮かれているらしい。その結果仕事を詰めるなんて、ワーカーホリックなんてレベルじゃないと額に手をあてて、クレアは重ねてため息をついた。

「そうか」

 アインが思うに、テツコはビジネスに興味がない。というか、極東には利益を上げようという発想がない。そんな暇はないからだ。

 人々の生活の安全につながることが嬉しいのだという意味なら、理解はできる。しかし、それで浮かれるタイプではない。嫌な言い方だが、その安全がいつまで担保されるかなど誰にもわからないのだ。浮かれている場合ではない。

 アインは、釘は刺しておこうと短く答えて、クレアと別れた。脳裏には、胡散臭さしか感じなかったテツコの笑みが浮かんでいる。

 明確に、嫌な予感がした。

 

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