開けた荒野の真っ只中に、テツコとイェスタはいた。
酒に一服盛られ、グロブに一晩監禁されていた寝起きのイェスタは辺りを見回し大声で助けを呼んだ。もちろん、助けなどこない。
バランで唯一ともいえるイェスタへのパイプ役は、感応受容型ビーコンの注文対応でここ最近は朝から晩まで暇がない。
ついでに、今日はイルダとリカルドも商談としてバランへ赴いているため、イェスタの不在に気がつくのは早くて日が暮れてからだろう。
万が一、無線機の類を所有していたところで、周辺一帯の電波をジャックしているのでやはり意味はない。これはキースに頼んである。
じりじりと日光とオラクル細胞に肌を蝕まれながら、イェスタは力なく隣に立つテツコを見上げた。悍ましさを覚えるほどに、昨日の夜見た表情となんら変わらない。
「た、ただの人間を灰域内に連れ込むことが、灰域航行法違反に該当することをわかっているのか……?」
「貴様がしたことと比べれば可愛いものでは?」
イェスタはそれがなにを指すのかわからず口をつぐんだ。心当たりが多すぎてわからないのだ。呆れた奴だと思いながらも、テツコは特に問い詰めることはしない。
追い詰めるのはテツコの仕事ではない。
なんとか状況を打破しなければと頭を回すイェスタの思考を乱すように、咆哮が轟いた。荒野の端の岩山に一つの影が乗り上げて、また一つ吠えたと思ったらこちらに向かって駆けてくる。
「ゔぁ、ヴァジュラ?!」
グロブの陰に身を隠そうと這いずるイェスタの首根っこを、テツコはなんの遠慮もなく鷲掴んで自身とヴァジュラの間にその身を引き戻した。
何をすると抗議の声を上げるイェスタを無視して、地面に突き刺してあった神機を引き抜き銃形態に切り替え、ありったけのバレットを打ち込む。
アサルトの連射に怯みながらも二人に突進してくるヴァジュラが距離を半分ほど詰めたところで、頭部の結合崩壊が起きダウンする。
削ってあるとはいえさすがに倒し切るのは無理か。
仕方なくイェスタをその場に放り出して、テツコはヴァジュラに接近する。起き上がりざまに正面から捕喰し、狙いをテツコに定めたことを確認した上で背後に回る。
ヴァジュラが常に自分とイェスタの間に位置するように立ち回る。じりじりと後退していくヴァジュラの背中が、少しずつ、少しずつイェスタに近づいていく。
イェスタは身を隠すことも忘れて、体を硬直させながらヴァジュラの後ろ姿を凝視した。こちらを向くな、自分に気がつくなと祈りながら、浅い呼吸を繰り返している。
びりびりと肌が痛い。ずくずくと肺が疼く。口が渇き、喉が干上がり、もはや悲鳴を出す余力もない。
十分ほど経っただろうか。ヴァジュラが最後の咆哮を上げて地面に転がった。慣れた手つきでテツコはコアを回収して、イェスタの元に戻ってきた。
「これ以上は命に関わるんだが、自覚はあるか?」
「あ……? あ、ああ!」
アラガミに喰われるかもしれないという恐怖が和らぎ、代わりに襲ってきたのは灰域の中に長時間滞在してしまったという絶望だった。
自覚と同時に突き刺すような肌の痛みと、強烈な喉の渇きが襲ってくる。
「頭は無事なようでなによりだ」
テツコはイェスタの体を起こし、グロブの中の積荷から水を出してその口に突っ込んだ。飲み口が歯に当たった痛みに顔を顰めながらも、イェスタはそれを夢中で飲み干す。
げほげほと咳き込み、声がまともに出るようになったイェスタはテツコを睨みつけ怒鳴りつける。
「お前……こんなことをしてただで済むと思うなよ!」
「私の行為を裁くのは貴様ではない」
イェスタの身は再びグロブの中に戻された。扉も閉ざされ、薄暗い車内に一人取り残され、これからどうなるのかを考える。
「倉橋テツコ、お前の望みはなんだ?」
テツコからの返事はない。無線越しに、別のアラガミがまた近くに来ていることと、テツコがそれに対応していることがわかった。
時折、車体が大きく揺れる。アラガミの攻撃がグロブに当たっているのだ。灰域の中を泳ぐように自由にひた走るグロブが、並の耐久値ではないことをイェスタは知っている。
脅威と隔絶され、イェスタは落ち着きを取り戻した。この安全な牢屋の中で耐え忍べばいいのだ。一晩も経てば不在が知られ捜索される。それまでただ、待っていればいい。
「はは、ははは……!」
簡単なことにようやく気付いて、イェスタは一人で笑った。十数年耐えてきたのだ、たった一晩くらいどうということはない。
外からもたらされる戦闘音から耳を背けて、絶え間ない揺れを無視して、息を殺す。それだけでいい。
『貴様はいつもそうやって目の前の状況から逃げ出す』
「……なんだと?」
『自分より若い優秀な研究者を認めない、主席研究員として携わった計画の中断を認めない、折衷案を出そうとする仲間の意見を認めない、挙げ句の果てに、自らが引き起こした欧州の現状すらも認めない』
「あれは私の責任ではない!」
イェスタは必死に否定した。ラグナロク計画の失敗の原因はセントラルコアにあったのだと。現に、ラグナロク計画と基本設計を同じとする感応受容型ビーコンは素晴らしい結果をもたらしたのだ。
セントラルコアの部分を感応レーダーに、すなわち、人間であるゴッドイーターに置き換えたことで成功した。ジョサイアのナノマシンも、イェスタの伝送技術の理論も、なにも破綻はなかった。
「ソーマ・シックザールが提唱したセントラルコア! あれだけが唯一の失敗だったのだ!」
『彼はその懸念を貴様に伝えたはずだが?』
「はっ! 人並みの知能と意思のことか? そんなこと起こるはずがない、だかがアラガミのコアに」
『起きるんだよ、イェスタ・ヘイデンスタム。アラガミは人の心を獲得するし、人より、貴様より、人間らしくなるんだ』
イェスタが違う違うと否定の言葉を繰り返すのを、グレイプニル評議会の面々は黙って聞いていた。
イェスタ・ヘイデンスタムが生きていたこと。彼がこの灰域を生み出した張本人であること。その罪をソーマ・シックザール──アインへ押し付けようとしていること。
徹頭徹尾、自己中心的なその主張に青筋を立てる者もいれば、顔が青ざめる者もいた。そしてその多くが、意識をアインとその腕にしかと縋り付くフィムにむけている。
アインは、グレイプニル評議会に呼び出しを受けていた。詳細は伏せるが心当たりはあるだろうと言われてしまえば、アインに断る道理はない。
素直に召集に応じたアインを待っていたのは、ガドリンを中心とした評議会のメンバーとフィムだった。
「どうしてフィムがここにいるんだ?」
「テツコのおてつだいするの!」
そう言って、アインの右手を取って席に案内した。それからずっと、腕にしがみついて離れない。
フィムの本日の任務は、アインを決して離さないことだ。そうすればアインに邪魔されないというテツコの目論見である。
あれほど明確に関わることを良しとしなかったのに結果としてフィムに手伝ってもらうことになったのは、仕事の依頼として対価を差し出すことで見ないことにしている。
フィムだけではない。バランに送られたイルダとリカルド、電波ジャックによりイェスタとテツコ以外の無線をシャットアウトしつつ二人のやりとりをグレイプニルとバランを除く全ミナトに飛ばしているキース、荒野を囲って付近のアラガミを全て荒野の中に追い込みイェスタを脅かしているその他ハウンド総員。
クリサンセマムの乗組員ほぼ全てを丸一日雇い、総額数億の金を払ってテツコは今を実現している。
「フィム、頼むから離してくれ。これ以上はやりすぎだ」
それでも、アインはテツコの過剰な暴挙を看過できない。
「でもテツコは、ほんとはもっとおこってるよ。ずっと、ずーっとおこってるの」
フィムは負の感情は好きではない。肌がちくちくぴりぴりして、悲しい気持ちになるからだ。テツコからは、初めて会った時からずっとそういう気配がしている。
「テツコはね、ずっとおこってて、でもフィムにこわくないよってわらってくれるんだよ」
煮えたぎる怒りの中にテツコはずっといる。それを覆い隠して笑い、語らい、共に歩き、今日に至った。誰にも語らず、悟らせず、昨日まで力の一つも借りずに、イェスタを日の下に物理的に引き摺り出した。
途方もない執念の根幹にあるのは、決して憎悪や憤怒のような負の感情ではない。
「フィムは、テツコのおてつだいをするってきめたの」
キリッとした顔をして、フィムは腕に力を込めた。アインにしてみれば、振り解こうと思えばいつでもそうできる程度の力しかない。しかしそれはできないと、この欧州ではテツコだけが理解しているのだ。
嫌な予感は当たっていた。もっと早く気が付くべきだったとアインは後悔した。ガドリンの手によってほとんど全てを抹消されたはずのソーマ・シックザールの情報が、バランの手にあった時、わずかに違和感はあったのに。
『もう一人で抱えるのは諦めろ』
ふと、かつてテツコに言われた言葉を思い出す。なんでも一人で抱え込みすぎだと、笑われ、背中を叩かれた。あの時自分は、なんと答えただろうか。
そう言ってくれた友人が、今こうして多くの力をかき集めて、一つのことを成そうとしている。どうしてこうも自分はいつも同じ過ちを繰り返してしまうのか。辟易しながら、アインは静かに時が経つのを待った。