アローヘッドにある中央裁判所。各ミナトから足を運んだ多くの傍聴人が見守る中、被告人として裁判に立たされたテツコの罪状は、拉致監禁と耐性のない人間を灰域内へ連れ込みその命を脅かしたことだった。
ユウゴたちのようなAGEからすれば、後者の罪はあってないようなものだったが、法に記されている以上無視はできない。手錠で拘束されながら、テツコ自身も一切の弁明なくおおよその罪を認めた。
否定したのは二つ。共犯者の存在と殺意のみ。
「イルダ・エンリケスはミナトのオーナーとしてバランへ商談に赴いたに過ぎないし、ユウゴ・ペニーウォートをはじめとしたハウンドの面々も私からの依頼に基づき契約を履行しただけ。契約書を交わしたはずだが、確認したのか?」
「通信妨害や転送、アラガミの集約、個人の拘束。これらが真っ当な契約内容だとでも?」
「真っ当かどうかは関係ない。この場合あなた方が証明しなければならないのは、彼らが私の意図を理解して協力したという根拠だ」
そしてそんなものはないとテツコは断言した。
通信妨害の被害報告はなく、衝撃的な内容の通信への反応は全てイェスタへの憎悪となった。遭遇したアラガミは問題なく全て対処され、アインがフィムを邪険にした事実もない。
客観的事実だけを並べれば、被害者はイェスタ一人で加害者もテツコ一人なのだ。テツコが金銭的価値を提示して動いた人々は、あくまで利益追求の結果テツコに協力する形になっただけ。要は、利用されたのだ。
「私なりに欧州のやり方を学んできたつもりだが、詮索されたくない場合は金を積むんだろう? 郷に従った気でいたが、間違いだったか?」
ガドリンを、イルダを、フィムを順に見て、テツコはわざとらしく首を傾げながら視線を裁判官に戻す。裁判官はその意図を正しく理解し追及をやめる。高額な報酬で言葉を濁すことを否定すれば、グレイプニルを──このアローヘッド、ひいては中央裁判所の根幹を否定することになる。
テツコの主張は認められた。完全なる単独犯として、全ての罪はテツコ一人が背負うこととなった。そして判決が下される前に再度問われたのは、殺意に関してだった。
殺すことが目的でないのなら、なんのための犯行だったのか。
この裁判を傍聴している者のほとんどが、あの日のやり取りを聞いている。テツコの出身、アインの正体、イェスタの罪を重ね合わせて、予想した答えは互いに確認せずともおおよそ一致していた。
それを、テツコは否定した。
「目的はイェスタ・ヘイデンスタムを徹底的に痛めつけること。いっそ殺してくれと懇願させること。その上で、決して死ぬ自由すら与えられなくなること。非常に残念でならないが、二つ目は叶わないだろうな」
殺意はないが、強い悪意を持っていたとテツコは言った。だから灰域に連れ込み、アラガミの前に突き出したとのだと。当時の周辺灰域濃度を何度も測定し、人体の耐えうる時間にある程度のゆとりを持って、しかし確実に体に異変が出る程度に野に晒した。
「それでも、あの男はかけらも殊勝な態度にはならなかった。残念だ、とても」
そう言ったテツコの顔には何の感情も宿っていなかった。言葉と異なり落胆した様子はなく、かといって憤るそぶりもない。
底の見えない恐ろしさに、裁判官はぞっとした。今のテツコを覆っているのは紛れもなく理性だった。明確な害意を、敵意を、悪意を。押し潰すほどの理性。それを持ち合わせてなお実行に移された犯意。
「判決を言い渡す」
テツコは一ヶ月間のグレイプニルによる監視と、バランを除く全ミナトからの依頼への無償奉仕が言い渡された。ミナトの規模に応じて件数は設けられるが、事実上少なく見積もって向こう一年間の自由はない。
しかしそれは、欧州で今までテツコが過ごしてきた状況とほとんど変わらず、加えるなら期間は少しばかり短い。
「拝命した」
この地に辿り着いて一年と数ヶ月。テツコの望みが叶おうとしていた。
裁判とは名ばかりの査問委員会は続いた。テツコは手錠はそのままに席を移され、空いた被告人席にアインが立たされた。テツコと同じく、その両手は拘束されている。
「宣誓文を読み上げる前に、被告人には伝えなければならないことがある」
アインには、ここではソーマ・シックザールとして扱われること、アインとしての経歴もソーマ・シックザールのものとして扱われること、アインに下される罰と同等のものがテツコにも与えられることが告げられた。
ほとんど無意識に抗議の声を上げたアインに、裁判官は一年近く前から決まっていたことだと告げる。グレイプニル評議会の議事録も提示された。
「それを理解した上で、宣誓を」
アインが席を移したテツコを見ると、目が合った。先ほどの重苦しさはどこへやら、天井にまっすぐ突き立てたサムズアップとウインクが返ってきて、アインは静かにキレた。テツコの両脇のグレイプニルのゴッドイーターも目に見えて引いている。
証言台がミシリと音を立てた。あわやバキバキと音を立て粉砕しそうなところを、深く息を吐き心を鎮めて宣誓文を読む。
真実のみを語ること。隠さず、偽りを述べないこと。言われずともそうすると決めていたことを改めて宣誓させられながら、アインはとうとうこの日が来たのだと少しだけ安堵の気持ちが湧いてしまう。
テツコは一度たりとも、厄災の日の時のことを聞こうとはしなかった。リンドウから少なからず話を聞いているはずなのに、気にするそぶりをしたこともない。
自身の罪を忘れたことなどない。それでも、アインにとってテツコは象徴だった。強い光であり、絶対的な道標。共に歩いている間は必ず目的地に辿り着ける。そんな気持ちにさせてくれる存在。
だからイルダの執務室にいるテツコを見たとき、手で触ってその存在を確認したとき、アインは信じ難いほどの喜びと幾許かの不安を感じた。
何もかも上手くいきすぎて、なんだかんだで許されてしまうのではないか。言葉で表しようのない、本当に漠然とした予想だった。
「まずは事実確認を」
灰域が発生するに至った要因がラグナロク計画にあること、計画の欠陥を認識していたこと、その上で起動実験が行われたのが厄災の日であること。
「起動実験に被告人は立ち会っていない。相違ないか?」
「その通りだが、証明はできない」
先日のイェスタの一件があったとしても、ソーマ・シックザールへの疑いが完全に晴れたわけではない。相対的にイェスタに過失の比重が傾いたが、セントラルコアが計画に致命的な打撃を与えたことは間違いではない。
アインが自覚する罪は、まさしくそこだった。唯一実験を止められる立場にいながら阻止できなかったことと、止めざるを得ない要因を生み出してしまったこと。
特に前者は水掛け論にしかならない上に、後者は言い逃れのしようもない。
裁かれる機会への安堵はある。ただ同時に、最悪の結末は避けなければならない。アインの罪は、もはや本人だけのものではなくなったのだ。
「それに関しては、倉橋テツコ氏より証拠の提出がある」
裁判官が右手を軽く上げて合図を出すと、音声が流れ始めた。
『こちらテツコ。ソーマか、久しぶりだな、どうした?』
『例の計画のことで頼みがある、リーダー』
セントラルコアの脆弱性を共有した後、アインはすぐさまテツコへ連絡を取った。
『セントラルコアの設計見直しのために数年かかる。その間、部隊を離れる許可がほしい』
『許可する。博士にも話は通しておくから、お前が納得できるまでやればいいさ。私に難しいことはわからんが、後ろ向きなソーマがそれだけ力を入れるんだ。希望の見える話なんだろう』
『そうだな……』
テツコはアインの背中を押した。テツコはこの時の決断を、少し後悔している。
『彼らと話していると、夢を見るのも悪くないと、そう思う』
それでも。自分の知らないところで新しい繋がりを築き、それを大切に思う友人の応援をする以外の選択肢などテツコにはなかった。
『そうか。ソーマがそこまで言うなら、極東支部として何かしら支援ができないか、博士と協議しておくよ』
『悪いな、助かる』
『いくらでも待ってやるし、横槍にならない程度の援助はするさ。数年後のいい知らせを待ってるぞ』
『ああ、必ず』
音声が止まり、場は静まり返った。裁判官の声がやたらと響いて聞こえる。
「被告人はラグナロク計画の欠陥を指摘し、上官から許可を得てフェンリル本部に残りその改善を図る予定だった。相違ないか?」
「……ああ」
「よろしい。他に何か供述しておくべきことはあるか?」
テツコが何故このやりとりを保存し、この場に持ってきたのか。どうして、同等の罰を受けるなどという手回しを済ませていたのか。アインには容易に想像がついた。
「もとより、どんな罰でも受ける覚悟だ。これ以上の弁明はない。ただ、叶うことなら時間が欲しい。この灰域の問題を解消するまでで構わない、その後でなら、どんな形でも罪を償う」
お前のせいで自分が死ぬぞと脅しておいて、どうあったって極刑だけは免れるだろう証拠で固める。ここまでお膳立てをされたのなら、前に進む以外の答えはない。
アインが席を譲り、イェスタが室内に入ってきた。相当暴れたのだろうか、ゴッドイーターでもないのにアインやテツコよりも大仰な手枷がつけられ、自力ではなく連行されて証言台に立たされた。
扱いはアインと変わらない。バランのオーナーとしての経歴も、イェスタ・ヘイデンスタムのものとして見做される。異なるのは、彼にはアインにとってのテツコのような、上に立つ者が、連帯責任者となる者がいない。
彼はずっとバランの最高責任者である。
「相違ないか?」
「……バランは、私とジョサイア教授で興したミナトだ。教授が亡くなられるまで、実質的なオーナーは教授だった」
ジョサイア・クオン。この場に唯一いない厄災の三賢者は、すでにこの世を去っていた。
『重圧に耐えきれずに自ら命を絶たれたのだ』
だからなんとしても、灰域の問題を解決しなくてならないのだと、イェスタが以前語ったことをテツコは思い出す。教授の無念を晴らす、我々の汚名を雪ぐ。
アインと同じゴールを見ているはずなのに、その先の景色にこうも違いが出るものかと呆れたのを覚えている。
「起動実験は、私と教授の二人で実行した。念を入れてネットワークを遮断し本部の一部のマシンだけを使用した。セントラルコアの起動前にナノマシンの一括非常停止動作テストもした。万が一を考慮して、ある計画で用いられた『お守り』も身につけていた」
それなのに、セントアルコアは暴走した。自己判断でネットワークを再構築し、停止信号を無視し、捕喰対象の指定コードを内部から破壊した。
「出来上がったのは、ご存じの通り地上に存在する全てを喰らう喰灰だ」
イェスタとジョサイアはミナトを運営する中で、さまざまな発明を生み出し着実にバランを大きくしていった。骨身に染みて知っているのだ、大きな計画には金が要る。それはラグナロク計画の失敗の一因でもあった。
二人は文字通りなんでもした。目を覆いたくなるようなことも、耳を塞ぎたくなるようなことも、胃から迫り上がってくるものを何度も飲み込んで成し遂げた。そうして、バランが今のような地位に上り詰めた頃、ジョサイアは短い言葉を遺して逝った。
「何もかも間違いだった、遺書なら私の執務室に残っている」
イェスタは全て認めた。その上で可能な限りの安全策を取り、命からがら生き延び、手段を問わず金を集め、技術を磨いてきた。感応受容型ビーコンによりこの灰域への対抗策を生み出せることも証明した。
「私と教授に落ち度があるとすれば、実績に乏しい若い博士を計画に迎え入れたことだろうさ」
イェスタはそう締めくくり、アインを一瞥し、テツコに顔を向け鼻を鳴らした。
「他に、何か供述しておくべきことはないか?」
「あるとも。弁護士も呼ばせず裁判を名乗るこの不届きに対しても、証拠や証言を当事者にのみ依存する愚かさに対しても、私は断固抗議する」
これのどこが裁判だとイェスタは吐き捨てて、以上だと口を閉ざした。
イェスタが指摘した通り、いま行なわれているのは裁判ではなかった。なにせ、全員が元々フェンリルの人間で軍属である。それは当然、厄災の日もそうであった。
裁判とは、その時の状況を鑑みて執り行われるものだ。であればアインとイェスタの件は軍法上で裁かれるべきである。
「君の行いは当然、厳罰に値する」
裁判長に代わって口を開いたのはガドリンだった。これが事実上の軍法会議であると示された以上、その役割は実質的にフェンリルを引き継いだ者へと移される。
「しかし、今となってはその裁くべきフェンリルも存在しない。そして、その壊滅を引き起こしたのは紛れもなく君だ」
「あれは事故だった!」
「君は刃物で怪我をした時に、研いだ職人を訴えるのかね? 車で人を轢いた時に、思った以上にスピードが出たと言えば罪が軽くなるとでも?」
イェスタが言っていることは、ずっとその類だとガドリンは切り捨てた。最後のスイッチを押した行動を一切無視して、道中に存在した要因を拾い上げてはそこに責任転嫁する。
「君が犯した罪は命の一つ二つでは賄いきれない。加えて、悔恨の欠片も見当たらないのでは救いようもない」
「ずいぶんとご立派なことを仰る。千のAGEに死ねと宣った御仁の言葉とは思えませんな」
「私の裁決では不服だと言うのならよかろう。倉橋テツコ少佐」
「……は?」
イェスタの漏れた疑問の声は場のどよめきの中に消えた。指名されたテツコでさえ、目を丸くして驚いている。
「彼女は正規のフェンリルの佐官だ。じゅうぶん相応しい立場の人間だろう」
「だ、誰より相応しくないだろうが!」
唯一ともいっていいイェスタの真っ当な指摘を無視して、ガドリンは指先一つでテツコの手枷を外させる。イェスタにことを言い渡すだけなら、その行動に意味はない。
テツコはガドリンに試されていることを理解し、自由になった腕を組む。答えは最初から出ているのだが、それを口に出すかどうかが悩ましい。
深く長いため息を静かに吐き出す。証言台を挟んでほとんど正面に座らされているアインと目が合った。
だから、答えはずっと決まっている。
「イェスタ・ヘイデンスタム」
びくりと肩を揺らした様子から、頼まれたって殺しはしないと笑われたことは頭から消え去っているようだ。
もしくはすでに用済みとなった自覚があるのかもしれない。
あの時生かされたのはあくまでソーマ・シックザールの刑罰を軽くするためで、もはやその命を確保しておく理由もない。イェスタがそう考えてもなんら不思議ではない。
「貴官がもたらしたこの惨状に報いるためには極刑ですら生ぬるい」
おびただしい数の人が死んだ。それこそ、ガドリンの千人など可愛く思えるほどの。だからイェスタは本来ガドリンに唾を吐きかける資格などない。その自覚がないことが、なにより罪深い。
「公平な裁判が所望であれば、今ここで決を取ってもかまわん。希望するか?」
イェスタは答えない。テツコはイェスタに返事を促すこともなく、どれほど憎まれ恨まれ死を望まれているのか知りたくなければ、そのまま黙って聞けと命じる。
「貴官が行く着く先は極刑だ。これはもう免れない。しかし、揺るぎようのない立功を無視してその結論を出すわけにはいかない」
アクセルトリガーの開発はハウンドの戦力増強に繋がり、欧州一の猛者であるハウンドの強化は欧州全体の利益である。感応受容型ビーコンの開発もまた、今後全ての航行の安全性を飛躍的に高め生存率に直結する。
驚愕で目を見開くイェスタ以上に、傍聴人がざわついた。テツコは一切合切を無視して続ける。
「貴官は人類最後の砦、フェンリルの技術者だ。殺した以上にその命を繋ぐ義務がある。それが償いというものだ。そのためにも、貴官はまず生きていなければならない」
死ぬのはその後でも遅くはなかろう。役に立ってから死ぬといい、貢献度によっては更なる減刑も認められるかもしれないし、刑の執行はなんの目処も立てられないと見極めてからでもいい。
「ジョサイア・クオンは、自ら命を断つべきではなかった。どこで何を間違えたのだとしても、償いの道を加害者自身が決める道理はない」
兎にも角にも、生きていなければならない時代を我々は生きている。
「貴官の身柄を、常時グレイプニルの監視下に置く。その上で、今後の人類の存続に寄与する価値を提供し続ける。できなくなった時点で刑の執行もしくは、それを見送るだけの功績が客観的に認められた場合に限り、次こそ弁護士付きで裁判だ」
軽やかに回り出したテツコの舌に合わせて、場内のざわつきは増していく。各々が賛否を口に出し、議論し始める。その間、イェスタはじっとテツコの目を見ていた。テツコの上向きのまなじりも真っ直ぐイェスタを見返している。
「私からは以上だ」
視線をイェスタからガドリンに向け、テツコは進行を促す。
「グレイプニル麾下の諸君、異論があれば申し出たまえ」
警護に立つ者、監視につく者、評議会の顔ぶれ、傍聴人に混じった個々人。片腕に赤い腕輪をつけた誰一人として、異議申し立てる者はいなかった。
「裁決はなされた。イェスタ・ヘイデンスタム。君の刑罰は二十四時間体制の監視、および無期の無償奉仕に決まった。死に物狂いで人類の未来に尽くしてくれることを期待している」
苦虫を噛み潰したような顔のイェスタを見て、テツコは隠すことなく大きなため息をついた。全くどうして、自分がこんな役回りをしなければならないのか。
誰一人として私が当初予定した動きをしてくれなくて台パン寸前だった。
20250615
なんで私は十万だと思っていたんだ???桁が二つ違うのだが?????(修正しました)