灰の海を越えて   作:赤穂あに

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幕引き

 

 裁判の夜、テツコは一人独房の中にいた。扉の上部についた鉄格子以外、なんの飾り気もない退屈極まりない空間だ。

 数日間この部屋で過ごした日々が、テツコにとってそれはもう苦痛であったことを、いったい誰が理解できるであろう。本音を言えば、この先一年間こき使われるよりもよほど厳しい罰だった。

 やることがないのは苦痛だ。仕事に追われて、体を動かして、疲労のキャパシティが満たされたらそれがまた空になるまで眠る。起きたらまたその繰り返し。それくらいがちょうどいい。それこそ今日みたいに頭や口ばかり動かした日は、夜を徹して走りまわるくらいしておきたい。

 何もない時間は毒だ。脳を、精神を蝕んでいく。あの言葉は正しかったのか、あの振る舞いは間違っていなかったか。考えても仕方がないことを延々と考えられてしまう。

 口に出した声は戻らないし、振り翳した暴力は消えない。そこに後悔はない。してはいけない。赦しを与えられる余地があるはずだと、他でもない自分が言ったのだ。半分言わされたようなものであっても、それでもテツコが自身の意志で形にした。

「それでもなぁ」

 静かな夜だ。扉の向こうに人の気配はなく、そこからつながる通路にも足音すらない。こんな鉄扉一枚であればおそらくテツコはこじ開けられる。本来であれば見張りをつけるべきなのに、数日の模範囚的振る舞いと、あたかも公平無私であるかのような裁決に、すっかり警戒などされなくなってしまった。

 全くもって不服である。特にガドリンは、テツコが無私であるはずがないと知った上でのあのやり口だ。伊達にかつてはフェンリル本部の上層部で生きていないと、舌を巻く。

 テツコ自身、こちらが上手く使うばかりではいかないだろうと想像はしていたが、返し方の趣味が極悪だった。よりにもよって、としか表現しようがない。

 軽く目を瞑り、二、三度深呼吸をする。繰り返すが、だからこういう時間が嫌いなのだ。

 潔く眠ってしまおうと、上等さとは無縁のベッドに横たわる。硬いベッドで眠るのも、もう随分と慣れたものだ。

 眠る、眠る、眠る。瞼をぴたりとつけ、静かに呼吸だけをする。五分もすれば視界に引っ張られるように意識も暗がりへと転がっていく。

 夜が明ければ、テツコは部屋を移る。常に人の目に晒すために大部屋でひと月寝泊まりする。アインは、一度ダスティミラーに帰ると聞いた。イェスタは、今日を粛々と過ごすだけの殊勝さがあるならば、テツコと同じく大部屋行きだろうか。

 そう思うと、少しだけ胸が軽い。望みの半分が叶ったのだと、友の名誉は守られたのだと、それだけを噛み締めて眠ろう。

 この喜ばしい気持ちに偽りはなく、もう半分は叶ったところで胸が軽くなることはないのだから。

 

 夜が明けて、テツコはグレイプニル評議会の会議室に案内された。もはや見慣れた評議会の顔ぶれに議長であるガドリン、それにアインがすでに着席している。

 てっきり、アインはすでに自身のミナトに発ったと思っていたテツコは、驚きながらもおはようと挨拶をする。

 昨日の今日にもかかわらず、少し目を丸くした以外何も変わらないテツコにアインは小さく笑った。

「ああ、おはよう」

「案内されたからついてきたが、何の集まりだ? 昨日の続きか?」

 テツコの疑問に答えを出したのは、続いて部屋に入ってきたイェスタだった。一人だけ相変わらず手枷のままで、目の下にはくまもできている。

 どうやら、本当に昨日の続きがあるらしい。

「おはよう、よく眠れたようでなによりだ」

 挨拶がわりの嫌みに、イェスタはじろりと睨み返しただけで回答はない。テツコも返事などかけらも求めていないため、愛想笑いを雑に返してアインの隣に腰掛ける。

 腰紐で誘導されたイェスタだけが少し離れた席に着いたのを確認して、ガドリンは前置きもなく本題に入った。

「まず、君らそれぞれの刑罰は昨日伝えた通りだ」

 テツコはグレイプニルで一ヶ月の監視のもとで任務の後、各ミナトでの無償奉仕。

 アインはハウンドと共同事業である対抗適応型装甲の定期的な進捗報告と、極東への航路開拓。

 イェスタは無期限のグレイプニルでの無償奉仕。その成果いかんで刑の執行、もしくは再審。

「しかし、曖昧な部分も多かったことだろう。そこを改めて共有させてもらう」

 まず、アインの具合的な処罰の決定は無期限の延期。無為に過ごすのであれば覆るが、現状のハウンドとの共同事業への精力的な取り組みを見るに問題ないだろうというのが評議会の判断だ。

 またハウンドからも、ビジネスパートナーとしてアインの減刑を乞う嘆願書が出されたという。

「対抗適応型装甲は今後の人類に不可欠なものとなる。そして、その開発はアインの協力無くして成り立たない、とのことだ」

 どうか、今度こそ人々の期待に答えてくれることを切に願うとガドリンは目を伏せて、アインは命をかけてそれに応えようと返事をした。テツコは満面の笑みである。

 上機嫌なテツコに、ガドリンが口を開く。

「倉橋テツコ少佐、君は本日付で一時期ではあるがグレイプニル所属となる」

 一ヶ月の間、監視を含めて指揮命令系統に組み込まれ、非常時以外は個人行動は認められない。もちろん、命令違反などを起こせば別個で懲罰が課せられる可能性もある。

 テツコは短く承知したと答え、ついでにわざわざ階級をつけて呼ばれた気持ち悪さの正体を確かめる。

「ひとついいか」

「何かね?」

「私は指揮命令系統のどこに置かれるんだ?」

「私の下だ」

 にこりと小さく微笑んだガドリンに対して、テツコは喉から飛び出し掛けた声を飲み込むために口を真一文字に結んだ。

「厄災以降、グレイプニルではまともに既存の階級制度を運用できていなくてね。評議会でも話し合ったが、所属の現役ゴッドイーターの中には佐官相当はいないというのが結論だ。よって、私の下についてもらうことになった」

「それは何か? 私はひと月まるまるグレイプニルのすべての面倒をみろという話か?」

「そこまでは言ってないが、極東で名を馳せた少佐の力量をもってして最前線のAGEとの距離を縮めてくれるくらいは期待している」

 要約すると、一か月で戦力の底上げをしろ、ということだった。はっきり言ってほとんど不可能に近いが、しかしテツコに拒否権はない。先ほど伝えられた通り、命令違反は懲罰の対象なのだ。

「もちろん、最善は尽くすとも。元本部の精鋭たちと肩を並べるのが楽しみだ」

 訳、お前のところの神機使いがついて来れるかどうかは私の知るところではない。

 はははと声と口だけで笑うテツコに、ガドリンは眉ひとつ歪めずに全く同感だと笑って返す。

「世代を問わず、君の働きから学ぶことは山ほどあるだろう。よく励んでくれ」

 満遍なく鍛えるように。

「私以外にもその激励の言葉を贈ることをお勧めするよ」

 一番頑張るべきはその神機使い本人だからな。

 ちっとも和やかではない言葉の応酬に口を挟む者はこの場におらず、乾いた笑いの殴り合いが少しだけ続いた。非常に無駄な時間だった。

 

 では最後にイェスタ・ヘイデンスタムについてだ。

 ガドリンがそう言って言葉を区切ると、室内には先ほどまでとは異なる空気が流れた。口の中が渇くような白々しさは薄れて、じっとりとした湿度のある寒さが満ちていく。

 イェスタは今後、グレイプニルの研究開発部門の末端として扱われる。全研究員、技術者たちの一番下で、定期的な成果報告を義務付けられるそうだ。

「定期報告は三か月に一度とする。評議会含めた協議の上でその都度君の価値を判断する。以上だ」

 イェスタからの反論はない。しかし、到底承諾できる内容でもないことはテツコでもわかる。研究とは、一朝一夕で何かが成せるものではない。

 数えきれないほどのトライアンドエラーを繰り返し、あるかもわからない正解を引き当てなければならないのだ。

 それを三ヶ月に一度、必ず、掴み取らなければならない。

「なに、感応受容型ビーコンを半年ほどで普及まで漕ぎ着けた君のことだ、無理難題でもなかろう」

「なるほどな、どのみち私を生かす気などないということか」

 随分と手の込んだパフォーマンスをするものだとイェスタはテツコを睨み、相変わらずの被害妄想にテツコは呆れて言葉もない。

 はなからイェスタの理解などは求めていないが、最低でも三ヶ月寿命が伸びたのはテツコのおかげのはずである。感謝されども嫌みを言われる覚えはない……とは流石に思っていないが、噛みつかれる筋合いはない。

「表向きでは寛大な処分を下し、その実わずかな猶予を与えるだけ。死人に口無しだ、策を弄する必要もないだろうな」

「貴様を殺すことに策がいるわけないだろう」

 テツコの中にはずいぶんと長い間、イェスタとジョサイアへの強い怒りがあった。今でもある。

 しかしイェスタという人間を知れば知るほど、怒りより強く湧き上がってくるのは嫌悪だ。自尊心ばかり高く他責思考で常に自分のことしか考えていない。ジョサイアを間接的に殺したのはイェスタではないのかとすら思っている。

 テツコにとってのイェスタはもはや殺す価値すらなく、かといって生かしておく理由もない。

 それでも今もなおイェスタは生きている。彼はその意味を、もう少し考えるべきである。

 静かに立ち上がったテツコはイェスタの前に立ち、首に手をかけ椅子ごと壁に叩きつけた。何人かが声を上げ腰を浮かせその行動を止めようとしたが、ガドリンが手のひら一つで黙らせる。

「言うまでもないことだが、貴様なんぞいつでも殺せる。酒に薬でなく毒を盛るでも、あのまま灰域の中に捨て去るでも、今この場で首をへし折るでも、どうとでもなる。わかるな?」

「ぁっ……ガ、は」

「失礼、返事ができないな」

「はゅ! げ、ぐ、がっ!」

 首を開放し、代わりに鳩尾を足の裏で押しつぶす。わかるか? と再度問いかけるテツコの顔を見ながら、イェスタは喘ぎながら首を縦に何度も振った。

「わかればいい。そして貴様は愚かなことに、私があれほど殺す気もなければ生きて償えと繰り返しているのに、ちっとも理解しようとしない。何故だ? 貴様を殺すことになんの意味がある?」

 貴様の命は私にとって何の価値もないし、あっさり死ぬくらいなら少しでも生きながらえて惨めに怯えて生きてくれる方がまだマシだと、テツコはつまらなそうに語った。

「それともなんだ? 自分は殺される価値のある人間だとでも勘違いしているのか? 馬鹿も休み休み言え」

 イェスタの顔が歪み、貴様と唸る。ここまで来ると救いようがない。

 このまま肋骨の一本でも折ってやればもう少し殊勝になるだろうかと考えて、ぎゃあぎゃあ喚くだけだろうなと思い踏みとどまる。反省すると死ぬ生き物なのだろう。残念でならない。

 悔い改め、命の危機に怯え、惨めに生きながらえてほしいというテツコの願いは叶いようがない。イェスタには、そういう精神は備わっていないのだ。

「いいか、イェスタ・ヘイデンスタム。よく聞け。貴様の言っていることはほんの一部を除いてほとんど間違っている」

 テツコはイェスタの生存を願っている。個人的な感情としてなので、法や民意がそれを否定するならそちらを尊重する。

 だから例えば、今このままあばらを踏み折ろうと、気道を締め潰そうと、殺すまではしない。

「死ぬのは簡単だからな。いっとき腹を括ればいいだけだ、誰でもできる」

 テツコがイェスタに望むのはそんなことではない。惨めに生きてくれないのだとしても、それでも死を望むなどあり得ない。

「理解できないかもしれないがな、私の友人は貴様が死んだら悲しむんだよ」

 それこそ、テツコ自身が手を下そうものならその心中は察するにあまりある。ついでに軽蔑されるし築き上げた信頼も瓦解するだろう。

 割に合わない、それがテツコの出した結論だ。

「法が許しても、組織が許しても、天が許しても、神が許しても、友が許しても、その他全ての人々が許しても、私は貴様を許さん。だが、私の友人が生きている限り、残念ながら貴様の命は保障される。まったく、皮肉なことだ」

 イェスタ・ヘイデンスタムがこの先も最低限生きながらえるのはソーマ・シックザールのおかげである。その言葉は的確にイェスタの触れられたくない部分に触れ、肺を圧迫されていることも忘れさせた。

「きさ、貴様、ふ……ふざけ、ふざけるな! 私、私が、生かされているなど!? ソーマ博士に!? 愚弄するな!」

 暴れ、怒鳴り散らすイェスタだが、テツコの足はぴくりとも動かない。軽く目を見開き、次に細め、眉を寄せながら目を伏せた。

 思い返せば、イェスタの主張は一貫していたのだ。非はソーマ・シックザールにのみあるのだと。ジョサイアの最後を非業の死と表現し、己に罪はないといつだって叫んでいた。

「頼むから、もう喋ってくれるな」

「ぐ……ぅ、がは」

「テツコ、もういいやめろ」

 無視して体勢を変えないテツコに、アインは再びやめるよう諭す。テツコがため息をつき、足の力が緩んだ瞬間、イェスタは大きく息を吸い、怨嗟の声を撒く。

「君の、そういうところが」

 その続きはなかった。

 ガドリンの指示によりイェスタは退室させられ、去り際に覚えていろとテツコに向かって捨て台詞を吐いた。アインには見向きもしなかった。

「やりすぎだ」

「どうだか」

 テツコを呆れたように嗜めるアインは、平素となんら変わらない態度に見えた。特段、傷ついているようにも見えない。

「気にしなくていい」

 テツコの心情を読み取ったように、アインは言った。

「イェスタ博士が俺に嫌みで喧嘩腰なのは昔からだ」

「最悪より悪いぞ、それ」

 思わず大きな声で反論するテツコに、アインは微かに笑ってそうかもなと返した。

 最高に気分が悪い。どう足掻いてもイェスタに頑張ってもらわなくてはならなくなったじゃないか。

 




ソーマくんは自分にされたことは許しちゃいそうだな……って思いました。
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