結局、灰煉種もユウゴたちが到着と同時に討伐が完了し、ハウンドへの要請は完全に徒労となってしまった。
グレイプニルから応援への報酬の振り込みと、テツコから灰嵐種と灰煉種のコアセットを受け取ったユウゴの複雑そうな顔がなんとも言えない味を出している。完全に無駄というわけではなかったので文句はないらしいが、思うところはあるようだ。
ユウゴたちと別れてグレイプニルに帰還すると、お勤めも終了ということで多くのゴッドイーターたちがテツコを出迎え、本日の功績を労った。加えて、明日にはここを離れるテツコへ謝辞を述べる。
「倉橋少佐の薫陶を賜りましたこと、我々にとって無二の財産となりました。必ずや人類最後の砦たる神機使いとして少しでも永く邁進してまいります」
まるで勇退でもするかのような大袈裟な物言いと共に、揃った敬礼がテツコに向けられた。むず痒いが悪い気分ではない。
「貴官らの奮闘が当人含め一人でも多くの命を繋ぐ一助となること、心から願っている」
自分たちも死ぬんじゃないぞと答えたテツコに、これまた揃った大きな返事が飛んでいく。あまり威勢がよくても怖いんだよなぁという本音は引っ込めておいた。
たかが一ヶ月で、かつてのテツコの上官のようになれれば誰も苦労はしないのだ。
翌日、テツコはもみくちゃな見送りをくぐり抜けてクリサンセマムへとその身を移した。
昨日の畏まった態度はあくまで、同じ軍属の上官に対するものだったらしい。そうでないなら気安くしてもまあ許されるだろうという切り替えができる者がいたことが知れたのは、テツコにとってもありがたいことだった。昨日の杞憂が小さくなる。なくなることがないのは致し方ない。
グロブをいつもの場所に格納し、いつものようにロビーに足を踏み入れる。一年と数ヶ月で随分と馴染んだものだとテツコ自身驚きながら、おかえりと笑顔で出迎えるフィムの頭を撫でる。
「おつとめごくろーさまでした! しゃばのくうきはおいしいですか!」
「労いの言葉をありがとうフィム。ところでジークはどこかな?」
「そこのとびらのそとにいるよ」
フィムが指差した扉の向こうからガタガタと物々しい音がする。続いて、カンカンと鉄筋を踏みつける音が遠ざかっていった。怒られるとでも思ったのだろう、ジークはあまりテツコのことはわかっていないようだ。
足音がかなり小さくなったあたりでフィムとテツコの視線が注がれていた扉が開き、笑顔のキースが手を振りながら近づいてきた。
「テツコさんおかえり〜」
「久しぶりだな、キース。君の上の兄君も元気そうで何よりだ」
「あはは、ごめんね。怒ってないと思うけど一応謝っとく」
口先だけの怒りを並べるテツコに、同じく口先だけでキースは謝罪した。接した時間と交わした言葉の数の分だけ、兄よりはテツコのことが理解できているようだ。
軽く笑って返すテツコの顔を、フィムがじっと覗き込む。どうしたんだと問いかけると、もう怒っていないのかと真っ直ぐ目を見て聞いてきた。
きょとんとするキースには、フィムの意図するところはわからないだろう。そもそも怒ってないと言ってるようなものなのだから、「もう」もなにもない。
出迎えられた時と同じように、テツコはフィムの頭を撫でた。フィムのさらさらとした髪を見るたびに、あの子はやはり人にはなれなかったんだろうなと思ってしまう。
ほんの少しの感傷は自分の胸のうちにしまい込んで、テツコはそうだなと口を開いた。
「怒ってないと言ったら嘘になるが、私が怒りを持ち出していいラインはもう超えてしまったかな」
「? どういうこと?」
「勝手に怒って暴れ回ったから、これ以上はさすがに許されないだろうなってこと」
キースはなんとなく話の主軸を察した。その上で、席を外した方がいいかなとテツコの様子を伺う。目が合い、小さく手招きされたので、少しだけ二人に近づく。
「こんどはテツコがおこられるってこと?」
「そうだな。これ以上は私が友達に怒られてしまう。だから、私が怒るのはおしまい」
テツコは笑って続けた。
「それに私が怒るより、友人に許される方が効くらしいしな」
だからもう気にしなくていい。結局、隠して手伝わせてしまったこともすまなかったな。
フィムの前にしゃがみ込んで、テツコはフィムの両手を取りながらその顔を見上げて謝った。
「フィムはね、テツコのおてつだいできてうれしかったよ」
もちろんおかしもうれしかった! だからなんでもたよってねと続けてフィムは笑った。
テツコはそうかと短く返事をして、少しだけ手に力を込める。フィムがぎゅっと握り返して、リズミカルに両手を上げ下げした。とてもご機嫌らしい。
流暢に紡がれるフィムの感情を目の当たりにして、テツコは夕暮れの中で頭を捻りながら言葉を探す子犬を思い出す。
フィムを見ているとよくわかる。あの子はあれ以上人には近づけなかった。しかし間違いなく、あの子がいたからフィムがいる。
「私は、フィムが元気なだけでうれしいよ」
「フィムもテツコがげんきだとうれし〜」
怒りも憎しみも、本当はすっかり飲み干せてなどいない。しかし目の前にはそれらを覆い隠すほどの希望があると、そう信じたい。
お出迎えの任務を終えたフィムはテツコからお菓子を一つ受け取って、父の元へと去っていった。帰還の知らせと、夕飯の打ち合わせをするらしい。
テツコは楽しみにしていると言って走り去る背中に手を振る。隣ではキースが手を頭の後ろで組んでいた。
「さっきの話さぁ、俺が聞いててもよかったの?」
「全て終わったことだからな」
「ほんとに? 全部終わったの?」
「少なくとも、フィムが言ったものすごく怒っている、という状態は終わってしまったよ」
萎えちゃってなぁとため息をついたテツコは、聞き流してくれていいからなと前置きして、言った。
「私はイェスタ・ヘイデンスタムがやったことも、その張本人も、あまつさえ私の友人が悪いとなすりつける態度も、その全てが腹立たしいし憎いし惨たらしく死んでくれと思って仕方がないんだが、肝心の友人が厄災を引き起こしたこと以外は割と、あれに肯定的というか、気にしてないというか、なんか、そういうのを目の当たりにして、少なからず虚しくなった、というか……」
「一周回ってアインさんも悪いでしょ、それ」
「悪くはないと思う、私に都合が悪いだけで」
可哀想にと憐憫の目をキースに向けられて、テツコはこの話はここで終わりだと軽く手を鳴らす。
「悩み苦しんでないならなんでもいい、と思うことにした。よってもう前ほど怒ってはいない」
それに、と何かを言いかけて、テツコは言葉を止めた。キースがなに? と続きを促すと、それには答えず反対に全然関係ないことを問い返す。
「一つ目のミナトの候補地、正式に決まったんだったな?」
「え? うん、着工も始まってるよ。それがどうしたの?」
「いや、順調で結構なことだ。そうだとも、別に私だけの話じゃないんだ、うん」
会話をしろというキースの訴えを、テツコは笑って流した。楽しみは後にとっておくものだと言って、足を動かす。
イルダに帰還の報告をし、各ミナトへテツコの奉仕活動の受け入れが開始したことを知らせる。毎日神機を振っていれば、あとは勝手に話が進むはずだ。
「楽しみだなぁ、竣工式には呼んでくれ」
「なにそれ」
ロビーを後にして、キースとテツコは並んで歩き出す。イルダの執務室に向かうその足取りは軽い。