捕喰対抗装甲車グロブ。ハウンドでいうところの対抗適応型装甲の技術を用いた機体であり、ざっくりいえば一人乗り用の灰域踏破船のことである、とテツコは説明を始めた。
いわく、極東ではすでに理論構築から技術転用まで完了しており、搭乗者に一定水準以上の感応能力と戦闘力があれば、世界中のどこへでも単騎で駆けていくことが可能となっている。
当然、求められる水準は非常に高い。あらゆる操縦が感応レーダー依存であるため、かなりの広域かつ高精度での解析ができるレベルの感応能力がなければ話にならない上、単騎でその地域に生息する大型種までの討伐が可能でなければならない。
そのため、極東屈指のゴッドイーターたちでも候補者に上がったのはわずか二名のみである。
「もう一人は雨宮リンドウという人なんだが……、極東で果たすべき約束があるからパスだとさ」
付け加えるなら、グロブの開発において構想段階から携わっていたテツコに譲った部分もあるのだが、特に必要な情報でもないので割愛する。少なくともアインには、候補者がテツコとリンドウという事実だけでおおよそ察しがつくのだ。
グロブは搭載された感応レーダーの能力を遺憾なく発揮できる人物であれば、誰でも操縦は可能である。ただし、一人しか乗れないという致命的な欠点を補うには、アインと同じ特性が必要不可欠になってくる。
つまりは、そういう話なのだ。
これのどこが灰域踏破船だ。まるで別物ではないか。
グロブはクリサンセマムと異なり、安全な航行を目的としていない。手の届く範囲のアラガミを装甲の餌にして、最低限の走行の機能性だけを確保しひたすら行きたい場所へ行く。たとえ、ゴッドイーターの命綱ともいえる偏食因子が枯渇したとしても。
だからテツコとリンドウしか選択肢がないのだ。人間を逸脱した者だけが、常識を踏み超えてこの灰に沈んだ世界を横断できる。
馬鹿げている。命知らずな無鉄砲。怒鳴りつけたい衝動が湧いて、実際に口から出たのは笑い声だった。
脈絡なく笑い出したアインに周囲が困惑する中、今度は目頭を揉んでため息をついた。
「喜んでもらえてなによりだ」
「頭イカれてんのかバカやろう」
心底馬鹿げている。こんなことで極東らしさを感じたくなかった。それなのに、口をつくのが笑みなのが何より笑えない。
アインの暴言をさらりと聞き流して、テツコの話はより専門的な方向へ舵を切った。対抗適応型装甲の量産化へ寄与できるかもしれない、極東での同等技術の開発から生産、耐久テスト、実用化への大まかなロードマップの講義だった。
基本のコンセプトはハウンドが開発中のものと大差はない。オラクル細胞が元来持つ偏食傾向の特性を活かして灰域への耐性を獲得し、活動範囲を広げる。
ハウンドではその開発のために、灰域に多大な影響を与える灰嵐種のコアを使用した。しかし、極東では灰嵐種は確認されていない。
「ではここで一つクイズだ。アラガミは進化しているのか? はい、ジーク」
「えっ進化? してん、じゃねえの……? 灰嵐種とか、まさにそうじゃん」
「では答えをキース」
「進化はしてないね。アラガミはあくまでオラクル細胞の群体で、その遺伝子配列は発見当時から一切の変化がない」
「正解だ。オラクル細胞に進化する能力はない。ひたすら捕喰と学習を繰り返し、最適解の形態をとっているにすぎない」
アラガミの目指す最適解とは何か。そこには触れず、テツコは別のクイズを出した。
「次のクイズだ。大半のオラクル細胞は発生以降数え切れないほどの捕喰と学習を繰り返しており、すでに膨大な情報が蓄積している。しかしほんの僅かにまっさらな状態のものも確認されている。これをなんと呼ぶ? ルル、わかるか?」
「……レトロオラクル細胞」
「正解。かつて、極東にはこの研究の第一人者がいた。ユウゴ」
「レトロオラクル細胞の権威、ソーマ・シックザールだな」
「正解。ちなみに極東にはアラガミ研究の先駆者と呼べる研究者がいる。クレア」
「ペイラー・榊博士ですね。フェンリル創設者の一人で、対アラガミ装甲壁の技術を確立した。人類の存続は彼のおかげとも言われています」
「正解だけど、持ち上げられすぎて違和感あるな……。いや、立派な人ではあるんだが」
話の腰がほんの少しだけ折れたが、本当に少しのことだった。
「まあ博士の人物像は置いといて、博士とソーマ・シックザールは長い付き合いでな。その縁もあってレトロオラクル細胞への知見もある。お陰というには皮肉が過ぎるが、灰域発生の要因の一つがそこにあることもすぐに理解した。だからこそ、博士は捕喰対抗装甲の基本構想にレトロオラクル細胞を用いることにした」
「全然よくわかってないんだけど、それって危なくない?」
「いい疑問だな、シュヴァル。ちなみに、なんでそう思ったか言語化はできるか?」
「うーーーん。同じような事故が起きない? みたいな」
「リスクに対する危機管理は技術者倫理の基本だな。素晴らしい感性だよ。当然とも言えるが」
テツコは続いて何かをボソボソと呟いたが、ほとんどの者に聞き取ることはできなかった。
「その辺のリスクヘッジは流石に噛み砕こうにも時間がかかり過ぎるので省略するが、それでも導入するに足るメリットの方を説明しようか。ではリカルド、同種のアラガミ間では捕喰が起きにくいのは基本だが、この性質のことを?」
「偏食傾向……なるほどなあ。灰域を渡り歩くってなら確かに、一番合理的だ」
「灰域の発生にはレトロオラクル細胞が大きく関わっている。故に、捕喰対抗装甲の骨子にレトロオラクル細胞を組み込むことで喰灰全般への基礎的な抵抗力を持たせ、まだ未学習のまっさらなコアへ必要な情報を喰わせ周辺環境へ適合させ、それを繰り返すことで精度を上げてほとんど完璧な捕喰耐性を得る」
「すごいな。これが極東の技術力なのか……」
ニールが思わず感嘆の声を漏らすと、テツコが補足した。
「ちなみに完成までに八年かかっている」
「八年?!」
反射的にユウゴが叫んだ。ハウンドの経営戦略担当としては当然の反応だ。量産化はともかく、対抗適応型装甲の開発自体は順調だと思っていたからである。さすがに時間がかかりすぎる。
「君たちの設計形態に合わせていうなら、灰嵐種のコアになり得るものを作るところから始めてるわけだからな。灰域の情報の頂点をすでに入手しているならそこまでかからないはずだ」
さらにテツコは、どこまで対抗適応型装甲の開発に組み込めるかわからないがと前置きした上で、捕喰対抗装甲の実験データの全てをグロブに積んであると言った。今度はキースが叫んだ。
あとで渡すと軽くいなして、テツコは講義は以上と締め括った。
「質問があれば私のわかる範囲で答えよう」
「僕は凄すぎてもう全然わかんない」
「俺も」
「わからないなら実際に乗ってみるか?」
「え?!! いいの!!?」
「構わないよ。整備もここに来たとき済ませてある」
「お前が整備したのか?」
「私以外誰がやるんだ」
「そういうことできたのか?」
静かに講義をただ聞いていたアインは、ようやく口を開いてずっと感じていた記憶との齟齬を口にした。
アインの知るテツコは清々しく大雑把だ。その気質もあって昔は神機を壊して、結果人外に踏み込んでしまうほどにやることなすこと繊細とは程遠い。不器用ではなかったが、整備なんて言葉とは無縁だったはずだ。
講義に関しても、しょっちゅう寝ていたらしい同期よりは受講態度はマシだったと聞いているが、本当に概要以上は理解していなかったとサカキが笑って話していたくらいだ。あんなに噛み砕いて、順序立てて、相手に理解させる。
全くイメージがなかった。必要なかっただけと言われればそれまでだが。それくらいの温度感でアインは聞いたのだ。テツコの返事は、その百倍の熱量があったが。
「できるようになったから単独で欧州に行くなんてことが認められたんだよ。神機の整備も、感応レーダーの調整も、装甲車のメンテナンスも。私の頭と手先じゃ装甲の完成より時間がかかったけどな」
テツコはなんでもないことのように言ったがそれはつまり、グロブの設計の話すら出ていない段階でいつか必ず欧州に向かうと決めて行動を始めていたということだ。先見の明ですらない無鉄砲さは、アインを呆れさせ、驚かせ、そして間違いなく喜ばせた。
「ねえテツコ、だれかにおこってるの?」
初心者向けの講義を解散したその日の夜に、フィムはテツコのもとを訪ねていた。
「? なんの話だ?」
「おひるに、おとうさんのことほめてたとき、だれかのわるぐちいったでしょ?」
人間の耳には誰一人届かなかったテツコの呟きの真意を聞くためである。あの時のテツコは顔色ひとつ変えなかったが、それでも囁き以下の大きさの声には圧縮された怒りが宿っていた。少なくとも、フィムの耳にはそう聞こえた。
だからこうして人目を忍んで、こっそり話をしに来たのである。そうした方がいいと判断したからだ。結果的にその判断は正しく、テツコはみんなには内緒だと言って、口元で人差し指を立てた。
穏やかな声の奥底から、こちらに向けられていない強い感情が滲んでいる。フィムは、それがただ心配だった。
「いっちゃだめ? みんな、きっとおてつだいしてくれるよ?」
「駄目。お手伝いしてほしくないんだ。特にフィム、君のような子にはいっそうね」
役に立たないとかではないんだとテツコは優しく諭す。いかに言葉が幼く、あどけなく見えるようでいても、フィムはその心もあり方もある意味では誰よりも強く、人らしい。人型アラガミのそういった学習の結果を、テツコはよく知っている。
再び目にすることが叶うと思っていなかったそのうつくしいものを、今度こそ人の都合に巻き込みたくはないとテツコは思った。人がアラガミに食い荒らされている現実を前に馬鹿馬鹿しい矛盾だと理解しながら。
「私がすることはね、フィム。大体いつも正しくはないんだよ。運がいいから許されただけだ。ここにいることも、ただの偶然だ。だからな、私は極東を出た時に決めたんだよ」
生きて友人に会えたなら、命を賭けて必ずその助けになること。ついでに、フェンリル本部が少なからず機能しているならそこにも手を貸す。そして何より、テツコの意志でテツコの望みとして果たすべき役目を。
「どうか関わらないでくれ。私は決して良い人間ではないからな」
茶目っ気たっぷりにウィンクしたテツコはとても悪い人には見えなくて、フィムは素直にそう言った。するとテツコが間違っていないと肯定したものだから、もうなにがなんだがわからなくなる。
「テツコのおはなしむずかしい……」
フィムは優れた知能を持っているが、おそらくまだ発生から一年も満たないのだろう。お腹が空いているだろうからと、無邪気に食事に誘って激しく拒絶されていた白い子犬を思い出す。
「フィムがわかるようになる日が楽しみだな」
今度こそお目にかかりたいものだと、本気で思った。
グロブ。гроб。