ある日のとあるミナトでのことである。
倉橋テツコというゴッドイーターがアポ無しでやってきた。
いま欧州で最も話題の人物の一人で、その戦闘力はハウンドの鬼神と並び立つほどだとか。
噂はさすがに眉唾物だが、グレイプニルが身分を保証する正規のゴッドイーターであり、かつて極東での目覚ましい人口増加に大きく貢献したことで知られるクレイドルの元隊長だ。
縁を持つ機会が向こうからやってくるとは、願ってもないことだった。
「お会いできるとは光栄です」
現在、我がミナトの立場は危うい。たかが灰域踏破船の船長如きが、利益を先走りリスクを読み間違えたからだ。
せめてそのまま一人失脚してくれればよかったのに、最悪なことにあれは周りを巻き込もうと足掻きに足掻いて、最終的にはこのミナト全体の評価を地に落としておきながら、ぬくぬくと牢獄に守られている。
なんとも腹立たしいことだった。それからずっと、我々はグレイプニルやよそのミナトの目を気にしなくてはならなくなった。許されないことである。
ダスティミラーも、クリサンセマムも、ハウンドも。許されていいはずがない。我らの崇高な目的も知らないゴミども。
「お初お目にかかる、倉橋テツコだ。急な訪問に関わらず時間をとってくれたこと、感謝する」
グレイプニルの計らいで憎たらしい奴らと懇意にしていると聞くその女は、各ミナトに順に挨拶と協力要請に回っているのだと言った。
倉橋テツコは、極東支部のゴッドイーターだ。フェンリル本部がなくなった今グレイプニルの傘下とはならず、クリサンセマムでもあくまで客員にすぎない。
「そういうわけだから、自分の足で赴いて各ミナトと直接話をつけなくてはならないんだ」
目的は表向きには一つ。極東支部とグレイニプルの協力体制の復旧だ。確固たる航路を築き、連携を取り戻し、手を取り合い今後の世界に対応していく。その足がかりを作ること。
そのためにはより多くの賛同が必要で、資金も資源も人手も技術もいくらあっても足りないほどだとか。
彼女は、欧州の政治や事情には明るくないと前置きした上で言った。
「あなたたちは素晴らしい技術力をお持ちだと聞いている。倫理感の欠けた身内がいたそうだが、それは私の知らないことだ」
チャンスが来た、と思った。欧州のどこにも籍を置かない立場だからこそ、ただ純粋な能力とそれがもたらす結果だけを重視すると。
「もちろん、今すぐ返事が欲しいというわけではない。私は必ず成し遂げるつもりではあるが、あなたを納得させるだけの実績も持っていない。ただ、表明の早さが見返りに反映されることは理解してほしい」
あまりにもうますぎる話ではある。だが、再起のためには多少のリスクは負うべきである、というのがオーナーの決断だった。
「倉橋テツコさん。我らバラン、持てる力を尽くして超長距離航路確立案への協力をお約束いたします」
「迅速な決断に感謝する。オーナーにもよろしく伝えておいてくれ」
「もちろんです」
あなたがたの確かな技術力が、欧州の未来を作り上げてくれることを祈っている。にこやかに交わされた握手の力強さに、バランの未来を見た。
我らの悲願の叶う夢が、確かに近づいてきていた。
欧州では黒壁──灰域が発生して以降、地下収容型のサテライト拠点が人類の基本的な居住形式となっている。この大地の日の当たる場所に、ただの人間が生きてゆける土地はないらしい。
土壌すら飲み込まれるようになったら本当の終わりだな、と縁起でもない仮定を頭に浮かべて、テツコは朱の女王に関するレポートを読む。
極東では絶対に実行に移されないAGEの運用、その劣悪な管理実態、挙げ句の果てに『廃棄』の手間すら惜しみ灰域に打ち捨てる。
義憤に駆られた男が己を同じ立場に身を置き、手を差し伸べ立ち上がり、人でなくなったからこそ日陰ながらも小さな国を成り立たせた。
AGEをこの世に生み出すことを決めたエイブラハム・ガドリン。それを受け入れられなかった息子のヴェルナー・ガドリン。溝を埋められないまま終焉を迎えた親子喧嘩は、友人の顔がちらついて少し気が滅入る。テツコにとっても、重要な記憶ではあるが明るい思い出ではない。
書類の上でしか存在を知らないヴェルナーだが、情に厚い人間であったと同時に父に似た非情さも持ち合わせていたらしい。きな臭さが常に漂う犬飼博士に協力し灰域への完全に近い耐性を獲得し、グレイプニルと全面対立すると決めたら碌な噂がないバランとも手を組み立ち上がった。
手段を選ばない時に限って言えば、バランという選択肢は間違いなく最適だろう。どうにも彼らは、異常なほどに結果を重視する。過程を無視して、目的を果たす。そういう印象がある。
テツコは常に自分の直感を信じている。特に違和感の類へは、感じた瞬間に確信に変わるほどだ。それらは見逃してはならない。でなければ、取り消しのつかないことになる。
ふう、と一つため息を吐いて、テツコはレポートをグロブの操縦席の脇に放り捨てる。二歩目だ。着実に進んでいる。しかし焦ってはいけない。狡猾な相手には、こちらもそれ以上の狡猾さを持たなくていけない。
テツコはそういうことは得意ではない。切って殴ってぶっ飛ばして。わかりやすいものが好きだ。だがそれは、苦手なことから目を逸らしているだけでもある。
「やると決めたからには、やらないと」
自分で自分を鼓舞し、グロブを走らせる。まだまだ道のりは長いのだ。