第二章1『引きこもり少女の脱走』
――壊れる音が好きだった。
何かが砕ける瞬間、悲鳴を上げる一瞬、命が消える感触には、否応なしに胸が高鳴った。自分の中にぽっかりと空いた何かが、少しだけ満たされる気がした。
でも、それが「普通じゃない」ことくらい、自覚している。
誰もが遠ざかっていく。目を合わせず、距離を取り、恐怖で体を震わせる。それは古くからの友達や、血を分けた家族でさえ例外ではなく。
その度に思う。――私はきっと、最初から間違いだったのだと。
もしも、私が存在しなければ。もしも、私が普通だったら。そんな馬鹿みたいな夢を見る度に、
――申し訳なくて申し訳なくて、今この瞬間に消えてしまいそうなほど、寂しくなるのです。
◆
それは、スバル一行が紅魔館に到着するより少し前のお話。
薄暗い照明に照らされた、だだっ広い部屋。
その中央にぽつんと置かれたベッドの上で、少女――『フランドール・スカーレット』と膝を抱え、うずくまっていた。
「…………はぁ」
何度目か分からないため息が、静かな室内に落ちる。不機嫌なのは誰の目から見ても明らかだ。その理由は、壁にかけられたカレンダーに記されていた。
『――4月27日、こいしちゃんと遊ぶ日♡』
古明地こいし――地霊殿に住んでいる、フランのたった一人の友達。
彼女とは今日、紅魔館で一緒に遊ぶ約束をしていた。――なのに、彼女の姿はどこにもない。
時は夕刻。いつもならとっくに来ている筈の時間をとうに過ぎても、扉の向こうは静かなままだ。
「こいしちゃん、遅いな。何かあったのかな? 約束、忘れちゃったとか?」
もともと気が長い方ではない。こうして待ち続けるのも、そろそろ限界だ。
「……私が、迎えに行こうかなぁ」
地下室に引きこもって、およそ数百年。今では館内を自由に動けているけど、館の外に出たことは一度もない。
皆が口うるさく止めてくるし、こいしちゃんが来てくれるならそれで満足だったから。
けれど、それでも――。外に出てでも会いたいと思えるほどに、彼女の存在はフランにとって特別だった。
「まずは、パチュリーに相談してみよ!」
勢いよくベッドから飛び出し、部屋の扉を開け放つ。自由行動が許されてから、もうずいぶん経つ。今の私はもう、あの頃のような子供じゃない。だからパチュリーも、私の我が儘を快く了承してくれるだろう。
「――駄目よ。外出禁止」
「…………え」
それは、目を合わせることすらなく、淡々と告げられた。
フランの前で分厚い本に目を通しているのは紅魔館に住まう紫髪の魔女――パチュリー・ノーレッジだ。
その言葉と態度に、自分の胸の奥がすーっと冷えていくのを自覚する。そして、
「なんでよッ!!」
たまらず振り下ろされた右腕が、目の前にあった机を粉々に打ち砕いた。バキリと音を立て、細かい木片が宙を舞う中で、パチュリーはようやく本を閉じてフランの顔を見る。
「フラン。毎回言うけど、一人で館の外に行くのは危険なのよ」
「……じゃあ、一緒に来てくれるの?」
「そのうちレミィが帰ってくるわ。私じゃなくてそっちに相談を」
「やだっ! お姉さまに言ったって、絶対許してくれないもん!!」
言葉と同時に響く地団太が、少女の激高を代弁する。
パチュリーは意地悪だ。お姉さまに話を通せなんて、無理なことを知って言っている。きっと最初から、私を外に出す気なんてない。
「なら諦めなさい。外の世界はあなたが思ってるより、ずっと危険なの」
「そんなの関係ない! もし危ない奴が来ても、全部破壊してやるわ!!」
「そういう話じゃないの。あなたは日光に弱いし、それに……人間の男に変なことされたりしたら――」
「パチュリー様、それは本の読みすぎです」
行き過ぎた妄想で震えるパチュリーに割り込むのは、傍らに控える使い魔だ。赤い髪に冷たい眼差し。ちゃんとした名前は知らないけど、確か皆は『小悪魔』と呼んでいる。
「前に日光に当たって死にかけたの、忘れました?」
「今日はもう夕方だもん! だから平気!」
小悪魔までもがパチュリーの肩を持つ。フランがぷくっと頬を膨らませると、パチュリーは数秒顎に手を当てて黙り込んだ後、
「……やっぱり駄目よ」
「なーんーでーっ!?」
「レミィと約束したでしょ。外に出る時は必ず相談するって」
「むぐぐ…………!!」
確固たる意志で外出を許してくれないパチュリー。彼女の態度を前にフランは内心、どうにもならないことを悟り始める。だけど、こいしと遊ぶ選択を捨てるのもあり得ない。
――親と子供。そういう立ち位置にある二社の間で不毛な論争が起きた場合、事の顛末は大抵決まっている。子供は感情の行き場を失い、論理的な談義の場を放棄し、そのまま、
「――もういい!!」
親の前からあえなく逃走。それはまるで、最初から決まっていたかのように、必然の結果だった。
「ちょ、ちょっと!? フラン、待ちなさい!」
「パチュリーのこと、もっと嫌いになった!!」
「ぐふっ!? も、もっと……!?」
去り際に放たれる「もとから嫌いだった」発言に、パチュリーはショックで吐血する。小悪魔の「気づいてなかったんですか」という追い打ちも受け瀕死のパチュリーを背に、フランはその場を後にした。
書庫を飛び出し、長い廊下を抜け、足音高らかに走り続ける少女の胸の内では、一つの言葉が繰り返し反芻される。
「……嘘つき!」
嘘つき、嘘つき、嘘つき、と。
外は危ない、日光は危険。そんなものは全て、私を館に閉じ込めるためのもっともらしい詭弁にすぎない。
本当は、違うのだ。私と会話している時の二人の視線、不自然な硬直、隠し切れない胸の内を見ていれば、否が応にも理解できた。
――私が外に出てはいけない、本当の理由が。
「私のことが、怖いだけのくせに……ッ」
震える声と共に、唇を強く噛み締める。本当の理由なんて、五百年前のあの日から分かってる。私を外に出す方がずっと危険だから。私が壊すから。私が、普通じゃないから。
どうしようもない自己嫌悪に苛まれながら、フランドールはどこまでも駆けて行った。