Re:ゼロカラアラガウ異形郷生活   作:カノンだよ

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第二章3『タイヤタイヤタイヤ』

「は……? だって、ここは……」

 

信じがたい光景を前に、スバルは思わず言葉を漏らす。安全だと信じていた紅魔館に、突如として鮮血が舞ったのだ。

生物を馬鹿にしたような構造、狂気を帯びた存在感。奴らと共通する点を、スバルの記憶が即座に照合する。間違いない、あれは――、

 

「――異形郷」

 

では何故、ここに現れたのか。頭によぎるのは一抹の不安だ。館内にいる仲間たち。レミリアや咲夜、魔理沙や萃香が既に手をかけられたのではないか。そんな、最悪の可能性が――、

 

「い、いやあああああああっ!?」

 

「!!」

 

状況に理解が追い付いた一匹の妖精が、甲高い悲鳴を上げる。その声は熟考の中にいたスバルの意識を引き戻したが、同時にこの場の均衡を壊す引き金にもなった。

恐怖は電流のように空間を伝い、妖精も妖怪も、誰もが我を忘れて逃げ出す。

 

――わずか数秒前まで団欒が満ちていた空間は、一転して阿鼻叫喚の修羅場と化した。

 

 

 

そして、タイヤ型の異形が、側面にある目を持って、逃げ惑う群衆を見据える。耳をつんざくような咆哮と共に、タイヤが火花を散らしながら回転。床を焦がし、空気を裂くような速度で迫る。目標は、今まさに走り出そうとしていた一人の妖精。その背に――、

 

「――っ、やめろッ!!」

 

スバルの張り上げた声は、乾いた悲鳴にしかならなかった。

 

「ぶべっ」

 

次の瞬間、鈍い音と共に少女の身体がタイヤに引かれ、血飛沫が花のように散る。

ぺしゃんこに潰れた妖精の体は動くことなく床に転がり、くっきりとタイヤ痕だけを残していた。

 

「ぎゃ……」

 

「ああっ!」

 

誰かが叫んだ。だがその誰かはすぐ肉片に変わる。

異形は勢いそのままに跳ね、潰し、引き裂きながら、無秩序な破壊を加速させる。床を赤く染め上げる筋は、もはや一つの模様のようだ。

 

眼前でゴミのように扱われる命。その理不尽にスバルは拳を強く握り、喉の奥から声を振り絞る。

 

「やめろって、言ってんだっ!!」

 

そして無鉄砲に、走り回るタイヤの方へ飛び出した。

 

顔が付いているのは側面片側のみ。群衆を殺すことに夢中になって、無防備に背中を晒すそれに向けて、勢いよく吶喊する。走りざま、倒れていた椅子の一つを乱暴に掴み上げ、そのまま前肢の勢いをのせて――がら空きの背面へと、叩きつけた。

 

鈍い音と衝撃が響きわたる。――だが、

 

「ッ、硬った……!?」

 

粉々になったのは椅子で、腕が痺れたのはスバルの方だ。対して異形は、身じろぎ一つしていない。木製の椅子、スバルの腕力とはいえ、これは流石に予想外。

 

単純に硬さだけを比較するなら、攻撃に怯んでくれた異形の霊夢よりも、ずっと――、

 

『ギャギャギャギャギャ!!』

 

「――ッ!!」

 

不意に、金属が擦れるような不快な音が響いた。異形の目玉が、ギョロリと、スバルの方へ向く。

 

反応する暇などない。異形はその場でタイヤを回転させ、スバルの体を振り払う。

それだけでスバルは体についた水滴のように飛ばされた。視界がぐるりと回り、空中で数度体が翻る。壁際まで吹き飛ばされた五体は、背中から無様に床へと叩きつけられ、

 

「かはッ……!」

 

肺から空気が漏れる。

 

背中を強打した衝撃で、呼吸がままならない。足りない酸素を懸命に吸おうとしても、胸がひくつくだけで何も入ってこない。

 

それでも痛みに蓋をして、必死に首だけを動かす。視線の先では、こちらを睨みつける血走った目が、はっきりとスバルを捉えていた。取るに足らない存在、だが自分に歯向かった唯一の敵。当然、奴の次なる狙いは、

 

『ブゥゥゥゥンッ――!!』

 

轟音と共に、タイヤが再び火花を散らしながら加速した。

まっすぐ、一直線にこちらへ向かってくるそれに対して、今のスバルには回避も防御も叶わない。体に力が入らず、立ち上がろうともがく腕も、床をひっかくように滑るだけだ。

 

「……っ、ぐ、そ……!」

 

かすれたうめき声を漏らすのが精いっぱい。眼前に迫る死に、歯を食いしばり、恐怖に顔を引き攣らせながらも目を閉じた。

 

――その、瞬間だった。

 

 

 

「――お兄さんっ!!」

 

 

 

耳に届く幼い声と、横向きに加わる不自然な力。予想と異なる、あまりにか弱い衝撃に困惑し、スバルが目を開ければ、

 

「――――は」

 

そんな風に息を吐くことしかできなかった。何故なら自分はまだ死んでいなくて、怪我の一つすら負っていなくて、代わりに視界がおさめたのは、

 

――自分ではなく、自分を慕う野兎の少女が、ひき潰される映像だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぐしゃり。濁った音が、空気を裂いた。

 

先ほどまで視界にいたはずの少女の姿は、もうどこにもなく。

代わりに、赤黒く濡れたもの、裂けた布、そして――床に転がる、細長く白い何か。兎の耳に酷似した物体だけが無残に残されている。

 

「…………ち、がう」

 

そうじゃない。これだけ条件が揃っていれば、いくら察しの悪いスバルにだって嫌でも理解できる。

あの子は、自分の危険も顧みずに俺を突き飛ばした。そして自分が代わりにタイヤの突進にぶつかる羽目になったのだ。

 

まただ。魔法の森で魔理沙に庇われたときと、何も変わっていない。

敵を前に思考を放棄し、無策で挑み、そのツケを他人に払わせる。見殺しどころじゃない。自分の醜態の代償を、他人が負わされるなんて、まるで――、

 

怒りと吐き気が、喉の奥で渦を巻いた。

 

けれどその後悔は、同時にスバルの四肢に原動力を与える。

震える腕を地につき、軋む膝に力を込める。獣のような姿勢で、這うようにして、どうにか立ち上がる。

精神論、だけじゃない。あの子がくれた時間が、僅かながらも確かに、スバルの体を回復させたのだ。無駄にはできない。

 

顔を上げ、タイヤが通過した方向を見れば、奴はもうこちらに向き直っていた。仕留め損ねた獲物を変わらず追い続ける気だ。なら、

 

「……こっちだ! ついてこいやおらぁ!!」

 

挑発するように怒鳴りながら、スバルは勢いよく飛び出す。予想通り、異形の目がギョロリと動き、その視線がスバルを追ってきた。

スバルの前方にあるのは、奴が部屋に入ってきたときに開けた大穴だ。そこ目がけて一直線に駆け抜け、部屋の外へと飛び出す。視界の隅には、こちらに迫るタイヤの影が映っていた。

 

追ってきている。間違いなく。

 

以前として策はない。だが、どうやって戦うにしろ、あそこに居たままじゃ他の誰かが巻き添えになる。これ以上、誰も死なせるわけにはいかない。

 

とはいえ、万全とはほど遠い脚では限界が早い。タイヤの凄まじい突進に、あっという間に距離を詰められる。そして、背中に殺気が迫る瞬間を狙って――、

 

「どっせい――!!」

 

反射的に体を横へ投げ出した。

 

直後、スバルがいた場所を、鋭い轟音とともに異形が通過していった。黒い弾丸と化した巨体が、一直線に通路の先まで離れていく。

 

「やっぱり……! 直進だけ速くて小回り効かないタイプか!」

 

荒い息を吐きながらも、スバルの目にわずかな光が差し込んだ。

紅魔館の複雑な分かれ道、無数の扉。ここなら、奴の直線的な突進をさばく手段がいくらでもある。問題はスバルの体力がどこまでもつかだ。限界が訪れより早く、奴を打ち倒さなくてはいけない。

 

「……一つ、思いついた。この状況で現実的かどうかは別として」

 

極限状態で捻り出されるそれなりの策。実行に移す余裕も、準備する時間もない。だが、これまで勝率ゼロと思っていた状況に比べれば、十分すぎる進歩だ。

――勝てるかもしれない。ほんのわずかでも、そう思えるだけで違った。一抹の希望が、スバルの脳裏に確かな輪郭を描き始める。

 

 

 

結果から言ってしまえば、案自体は悪いものではなかった。

 

この極限下で冷静さを保てたことも、頭を柔軟に動かし策を練ったことも、ナツキ・スバルにとっての大きな成長と言えるだろう。

 

唯、問題があるとすれば――、それは色んな意味で、遅すぎる抗いだったという事に他ならない。

 

「…………?」

 

異常が起きたのは、タイヤの突進を何度か回避し、策の実行に向けて物資の調達や誘導を進めていた時のことだ。

突如として、タイヤの姿がどこにも見当たらなくなった。

 

「……は? どこに行った?」

 

スバルは足を止め、息を整えながら周囲を見渡す。通路の先にも、曲がり角にも、痕跡すら見えない。

まさか、逃げ切ってしまったのか。何度も攻撃をかわすスバルに嫌気が刺したのだろうか。

 

「って、それじゃ意味ねえ! 早く見つけねえと!」

 

額から汗を伝わせながら、スバルは踵を返す。

もし、もし奴があのホールに戻ったのだとしたら。また、誰かが――、

 

そんな焦燥感に脳を支配されたからだろう。スバルの思考は奴の姿ばかりに拘り、その『音』に耳を傾けることを、忘れていた。

 

「――ッッ!?」

 

突如として、爆音が空間を裂いた。

 

バゴォン、と重い音を響かせながら、壁が内側から破裂する。

粉塵と瓦礫を撒き散らして飛び出してきたのは、タイヤの異形だ。その姿が現れたのは、スバルのすぐ真横。完全な死角、かつ反応不可能な距離。

 

まさか――待ち伏せ。

 

「しま――」

 

声が形になる前に、衝突は起きる。

 

タイヤがスバルの体を真正面から捉え、そのまま壁へと押し込む。タイヤと挟み込まれる形で勢いよく壁に激突。どこにも逃げない衝撃は余すことなく四肢に伝わり、メキメキと鈍い音がなった。

 

「……ぅ、ごぼ」

 

肺が破れ、血が口から溢れる。壁越しからの突撃だったため威力はやや鈍っていたが、スバルにとっては十分すぎる致命傷だ。

腕は力なく垂れ下がり、両脚はタイヤのホイールに巻き込まれて、ぐしゃりと潰されている。

 

 

 

そして。視界いっぱいに広がるタイヤが、再び――回転を始めた。

 

「…………や、め……」

 

スバルのかすれた懇願に、容赦が返るはずもない。タイヤは、回転やすりのようにじわじわとスバルの身体を削り始める。

摩擦熱が皮膚を焼き、筋肉を裂き、骨を砕く。角ばった部位から、少しずつ確実に、丸くなっていく。

 

 

 

手が、ちぎれた。

 

鼻が、平たくなった。

 

目から、光が失われた。

 

 

 

体は徐々にすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへってすりへって――、

 

 

 

そして、再び始まるのだ。ナツキ・スバルの戦いが、――恐怖と絶望に満たされた、死の螺旋が。

 

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