Re:ゼロカラアラガウ異形郷生活   作:カノンだよ

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第一章1『ナツキ・スバルの幻想入り』

 朝の空気は、冷たく肌を刺す。

 白い霧が地を這って、鳥の鳴き声が木々の隙間から零れてくる。

 綿の潰れ切った布団越しに伝わる、硬い畳の感触。

 それを一身に感じながら――菜月昴(なつきすばる)は、ぼんやりと天井を見上げた。

 

「……さて、今日もやりますか」

 

 自分を鼓舞するように呟き、布団を跳ねのける。

 冷たい初春の空気に身震いしながら、慣れ親しんだ戦闘服――オレンジと黒を基調としたジャージに手を伸ばした。

 ここでは数少ない見慣れた素材は、袖を通す度ここが現実であると、妙な安心感を与えてくれる。

 

「よし、着替え完了。今日も神社の家事見習い、菜月昴、参上っと」

 

 ノリだけは爽快に縁側へ出ると、朝の陽光が彼を出迎えた。空はまだ淡く、朝の光が境内の石畳に優しく差し込む。

 まだ誰も起きていない、静寂が支配する世界だ。

 さっそく物奥から竹ぼうきを取り出し、境内の端からいつも通りに掃除を開始する。

 今やすっかり習慣となった朝一の掃除。それを夢中になって続ける内、落ち葉や小石が片づけられて、境内が徐々に整っていくのを感じた。

 自分でも驚くほどにスムーズな手付きと、無駄のない動き。たった一か月前までゲーム三昧で、三食コンビニ、三日風呂無しだった奴と、同一人物とは思えない。

 

 スバルは自身の成長に、ふと動きを止めて空を見上げ、

 

「なっちまったな、俺も……真人間に」

 

 そう、渾身のドヤ顔で、空に向かって決めポーズをしてみせた。

 

「なにその寒い口上。朝っぱらから自己陶酔?」

 

「え?」

 

 同時に響くのは、思いがけない背後からの返答。

 それの意味するところをなんとなく察しながら振り返ると、いつもならあと一時間は布団にくるまっているはずの同居人が、こちらを見つめていた。

 紅白色の装束に身を包む少女――博麗霊夢(はくれいれいむ)。俺の同居人にして、ここの主。つまるところ、この神社の巫女さんである。

 

 眠たげな瞳の奥に浮かぶのは、いつも通りの呆れと、おまけに今日はほんの少しの温かみ。何か、可哀そうな物を見る感情がこもっている。

 ――まさか、聞かれていたというのか。

 

「もしかして、今の聞いてました?」

 

「聞こえたから言ってんの。掃き掃除しながら、下手くそな鼻歌かましてたところからね」

 

「俺のモーニングルーティン、フル視聴されてたのかよ!?」

 

「そんなにうるさくちゃ嫌でも起きちゃうわよ。あと、その変な服本当どうにかして。朝から視界がうるさい。存在そのものが神社の威厳を落とす」

 

「真人間ルートに乗ってきた子供にそんな言葉かけてたら、また引きこもりに逆戻りですけどいいんでしょうか!!」

 

 霊夢の口から、思春期の少年に多大なダメージを与えかねない言葉が放たれ、スバルは顔を隠して地面を転げまわる。

 羞恥心、怒り、穴があったら入りたい。その他もろもろの感情を朝の石畳にぶつけて、無理やり発散した。

 

 そしてようやく落ち着きを取り戻した頃、スバルは彼女の顔を見上げる。

 

「……なによ」

 

「いや、マジに異世界ファンタジーだなって」

 

「は?」

 

 朝の光を背に受ける彼女の顔は、この世のものとは思えないほどに整っていて、改めて思う。

 

 ――菜月昴は今、『幻想郷(げんそうきょう)』という、名前通りの異世界で暮らしているのだと。

 

 何の取り柄も見どころもない。唯の引きこもりだった少年は何故か、今こうして美少女の巫女さんと二人、異世界スローライフを送っている。

 

 

 

 

 

 

 それは、ちょうど今より一か月前の出来事。

 

 スバルはいつものように、近所のコンビニでホットスナックと漫画雑誌を買い、片手にぶら下げながら帰路についていた。

 夜風が少し冷たくて、早く帰って湯船につかりたいと、他愛もないことを考えていた、そんな時。

 視界が突然、ぐにゃりと歪んだ。

 

 眩暈やふらつきの類だろうか。なんにせよ転倒は避けたいと足を止めて目を擦る。

 ほんの数秒の仕草だったはずだ。世界から目を離したのは、一瞬だけだったのに。

 

「――――」

 

 次に目を開けると、そこはもう『異世界』だった。

 

 コンクリートの舗装も、コンビニの明かりも、周囲の雑踏も。なにもかもが消え去っていて。

 代わりに視界に広がるのは、現代日本にあるまじき、雄大な大自然。

 

 山、川、森、鳥のさえずり。どれもが、都会の街並みで長らく目にしていなかったものだ。

 おまけにスバルの顔は清々しい程の眩しい陽光に照らされている。自分が認識していた範囲では、確かに夜だったはずなのに。

 

「……ん?」

 

 そして直後、それまでの環境の変化がどうでもよくなるほどの衝撃が、視界を横切る。

 

「だいちゃん、こっちこっち~!」

 

「ま、まってよチルノちゃ~ん!」

 

 木々の向こう。遠くの空に浮かぶ二つの影。

 その影は両方とも可愛らしい少女の形をしていて、おまけに背中からは羽が生え、ふわりと宙を舞っていた。

 

 当然、スバルの思考は停止した。だが、十分な時間でいましがたの出来事を咀嚼した後でなら、妙な納得感を得る。

 

「つまり、これはアレだな」

 

 指を鳴らし、誰もいない森の木に指を向けながら、指を鳴らした。

 

「――異世界召喚もの、ということらしい」

 

 レジ袋の中のホットスナックが、ほんの少しだけ心許なく思えた。

 

 

 

 

 

 

 菜月昴は平成日本生まれのゆとり教育世代出身である。

 

 彼の人生は十七年、その全てを語り尽くすにはそれこそ十七年の時間を必要とする。

 それらを割愛し、彼の現在の立場を簡単に説明するのならば『高校三年生にしてひきこもり』となる。

 詳細に説明するなら、『受験を間近に控えた時期なのに、親の期待もなにもかもうっちゃって自分の殻に閉じこもったどうしようもないクズ』といったところだ。

 

 ひきこもった理由は特にない。

 普通の平日、たまたま「今日は起きるのが面倒だ」となんとなく思い、サボりを実行に移したことが切っ掛けではあった。

 そのままずるずると自主休校が増え、気付けば立派に親を泣かせるひきこもり。

 日がな一日怠惰をむさぼり、コミュニケーション皆無のネットに沈み続け――、

 

「その結果が異世界召喚か……もはや自分で言ってて意味わかんねぇな」

 

 改めて状況を再確認して、スバルはもう何度目になるかわからないため息をついた。

 

 今は、森の中にあった申し訳程度の獣道を歩いている最中だ。

 大雑把なつくりだが、整備された道である以上、闇雲に突き進むよりも人のいるところにたどり着ける可能性が高い。

 

「現状を異世界ファンタジーと仮定するなら、さっき見たのは妖精って奴?」

 

 足を動かしながら、これまでに見た光景を整理し、世界観を絞っていく。

 妖精らしき少女はあれ以降もチラホラ見かけたので、ここでは珍しくない存在なのだろう。

 

「妖精は今んとこ全員美少女だし、いかにもなご都合設定って感じだな」

 

 知り合うもの皆美少女というのは男の欲望が詰め込まれた異世界ものにありがちな設定だが、まさか自分が飛び込めるとは思いもしなかった。

 この様子だと、自分をこの世界に召喚し、俺TUEEなチート能力を付与してくれる女神との遭遇も時間の問題か。

 

「よし、いいぞ俺。伊達に妄想してねぇ……!」

 

 獣道を歩きながら、スバルは親指を立てて自分を褒めたたえた。

 日頃から妄想にふける時間はたっぷりあったおかげで『異世界召喚』された際の心構えは上々だ。

 

「あとは、やっぱし現地民と一回接触しておきたいとこだが」

 

 当面の目標をそう設定し、森の中を歩き続ける。

 すると、まるで神が見ているかのように、脇の茂みから――それは現れた。

 

 ゆらりと揺れる黒い影、金髪の髪に、真っ赤なリボン。

 黒いワンピース姿の少女が、無垢な笑顔を浮かべてふわりと宙に浮かんでいた。

 スバルは待ってましたと目を瞬かせて、小さくガッツポーズをして見せる。

 

「来た、これは絶対そうだろ! ナビゲーター枠! もしくはチート能力をくれる女神ポジ!」

 

 ナチュラルに浮いているのも幻想的に見えてしまうのは、異世界フィルターの恐ろしいところだ。

 スバルは深呼吸をしてから、なるべく自然体の声で呼びかけた。

 

「おーい、そこのお嬢さん! ちょっとお話しようぜ。俺こっち来たばっかでさー」

 

「……そーなのかー?」

 

 少女はこちらに気が付くと、ふわりと浮かんだままゆっくりと距離を詰めてきた。

 両手をいっぱいに広げたT字のポーズがひどく愛らしい。よくみると十歳くらいのかなり幼い印象も受けたが、合法ロリ枠という可能性もある以上、第一声は手を抜けない。

 

 こほんと咳払いして、スバルはその場で一回転、指を天に向けてポーズを決める。

 

「俺の名前はナツキ・スバル! 右も左もわからない上に天衣無縫の無一文! ヨロシク!」

 

「そーなのかー」

 

「え?」

 

 そーなのか。合ってるような合ってないようなその返答に、スバルはやらかしたかと冷や汗を書く。

 なにせ長年引きこもりだったせいでコミュ力はゼロに等しい。あって早々の自己紹介は馴れ馴れしかっただろうか。

 

「……えーっと、天気いいですね?」

 

「そーなのかー」

 

「……名前は?」

 

「そーなのかー」

 

「いや、なんかおかしいぞこれ!?」

 

 イエスノーで答えられない質問にも同様の返事が来たことで、スバルはようやく異変を理解し始める。

 あしらわれてるにしては向こうから近づいてきたし、この子が『そーなのか』さんである可能性もあるにはあるが。

 

「……言葉が、通じてないのか?」

 

 そもそも言ってることを理解されていない。そういう印象をスバルは受けた。

 妖精達の会話が日本語っぽいと油断していたが、ここは異世界。まだ何か自分には分かっていないことがあるんじゃないだろうか。

 

 どうしたものかと頭を悩ませるスバルをよそに、少女はさらに距離を縮めてくる。そして、手が届きそうなほど近距離になった、その時だ。

 

「……お兄さんは」

 

「ん?」

 

「お兄さんは――食べてもいい人間?」

 

「――ッ!?」

 

「……そーなのかー」

 

 ――ゾクリとした悪寒が、スバルの背中を這い上がる。

 

 少女の放った言葉もそうだが、悪寒の原因となったのは周囲の空気だ。

 喧嘩の経験など皆無なスバルに、殺気だのは感じ取れない。けれど、そんな弱者だからこそ分かることもある。

 蛇に睨まれたカエルが動けなくなるように、今の自分がこの少女にとって『エサ』でしかないことを、理屈じゃない本能で理解させられた。

 

 言語が通じなかったのではない。餌とする会話など、なかったというだけ。

 

 能力、というものだろうか。少女の周囲1メートルほどに、真っ黒な真球が形成されていく。

 

「ちょー!? 待って待ってタンマ!!」

 

 腰を抜かして尻餅をつきながら、スバルは必死に後退する。

 だが少女の歩みが止まることはなく――差し出された両手の爪が、信じられないほど鋭利に変化した。

 

「あ、あかんこれ、詰んだ――!」

 

 終わる、のだろうか。何もしていないのにこんなところで。

 確かにまともな人生を歩んできたとは言い難いが、それでもこんな終わり方を迎えるのは酷すぎる。俺が何をしたのかと問えば、お前は何もしなかったと返ってきそうな無為な終焉。

 痛み、ではない。

 それ以外のなにかで涙が溢れそうになる。

 終わるのが恐いとか、死ぬのが嫌だとか、そんなレベルの話じゃない。

 ただ、何もない空っぽのままで終わってしまうのが耐えられなかった。

 

「――そこまでよ」

 

 直後、スバルの眼前を横切ったのは、自身を襲う少女の闇と相反する――光。

 

 少女を吹き飛ばしたその一撃は、森のざわめきも、少女の呻き声も、スバルの荒い呼吸さえもねじ伏せて、世界を震わせる。

 白と赤の巫女装束。しなやかに舞う黒髪。光弾から数秒遅れて舞い降りた少女の姿は、まさしく幻想のようで。

 

「こら、ルーミア! 勝手に人間食べようとしないの!」

 

「ごめんなさいなのだー!」

 

 スバルの目線は自然と、叱咤を飛ばす少女へくぎ付けになる。

 今でこそ、互いに好き放題言い合っているが。このときだけは、本当に心の底から思ったのだ。

 

 ああ、カッコいいな、この人。

 

 命を繋いだ安堵と、眩しさと、ほんの少しのときめきがごちゃ混ぜになって、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じる。

 ――これが、菜月昴の幻想入り。その最初の日にして、博麗霊夢との出会いでもあった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 かくして、菜月昴は異世界に降り立った。

 名を――『幻想郷』。そこは非常識が常識であり、妖精や魔法使い、魔法や異能が当たり前のものとして存在する。

 まさにスバルの夢見た異世界そのものだった。

 

「霊夢、今日の夕飯できたぞー」

 

「あらそう。今日は何をだしてくれるのかしら」

 

 当然、そこに迷い込んだ少年――菜月昴は、西へ東への大冒険。

 日々強敵たちと戦い、明日の盟友(とも)とし、この世界を襲う未曽有の危機から皆を救ったり救わなかったりラジバンダリ。

 最終的には『英雄ナツキ・スバル』などと呼ばれることに――、

 

「聞いて驚け! 今日は菜月昴特性、鮎の塩焼き定食だ!」

 

「すごいじゃない。こんな立派な魚、どこで手に入れたのよ」

 

「買い物してたら人里のおばさんがくれた。俺の人徳がなせる業だな。冷めないうちにおあがりよ!」

 

 そう、壮大な冒険をして、強敵と戦って――、

 

「ごちそうさまでした……ほんと、初日に手を血塗れにしてたのはなんだったのってくらい上達したわね、料理」

 

「そりゃこんだけ毎日毎日作ってれば嫌でもなぁ。あ、今日一番風呂貰ってもいい?」

 

「しょうがないわね。毎日家事頑張ってくれてるし、今日くらいはいいわよ」

 

「よっしゃ! んじゃ遠慮なく」

 

 冒険、ではなく今日も一日家事を無事にこなした少年――菜月昴は、浮足立って浴槽へと向かった。

 ジャージにところどころついた汚れは、今日も一日家事を頑張った事を意味する勲章だ。それをどこか誇らしげに見て笑ったあと、服を脱いで神社の裏手へ出る。

 

 そこにあるのは、スバルが三十人は入れそうな広さのある巨大な温泉。

 ある日突然地底から湧き出たという温泉。一時は異変の原因にもなっていたそうで、最初スバルは変な効能でもあるんじゃないかと不信に思っていたが、

 

「……くう~。やっぱ、日本人は風呂には抗えねぇ」

 

 全身がお湯に浸かった瞬間に、そんな疑念は些事となる。

 現代日本より科学技術が進んでいない幻想郷。川での水浴びだったりを覚悟していたスバルにとって、正直これはありがたかった。

 両手に溜めたお湯で顔を擦り、息と共に疲れを吐き出したところで、思考は明日の家事へと向かう。

 

 明日はどこを掃除しようか、次こそ参拝客は訪れるのだろうか、どんな料理を作ろうか。

 しまいに、そういえば油を切らしてたなーと思い立ったところで、

 

「……ひょっとしなくても俺、家事しかしてねぇな?」

 

 苦節一ヶ月。自分の異世界ライフがこんなはずじゃなかったことに、ようやく気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝露に濡れた石畳を、竹ぼうきが規則正しく吐いていく。

 それはもはや毎朝の日課となっていたが、今日ばかりは彼の心中は穏やかではなかった。

 

「このままじゃまずいこのままじゃまずい……」

 

 掃除の手は止めないまま、スバルはぶつぶつと独り言を漏らす。

 

 実のところ、何か差し迫った問題が起きているわけではない。

 食事は毎日三食きっちり食べられる。寝床もあるし、風呂は特大の温泉付き。霊夢との共同生活も悪くなく、生活だけ見れば、日本にいた頃よりよほど健康的で充実していた。

 

 それなのに、胸の奥には夏休み最終日に宿題を思い出したような、重苦しい焦燥感が居座っていた。

 ――昨日お風呂に入っている最中、ふと気づいてしまったのだ。

 

「俺、この一か月で神社の家事しかしてねぇ」

 

 自分の『異世界ファンタジー』が、いつの間にか『片田舎でのんびりスローライフ』に路線変更してしまっていることに。

 

「……いや、家事スキルと真人間性は結構上がったけども!」

 

 思わず一人で突っ込みを入れる。

 

 幻想入りを果たしたあの日、スバルは可愛い顔した人食い妖怪に襲われ、博麗霊夢という少女に命を救われた。

 その後、彼女の住む『博麗神社』でしばらく世話になることとなり、今日まで家事見習いとして雇ってもらいながら生活している訳だ。

 

 炊事、洗濯、掃除、買い出し、薪割り。今のスバルは、現代の専業主婦基準に照らし合わせても中々いい線行けそうな能力と勤勉さを持ち合わせている。

 最近では人里のおばちゃん連中から「若いのに感心だねぇ」と野菜をおまけしてもらえるくらいだ。でも違う、そうじゃない。

 

「俺が夢見た異世界って、もっとこう……あっただろ!」

 

 魔王とか、伝説の剣とか、巨大なドラゴンとか、銀髪美少女ハーフエルフとか。

 仮にこれらが望みすぎだとしても、流石にこの世界は平和が過ぎる。魔法も、妖精も、人食い妖怪だっている癖して、スバルはこの一か月、ボヤ騒ぎの一つも目にする機会がなかった。

 思い返してみても、毎日掃除して、料理して、買い出しに行って、温泉に浸かって寝るだけ。思わず一か月描写を飛ばしたくなるほど――本当に何もなかったのである。

 

「別に、騒ぎが起きてほしいって訳じゃないんだが」

 

 もちろん、平和なのはいいことだ。

 平和に暮らす人里の方々や、そこらへんをウロチョロしている妖精達は見ていて飽きないし、それが脅かされてほしいなんて、これっぽっちも思わない。

 

「……でもなぁ、このままだと俺の目的が」

 

「朝っぱらから何ぶつぶつ言ってんだ、お前」

 

「うひゃあっ!?」

 

 突如頭上から降ってきた声に、スバルは文字通りに飛びあがった。

 

 見上げれば、箒に跨った一人の少女が、ゆっくりと空から舞い降りてくる。

 朝日に照らされた金色の髪。黒と白を基調とした魔法使い然とした衣装に、大きな三角帽子を目深に被ったその姿に、スバルは口を開く。

 

「魔理沙。自覚ねぇかもだけど、死角から急に来られんのは心臓に悪いって」

 

「すまんすまん、毎回反応が面白いからついな」

 

「ゴリゴリに確信犯だった……」

 

「そんな顔すんなって。だってお前、『うひゃあっ!?』だぜ? 乙女かよ……っ、あははは! ダメだ、腹いてぇ!」

 

「朝っぱらからストレスゲージが蓄積されてく!」

 

 ――霧雨魔理沙。

 

 彼女は自称『ただの魔法使い』にして、幻想郷でも知らぬものはいないトラブルメーカー。彼女はほぼ毎日のように博麗神社に顔をだしてくるため、スバルとも自然と話す機会が多かった。

 箒で空を飛び、魔法を使う。紛れもなくスバルが夢見た異世界の住人そのものなのだが、如何せん当の本人が神秘性を台無しにする性格をしている。

 

 よく言えば天真爛漫、悪く言えば自由奔放。面白そうだと思えば首を突っ込み、人が困っていれば笑い、困らせている本人であることもしばしば。

 そのせいか、スバルの中で彼女は「偉大な魔法使い」ではなく、「近所に住んでいる悪友のお姉さん」という立ち位置に落ち着いていた。

 

 そのおかげで、気兼ねなく軽口を叩き合える大事な友達でもある、と言うのは否定しないが。

 

「ところで魔理沙って近日中に大暴れする予定とかある?」

 

「……は? あるわけねえけど、急にどうした?」

 

「いや、なんか俺も異世界っぽい冒険の一つでもしてみたいなと」

 

「そこで私を悪役に据えようってあたり、さてはさっきの根に持ってんな?」

 

 額に若干の青筋を浮かべる魔理沙を無視して、スバルは顎に手を当てる。

 こいつなら「面白そうだから」的な理由で森の一つでも消し飛ばしてくれるかもと思ったが、残念ながらそうではないらしい。

 

「そもそもこの世界って、事件とか起きたりしねぇのかも」

 

「事件? 飯屋で勘定ごまかして、しょっ引かれてる奴なんかは偶にいるのぜ」

 

「そういうんじゃなくてさ。異世界つったら、魔王が攻めてきたり、世界が滅びそうになったりするもんだろ? 幻想郷にも人に危害加える妖怪はいるっぽいし、もっと毎日のように何か起きてるのかと思ってたんだよ」

 

 スバルの問いに、魔理沙は「んー」と短くうなる。そして暫しの間の後、

 

「起きる事には起きるぜ。幻想郷じゃ、そういう騒ぎをまとめて『異変』って呼ぶんだ」

 

「……異変?」

 

「空が真っ赤になったり、春が来なくなったり、月が偽物とすり替えられたり。放っとくと幻想郷中が迷惑するような異変が、時たま起きるんだよ」

 

「おおっ! それそれ、そういうのだよ俺が求めてたのは!!」

 

 春が来ない、月がすり替えられる。聞いただけでは想像のつかないスケールのデカさと字面の意味不明さが、スバルの厨二病心をくすぐる。

 期待以上の異変とやらにスバルは一気に目を輝かせたが――、

 

「まあ、そういうのは全部、霊夢がさくっと解決しちゃうんだけどな」

 

「――――」

 

 その輝きは、続け様に放たれた言葉が聞こえるまでだった。

 

「ああ、そっか、そりゃそうだよな。霊夢が……」

 

「……?」

 

 先ほどまでとは一変。みるみるうちに調子を落としていくスバルを前に、魔理沙は首を傾げる。

 

「スバルはなんで、そんなに冒険したがるんだ?」

 

 そして疑問に思ったことは、躊躇なく口にするのも彼女の特徴だった。

 少々デリカシーに欠ける立ち回りかもだが、問題を先延ばしにしてもいいことはない。そんな魔理沙の性分を知っているから、スバルもまた無理に隠そうとはせず悩みを口にする。

 

「最初はせっかくの異世界だし心躍るような冒険を、ってのが理由だった。幻想郷に来たばっかの頃なんて、そんなことしか考えてなかったしな。でも、今はちょっと違うんだ。ちゃんと明確な目的があるんだよ」

 

 そして息をつぎ、顔を上げた。

 

「――霊夢に、恩返しがしたいんだ」

 

 いつもの軽い調子ではなく、静かな声でスバルは言葉を続ける。

 

「俺、この世界に来てすぐ妖怪に食われかけたって話はしただろ」

 

「ああ」

 

「あのとき霊夢が助けてくれなかったら、俺はあそこで終わってた」

 

 あの光景は、今でも鮮明に思い出せる。比喩でもなんでもない、絶望の中へ飛び込んできた一筋の光。

 何の呪いか、当の本人は「巫女の仕事だから」と食い気味に否定してくるが、それでもスバルは確かにあの瞬間、彼女に救われたのだ。

 

「しかも住む場所まで用意してもらって、飯だって食わせてもらってる。だから家事くらいは代わりにやるって申し出て今に至るわけだけど……それじゃあ足りない気がするんだよな」

 

 加えて言えばこの一か月は、スバルにとって悪くなかった。

 先に述べたように、心躍るような冒険も、わざわざ語る程のエピソードもなかったけれど。毎朝決まった時間に起きて、掃除して、霊夢や魔理沙としょうもない会話をして、食事を作って眠りにつく。

 その何でもない日々は、ただ時間を浪費していた元の生活とは違って、ちゃんと少しづつ意味を持っていた。

 

 今なら、お母さんとお父さんに頭を下げて「ごめん」と言えるかもしれない。学校にだって行けるような気がする。

 だから、この世界で自分を救ってくれた恩人に――今度は自分が何かを返したい。

 

「それで、異変で活躍して、今度は自分が霊夢を助けてやろう……ってか?」

 

「そういうことだな。何もおかしなところなんてないだろ?」

 

「いや変だろ。何の力もないお前が異変で活躍できるわけねえじゃん」

 

「唐突な言葉の暴力ぅっっ!?」

 

 一瞬で現実を叩きつけられ、スバルはその場に崩れ去った。

 言われずとも分かっているのだ。菜月昴という平和な日本の一般家庭で育った男児に特別な力はない。武力も魔法もなければ、この世界で主要な弾幕だって放てやしないのだから。

 その上、力になってあげたい霊夢本人が、誰の助けもいらないほど強いときた。スバルが目に見えて落ち込んでしまうのも無理のない話だった。

 そもそも――、

 

「何をそんなに焦ってるんだ? 今みたいに家事の手伝いでもしときゃ、いつかは機会が来るかもしれないだろ」

 

「駄目なんだよ」

 

「え?」

 

「それじゃあ駄目なんだ。俺は一週間後には――日本に帰るんだから」

 

「――――」

 

 スバルの言葉に、魔理沙は目を見開いて息を呑んだ。

 

 ここまで異世界だなんだと連呼したが、正確には少し事情が違う。

 幻想郷という場所は、地理的には日本のどこかに実在するれっきとした現実世界。閉ざされた境界の宇t側に遭って外の人間の目には決して映らないけれど、意図せぬ事故によって稀に人が迷い込んでしまうことがある。

 

 その迷い人こそが、菜月昴なのだ。

 

 そして、そんな迷い人を元の世界に返すための方法も、幻想郷にはちゃんと用意されている。

 ――八雲紫。『境界を操る程度の能力』を持ち、霊夢とも関わりの深い大妖怪。彼女の手によって、自分は元居た日本に帰ることが可能、らしい。

 その予定日は、今日より七日後。

 

 本来なら、一週間もたたずに帰れるはずだった。

 だが、紫の姿が最近全く見えなかったことで、ここまで長居することになったのだ。だが、それもここまで。いくら姿を見せないと言っても、七日後の定期的な結界の更新日には必ず現れるだろうと霊夢が言っていた。

 

 つまり、スバルが彼女に恩を返せるチャンスもあと七日間のみ。それまでになんとしてでも、スバルは――、

 

「――なあ」

 

 ふと思考を遮るように魔理沙が口を開いた。空を見上げながらひとつ大きく伸びをして、にやりと笑う。

 

「最終日、お前が外の世界に帰る日に、宴会でもしようぜ」

 

「……は? なんで?」

 

 突拍子の無い提案に、スバルは思わず首を傾げた。

 まさか、こっちに来てたった一か月のスバルのために、せめてもの送別会を? そんな殊勝なことを、この自由人が考えているとは思えない。

 

「いやさ、ここじゃ宴会なんて日常茶飯事だから、そんなに構える必要はねえんだよ。ただ、酒を飲んで、皆で騒いで、盛り上がってきたところで……霊夢に伝えてみたらどうだ。感謝の言葉とか」

 

「――――」

 

「私は、恩返しに特別な見返りが必要だとは思わない。ただ「ありがとう」って言ってもらえたら、それだけで相手は嬉しいもんだぜ」

 

「……いや、ありがとうくらいはちゃんと言ったことあるよ。流石に!」

 

「どうせその一言で片づけてしまいなんだろ。今みたいに面と向かってじゃなくて、何かのついでにしれっと言って、『仕事だから』って霊夢に返されて黙っちまうコミュ障の姿が目に浮かぶ……」

 

「コミュ障で悪かったな! そもそも、そんなことで恩が返せるわけ――」

 

 ない。そう言おうとして、スバルは口を閉ざした。

 彼女に面と向かってお礼を言ったことがないのは事実だったし、何より時間も選択肢もない現状、納得してしまったのだ。今の自分にできる精一杯は――案外、その程度なのかもしれないと。

 

「じゃ、そういうことで。おーい、霊夢ー! 来週ここで宴会しようぜー!」

 

「ちょー!? 何勝手に言ってくれちゃってんの!?」

 

 魔理沙が境内から神社の方に向かって声を張り上げた。慌てて叫ぶスバルの声も、動揺に朝の境内に響く中で、

 

「……朝っぱらから何騒いでんのよ」

 

「――ぁ」

 

 神社の中から、聞きなれた声がした。

 

 ゆっくりとその場で振り返れば、開け放たれた戸の向こうに目当ての少女――博麗霊夢は立っている。

 まだ寝起きなのか、ほんの少しだけ髪が乱れている。巫女装束の袖を整えながら眠たげにこちらを見つめる瞳に、スバルは思わず声を漏らしていた。

 

「魔理沙、あんたまた朝から来てたの?」

 

「おう、今ちょうど来週ここでやる宴会の話をしてたところだ」

 

「私に相談もせずもう決まったような口ぶりをするのはやめてもらおうかしら?」

 

 いつもの二人のやり取り。スバルはそれを、少し離れたところから見つめる。

 

 つい一か月前まで異世界の住人だった彼女らは、今ではれっきとした友人だ。スバルを助け、今日までそれなりに好意的に接し、日々の日常に意味を与えてくれた――大切な友人たち。

 

「そっか。ありがとう、か」

 

 一度しっかり反芻することで、決意を固めようとする。

 願ったところで力は手に入らない。異変を解決もできない。霊夢より強くもなれない。

 役に立てない無力な自分を認め、今できる精一杯を尽くそうと、そういう決意を。

 

「ん? あんたもなに?」

 

「いや、えっと、その……」

 

 ふと、こちらの視線に気が付いた霊夢が訝し気にこちらを見つめ返してきた。だから、動揺を隠し、息を大きく吸ってから、

 

「俺からも頼むぜ。菜月昴の幻想郷送別会、パーっと盛大に祝ってくれよ」

 

「……まあ、片付けもやってくれるならいいけど」

 

 心底面倒くさそうな顔で了承してくれたので、スバルは小指を盾て顔の前に突き出す。何事かと警戒する霊夢を前に、苦笑しながら口を開いた。

 

「指切りげんまん。外の世界で約束するときにやるおまじないみたいなもんだよ」

 

 ほら、と強要すると、彼女は渋々こちらを真似て小指を差し出してくれた。そこに自身の小指を重ねて上下に揺らす。

 

「指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます!」

 

「物騒すぎるでしょ……」

 

「外の世界って、案外やべえ場所なのかもな」

 

 外界の文化にドン引きする少女二人を巻き込み、三人の契りは結ばれる。

 

 これは、菜月昴が幻想郷に迷い込み、そして日本に帰るまでのお話。霊夢も、魔理沙もそしてスバル自信すらも、この先に待ち受ける『運命』をまだ知らない。

 ただひとつだけ、確かなことがあるとすれば、

 

 

 

 

 

 約束が守られることはなかった。

 

 この場の三人が顔を合わせて、宴会に興じることはもう二度と、なかった。

 

 もっと早く気づいていたら、もっと早く変われていたら。そんな後悔は全て、過去に囚われるだけの負け犬の遠吠えに過ぎない。七日後、この約束の日こそ、

 

 

 

 ――菜月昴の、地獄の始まりなのだから。

 

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