――霧雨魔理沙に酷似した存在、見えたのはそれだけだった。
記憶はそこまでだ。以降は何も覚えていない。
痛みも、衝撃も、恐怖も、何一つ感じなかった。ナツキ・スバルにとってそれらはいずれも『死』の訪れにかかせない介添え人だ。泣き叫ぶような痛みも、血肉が奪われるような衝撃も、全てを喪失する恐怖もない。
あるいはその『死』は、スバルの知るどんな『死』よりも優しかったのかもしれない。
もっとも、死の瞬間、その脳まで蒸発させられたスバルに『死』の優しさを感じ取る猶予などなく、思い返して余韻にひたる余白もやはりなかった。
まるで瞬きのように、一瞬だけ視界が暗く閉ざされたと思った刹那、ナツキ・スバルの失われた命は再生し、逆流し、再び現実に投げ出される。
――投げ出されていた。
「妹様、しっかりしてください! 妹様!!」
「妹様がここまでやられるなんて……! 早くパチュリー様に見せないと!」
「――――」
瞬間、デジャブなどでは言い表せない、生々しい『死』の現実感に総身が震える。
この感覚は疑うまでもない。『死に戻り』だ。ナツキ・スバルは今、『死』を体感して、この時間に戻ってきたのだ。
「……冗談じゃねぇ、こんなのありかよ」
――よりにもよって、こんな最悪の地点に戻されるのか。
死んだ事実より、『死に戻り』したリスタート地点の悪さにスバルは奥歯を噛む。紅魔館での死に戻り、数十分の猶予をはるかに上回る速度で、死が目前に迫っているからだ。
二度。スバルはこの短時間で二度も死んだ。恐らく、異形の霧雨魔理沙の手によって。
彼女がこの場に到達するまで、スバルの体感で一分ほど。
今こうして思考している刹那の時間にも、奴が迫ってきている。なら立て。立って戦え。
怖くても、震えが止まらなくても、迫る現実から目を背けるな。
――この世界を襲うあらゆる理不尽に抗うと、決めたのだから。
「小悪魔さん、早くこの場を離れましょう! あれがいつ追いついてくるか分かりません!」
「分かっています、ですがひとまずは大丈夫でしょう。彼らの足止めがあれば――」
その刹那、目の端を白い光がちらついて、全身が総毛だった。来る、来る、あれが来る。
「――そんな保証がどこにある?」
「よけろぉぉぉぉっ!!」
スバルは無防備に立っている二人の体を掴んで、勢いよく地面に倒れる。直後、三人の頭上をかすめたのは――眩い極光。一部のずれもなく真っすぐに通過したそれは、スバルの前髪を僅かに焦がし、周囲の木々を根こそぎ焼き払った。
やがて光の雨が止み、周囲の景色が大きく開ける。綺麗に同じ高さで両断された木の幹から煙が立ち上る中、――そいつはようやく、姿を現した。
「今のを避けるのは面白い!」
「……なんで、もう来てんだよ」
――異形郷の、霧雨魔理沙。
美鈴の奇襲と、異形郷の同士討ち。二つの事象で、少なからず足止めされていた筈の敵が、そこに立っている。特に、スバルから見てかなりの強敵だった異形の妖精をこの速度で、さらに無傷で突破してきた事実は恐ろしかった。
そして、その異常を感じ取ったのはスバルだけではない。横の二人も同様だ。
「……小悪魔さん。あれに勝てると思いますか?」
「無意味な質問ですね、勝てなきゃ死ぬだけですから。でもハッキリ言って……絶望的です」
「です、よね……」
二人の怯えはスバル以上のものだった。彼には見えない、敵の『魔力』を知覚しているからだ。
いや、正確には見えていないと言うべきだろう。“それ”から漂う魔力はあまりに大きすぎて、全容を把握する事すらできない。前に立っているというだけで、足はすくみ、心を折られそうになる。
すると、異形の魔法使いは項垂れているだけの三人を前に、ゆっくりと口を開いた。
「おいおい、何で三面ボスと四面中ボスがここにいろんだよ?」
「……ぁ?」
「お前らは水着でも着て、門前でくねくねダンスでもしたらば」
内容は意味不明で、思いがけず軽薄な口調。それに、下手くそではあるが日本語を喋っている。
これまで出会った異形の中に、日本語をしゃべる奴はいなかった。英語を喋って銃をぶっ放す兎はいたが、日本語は異形の霊夢でさえ、喋らなかったのだ。
そこからスバルは、ひょっとしてこいつは他の化け物と違う、交渉の余地がある相手なのではないかと希望を抱くが――、
次の瞬間には、それが酷く愚かな願望であったと知る。
「お前もさっきん馬鹿妖精と一緒か? 俺の邪魔をせる気か?」
「――――」
「いい加減飽きたんだよかませ犬どもがぁぁぁぁ」
――殺気。
それを浴びせられただけで、自分がまだ生きているのかを、一瞬疑った。
自身の一挙手一投足、どれが引き金になって死に至るか分からない。その恐怖から呼吸することすら忘れ、スバルの胸が苦しくなる。
だが、それは他の二人にとっては、戦いを始める引き金となった。
「――――っ!」
息を小さく飲み、先んじて駆けだしたのは美鈴だ。殺らなければ殺られる。その思考が、彼女の動きを迷いないものにした。
同時に小悪魔は空中に魔法陣を展開した。すると、無から現れたのは巨大な『戦車』だ。魔法陣に似つかわしくない、重厚な金属を纏う現代兵器。その主砲が熱を帯び、巨大な榴弾が発射される。
「楽なキャッチボールでな」
榴弾は美鈴よりも早く、異形魔理沙に到達。彼女はそれを、まるで野球ボールを取るかのように、容易く手に収めて見せるが、
「お?」
火薬のつまった榴弾は、異形の手の中で大爆発を起こした。
閃光と轟音。衝撃波が景色を歪ませ、異形の体は半分ほど消し飛ぶ。
「――紅美鈴」
「はい、小悪魔さん!」
知っている。これで死んでいないことなど。爆発でけりが付くなら、フランドール・スカーレットが敗北など、するはずがない。
だから美鈴は僅かにできた隙をついて距離を詰め、硬く拳を握った。
「――気符『地龍天龍脚』」
スペルを宣言しながら、地面を強く踏む。気功を込めた蹴りで相手を跳ね上げ、浮き上がった敵の体を続けざまに地面に叩きつけた。
本来弾幕に特化したスペルカードを武術へと昇華させた、『気を扱う程度の能力』を持つ、紅美鈴のオリジナル。内部に衝撃を与え、再生をも阻害するこの技なら、あるいは――、
「……もしかして、まだ俺を倒せるとおもってるんでぃすか?」
そんなもしもは、あり得なかった。
予想外の声が響いたのは、美鈴のすぐ横だ。確かに正面に蹴り飛ばした少女が、いつの間にか至近距離に立っている。慌てて反撃の態勢を取るよりも早く、横腹に掌底が抉りこむ。
魔力がどうこうではない。――膂力も、俊敏性も。得意分野である自分より、はるかに格上。
「ぐっ!」
殴り飛ばされた、というより触れた部分をまるごとえぐり取られ、美鈴の体が吹き飛ぶ。数々の岩と木を中継して、最後には地面に転がった。
「『気を扱う程度の能力』か……別にいらぬ」
「っ、大人しく死んでください!」
時間にして十数秒の、一瞬の攻防。既に一人が戦闘不能にされた事実を前に、小悪魔はヤケクソ気味に二発目の榴弾を発射する。
「二度手間は通用しないんだよなぁ。やはぁフランより弱い」
「――――」
だが、今度は受け止められた榴弾が爆発しない。受け止められた榴弾が――少女の掌の中で、凍ってしまったから。
「『冷気を操る程度の能力』、てな」
「……ほんとに、何なんですかあなたは」
「――最強の魔法使いだ」
瞬間、手に帯びていた冷気が一気に広がる。
それは恐ろしい速度で地面を白く染め上げ、伝播し、あっという間に一面を白銀の世界へと変えた。
白銀は倒れている美鈴を呑み込み、小悪魔を戦車ごと白く染め上げ――傍観していたスバルにも届く。――瞬間、地面に触れていた足に焼き付くような激痛が走った。
「――ぁがぅあ!」
激痛に絶叫し、地面から引きはがすように足を振り払っていた。
灼熱の痛みは指先から足首、膝下まであっという間に及び、苦痛に惨状を予感しながらスバルは足に視線を落とす。――そこに、あるべきはずのミギアシは既になかった。
乱暴に振り払ったのが良くなかった。氷で重く、硬くなってしまった足は、根本から簡単に砕け散る。
――早く、元通りにくっつけてやらないと。
とりとめもない思考でそれだけを考え、折れた足を取り戻そうと手を伸ばす。が、片足を失った体は先ほど以上に動かすのに難儀し、バランスを崩して地面に倒れてしまった。
「――ッあああ!」
横倒しに倒れこみ、体中を蝕み始める冷気に、喉から声にならない声が漏れだす。
叫ぶために息を吸った瞬間、体の内側が白い空気に埋め尽くされ、動かなくなる。肺が痙攣し、呼吸する機能が一瞬で死んだ。短く浅い呼吸を繰り返すが、膨らまない肺は酸素を取り込もうとしない。尋常ではない感覚に、スバルは目だけを必死に巡らせる。
「ん?」
そしてふと、不思議そうな顔でこちらを覗き込む魔法使いと目が合った。
こんな残酷な目に遭わせておいて、何でそんな顔が出来るんだ。もしかしたら、もうこと切れる相手への温情の一種なのではないか。しかし、最後にスバルが聞いたのは、
「――なんだ、もう一人いたのか」
――存在すら知覚されていなかったという、哀れな事実だけだった。
2
「――もうと様!!」
手足に温かな血が通い、砕け散った下半身がしっかりと地面を踏みしめている。
失われた機能が瞬きの直後に全て戻ってくるという現象。瞬間的に再起動された脳が、注ぎ込まれる情報量の処理によってパンクし、文字通り目が回りそうになる。
「妹様、しっかりしてください! 妹様!!」
「妹様がここまでやられるなんて……! 早くパチュリー様に見せないと!」
「……ぁ、ぐ」
瀕死のフランドールに駆け寄る二人を他所に、スバルは自身の体を抱えて縮こまる。
粉微塵にされた経験はあったが、物理的な死と凍死では、苦痛も喪失感も性質が違う。最後、地面に張り付いた顔を乱暴に動かし、右の頬と耳がごっそりもげたところまで、鮮明に記憶している。
だが生憎、恐怖に浸る時間さえ、スバルには残されていなかった。だから、舌を強くかんで意識を強く保ち立ち上がる。美鈴と小悪魔の間を抜けて、横たわるフランの体を持ち上げた。
「……スバルさん?」
「説明は後だ、今は俺に付いてきてほしい」
美鈴の疑問に簡潔に答えると、フランを両手に抱えたまま走り出す。二人も、状況を呑み込めないまま後に続いた。
「ナツキ・スバル、あなたは信用できません。妹様をこっちに渡してください!」
「俺の両手開いてても仕方ねえだろ! それよりこのまま聞いてくれ……あいつがもう、すぐそこまで来てるんだ!」
スバルの言葉で、場の緊張感が一層増した。何故そんなことが分かるのか、などと説明している暇さえない。故にそれらを省略し、今後の立ち回りだけを率直に伝える。
「この場の戦力であれと戦っても勝ち目はない。俺たちは、このまま紅魔館まで逃げ切ることだけ考えるべきだ」
「……分かりました。でしたら煙幕を撒きます。これで少しは追跡を遅らせられるでしょう」
「銃と言い戦車と言い、次々に現代兵器が飛び出てくるのは何なの? イメージ的に魔法と対局の存在だと思うんだけど」
「これも立派な魔道具ですよ。空気中の水分と反応する薬品を散布することで、光を遮断します」
「否定派意見聞いたうえで、俺の知る化学兵器まんまな気がすんな……」
魔法とは、解明できていないだけの科学の延長線だとどこかで聞いたことがある。
そういう意味では両者にあまり違いはなく、いいとこどりをしている小悪魔の武装は理にかなっているのかもしれない。
「では私が周囲を警戒します。スバルさんは出来る限り全力疾走で」
「おう!」
あの場を離れて走り出し、およそ二分が経過。未だに攻撃の手は来ない。後ろを振り返っても、周囲を見渡しても、敵の気配は感じなかった。
――行ける。早々に逃げ出した上、その進路が分からないように無秩序にばら撒いてくれた煙幕が効いているのだ。このまま全力疾走を続ければ、紅魔館までフランを連れ戻せ、
「――なんだ?」
思考を中断したのは、スバルの出来立てのトラウマを刺激する光だった。
それなりの高さの木々がそびえたち、土地全体が日陰になっている筈の魔法の森に、強い光が指す。当然、美鈴も周囲に目を凝らすが、辺りにそれらしき姿は見えない。だが、それも当然のことだった。
「え?」
その光は――上から。太陽の何倍もの輝きが、木々の隙間を縫って、スバルたちを照らしている。そして一瞬、ひと際強く光が瞬いたと思うと、
「――神槍『スピア・ザ・グングニル』」
――魔法の森全体に、数十本の紅い槍が、降り注いだ。
それらは一本一本がオリジナルと同等の質量、威力を誇り、着弾した傍から轟音と爆発を生み、まるで天変地異かの如く地形を書き変えていく。全ての槍が深々と突き刺さり、魔力となって霧散する頃には、森だったはずの地形が、そこだけ円状に更地と化していた。
「――お、おったおった」
それを遥上空から打ち放った異形の魔理沙は、背中に生えた翼を羽ばたかせながら、見つけた目標に向かってゆっくりと高度を下げていく。そこにいるのは、偶然槍が当たらなかっただけで、爆風にうずくまることしかできない三匹の弱者だけだ。
「うっ、ぎいいいいっ!」
当然、無傷という訳ではない。スバルは着弾の余波が片腕を吹き飛ばし、腕があったところを必死に抑えて叫ぶことしかできなかった。
ドクドクと血の流れる音が聞こえる。それが体の中と外、どっちに流れている血なのかも分からない。痛い。とにかく痛い。痛くて痛くて痛いのが痛い痛い痛い――。
「なん、で……」
「何故って、どこにいるのか分からねえなら、全部吹き飛ばした方が手っ取り早いら」
「あり、得ない……こんな生物、いるはずが……」
小悪魔と美鈴はまだ戦える。妖怪の再生力で、どこも欠損していない。だが、先に折られたのは心だった。相手が逆立ちしてようが寝込みを襲おうが自分が一万人いようが――こいつには絶対勝てない。
現実を言外にマジマジと見せつけられる。勝負は既に、決していた。
「まあ、せいぜい最後は、新技の実験台にでもなれや」
異形の魔理沙が何か言った後、視界は再び光の奔流に呑まれる。
またしても、スバルのことなど見えていないのだろう。自分はこいつに殺されるわけではない。ただ範囲攻撃の余波を食らって、事故死するだけ。災害に巻き込まれたようなものだ。
そこから先は、スバルには分からない。
もう、何も、分からない。分からないまま、スバルの体は光に呑まれて――、呑まれて――、
3
「妹様、しっかりしてください! 妹様!!」
「妹様がここまでやられるなんて……! 早くパチュリー様に見せないと!」
「……ははっ」
もはや茶番にしか見えない眼前のやり取りを見て、スバルは思わず笑い声をあげる。
こう短時間で何度も見せられると、DVDを繰り返し再生した映像であるとさえ思えてきた。そう変わらないだろう。どうせ数分後には、また皆肉塊と化すのだから。
「――痛いの、やだなぁ」
スバルの思考は早くも、どうすれば現状から救われるかに、切り替わりつつあった。
【おまけ】
【本日の異形解説】
・小悪魔
東方異形郷の小悪魔は一般的な二次創作と少しキャラが違います。故に知らない人は少し困惑していたかもと思い、解説することにしました。
容姿や性格の違いは挿絵で説明した通りですが、他にも異形郷の小悪魔は『現代兵器』を多用します。何故かは知らん。けどカッコいい。そしてめちゃ可愛い。