Re:ゼロカラアラガウ異形郷生活   作:カノンだよ

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第一章2『それは非情なくらい突然だった』

夜の博麗神社は、酷く静かだった。

 

とはいっても、参拝客もほとんどいないこの神社は、昼間も静かだ。ただ最近は、厄介な外来人のせいで常にやかましいと言える。

 

霊夢は縁側に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら、冷めきった湯飲みを両手で包む。

中身を飲むでもなく、ただ器の重みを感じながら夜空を見上げていた。

 

「……明日で、最後」

 

ぽつりと漏れた言葉は、誰にも聞かせる訳でもない、自分への確認。

 

――ナツキ・スバル。

突如幻想郷に迷い込んだ、妙にうるさくて、馴れ馴れしくて、テンションの高い男。

何もかもが凡庸で、話もあんまり面白くなくて、目つきだけは悪い。

全男子を競わせる大会があったとしたら、せいぜい二回戦止まり。そんな印象だ。

 

でも、初めてだった。

 

博麗の名を冠し、結界を守る巫女。

誰もが恐れ、距離を置くこの立場に――、物おじすることなく、、一切の悪意もなく、真正面から接してきた人間は。

 

「……いないと、それはそれで、ちょっとだけ静かすぎるのかもね」

 

それが寂しいという感情に当たるのかは、霊夢にもわからない。ただ、明日の宴会が終われば、スバルはもういなくなる。

そう思うと、胸の奥に、言葉にならないひっかかりが残った。

 

「って、やめやめ。私らしくもない」

 

思考を断ち切るように、わざとらしく軽口を呟く。

博麗とは、すべてに公平に接する幻想郷の管理者。特定の誰かに情を持つなど、本来あってはならない事だ。

その教訓を思い出すように、霊夢は自分の頬をパシンと軽く叩いた。

 

さて、寝よう。そうして縁側を離れ、布団に戻ろうとした、そのとき――

 

「――――」

 

明らかな異常に、霊夢の眉がぴくりと動いた。

 

大きな揺れもなければ、轟音が響いたわけでもない。世界は依然として「普通」を装っている。

だけど、博麗大結界を維持する自分だけは、異変を感じ取ることができた。

 

「……なんで、こんなときに」

 

普段は決して見せることのない緊張が、彼女の頬に一筋の汗となって現れる。博麗大結界の更新日は明日。確かに今日は、最も結界が弱まる日ではある。もし、敵がそれを狙ってきたのだとしたら――

 

振り返ると、母屋の奥、開け放たれた襖の向こうで、無防備に布団を蹴飛ばすスバルの姿があった。

 

「……zzz」

 

「まったく。こういうときに限って、よく寝てるんだから」

 

感じ取れるのは自分だけだから仕方がない。そう分かっていても、あまりにも無防備な寝顔は、かなり腹立たしい。

 

ふと、霊夢は懐から一枚の御札を取り出した。

破魔の術式が込められた、薄く光る札。それを指に挟んだまま、迷うように視線を彷徨わせる。

 

「……別に、心配してるわけじゃないけど」

 

そう言いながら、彼女は寝ているスバルの胸元に向けて、指先で軽くそれを投げた。

札はふわりと宙を舞い、スバルの胸のあたりへ吸い込まれるようにぴたりと張り付く。

小さな光が一瞬だけ灯って、すぐに消えた。

 

「私が戻るまで、大人しくしときなさいよ」

 

小さくため息をつくと、霊夢は踵を返す。

行き先はひとつ。幻想郷の「裏側」――境界の主、八雲紫のもと。

自身の感覚が正しければ、これはただの「ほころび」では済まされない。

 

なんでもない夜だったはずだった。

けれど、彼女はもう気づいている。――刻々と、この世界に何かが侵入しつつあることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……霊夢が、いなくなった?」

 

魔理沙は、両手いっぱいのキノコと酒瓶を抱えたまま、ぽかんと口を開けた。

スバルは神社の玄関先で掃除用の箒を片手に、寝癖だらけの頭をぼりぼりとかく。現在は昼下がり。珍しく遅起きをしたスバルは、午後の宴会に向けて境内の掃除をしていたところだ。

 

「ああ、起きたらもう姿がなかった。書置きとかも見つからなかったし」

 

そこまで言って、ふと魔理沙の両手に目をやる。

 

「てかお前、その大荷物なに? 三人で宴会やるのに、そんなに必要ある?」

 

「いや、それがな。宴会の話聞きつけて、妖怪たちがちょっと顔出すわとか言ってくんのよ。鬼とか吸血鬼とか」

 

「おいおい……俺、人付き合い苦手なのに、俺でも知ってる有名種族たちと対面すんのかよ。胃に来るやつだわ……」

 

「大丈夫大丈夫。あいつら、肩書きほど大した連中じゃねーよ。酒さえあればすぐ上機嫌になる」

 

そんな他愛もない会話の中でも、スバルの意識は別にある。

 

霊夢の不在。それ自体は、博麗神社では特に珍しいことではない。妖怪退治、境界の巡回、気まぐれな外出。理由などいくらでもある。

けれど、今日だけは、そういう日じゃないはずだ。

 

「なあ、魔理沙。……霊夢は今日の事、忘れてたってことは、ないよな?」

 

「は? 忘れてるわけないだろ。……ほら、あいつにしちゃ珍しく、ちょっと嬉しそうにしてたぞ」

 

「……だよな」

 

じゃあなんで、黙っていなくなったんだ。

 

胸の奥に、ひやりとしたものが流れ込んでくる。それを認めるのが怖くて、口に出すのをやめた。

 

分かっている。霊夢にとって俺は、ただの迷い人だ。管理者として、仕事として保護しただけで、そこに個人的な情が介入するはずもない。

本来、別れの瞬間に顔を出す義理など、どこにもありはしないのだ。

 

「……ま、買いだしか、ちょっと気まぐれにどっか行っただけだろ。とりあえず準備しながら、のんびり待ってようぜ」

 

「ああ、そうだな……」

 

魔理沙の言葉が優しさだと気づいた瞬間、余計に情けなさが込み上げた。

 

同い年くらいの少女に、こうして気を遣われてる現実。どうしようもなく自分が小さく見えて、スバルは言葉もなく、魔理沙の大荷物を半分請け負う。

二人はそのまま、神社の中へと向かう。気まずさと、わずかな違和感を抱えたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湯気の立つ鍋の奥、木の台の上に、なにやらドロリとした黄色い液体が入った小瓶が置かれていた。

それを見つけた魔理沙は、得体の知れなさに思わず眉をひそめる。

 

「……なんだそれ、気持ち悪っ」

 

「失礼だな。これぞ俺がこの一ヶ月、血と汗と卵で作り上げた神の調味料。名を、マヨネーズという!」

 

「まよ……なんだって?」

 

馴染みのない言葉に首をかしげる魔理沙を横目に、スバルは胸を張り、どこか誇らしげに瓶を掲げた。

 

「いいか? これは卵と油と酢で作る奇跡の調味料だ。炒め物にもサラダにも、焼き魚にだって合う。しかも材料は全部、幻想郷で手に入る!」

 

――菜月昴は、生粋のマヨラーである。

 

唐揚げにマヨネーズ。サラダにも当然マヨネーズ。餃子、焼きそば、フライ、果てはデザートにまでマヨネーズ。落ち込んだときもマヨネーズ。迷ったときもマヨネーズ。

 

それが、菜月昴という人間の「食の柱」であり、「謎の白い液体」だった。

この幻想郷に来てからというもの、マヨ不足による震え、禁断症状、軽い離脱症状すら感じながらも――己の欲望と執念によって、ついに自家製マヨネーズの開発に成功したのである。

 

「……ああ、思い出した。最近、霊夢が「なんで毎回おんなじ白いやつかかってんのよ!」ってキレてたやつか」

 

「マジで? それ普通に初耳なんだけど」

 

「どんなに上手くても毎日出されたら嫌になるだろ……って、ん? ……あれ、でも確かにこれ、本当にうまいな」

 

恐る恐るひと舐めした魔理沙が、ちょっと驚いた顔を見せる。スバルは得意満面のドヤ顔で、台の上にマヨネーズ入りの瓶を並べ始めた。

 

と、そのとき。石段を上がってくる足音が、二人の耳に届く。

 

スバルがふと外に目をやると、門をくぐって境内へと入ってくる二つの影が目に映る。

一人は、すらりとした体躯で日傘をさす銀髪の少女。服装はひらひらとしたレースの施された、スバルもよく知るメイド服だ。そしてもう一人は、

 

「…………子供?」

 

どう見ても十歳やそこらの少女。

赤いドレスに紫色の髪。顔立ちはまるで人形のように整っていて、とにかく正真正銘の幼女である。

 

「やば、普通に参拝客の人たちっぽくね?」

 

今日はいつ大物の妖怪たちがくるか分からない。彼らが人に危害を加えるような危ない存在でないことは知っているが、見た目だけで怖がらせてしまう可能性もある。一応、注意を促しておかなければ。

しかし、遅れて来客の正体に気がついた魔理沙は、途端に顔を凍り付かせた。

 

「お、おい、待てスバル、そいつは――!」

 

魔理沙の叫びが届くより早く、風が切れた。

 

スバルの喉元に、ぴたりと冷たい金属の感触が突きつけられる。

瞬きする間もなくスバルの行く手を阻んだメイド。彼女が右手に構えた一本のナイフは、寸分の狂いもなく頸動脈をなぞっていた。

 

「おい、貴様。誰の許可を得て、お嬢様に近づいた」

 

「お嬢……さま……?」

 

スバルは動かぬ体のまま、眼球だけを動かして「お嬢様」と呼ばれた小柄な少女に視線を送る。先ほどはただの可愛い幼女に見えたその姿に、今は奇妙な違和感が重なって見えた。

 

「まさ……か……」

 

思わず呟くスバルに、少女がくすりと笑う。その目は、まったく笑っていなかったが。

 

「自己紹介が遅れたわね。私はレミリア・スカーレット。こんな見た目だけど、一応吸血鬼なの」

 

にこり、と愛らしい微笑みに、所作のしっかりとしたお辞儀。だが、

 

「一度目は許してあげる。けど――次はないと思ってね?」

 

「…………はい」

 

スバルは顔だけ引きつらせたまま、乾いた笑いをこぼす。

咲夜は静かにナイフを引っ込め、何事もなかったかのように主の背後へと下がっていった。

待ってほしい。確かに初対面で不用意に近づいた自分も悪いとは思う。だが、これだけは言わせてくれ。

 

 

 

こいつが吸血鬼って初見で分かる奴いないだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、これで準備は終わったな……」

 

境内に並んだ料理や酒の山を見て、スバルはふぅと満足げに息を吐く。が、その視線が周囲にいる面々に移ると、眉間に皺が寄った。

 

「吸血鬼に鬼に、戦闘特化のメイドに……あと騒霊。いや、そこまでは幻想郷だし、もう驚かねえけどさ」

 

この場にいるのは、スバルと魔理沙を含めた六名。

縁側にどかっと居座って瓢箪から酒をあおる鬼。どこからか取り出したゴテゴテと豪華な椅子に腰掛け、紅茶を啜る吸血鬼と横に立つメイド。そして、「実は神社にずっと取り憑いてた」とかいう騒霊。

 

どれも肩書きだけなら超弩級の化け物なのだが。

 

「まさか全員が人型、それも美少女とは思わなかったよ俺は」

 

「確かに、私の知る実力者は大抵女だな」

 

「男キャラが不遇なソシャゲかここは!!」

 

当然のことのように受け答えをする魔理沙に、我慢の限界とばかりに、思い切り突っ込む。

 

鬼と聞けば岩のような巨漢を、吸血鬼と聞けば夜空に舞う冷酷な伯爵を、騒霊と聞けば見るからに怪奇な幽霊を――そういうのを想像していたのに。

 

目の前に並ぶのは、全員見た目が十代前半にしか見えない、美少女ばかり。アイドルグループか、怪しいコスプレ集団にしか、スバルの目には映らなかった。

 

「まあまあ〜細えこたぁ気にすんなよ〜」

 

「この犯罪臭すごい見た目のが鬼だもんな。終始酔っ払ってる点だけはイメージ通りだが……」

 

スバルにフラフラと近づいてくるのは、自称鬼である伊吹萃香(いぶきすいか)。宴会はまったく始まっていないというのに、すでに自前のひょうたん酒を流し込み、かなり出来上がっている様子だ。

 

「まあ、初日に「そーなのかー」しか言わない幼女に食われかけた時点で、察するべきだったかもな」

 

「あら、あなた、ルーミアに出くわしたの? それで生きてるなんて中々の豪運だわ」

 

スバルの武勇伝に、レミリアがニヤリと笑みを浮かべる。あの恐ろしい妖怪少女は、名をルーミアというらしい。

だが、幻想郷での生活にも多少慣れた今のスバルには、あの時の出来事に関して、一つの疑問が生まれていた。

 

「なあ、幻想郷ってさ。妖怪は人を襲っちゃダメなんだろ? それなのに、なんであの時、俺は襲われたんだ」

 

「……それはあなたが「外来人」だからでしょ?」

 

「……え?」

 

まるで「どうして分からないの?」とでも言いたげに、レミリアは首を傾げた。

返事を失い呆けている俺の代わりに、魔理沙がゆるく肩をすくめながら補足してくれる。

 

「妖怪が襲っちゃいけねーのは、「人里の人間」だけ。スバルみたいに、外から迷い込んできた奴には、基本そのルールは適用されないんだよ」

 

「じゃあ……俺は……」

 

「ええ。あの時、ルーミアがあなたを食べたとしても、幻想郷のルール的には何の問題もなかったってわけ」

 

――思わず、背中に冷たい汗がにじむ。

皆は当然のことのように受け入れているが、俺にとっては、それは初めて知る。あのとき普通に死んでいた、という現実だ。

 

でも、だからこそ。思考は自然と、あのときの霊夢へと向かっていく。

 

外来人、幻想郷のルールから外れた存在。

誰にも保護される義理もない、強いて言えば八雲紫の管轄である俺を、霊夢は助けてくれたってことだ。

 

 

 

迷いなく、躊躇なく、純粋な優しさだけで。

 

「……仕事だから、とか言ってたくせに。どんだけ不器用で、生きづらい性格してんだよ」

 

呆れるように笑って、でも胸が熱くなる。

きっと彼女は、こうやって誰も寄せ付けないように生きてきたのだろう。それが強制されたしきたりなのか、本人の意思なのかは分からない。

ただ一つわかるのは、俺はまだ何一つ彼女に返せていなかった、ということだ。

 

「――俺、やっぱり探してくる」

 

このままお別れしちゃいけない。あっちがどう思っていようと関係ない。俺は俺が後悔しないために、彼女に伝えなきゃいけないことがある。

 

そんな思いを、足に乗せて一歩を踏み出した――そのときだった。

 

「……噂をすれば、なんとやらね」

 

レミリアの言葉と共に、彼女は現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。

 

進もうとしていた石段の方から、規則的な足音が響く。

その場にいた皆の視線は自然とそちらに釘付けになる。直後、その姿が露わになったとき、スバルは目を見開いた。

 

「……れ、いむ……」

 

コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。

 

紅白の巫女装束。大きなリボン。

その見慣れたシルエットに、スバルの口から自然と言葉が漏れる。込み上げる安堵に、視界が滲み、声は震え、そして――

 

「っ、れい――!」

 

「霊夢ぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 

スバルの声は、萃香の悲痛な叫びにかき消された。

彼の隣から勢いよく飛び出した萃香は、小さな体で迷いなく、彼女の胸元に飛び込む。

 

「待ってたぞぉ! 早く一緒にお酒飲もぉぉっ!!」

 

酔いも涙も混ざったその声が、巫女の装束を濡らす。

その様子を見て、スバルはほっとしたように笑い、力を抜いた。

 

「……帰ってきたなら、まあ……いいか」

 

――その、次の瞬間。

 

 

 

ズシュシュッ――。

 

布を裂くような、濡れた針がねじ込まれるような音が、空気を震わせた。

 

「…………え?」

 

誰かが漏らした声と同時に、目の前の光景が、一変する。萃香の体には、何本もの針のような異物が突き刺さっていた。

腹、胸、喉、肩、脚。まるで全身を貫くように、それは突き出ている。

 

現実味のない光景、急すぎる事態。誰一人、動けなかった。

 

次の瞬間、斜めに傾いた萃香の体が、ぐちゃりと音を立てて地面に崩れ落ちる。

血飛沫が舞い、スバルの足元まで飛んでくる。赤が、じわじわと広がっていく。境内の床を、静かに、確実に染めていく。

 

――そこに立っていたそれは、動かない。いや、違う。動いている。音がする。

 

コツ、コツ、コツ……カツ、カツ……。

 

最初は足音だと思っていた。だが、それが歩みを止めても、音は鳴り止んでいない。

 

カツ……カチ……カチ、カチカチ……。

 

「……なん、だ……これ……」

 

その音の発生源は、足元ではなかった。それは――霊夢の口から響いていた。

 

彼女の顔は、奇妙に割れていた。顔の半分は白、もう半分は黒。

まるで巨大な陰陽玉を無理やり人の顔に押し込んだように。白と黒の境界が顔の中央で裂け、そこが口の役割を果たしている。

 

その裂け目の奥で、無数の鋭く尖った歯がギチギチと擦れ合い、リズムを刻んでいるのだ。

 

「カチカチカチカチカチカチカチカチ」

 

「お、おい……霊夢、お前……」

 

沈黙を破ったのは、魔理沙だった。声はかすかに裏返り、震えている。

 

「なんで……萃香をやった!? 争いなら、スペルカードで決着つけるのがルールだろ!!」

 

「カチカチカチカチカチカチカチカチ」

 

異形の霊夢は、歯の擦れる音だけを返す。まるで、会話など通じないと言わんばかりに。

そして、そいつの背中から――さらに生える。

 

鋼鉄のように硬質な棘が、背骨を起点に逆立ち、肩、腹、腰へと広がっていく。全身が、まるで凶器の集合体のように、ハリネズミじみた姿へと変貌していく、その前に。

 

「ぎっ!!」

 

耳を裂くような衝撃音。視界の端を、何かが閃いた。

 

目にも留まらぬ速度で回り込んだ騒霊――カナ・アナベラル。

彼女がどこからか取り出した鉄製の標識のような鈍器を、霊夢の顔面に叩きつけたのだ。

 

肉と骨を打ち砕くような音。霊夢は吹き飛ばされ、地面を転がり、境内の端にあった灯籠に激突する。

 

「カナ!?」

 

スバルが名前を叫ぶ。だが彼女は振り返らない。

 

「あなたたち、これが霊夢だとでも!?」

 

即座に鈍器を構え直し、倒れ込んだ霊夢に向かって追い討ちを放とうとするが、

 

「霊夢は殺しなんてしない! こいつは――ッ!」

 

だが、それは完遂されなかった。

 

それが、鈍器が振り下ろされる前に動いたからだ。音すら追いつけない速さで、カナの背後に移動し――ぴたりと、手を添える。

 

「――――っ、あ、っ、ああああああっ!?」

 

押し当てられた瞬間、カナの顔から立ち上ったのは黒い蒸気だ。魂が焼かれるような、空気そのものが悲鳴を上げるような音。

彼女は声にならない声で何かを叫び、助けを求めるように手を伸ばす。

 

だが、その手は触れるより早く、塵のように消えた。地面に残されたのは、僅かに焦げた一枚の札だけ。

 

「……くそ」

 

一瞬で二つの命が消えたことで、魔理沙が疲れたように言葉をこぼす。

 

「私はあれと戦うなんてごめんだぜ……逃げるぞ」

 

「……お嬢様、ご決断を」

 

目まぐるしく変わる状況の中、残った三人はすでに生き残るための思考を巡らせている。その中で一人、スバルだけが、呆然と立ち尽くしていた。

 

「(……なんだこれ)」

 

頭の奥で、何かが何度も同じ言葉を繰り返す。

 

「(……なんだこれ……なんだこれ……なんだこれ)」

 

さっきまで生きていた。話していた、笑っていた。萃香が。カナが。目の前で、血が出て、肉が裂けて、焼かれて、消えて――死んだのか?

 

「(あれは……霊夢、じゃない? じゃあ、なんで)」

 

思考は崩壊し、現実が現実として認識できなくなる。内臓がひっくり返るような吐き気と、冷たい汗が背中を濡らす。

 

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。足が動かない。呼吸が浅くなる。

そんなスバルの耳に、誰かの叫び声が届いた。

 

「スバル、伏せろ――!!」

 

魔理沙の声。必死の叫び。だが、間に合わな――

 

「――がっ!!」

 

空気が裂けた。一瞬、風を切る音。次に、何かが頭にめり込んでくるような圧迫感。

視界がゆらぐ。平衡感覚が崩れる。体が浮き、壁に叩きつけられた。

 

「…………あ、っ、ぶ」

 

ゴン、という鈍い音と共に、スバルの背が木壁に張り付く。だが、それはぶつかったのではない。針が頭蓋を貫通し、壁を突き刺していたのだ。

途端に、たらりと頬を伝った赤い鮮血を手で拭って確認し、自分の置かれた状況を理解する。

 

――ああ、これ全部、俺の血かよ。

 

視界が、ぐるぐると回っている。空が揺れる。地面が遠のく。

魔理沙の声が何か叫んでいる。レミリアと咲夜が動き、爆ぜる光と轟音。けれど、全部がスローモーションに見える。

 

動かないのは、針が脳を貫いて、壁に縫い止められているからだ。

声が出ないのは、喉の奥を麻痺させるほど深く、鋭く、貫かれているからだ。

世界が揺れるのは、もう脳が正しく機能していないからだ。

 

不思議と、恐怖はなかった。ただ願ったのは彼女が、「博麗霊夢」が無事でありますように、ということだけだった。

 

壁に縫い付けられた体で、精一杯に手を伸ばす。目の前で異形の姿が、光と爆風の中でうごめいている。

それが彼女じゃないとわかっていても、手を伸ばすしかなかった。

 

「……っていろ」

 

遠ざかる意識の首根っこを引っ掴み、無理やりに振り向かせて時間を稼ぐ。

『痛み』も『熱』も全ては遠く、無駄な足掻きの負け犬の遠吠えだ。

 

 

だが、それでも――、

 

 

「俺が、必ず――」

 

 

――お前を、救ってみせる。

 

 

 

次の瞬間に彼――ナツキ・スバルは命を落とした。

 




嘘ついたら針千本のーます
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