あべこべ貞操逆転世界で七光り役者生活 作:関税破産お嬢様
バチンと意識が切り替わった瞬間、俺の視点は自分を上から見据えていた。
自分の眼の前に、顔の見えない女たちがどろんと姿を現す。
二人は長身、一人は中背。
中背の女は刃渡りが一メートルもないぐらいの刃物を持っている。
長身二人が勢いに任せて飛びかかってくる中、中背はじっと戦局を見守っていた。
体格を活かした打ち下ろしを、手のひらを自分の方に向けた左手で巻き込むように受け、そのまま崩す。
ドン!
自分でも驚くような大きさの震脚が響き、崩したその腕で肘が入る。
俺が受ければ、間違いなく受けた部分の骨は折れているだろう。
攻撃の瞬間を狙って頭部へ蹴りが来るのを、前に折れるように躱す。
体はそのまま転びそうなぐらい傾いていき……
ドン!
震脚と共に姿勢が固まったかと思うと、その時には相手の腰を打ち上げるようにこちらの背中が当たっている。
そこへ、痛烈だった一撃目を意にも介さない様子で、一人目が正拳を放ってくるのを捻って極める……はずが、相手に跳ばれて投げになる。
その瞬間に、地面を蹴って頭から跳ぶ。
一人目を投げたところを、刃物が狙ったのだ。
知らない手ばかりだから、おそらくは他流。
その三人が、じりじりとこちらを囲んで輪を狭めてくる。
ドン!
震脚が響くたびに、相手に攻撃が当たる。
敵の攻撃を待ち、崩して……当てる、躱して……当てる。
それが一番楽で、それが一番安全なのだと教えるような、そういう戦いだった。
ドン!
長身のうち一人が、腰の少し上を打たれて消える。
決まり手は肘打ちだ。
実戦には
そんな隙は、相手にも自分にもないのだ。
二人目の長身が手首を掴んで投げようとしてくるのを、逆に身を預けて流れるように跳ぶ。
ドン!
そして着地した瞬間には、全力の背中の体当たりが決まる。
老師の技は地面を蹴って当てるのではなく、蹴った時には当たっている。
二人目もどこかの骨が折れたのだろう、離脱していった。
そこからは、震脚が響く事はない。
何もない空間に銀の線が煌めき、老師はそれを躱し続けた。
相対してみればわかる。
刃物とは、本来拳一つで立ち向かうべきものではない。
当たれば終わる、本当に恐ろしいものだった。
ヒュッ!
自分が息を吸う音が、いやに大きく聞こえる。
記憶の中の老師と同じように、いきなり体から運動エネルギーが抜け、昏倒するかのようにふらっと体が傾いた。
拳は脇に、引き絞られた背筋という弓に矢のようにつがえられ、一瞬の解放を待っている。
横薙ぎの拳を紙一重で躱し、起こりの全く見えない神速の拳を……打てなかった。
ただ打っただけのその拳は腰を起点に反った相手には届かず……
ザグン!
恐らくはそんな音と共に、俺は返す刀で脇を裂かれた。
その瞬間、一気に意識は頭の上から戻ってきて、しびれていた体が空気を求めて荒い呼吸を始めたのがわかった。
「はっ……はあっ! や、やられちゃいました……」
照れ隠しに笑いながらそう言い、周りを見回すと……
金老師以外の全員が、何か信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。
「あれっ……俺なんか、変な事やっちゃいました?」
次の瞬間、監督が駆け寄ってきて俺の背中を叩き「素晴らしい!」と叫んだ。
「いいね! 天才! 武術会の宝! コピー忍者恐るべし! 一度見たら何でもコピーできるか? 雑技は? 見るのはビデオでも?」
「監督、細かいお話は後で」
俺の肩を掴みながらそんな事を矢継ぎ早に話す監督を、
彼女の方を見れば、そのすぐ後ろで金老師が笑っている。
「おっと……老師の前だった」
監督はそう言いながら、金老師に頭を下げて俺から離れていった。
「
「ありがとうございます! 最後の拳は打てませんでしたけど……」
俺がそう言うと、金老師はフガフガと笑った。
「弟弟子、金老師はそれは宿題だと言っています」
「わかりました」
金老師に頭を下げると、なんだか
そちらを見ると、いつの間にか金老師の後ろへ下がった彼女は、胸の前で開いた左手に右拳を押し付け、俺に向かって右目をパチパチしている。
なーるほど。
俺は
「
金老師はそれを見てにんまり笑うと、つかつかと俺に近づいてくる。
なんだろうか、また飴玉でもくれるんだろうか?
そして柔らかく伸ばした手のひらを、俺の腹につけた。
「弟弟子、金老師はもう一つ宿題をくださるそうです」
「えっ?」
ドン! と音がした。
床じゃなく、俺の背中から。
もちろん、誰かに背中を蹴られたわけじゃない。
老師の手から、何かが出て背中に当たったのだ。
「うっ……あ……」
内臓を鈍器でぶん殴られたような激痛が走り、俺は床へとへたり込み、息もできずにもがいた。
痛すぎて声が出ない。
このまま死ぬんじゃないかという苦しさに、暴れる事すらできない。
かろうじて動く指先で床に爪を立てて、何時間にも思える数秒を耐えていると……
胃の中身と共にようやく声が出た。
「っはぁっ……おえぇぇぇっ……」
床に出てきたものには、血が混じっている。
どうやら俺の体は、今の一発で凄まじいダメージを受けたようだった。
「どうですか?」
俺の近くにしゃがんだ金眼鏡の
「……えっ?」
「どうですか?」
聞き返すと、同じように尋ねられる。
なんかのテストですか? とは思ったものの、辛すぎて率直な言葉しか出てこなかった。
「めちゃくちゃ……痛いです」
「そうでしょう」
彼女は優しい顔のままそう言って、俺の背中をポンポンと叩く。
「武とはそういうもの。ゆめゆめ、軽々しく扱わぬよう」
「あ、ありがとうございます……」
そう返事をすると、彼女はちょっと微妙な顔をして、トントンと背中を指で叩いた。
あっ、そういう事ね。
俺はなんとか気力を絞って立ち上がり、さっきのように左手の平に右手を付けて金老師に向き合った。
「ありがとうございます!」
その言葉に笑顔だけを返し、金老師はどこかへと歩き去っていった。
残った
「弟弟子、電話番号は?」
「えっ?」
「
「あ、ありがとうございます……」
後で来た
ちなみに彼女の本名は、
そんななんだか壮絶な武術入門を経て、その翌日から、俺は晴れて撮影に参加できる事になった。
それも演武で監督に認められていたからか、最初から空気はウェルカムムードだ。
「こいつは凄い奴!
なんて、監督直々の景気のいい言葉で紹介され、超期待の大新人扱いで現場入りする事となった。
とはいえ、実際は武術の達人でもなんでもないわけで、俺としては普通に困るわけだ。
武術の達人を連れてきた事になってしまった白ギャルも、どういう話になってるのかと訝しみ、監督の紹介のすぐ後に俺のところへ文句を言いに来た。
「あんた、武術の達人だったワケ?」
「いや……違うんですよ、金田さん。俺は素人だって、ちゃんと監督には言ったんですよ?」
監督はなんていうか、ちょっと思い込みが激しくて人の話を聞かないタイプのおばさんだった。
三日前に教え始めたばかりと
当然、当事者の俺が何を言っても「映画の現場で謙遜はいらない!」と相手にされず、こうなってしまったというわけだ。
そう話すと、白ギャルも何か思い当たる節があるのか、アニマルプリントのキャップを被った頭に手を当てて苦い顔をする。
「あー、師範代に教えてもらった
「そうそう、俺はモノマネしただけで……」
「まぁ師範代に合格貰ったなら大丈夫だとは思うけど……ちょっとキツいアクションとかやらされるかもね。頑張って」
白ギャルはそう言って、ピンクと白の賑やかな色合いのパーカーから取り出した使い捨てカイロをくれた。
たしかに、撮影所とはいえ屋外で撮る事もあるから、こういうものがあるとありがたい。
俺も明日からは、色々と買い込んでこないとな。
そんな事を考えながら、カイロを揉みながら待機していると……さっそくその日のうちに出番がやってきた。
衣装さんが用意してくれたビシっとしたストライプのスーツに着替え、スタイリストさんに髪の毛をオールバックに固めてもらい、メイクさんにメイクもしてもらって準備はバッチリだ。
チョイ役ではない、ちゃんとした役の仕事、この仕事をモノにできるかどうかで、今後の役者人生は変わってくるだろう。
「コピー忍者! お前の役どころは警視庁の若きデカ! 先輩のデカと一緒にチャイナタウンに逃げ込んだ連続殺人犯を追い、捜査に参加する。いいな?」
「はいっ!」
「このシーン、お前は警察署の資料室からバインダーを持って出てくる、そこのバミリまで来たらあっちのテープに視線を送って『先輩どこ行っちゃったんだろ……会議の時間もうすぐなのに』と言え。このカットはそこまでだから、気楽にな!」
「わかりました!」
監督の方針で、映画の脚本は本当に誰も知らない。
だから俺も現場にやって来てから、こうして直接ディレクションをされているのだ。
「じゃあ行きます、アクション!」
監督のどら声と共に、意識は切り替わる。
俺は資料室の扉を開けて廊下へと出て、指定の場所で足を止めた。
そして目印のテープに顔を向け、この映画最初のセリフを言う。
「先輩どこ行っちゃったんだろ……会議の時間もうすぐなのに」
カットの言葉はなかった。
代わりに、スパーンと大きな音が鳴る。
監督の持った紙束が、俺の頭をぶっ叩いたのだ。
「何やってる!! 誰がそんな演技しろって言った!!」
どうも、演技が上手くなかったらしい。
「すんません!」
俺はおばさん監督にペコペコ頭を下げて謝った。
「もっかい! 次は武術みたいにビシっと決めろ!」
「はいっ!」
テイクツーだ。
俺はさっきまでの反省を踏まえて、今度は更に気合を入れて演技をした。
「先輩どこ行っちゃったんだろ……会議の時間もうすぐなのに」
「バカヤロー!」
のだが……結局すぐ近くに控えていた監督に、めちゃくちゃに怒られた。
「なんだこの棒読み! お前何年役者やってんだ!!」
「す、すいません……九ヶ月です……」
「きゅ……九……?」
目ん玉が飛び出んばかりに驚いた監督は、待機している役者の方を向いて、クソデカい声で叫ぶ。
「
すいません、素人ですけど……達人でもありません……
俺は「今日はもう帰っていい!!」と怒鳴られ、何も言えぬまま帰路へとついた。
もうここで、俺の役者人生は完全に終わりだと、そう思った。
だが、演技の神は、まだ俺を見放していなかったのだ。
翌朝、撮影所に顔を出した俺は、なんだか機嫌の良さそうな監督に呼び出された。
俺の代わりの役者でも見つかったんだろうか、とそう思っていると……監督はニコニコしながら机の上にある衣装袋を指差した。
「開けてみて!」
広げてみると、それは色褪せたスーツの上だけと、カンフー服の上下だった。
「コピー忍者、お前中国人役にする」
「えっ?」
「警視庁の若き俊英と、中国から共同捜査のために送られてきたカンフーの達人とのバディーにする! 昨日の夜思いついた!」
監督はそう言いながら、鼻息荒く俺に顔を近づけた。
「ビデオ見たけど、演技はなんとかなりそう! けどセリフ読みはとにかく悪い! だからお前は日本語が下手な中国人役にする! あたしって天才だろ?」
どうやら、そういう事になったらしい。
当然、断るなんて事はしない、NGなしだからな。
「しっかり頼むぞ! ガハハハハ!」
漫画のように笑う監督にそう言われて、俺のニセ達人としての役柄が動きだしたのだった。