あべこべ貞操逆転世界で七光り役者生活   作:関税破産お嬢様

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套路と実戦

早朝、やってきた金老師は俺と師姐(シージエ)套路(とうろ)を見て、にんまりと微笑んだ。

 

「新弟子、金老師は以前は何の武術を? と尋ねています」

「えっ? 武術ですか……? それは特には、何も」

 

師姐(シージエ)が俺の言葉を金老師に伝えると、老婆は糸目の笑みを浮かべたまま何事かを呟いた。

 

「ではなぜこのように覚えが早いのか? と」

「そりゃあ……えっと……コピー忍者、だからですかね?」

 

疲労困憊だった俺は、思わず前世の大人気漫画になぞらえて冗談半分でそう答えたのだが……

これがその漫画がないこの世界では正しく伝わらない言葉だったと気づくのは、もう少し後の事だった。

師姐(シージエ)から俺の言葉を伝えられた金老師は、楽しそうにフガフガと笑う。

 

「シンモーファン」

 

金老師は、俺にも聞こえる声量ではっきりとそう言った。

なんだか、彼女の声を初めて聞いた気がするな。

 

「新弟子、金老師は真似(コピー)してみろと言っています」

 

師姐(シージエ)がそう言うと、金老師は構えを取る。

するとカンフー服を着ている事以外は普通のお婆ちゃんだった彼女の体が、まるで天と地を繋ぐぶっといワイヤーに結わえ付けられたかのようにピタッと止まった。 

そのまま昨日からやっていた套路(とうろ)をやってくれたのだが、たしかに素人の俺が見ても凄まじいとわかる腕だった。

 

「さすがです、金老師」

 

小さく拍手をしながらそう師姐(シージエ)が言う通り、さすがと言う他ない。

一つ一つの動きが集まってできた套路(とうろ)ではなく、套路(とうろ)そのものが一つの動きになっているような、そういう感じがあった。

そんなとんでもない演武を終えた金老師は、俺に向かってひとつ頷いた。

 

「金老師はどうぞ、と言っています」

 

言ってないだろ。

一応目では追えたが、やれる気は一ミリもしない。

俺はダメ元で構えを取り、自然と首を傾げた。

今の状況に、何かが欠けているような気がしたのだ。

ここに何かもう一つピースがあれば、もっと上手くできそうな……そんな気が。

 

「あの……師姐(シージエ)?」

「新弟子、挑戦は恥ではありません」

「いえ、そうではなく……動画を撮って貰えませんか?」

「……なぜ?」

 

訝しむようにこちらを見る金眼鏡の美女に、俺はこう答えた。

 

「俺、役者なんで」

 

結局俺の演武は、師姐(シージエ)が自分のガラケーを持ってきてくれてからの仕切り直しとなった。

彼女のクールな雰囲気に似合いの黒のガラケーには、誰かと撮ったのであろうプリントシールが貼られ、キャラクターもののストラップがついている。

遠目ではあるかないかわからないそのカメラを意識しながら、俺は構えを取った。

 

「ではいきますよ、アクション」

 

静かなその声と共に、バチンとスイッチが切り替わる。

そしてさっき一度見ただけの金老師の動きが、一気に体に入ってくるような気がした。

加速する意識、勝手に動く体、震脚の音が「ドン」と響き、手足が空を切る音がはっきりと聞こえる。

その中で一瞬だけ視界に入った師姐(シージエ)の顔は、この三日間で見た事もない色に染まっていた。

 

「こ、こんなもんでどうでしょう……?」

 

套路(とうろ)を終えた俺がそう言うと、二人の視線はすでにこちらになく……

二人は師姐(シージエ)のガラケーの小さな画面を食い入るように見つめていた。

ドキドキしながら待っていると、金老師に何かを言われた師姐(シージエ)がどこかへ走っていく。

それを見送ると、残った金老師に手招きをされた。

 

「はいっ!」

 

ポケットから出てきた金老師の右拳は握ったまま下、左手はパーの形で上を向く。

俺はそれが新しい構えなのかと思って同じ姿勢を取るが、彼女はニコニコしながら首を振った。

そしてパーにした左手を前に出して上下に動かすので、俺も同じようにしてみると、その上に彼女の右拳が乗る。

その拳が開かれると、そこには黒飴が一つあった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

なんだ、飴をくれただけだったのか。

俺がその飴を頬張ると、彼女は自身も飴を口に入れ、ニコニコしながらじっとこちらを見ている。

なんか、気まずいってわけでもないが、落ち着かない……

そんななんとも言えない時間がしばらく続き、やがて師姐(シージエ)と共に監督やカメラさんがぞろぞろとやって来た。

 

「もう一度、さっきの套路(とうろ)を」

「はいっ!」

 

俺がそう言って構えると、金老師と中国語で何かを喋っていた監督の目がこちらに向いた。

 

「……どうぞ?」

「あのぉ……掛け声ってもらえますか?」

「アクション!」

 

俺の言葉から間髪入れずに、監督のおばさんのどら声が響いた。

その言葉と共に記憶の引き出しへの鍵が開き、イメージ通りの動きが体の上を走っていく。

一度カメラの前でコピーした経験がある動きだからか、イメージの投影率も高いような気がする。

さっきよりも体幹にブレはなく、さっきよりも震脚は大きく、さっきよりも挙動は鋭く。

そしてそんな自分を上から眺めているような不思議な感覚とともに、二度目の演武は終わった。

 

「最高!」

 

監督が日本語でそう叫んだ。

そして抱きつかんばかりに近づいて俺の腕を掴み、その場にいる皆にこう言った。

 

狂夢(くるめ)は達人を連れてきてくれた! この映画! 絶対に良くなる!」

 

監督が唾を飛ばしながらそう言っている中、金老師と師姐(シージエ)がゆっくりと近づいてきた。

 

「監督、金老師がもう少しコピー忍者にやらせたい事があるそうです」

「コピー忍者?」

 

監督が聞くと、師姐(シージエ)が俺を指さした。

 

「面白いあだ名! コピー忍者! いいね!」

 

そう言って笑う監督を師姐(シージエ)がどかせると、金老師が俺の前に立った。

 

「シンモーファン」

 

真似してみろと、老師はそう言ってからまた別の套路(とうろ)を行う。

それを見終わった俺が監督の方を向くと、彼女は「アクション!」とデカい声で言った。

そして俺が金老師のマネをすると、また別の套路(とうろ)

 

「シンモーファン」

 

だんだん動きは複雑になり、手数も増える。

それをいくつもクリアしていくと……

次第に、さっきまでとは老師の動きの性質が変わっていくのがわかった。

 

「シンモーファン」

 

そう言ってから動く老師の先に、なんだか人間が見えた気がしたのだ。

これまでの套路(とうろ)からは外れた形の動きが続いたかと思うと、一瞬だけ套路(とうろ)に戻る。

組んで、打って、投げて、時には打たれて。

俺の目に映る老師の周りには、見えない人間が三人いた。

これは恐らく、套路(とうろ)ではなく実戦。

相手は背が高い人間が二人と、中背の者が一人。

そしてそのうち中背の人の攻撃を、老師は絶対に受けずに避けていた。

 

「…………」

 

息をするのももどかしく、俺は老師の動きを必死で追った。

明らかに隙を晒す行為とは知りながらも、老師は時に地べたに転げ、時に宙へと舞う。

なぜだかその時、彼女が直前までいた場所に銀線が走ったような気がした。

 

「あっ、刀か……」

 

そうわかってしまえば全ての動きに合点がいった。

敵の一人は刃物を持っていたのだ。

やがて相手は一人減り、二人減り、最後に刃物を持つ相手だけになる。

老師の額へ汗が滲み、頬へと流れた。

そのまま彼女はゆらりと落ち葉のように揺れて相手に近づき、ドンと床が割れんばかりの震脚が響く。

その最後の一発は、見えたのに理解ができなかった。

脇に引き絞った拳が……まるでビデオのフレームを飛ばしたかのように、次の瞬間相手の顎の位置にあったのだ。

 

「さすがです、金老師」

 

そう言って師姐(シージエ)が小さく拍手をした事で、その場の全員が大きく息をついた。

みんな飲まれていたのだ……この小さな老人の、相手の像まで完全に浮かび上がらせる迫真の演武にだ。

 

「はい、どうぞ」

 

次はお前の番だと、師姐(シージエ)は半笑いで言い、その顔を見て俺は苦笑した。

監督も、その周りの人たちも苦笑した。

できるわけがないと。

あんな凄い演武を真似られるわけがないと、俺を含めてそう思わない人はいなかった。

たぶん、師姐(シージエ)だってそう思っていただろう。

だが、そうは思わなかった人間が一人、この場にいた。

 

「トゥーディー」

 

金老師は苦笑していた俺に向かって、中国語でそう言った。

瞬間、師姐(シージエ)の顔から笑いは消え、彼女は真剣な顔で「やりなさい」と言った。

 

「えっ」

 

いつの間にか、カメラはこちらに向いている。

監督もこちらを見て、小さく頷いている。

全員の視線が俺に集まる中、監督のどら声で「アクション!」という言葉が響いたのだった。

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