星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

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猫よ、猫よ(1)

 

 故郷の名は、地球というらしい。

 

 潔い名前だな、と思う。大地が丸いという端的な事実だけを指し示すその名前は、たとえそれが人類の母なる星であっても、なんら特別なものではなく、結局は無数に存在する星々の中のひとつでしかないと示しているかのようだった。

 個人的にはその淡泊さが好ましい。変に気取った名前だったり、美辞麗句を並べ立てるような名前だったら、きっと口にするのも恥ずかしくて仕方なかったことだろう。

 

 もっとも、大昔の誰かさんがどういう意図で自分の星をそう呼び始めたのかなんて、今となっては誰にもわからないのだけれど。

 

「各機、状況報告」通信が入った。

京奈院(ケイナイン)、異常なし」と計器をチェックして返す。

 

 コックピットは棺桶と呼ばれている。それが最後の機能になるからだ。宇宙で漂流して、誰にも回収されなければ、機体がそのまま墓標になる。資源管理の観点から宇宙葬は推奨されていないけれど、少なくない同胞たちが今も宇宙の墓場に眠っているはず。

 

 正面のモニタには宇宙を背景にして水と緑の惑星が映っていた。

 大地は丸い。けれど、地球ではない。僕らは76番と呼んでいる。それはつまり、この星が深宇宙探査艦DJ号の76番目の探査惑星だということ。地球から見たらここは宇宙の彼方。星の光が届くとしても、それは何百年と経ってから。

 

 考えるだけでも、気が遠くなるほど遠い。

 僕らからすれば、地球は決して帰りつけない遥かな故郷だ。

 

「故郷?」ヘルメットの下で苦笑が漏れた。一度も訪れたこともないくせに、よく言うよ。

 

 

『僕の名前は京奈院

 地球は遥けき異国の地

 無限の宇宙に住んではいるが

 やがては――――』

 

 

「京奈院、なにか?」通信から訝しむ声が聞こえた。

「いえ、なにも。ただの独り言」

「また地球時代の小説か?」声から伝わるピリピリした気配。「実戦だ。集中しろ」

「了解」

 

 たぶん、一番緊張してるのは隊長だろう。いつもより口調に余裕がない。

 三機編成の先行部隊だった。隊長は三船という女性で、確か年齢は30代の後半。その下に僕こと京奈院。それから安藤という若手がひとり。

 76番のひとつ前……つまり、75番目の探査惑星……に到達したのは10年以上前のことだから、当時は三船もまだ隊長職には就いていなかったはず。部下を抱えての降下任務は彼女にとっても初めてのことになるわけだ。

 

 宇宙は死んだように静かだし、機体のコックピットには僕ひとりだけだけど、周囲の機械はそれなりに騒がしい。通信も部隊の三機でオープンになっている。隊長の三船は押し黙っているが、安藤の機からは彼の呼吸の音が聞こえていた。浅く速い呼吸が続いて、ときたま深く長い息が混じる感じだ。

 もしかしなくても、一番緊張してるのは隊長ではなく彼の方かもしれない。

 

「安藤、リラックスリラックス」

「そう言われても……、俺、星に降りるの初めてなンすから」

「それは僕も同じ」

「先輩は怖くないンすか? 大気圏突入なんて、ミスったら一瞬で『ボン!』っすよ」

「必要な操作は降下用のパッケージにもう入力されてるからね。大丈夫、マシンに異常がなければ、そのまま機械に制御を預けるだけだよ」

「……もし異常があったら」

「そのための三人編成、だろう?」

 

 惑星降下用のパッケージは、全長18m、円筒形のカプセルだ。外装は超高温耐性セラミクスで、構造基部には減速と姿勢制御のロケットノズルが四基。DJ号のカタパルトから砲弾のように射出されて、76番に向かって巡航している真っ最中である。

 理屈の上では、安藤の言うような『ボン』が起きる可能性は非常に低い。降下パッケージは信頼性の高い装備であり、事実、過去には76番よりも条件の悪い惑星に対するアプローチを成功させた実績がある。

 外装と内部構造だけでも大気圏突入における高温・衝撃に耐えうる計算だった。セルフチェックの数値を見るに、今のところシステム的な不具合も発生していないとわかる。

 

 そのうえで不測の事態を想定するのであれば、可能性としてもっとも危険なのは、外部から攻撃的な干渉があった場合、ということになるだろうか。

 

「本当にいるンすかね、宇宙人は」

「先住の知的生命体、だね。どちらかといえば、宇宙人は僕らの方」

「遠距離からの観測で地表における発光を捉えたのは確かだ」三船が答える。「もっとも、それが文明による灯りなのか、単なる自然現象によるものなのかは、現時点では不明だが」

「宇宙まで届く光が自然現象なんて、そんなのあり得るンすか?」

「当然あり得る。安藤、過去の探査記録にもちゃんと目を通しておけ」

 

 三船の発したジロリと睨めつけるような声色に、安藤が「ウス」と応えた。自機のコックピットで背筋を伸ばしている彼の姿が見えるかのようだ。

 DJ号はこれまで75の惑星に対して探査を行ってきたが、異星人との遭遇は一度として発生していない。惑星地表での発光現象が確認されたケースは複数存在するものの、特殊な火山活動によるものだったり、惑星固有の植物種の代謝システムによるものだったりと、知的生命体による文明の灯火ではないものばかりというのが現実だった。

 

「じゃあ、今回も宇宙人が住んでるかはアヤシイ感じっすか」

「それを確かめるのも目的のひとつだよ」

 

 耳元で電子音が響いた。指定ポイントが近い。サブモニタにいくつかの表示が浮き上がる。

 正面のモニタには76番の惑星の姿が大きく映っている。直径およそ12,900km。地球よりも僅かに大きい。陸地と海洋はおよそ3:7の比率。大陸と呼べるような大きな陸地が東西に二つあるのが見えた。

 

「降下シークエンスに移る。各機、最終確認」

「京奈院、異常なし」

「安藤、同じく異常なし」

 

 パッケージごと機体が傾くのを感じた。76番の衛星軌道に入る。

 降下ポイントは二つの大陸から離れた海洋上と決まっていた。そのための角度と突入タイミングはすでに設定されている。モニタにはご丁寧にカウントダウンの表示。

 のしかかるような沈黙がコックピットに降ってきた。三船も安藤も押し黙っている。なにか気の利いたことでも言えればと思ったけれど、自分の口の中も乾いてしまっていることに気付いた。口蓋に舌が張り付く感覚が気持ち悪い。

 

 設定通りに機械に任せればいい、というのはその通り。

 それはそれとして、可能性は低いとはいえ、あっさり死ぬかもしれないのもまた事実。

 モニタの視界いっぱいに76番が広がっていた。その巨大さに圧倒される。

 

「降りるぞ。下で合流だ」

 

 三船の通信と同時にカウントがゼロに。

 直後、コックピットシートから低い振動が伝わってきた。

 ロケットノズルによるブレーキング。パッケージが減速する。慣性で固定具が肩に食い込む。

 周回軌道から脱落する。重力に囚われる。計器は正常。しかし、頭から血が落ちていく感覚。

 貧血に似た眩暈。パイロットスーツが圧力で血流を調整している。

 

 まばたきの瞬間、瞼の向こうに火花を見た気がした。

 

 モニタが消える。三機の間の通信も停止した。

 異常ではない。断熱圧縮による超高温からカメラを保護するためにシャッタが下りただけだ。通信の遮断も同様で、プラズマ化した大気による一時的なものとわかっている。

 しかし、そうとわかっていても、やはり落ち着かない。目と耳が潰されたようなものだ。頼れるものは計器に表示される観測データだけ。既知のルートを巡航しているときならいざ知らず、未知の惑星への落下中ともなれば神経質になるのも仕方ないだろう。

 

 意識して深く息を吐く。身体はぎちぎちと鳴いている。

 予定では約3分のブラックアウトだ。歌でも歌っていれば一曲の時間。そこさえ抜ければパッケージは大きく減速するから、『ボン』となるリスクもかなり小さくなるはず。

 

「宇宙人、か……」

 

 それは、深宇宙探査艇DJ号の当初の目的のひとつだった。

 地球人類以外の知的生命体の発見。その旗印を携えて、700年前の地球から、DJ号は果て無き宇宙の旅へと漕ぎだしたのだ。

 

 噂話レベルではあるが、艦の上層部は今回の惑星探査にかなりの期待を抱いているらしい。

 DJ号がこれまで探査してきた75個の惑星と比較しても、76番の環境条件は非常に地球に近いものと推定されている。現時点ではまだ遠距離からの観測でしかないが、惑星に生命が発生する条件が揃っているのではないか、と。

 安藤にはぼかしていたが、三船も上からそれなりに(プレッシャ)を掛けられているのではないだろうか。任務中の彼女の態度からうっすらとそんな気配を感じ取れた。

 

 そんなことを考えているうちに、あっという間に3分が経過。

 一瞬、内臓が浮かぶような感覚があった。最大加熱時間を抜けたと電子音が告げる。

 同時に、シャッタされていたカメラが生き返った。眼下に青い海と、水平線近くの遠方に緑の陸地。熱を持った空気はまだ赤い。火花のような粒子が逆さまになった滝のように上方へと流れていく。地表まで、およそ30㎞。

 

「通信復旧。全員、無事か?」と、安堵の滲んだ三船の声。

「京奈院、特に問題なし」

「安藤は?」

「ええと、ちょっち待ってください。ここの表示がこうなってて、あっちの数字がああなってるから……、よし、お待たせしたっす! こっちも無事に――」

 

 瞬間、緑の閃光が視界を灼いた。

 空と海の狭間を貫いて、一筋の閃光が走る。

 光線だった。直線状に収束した光の槍。発生源は海の彼方。

 僕の位置とは軸がずれている。そう判断するよりも早く、閃光が斜め下方をすり抜けた。

 その先に、安藤の機体を包んだパッケージ。

 

 カメラのオートフォーカスがその瞬間を捉えた。

 高速で飛来した緑の光が、安藤のパッケージの装甲を貫通する。

 中心点よりやや左にずれた位置だった。落下中のパッケージがガクンと斜めに傾く。

 

「え、うわっ!?」

「安藤、どうした?」三船の焦った声が響く。「なにがあった。状況を報告しろ」

「わ、わかんないっすけど! 生きてはいるっす!」

 

 コックピットには無数のアラートが乱舞している。三船と安藤の吠えるような応酬を聞きながら、僕は待機状態だった機体を叩き起こした。パッケージの外付けカメラの映像がワイプして、メインモニタが自機のカメラのものに切り替わる。最初に見えたのは、パッケージの内側、暗くて狭苦しいおひとり様の格納庫。

 仮想コンソールをタッチしていくつかの処理を走らせた。飛来した光線の発射角度のおおまかな特定。安藤のパッケージのステイタスチェック。それから、僕のパッケージのロック解除。

 

 脚部を固定していたクランプが外れる。両肩の固定フックもリリース。

 パッケージ外装のロックボルトが弾け飛んで、正面の壁がめくれ上がった。

 金属が破断する激しい音。

 光が射しこむ。空と海が見える。

 

「京奈院? なにをしている」

「先に降りて、安藤をフォローします」

「なにを勝手に……」怒声が途切れて、唸るような短い間。「……いや、そのままやってくれ」

「了解。三船さんも出た方がいいですよ。さっきのが僕らを狙った攻撃なら、落ちてるだけじゃ、いい(マト)でしょ」

「言われずとも」

 

 フットペダルを踏み、両手のコントロールグリップを握り込む。

 25トンの右足が前に出た。積層装甲で覆われた金属のマニュピレータが、パッケージの壁面がめくれ上がってできた穴の縁を掴む。

 機体が前のめりに傾く。脚部のアクチュエータが伸縮する。パッケージを掴んだ指を支点(アンカー)に、疑似的なカタパルト。腕を引いて推進力を加算させながら、暗い格納庫の底部を蹴って飛び出した。

 

「行こうか、息吹(イブキ)

 

 15メートルの鋼の巨人が鉄の繭(パッケージ)から姿を現す。

 胴体から伸びた二本の手足とアイカメラを備えた頭部の形状が、このマシンが明らかに人間を模して造られたものだと示している。塗装は没個性なグレイ。全体的にずんぐりとしたシルエットは、良く言えばマッシブ、悪く言えば野暮ったい。デザイン的な特徴は、額から伸びた短い角状のアンテナパーツくらい。背部のスラスタはかなりの大型で、見方によっては不格好ですらあった。

 

イブキ(breath)』と名付けられたのは、宇宙ではそれが必要だから。

 ステラコネクタ(星を繋ぐもの)と呼ばれるシリーズの量産モデルで、リリースからそろそろ二十年といったところ。マイナーチェンジを繰り返しながら今も現場で使われ続けている古武者で、僕にとっては文字通り子どものころから慣れ親しんでいる機体である。

 

「っ、やっぱり重いなぁ」

 

 パッケージから空中に出た途端、重力に捕らわれた。機体が錐揉みして、コックピットシートに背中が押し付けられる。DJ号で運用されている人工重力よりも僅かに強い。76番惑星の直径が地球より大きいからだ。計測されている大気もやや高めの濃度。

 しかし、僕にとってもイブキにとっても、この程度ならスペックの許容範囲の内。スラスタを小さく噴かして、即座に姿勢を安定させる。そこからは自由落下だ。安藤を乗せたパッケージはまだ減速を行っているから、これでも十分に追いつける。

 

「安藤、パッケージの解放操作はできそう?」

「た、たぶん。今やってます」

「大丈夫、見た感じオートバランサは生きてる。すぐに墜落するってことはない。落ち着いてやればいい」

 

 海に墜落するまでにはまだ余裕があった。イブキの巨体で空気を切りながら、安藤のパッケージにぐんぐん近づいていく。光線に撃ち抜かれて開いた穴も目視できる。途中、彼のパッケージのロックボルトが弾けるのが見えた。固定具は上手く外れたようだが、僕のときのように開口部がオープンにならない。先ほどの光線でどこかの機構がいかれてしまったのだろう。

 無線越しに安藤の焦った呻き声。それを一旦聞き流しておいて、イブキの高度を彼のパッケージに合わせて横づけする。もう腕を伸ばせば届く距離だ。右腕で機体をパッケージに固定して、左腕の分厚い指で開口部の装甲を引っぺがした。

 

「うひゃぁ!」

「そんな幽霊を見たような声を出さなくても」

「せめてひとこと言ってからやってくださいよ!」

 

 パッケージの内部には同型のイブキが佇んでいた。機体の固定も既に解除されていて、ジェネレータには火が入っている状態だが、その重厚な左腕が肩から断たれて床に転がっていた。どうやれ例の光線は機体の左肩を撃ち抜いていったらしい。

 内部構造が剥き出しになった被弾部分には、溶解の形跡が認められた。大気圏突入に耐えるパッケージと、宇宙空間での運用を前提としたイブキの装甲を溶かすほどのエネルギーというわけだ。機体の急所……、安藤の乗るコックピット部分を外れたのは、だいぶ運が良かったと言える。

 

「外に出るよ。準備はいい?」

「簡易診断はグリーン。たぶん大丈夫っす」

「腕が無い分だけ重心が偏ってるから、そこはバランスを上手く調整してね」

 

 自機の左腕で安藤機の右腕を掴む。上手いこと握手するような形になった。ピタリと嵌まるのは同型機だからこそ。そのまま彼のイブキを掴みつつ、パッケージの外装を蹴って勢いをつける。ぐん、と加速度を感じながら、二機のイブキが降下用パッケージから横に跳ぶ。

 

 アラートが鳴った。

 瞬間、僕のイブキが安藤機を蹴り飛ばし、反動で大きく後方に跳び退いた。

「うぎゃぁ!」と安藤の潰れたような悲鳴が通信越しに響く。

 パッと離れた両機の間に空隙ができる。

 

 その隙間を、緑の閃光が貫いた。

 

 コックピットの計器が目まぐるしく数値を変える。

 空が焦げる音をマイクが拾う。超高温による大気のイオン化が観測されていた。

 閃光が突き抜けた軌跡に沿って、輝く粒子が細かく散乱しているのが見える。

 

 これで二度目だ。一度目の光線も含めて、偶然という可能性は消えたといっていいだろう。グリップとフットペダルで機体の体勢を整えながら、僕は小さく鼻を鳴らす。

 蹴り飛ばされた安藤機は、上手いこと三船の機体にキャッチされたようだった。肩にエンブレムの描かれた隊長機仕様のイブキが片腕の安藤機を受け止めて、もつれるように高度を下げている。

 

「墜ちてます?」と問えば、「下りてるんだ」と三船の返事。

 惑星は丸い。遠方からの射撃に対しては高度が低い方が安全だ。発射地点が目視できないような距離にあるならなおさらのこと。海の上でも水平線が遮蔽になってくれる。

 

「海上に下りたら、当初のプラン通り西側の大陸に向かう。そこまでは低空飛行だ。上陸したら安藤機の状態を確認。以降の行動はその結果をもとに判断する」

「了解。妥当な計画かと」

「京奈院、お前もさっさと機を下ろせ」

 

 三船のイブキはすでにバランスを取り戻していた。安藤機と肩を組む形で、するすると空を滑り降りている。不安定な揺れなどは見て取れない。さすが、実に丁寧な仕事だった。

 

「そっちは大丈夫そうですね」

「おい、今度は何を考えている」

「うーん、せっかくだし、相手の顔を見ておきたいと思いませんか?」

「駄目だ。リスクが大きい」

「三人で固まっているところを狙われるのも危ないですって。しかも、一機は手負いなわけですし。安藤を放り出すわけにもいかないんだから、攪乱役がいたほうがいいと思うな」

「一理ある、が、それだけか?」

「あとは当然、好奇心」

 

 通信越しに、大きな溜め息。

 

「……もし、原住の知的生命体を発見しても、まだ接触はしないこと。攻撃も禁じる」

「こっちはもう攻撃されているのに?」

「この惑星にとっては、私たちが異物だ。正当な防衛行動と認識されている可能性も高い。今後の話がこじれるような真似はしてくれるな。許可できるのは、攪乱と偵察まで。いいな?」

「了解。異星人がどんな姿をしているものなのか、楽しみですよね」

「気軽に言ってくれる。私はずっと頭が痛いよ」

 

 許可は得た。両手のグリップを引き、背部スラスタの出力を上げる。イブキは恒星間航行艦への随伴を前提とした人型兵器だ。発揮できる推力のバカでかさには定評がある。そして、その推力を重力下でもぶん回せるだけの構造的な頑強さを備えているからこそ、今回の任務で先行偵察機として採用されているわけで。

 

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか」

 

 フットペダルを踏む。前へ進め(ゴーアヘッド)

 スラスタが青い火を噴いて、機体が一気に加速する。

 現在の高度はおよそ10km。進路は南、光線の飛来した方角。

 

 緑の光線の観測データはすでに上がっていた。直進性が非常に高く、弾速はおよそ100km/s。速いのは確かだが、光速にはほど遠い。ということは、純粋な光学兵器(レーザー)ではない。おそらく、なんらかの粒子(ビーム)によるものだ。

 問題なのは、それを踏まえても解析結果がアンノウンになるということ。イブキに積まれている解析システムは、あくまでも戦闘兵器のサポートを目的としたスペックでしかないのだが、それでも既知の物質の振る舞いであればある程度は識別することができる。それが上手くいかないということは、つまり、あの緑の閃光には未知の新物質が含まれていた可能性もあるということだ。あるいは、既知の物質を扱うにしても、僕らの科学技術では未だ発見されていない現象を利用しいているのかもしれない。

 

 いずれにせよ、待ち受けているのが未開の蛮人だった、なんてケースはおよそあり得ないと考えていいだろう。なんなら、僕らよりも進んだ技術を持った生命が、この76号惑星には住んでいる可能性だって十分にあるというわけだ。

 

「いいね。楽しくなってきた」

 

 無意識に、小さく口笛。

 不意に鳴ったアラートで、機体をサイドフリップ。軸をずらして、上下が反転。頭の横を緑の粒子がすり抜ける。至近の観測でも、解析の結果はアンノウン。

 左のフットペダル。サブスラスタで慣性を相殺。体勢を戻して、速度を落とさず前進を再開。強化された三半規管は、曲芸じみた回避運動のあとでも至って平常運転だ。

 

 粒子砲はこれで計三発。攻撃の間隔は総じて1分ほど。断言はできないけど、それ以上の連射は難しいのかもしれない。これはけっこうな好材料。

 ともあれ、イブキの機動力と反応性であれば、ビームの回避は不可能ではない。発射地点との距離が近くなるほど猶予は短くなるが、相手を目視できれば()()を通せるのでは、という見込みもあった。

 

 楽観的と言われれば、それはそう。

 たぶん、僕も気分が昂っているのだろう。

 

 どうせなら高度を上げることにしよう。グリップを引いて、機体をのけぞらせた。背部スラスタの推力に物を言わせて、一気に機体を押し上げる。周囲は相変わらず海上で、見晴らしは非常に良い。高度の上昇とともに見かけの水平線がモニタの下方へと下がっていく。太陽は機体の左後方。イブキの影が海上を滑っているのが見えた。

 

「……見えた」

 

 視点を高くしたことで、水平線の陰からなにか大きなものが頭を出した。まだ遠い距離だけど、十分に姿かたちを視認できる。つまり、とんでもなくデカいということ。

 それは、柔軟な筒状の物体だった。機械には見えない。外見の質感は生々しくて、動き方も生物的。蠕動しているのだ。海中から飛び出した先端部が、緩やかな放物線を描いて再び海中に戻っていく。その繰り返しだった。全長が恐ろしく長いのだろう。ぬらついた粘液を纏ったソレが作る半円形の軌跡が、海上に無数の丘のように連なっている。

 

「海蛇、いや、ワーム?」

 

 地球時代の古い小説の挿絵を思い出す。海に棲み船を襲うという伝説上の怪物のことだ。言うまでもなく、地球においてもそれらが実在したという事実はないし、そもそもここは地球ですらないのだけれど。

 カメラによる観測では、ソレの直径はおよそ20m。イブキの全高よりも大きい。先端部から末端までの全長に至っては計測不能。海中に隠れている部分が多すぎる。というか、()がどこにあるのかすらわからない始末だった。

 

 ソレの先端部に、頭は無かった。目も鼻もなく、ホースの先端のようにただ丸い穴が開いている。その内側に、びっしりと白くて鋭利な歯のような器官。見ているだけで吞み込まれそうで、生理的な悪寒が背筋を這い上がって来る。

 

 その蠕動する喉の奥から、緑の輝き。

 

「そうきたか」

 

 グリップを握る指の爪先に電流が走る。

 サイドスラスタを短噴射。イブキを素早く横に跳ばせる。

 軸線をずらしたところで、ワームの喉から緑のビームが放たれた。

 閃光が寸前の位置を突き抜ける。

 それを横目に上昇推力をカット。

 そのまま自由落下(フリーフォール)

 

 アレが原住の知的生命体だって? 三船が見たらなんと言うやら。果たしてアレを相手に平和的な交流が実現する可能性はあるのだろうか。

 あのワームが特異な進化を遂げた原生生物だとしたら、そうは見えないというだけで、実は高度な知性を備えているのかもしれない。それにしたって、僕らとはサイズが違いすぎる。あそこまで種としての形態が違うとなると、互いの価値観を共有することも難しそうに思えた。

 

「まぁ、その辺りの判断はもっと上の人間が考えるか」

 

 ともあれ、どうしたものか。僚機が移動するまで囮を務めるという目的は、半ば達したと言っていい。三船と安藤の機体信号は、すでに西側の大陸の沿岸部に到達しようとしている。陸地に上がればビームに対する遮蔽物もかなり増えるだろう。安藤のイブキを落ち着いた場所で点検することもできる。となれば、そろそろ僕も合流するために動き出した方がいいのだろうけど……。

 

 なんとなく引っ掛かることがあった。

 あのワーム(と、仮に呼称するとしよう)の移動範囲のことだ。海上と海中を行ったり来たり。それでいて、一定の海域に留まり続けているように見えた。あの長大な巨躯を考えると、それほど広い範囲ではない。ともすれば窮屈そうにさえ思えてしまう。

 その海域が縄張りだとでもいうのだろうか。いや、それでもやはり狭すぎる。むしろ、その狭い範囲にあるなにかに執着しているような印象だった。

 

 もう少し、近くで観察してみたい。機体の姿勢を制御して、落下角度を前方に傾けた。斜めに滑空する格好だ。イブキに翼があるわけでもないから、滑落といったほうが正確か。

 ワームとの距離が近づいていく。それに従って視覚情報の解像度が上がり、観測できるデータも増えていく。やはり、一定の範囲を回遊している。なにか理由があるのだろうか?

 

 さらに近づき、ワームを覆う鱗の形すら目視できそうな距離で、新たな動体反応。

 今度のものはかなり小さい。1mとちょっとのシルエットだ。ワームの圧倒的なサイズと比べたら豆粒もいいところ。距離はまだ遠く、モニタに表示されているのは黒い点にしか見えない。

 

 続いて、拡大映像が表示された。

 それは、驚いたことに、間違いなく人間の形をしていた。

 

「嘘でしょ」

 

 黒い服装の人物だった。丈の長いコートのようなものを羽織っている。手には1mほどの細くて長い棒を握っていた。顔はよく見えない。大きな帽子を被っているからだ。黒くてツバが広く、非常に古めかしい帽子だった。そう、たぶん、山高帽と呼ばれるようなやつだ。実物を見たことはないが、古い文献の挿絵で似たようなものを見た記憶がある。

 

 その人物は、海上の空を駆けていた。自分自身の二つの脚を使って、走っていたのだ。

 目を疑う光景だった。計器の上では特異な数値は認められない。つまり、外部に出力を持つ飛行装置を使っているわけではないということ。まるでその人物が足を踏み出すたびに透明な足場が次々と現れているかのようだったが、その見えない足場の物理的な存在はどうしても観測できなかった。

 

 人影の移動速度はかなり早い。一定ではないが、常に時速80kmを超えている。

 顔の角度が少し動いた気がした。ワームの方に視線を向けたようだ。直後、鋭くジャンプ。かなり高い。走行していた高度から20mは跳ねたように見える。と同時に、水を蹴るような仕草。跳躍の勢いが滑らかにベクトルを変えた。黒コートをはためかせて、するりと水平に加速する。

 滑空ではなく、遊泳だった。空を泳いでいるようにしか見えない。速度はさらに上がっている。もはや航空機のスピードだ。しかし、いったいどういう仕組みなのか、まるでわからない。

 

 正体不明の人型はワームの周囲を疾走している。付かず離れずまとわりついている印象だった。両者のサイズが違い過ぎて、遠近感がおかしくなってしまったような感覚がある。

 あの人型もこの惑星の生命体なのだろうか。あちらは今のところ僕のイブキに気付いていないようだ。まだそれなりに距離が開いているし、ワームの方に意識を割いているせいだと思うけど。

 

 気になるのは、あの人間(正確には、人型の生命体)とワームとの関係性。

 同じ惑星の生命体だとしたら、共存しているのか、それとも敵対しているのか。

 

 突然、ワームが激しく身体をくねらせた。広い範囲で槍のような水飛沫が噴き上がる。

 海が割れる。巨大な蛇の胴体が海中から飛び出した。重量感のある水の音響をイブキが捉えている。

 

 鞭のようにしなったワームの胴が、飛行する人型を真下から殴りつける。

 足元の死角からの強襲だった。

 避けられない。

 直撃する。

 そうとしか判断できない。

 

 次の瞬間、センサから人型の反応が掻き消えた。

 

「墜落? いや……」

 

 違う。撃ち落とされたのではない。消失(ロスト)だ。イブキは人型生命体を見失っている。

 センサに新たな反応。ワームの頭部付近の高い位置。

 即座にフォーカス。

 そこには、先ほど消失したはずの人型の存在。

 外見の一致率は90%超。

 

「まさか、瞬間移動(ジョウント)だって?」

 

 思わず叫び、フットペダルを踏み込んだ。再加速したイブキが猛然と飛翔する。

 僕たち――、DJ号が有する科学技術において、瞬間移動は実現されていない。大気圏内における実用レベルのビーム兵器もそうだし、機械なしに人間を単独飛行させる技術も未発見だ。

 

 間違いない。この惑星には、僕たちの知らない技術が存在しているのだ。

 そして、その技術を用いた原住生命体の争いも。

 

 黒い服の人型が、手に持った長い棒を肩に担ぐように構えていた。いつの間にか、その先端付近に青い燐光が迸っている。半円を描いたそれは刃のようにも見えた。

 長柄の斧だ。そう思ったときには、人影はそれをワームに向けて振り下ろしていた。

 瞬間移動をしたためか、ワームは人型の生命体を見失っている様子だった。隙だらけのその横顔(顔と呼べるようなパーツもないのだけれど、先端部の側面の辺り)に青い燐光の刃が叩きつけられる。

 

 接触の瞬間、激しくスパーク。

 拮抗は僅かの間。

 弾かれたのは、人型生命体が振るった斧の方。

 質量差の暴力だった。蟻が象に殴りかかったようなものだ。

 得物を弾き返された人影が空中でたたらを踏んでよろめいた。

 不意を打たれ、しかし無傷のワームが振り返る。

 異形の頭部がよろめく人影を捉えた。

 おろし金のように鋭利な歯が並ぶ巨大な口が、粘性の唾液を滴らせている。

 

 そのときすでに、イブキは腰部にハンガーされていた武器を構えていた。

 機体サイズに合わせた長銃(ライフル)の照準を、ワームの頭部に合わせている。

 ほんの一瞬、逡巡があった。

 三船からは先走ったことをするなと言われているけれど……。

 

「不測の事態につき、現場判断」

 

 そう呟いて、僕はコントロールグリップのトリガーを押し込んだ。

 重い銃声。震える反動。

 大型ライフルが150mmの物理弾を発射する。

 短く独特の風切り音。

 瞬く間に着弾。

 硬質な衝突音。空気が震え、海には白波の波紋が広がる。

 

 貫通はしなかった。弾丸はワームの外皮で止まっている。全身を覆う鱗が異様なほど硬い。

 効果としては、ほんの僅かに頭部を揺らした程度。しかしそれでも、ワームの気を引くことはできた。ゆらりと首を傾げるように、円筒状の頭部がこちらへと向きを変える。

 同時に、黒い服の人型生命体もイブキの存在に気付いたようだった。山高帽の空飛ぶ人間は、バックステップ(のように見える空中機動(マニューバ))でワームから距離を取りながら、青い光刃の長柄斧を構え直して、イブキとワームの双方を視界に収める位置取りをしている。

 

 数秒間、奇妙な沈黙と膠着があった。

 

 動いたのはワームだった。数メートル規模の激しい(しかし、その圧倒的なサイズからすれば僅かな)身震いをすると、巨大な怪物は吸い込まれるように海中へと潜っていった。潜航地点にすり鉢のような渦潮を残して、その全身が海面下へと姿を隠す。

 僕のイブキも黒コートの人物も、しばらくは動くことができなかった。怪物による海面下からの急襲を警戒して、じっと水面の様子を注視していたのだ。当然、十数メートルの距離にいる相手のことも気になってはいたのだけれど、やはり優先度(危険度と言い換えてもいい)が高いのは、イブキに対して致命的な攻撃手段を持つワームの動向だった。

 

 それでも数分の時間が経てば、潜航したワームはこの場から撤退したのだと気づく。

 そのときになってようやく、僕と黒コートはお互いの姿をしっかりと瞳に映したのだった。

 

 山高帽の広いつばの下に、警戒と驚きの混じり合った表情があった。

 目が二つあって、鼻と口が一つで、顔の横には耳が二つ。

 それぞれのパーツは大きすぎず小さすぎずの、見慣れたバランス。

 それは僕と……、地球人類と同じ、人間の顔だった。

 

「ははっ」

 

 乾いた笑いが漏れた。自分が奇妙な表情を作っていることを自覚する。頬を引き攣らせたような左右非対称の笑顔で、いったいなにがおかしいのか自分でもよくわからなかった。

 僕は自分の目を疑っていた。イブキのカメラとモニタも怪しく思えてしまう。だって、無限の広さを持つ宇宙において、こんな偶然が果たしてあり得るものなのか。

 

 気付けば衝動的にコックピットのハッチを操作していた。仮想コンソールを呼び出して、ハッチの解放を要請。連鎖的に浮かんだ複数の確認ウィンドウをまとめて処理する。

 気密の抜ける音がした。コックピットはイブキの胸部にあって、出入りのためのハッチは前面だ。ロックが外れて、隙間が生まれ、潮のにおいが流れ込む。

 ハッチが持ち上がる。射し込んだ太陽が眩しい。空の風は冷たく強い。イブキは今も飛んでいるけれど、スラスタの音は安定していてどこか遠く聞こえていた。

 

 黒コートの人物と、目が合った。

 

 山高帽の下の顔がはっきりと見えた。淡い菫色の髪を後ろで一つ結びにしている。

 若い女性だった。ともすれば少女のような印象さえある。だけどそれは、僕の持つ常識の中での判断でしかない。本当に若いのか、本当に女性なのか……、いや、そもそも性別や老若の概念のある生命体なのか、それすらも本当のところはわからないのだ。

 

 なにか喋ろうと思っても、言葉が見つからない。

 目が合っているように思えるけれど、相手のその器官が本当に目なのかさえわからない。

 だけど、お互いがお互いの存在にひどく驚いていて、思わず棒立ちになって固まってしまっているのだと、なんとなくわかる気がした。もちろんそれも、僕の気のせいかもしれないけれど。

 

 やがて、ハッチの縁に指を掛けて止まっている僕の視線の向こうで、()()が口を開いた。

 

「ʍχθʮʮʮ||ɸʙ?」

 

 ……残念なことに、異星語はさっぱりだった。

 

 

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