星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

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ディフォームド・リポート(6)

 ふと、僕は夢を見ていることに気が付いた。

 子どものころからそうだ。たまに『ああ、これは夢なんだな』と気付くことがある。

 

 僕は自室の椅子に腰掛けている。

 いつからそうしているのかはわからない。夢には時間と場所の連続性はなくて、まるで生まれてきたときからそこに座っているようにさえ思えた。

 手元には携帯用の端末。画面には動画が流れている。ニュース映像のようだ。キャスターが原稿を読み上げているけれど、その顔は輪郭が曖昧で誰が喋っているのかも識別できなかった。

 

「それでは、明日の天気です。高気圧に覆われるため、全国的に安定した天気となる見込みです。明日は晴れるでしょう。洗濯やお出かけには良い一日となりそうです」

 

 その言い回しに、僕は首を傾げた。

 まるで古い時代の地球の天気予報みたいだな、と思う。

 

 なんとなくユミツ国の予言を連想した。

 予言そのものというより、その内容に対する態度についてだ。つまり、「明日は晴れ」という予報を聞いたときに、その未来を変えようと考えるだろうか、という点である。

 

 もちろん天気予報にも予言にも精度の問題がある。

 だから仮に、予報も予言も必ず当たると想定してみよう。

 

 人間の力で地球の天気を変えるのは難しい。

 狭い範囲であれば可能かもしれないけれど、惑星全体の天候を操作することは不可能だ。たとえ的中率100%の天気予報というものが技術的に実現できたとしても、その情報を聞いて、明日の天気を変えてやろうと考える人間はそう多くないのではないか。

 

「明日は雨」と知ったときに、雨を降らせまいと見当違いな努力をするくらいなら、素直に傘を携帯して出掛ければいい。それが現実的な解決というものだ。

 

 同じことがユミツ国の予言にいえるのかもしれない。

 そう考えると、エンデータンをはじめとする予言に携わる人たちの態度も腑に落ちるものがあった。彼らは予言された未来を変えるのではなく、予言された未来に対応することで、国家としての利益を実現しようとしているのだろう。

 

 予言者たちとの面会を通して、僕たちに予言の情報を与えたのも、その一環なのかもしれない。

 あるいは、地球人が予言という情報にどう対応するのか見極めるためだったりするのかも……。

 

 不意に、端末の映像が切り替わった。堅苦しいスタジオで収録されたニュースの映像で、桃瀬の顔写真がスタジオのモニタに大きく映っている。写真の下には、第一次惑星間交渉団代表という肩書がテロップされていた。

 桃瀬の疲れ気味の顔を見ながら、彼は今ごろ大変だろうな、と他人事のように思った。自分の耳で予言を聞いてしまった以上、彼は交渉団の代表としても予言を聞いた当事者としても、チームのために対応を練らなくてはならないのだから。

 

 早口すぎて聞き取れもしないニュース番組はすぐに終わって、また天気予報になった。

 変な番組だ、とぼんやり思った。夢だから、そこまで違和感は覚えないけれど。

 

「それでは、明日の天気です。月間計画の通り、明日は晴れとなります。明後日以降の天気についても、変更の予定はありません」

 

「明日は晴れ」というところは同じだけれど、先ほどとは言い回しが変わっていた。

 今度は子どものころから聞き慣れた、いつもの天気予報だった。

 

 地球時代とは違い、DJ号における天気予報は外れることがない。的中率は100%である。

 深宇宙探査艇の内部に築かれた人工都市において、天気とは人為的に発生させられる現象である。宇宙に浮かぶ密閉空間の中では、自然現象としての天気というものは存在しない。晴れも、曇りも、雨も、すべて機械的にコントロールされているのだ。

 

 確定した未来を報じるという意味で、DJ号の天気予報は、地球の天気予報よりもウーサの予言に近いのかもしれない。

 

 しかし一方で、理論上、DJ号の天気予報は人の力で覆すことができる。

 人工都市の中枢システムには、天気をコントロールしている部署があり、そこにアクセスすることさえできれば、予報とは異なった天気を作り出すことが可能なのだ。

 当然ながら不正なアクセスは犯罪であるし、都市の運行システムのセキュリティは非常に堅牢なものなので、現実的には実現性がそれほど高くないにしても、である。

 

 結局のところ、見かけ上は自然現象に似せたものであっても、それを管理するシステムが可視化されていて、そこに改竄の余地があるのなら、確定したものとしてと予報された天気も、人の手で変えることができてしまうわけだ。

 

 その理屈は、未来の予言にも当てはまるのだろうか?

 

 幸か不幸か、未来の出来事を管理するシステムなんてものは今のところ見つかってはいない。

 そんなものが存在するとしたら、それは世界を管理するシステムと同義といっていい。

 この世界のすべてが()()()によって管理されているという思想は、完全に否定することはできないにしても、やはり妄想か強迫観念の類でしかないだろう。

 

 ただ、もしこの世界の運行を司るなにかしらのシステムが存在しているというのなら、未来を変えるということは、そのシステムにアクセスするということなのではないか。

 残念なことに、僕たちの科学技術ではその理論が正しいかどうかを検証することはできないし、存在も定かではない管理システムに対して未来改変のための不正アクセスを仕掛けることも不可能だ。

 

 どちらかといえば、それは魔法の領域ではないか、と考えてしまう。

 少なくとも、ウーサの魔法は物理法則というシステムに対して、僕らの知らない方法で干渉しているように思える。それは、世界のシステムの一端に触れているようなものなのではないか。

 

 たぶん、そんな簡単な話ではないのだろう。

 そうでなければ、ウーサの人類社会があんな風に予言の対応に苦慮しているはずがない。

 

 だけど、そうか。

 僕たちが魔法に対して幻想を抱いているのと同じように、彼らも僕たちの技術に幻想を抱いているのかもしれない。

 

 予言された未来という、確定された事象への干渉。

 魔法ではできなくても、地球人類の技術であればそれが可能なのではないか、と。

 僕らも彼らも、お互いのことをまだよく知らないから、そんな齟齬があるのではないか。

 もしかしたら、今日の会談の本質は、宇宙人の技術なら未来を変えられるのでは、という期待があってのことだったのかも……。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 そこで、僕は目を覚ました。

 

 目をこすりながらベッドから身体を起こす。意識の連続性が現実に再接続する。

 首都ナェゴトに用意された宿泊施設の一室だった。清潔なベッドと品の良い調度品が置かれたシンプルな一人用の寝室である。窓がひとつと、廊下に繋がる扉がひとつ。部屋にいるのは僕ひとりで、空気は凪のように静まり返っている。

 

 覚醒した頭で、今日の自分の行動履歴を思い出す。

 三人の予言者たちとの面会を終えてこの部屋に戻ってきたのが、ユミツの標準時間で午後の三時頃だった。テーブルに置かれた時計(地球のものとはずいぶんと形が違う)を見ると、まだそれほど時間は経っていない。

 どうやら少しうたた寝していたようだ。夢を見ていた気もするけれど、もうはっきりとは思い出せない。ただ、なにか発想の残滓が頭の奥に残っているような感じだけがある。

 

「夕食まではまだ時間があるか……」

 

 などと独り言ちながらベッドから立ち上がる。服も外出着のままだった。ちょっと皺になっているけれど、まぁ目立たないといっていい範囲だろう。

 軽く伸びをする。急ぎでやるべき仕事もない。夕食までは自由時間だ。とはいえ、気軽に外出できるというわけでもない。端末に持ち込んだ地球の小説でも読んでしばらく時間を潰そうか、とぼんやりと考える。

 

「ケイナイン、聞こえてる?」

 

 不意に声が聞こえた。

 僕はベッドを振り返る。枕元に僕のメガネが置いてあった。声の発生源は、そのスピーカだ。僕はそれを手に取って、顔に掛ける。

 

「聞こえてるよ」

「……良かった。ちゃんと通じてる」

 

 息を呑むような短い沈黙を挟んで、クァニャンが安堵の声を伝えてきた。

 僕の中で警戒レベルが上がる。メガネのスピーカは原則として緊急連絡用だ。今はもう耳元で囁くような通信に戻っているけれど、スピーカを使ってまで呼びかけてきたということは、僕とすぐに連絡を取る必要があったということである。

 

「なにかあった?」

「さっきから、その宿泊施設と連絡が取れなくなっている」

「うん? いや、通信は繋がってるけど」

「繋がらなくなったのは『伝達』の魔法。同種の魔法も色々試したけれど、全部ダメ。この通信が、むしろ例外」

 

「なるほど」と呟いて、考える。問題があるのは、地球の機械ではなく、ウーサの魔法のほうか。

 クァニャンの話しぶりからして、自然発生的なトラブルというわけではないのだろう。そしてどうやら妨害されているのは魔法を使った通信だけで、電子機器を使った通信には手が回っていないらしい。

 

 となれば当然、なにか仕掛けてきているのは、地球人ではなくウーサ人ということになる。

 

「ケイナイン、あなたが見ているものを私にも見せて」

「いいよ。少し待って」

 

 メガネの録画機能を起動して、そのまま通信にリンクさせた。これでクァニャンのメガネに僕の視界が共有される。こういう機能の使い方がすぐに出てくるあたり、今のところウーサ人でもっとも地球製のデバイスの扱いに精通しているのは、まず間違いなく彼女だろう。

 

「見えた」と短い呟きが聞こえた。

 次の瞬間には、もう僕の目の前にクァニャンが立っていた。

 

「それで、どういう状況?」と僕は尋ねる。

「宿泊施設を警備している人員からの定期連絡が途絶えたの。こちらからの呼びかけにも反応なし。現地の調査に向かおうとしている小隊もあるけれど、妨害されてるみたい」

「妨害っていうと……」

「魔法による攪乱。たぶん、精神に干渉するタイプ。この建物に向かおうとしても、道に迷って辿り着けなくなる」

 

 クァニャンは鋭い目つきで僕の部屋の様子を見回している。

 今日の彼女は背が低い。厚底靴は履いていないようだ。服装も軍用のコートではなく、白のシャツに薄手のジャケットを羽織っていた。魔法を補助するための猫耳帽子はしっかり被っている。

 

「土地に対して魔法を張っているなら、大規模な勢力が動いてることになる。そうじゃなくて、交渉団の護衛に当たっている小隊にあらかじめ魔法を掛けておいたというのなら、内通者がいることになる。どっちにしても、かなり厄介」

 

 彼女は右手に杖を持っていた。自身の身長ほどもある長柄のものだ。すらりとしたシルエットが、吸い付くように手に馴染んでいる。魔法使いというよりは、カンフー映画の棒術使いが連想される。

 

「ケイナイン、外の様子を知りたい」

「廊下にカメラが置いてあるね」

「ここから見れる?」

「今からリンクするよ」

 

 DJ号の交渉団が設置した小型カメラに意識をフォーカスする。廊下の全景が映るように複数個置かれていて、当然ながら電子機器である。タイムラグはほとんどなく、鮮明な撮影映像がメガネに表示された。やはり電子機器に対する妨害は張られていないようだ。

 

 廊下の異変はすぐに見つかった。エレベータに常駐しているはずのユミツ国の軍人が姿を消している。同じ映像を見たであろうクァニャンが眉を顰めた。

 争いの痕跡は見当たらないが、なんらかの方法でこの場から遠ざけられてしまったのだろうか。あるいは、魔法による通信の封鎖を手引きをした張本人という可能性もある。

 

「モモセ代表の部屋は?」

 

 張り詰めた口調でクァニャンが短く問う。

 誰かに狙われるならそこの可能性が高い、という判断だろう。

 

「廊下の真ん中。エレベータからも階段からも一番遠い部屋」

「外には出ないように伝えて」

「もう交渉団の全員に緊急事態の信号を発してあるよ」

 

 インプラントとメガネの通信機能では、すでに目まぐるしく情報が行き交っていた。交渉団の護衛を指揮する立場にある本社の人間が、状況把握と防御態勢の構築に動いている。

 生身の陸戦においては、彼らの方がプロフェッショナルだ。一応、僕も肩書は交渉団の護衛となっているけれど、SC(ステラコネクタ)がこの場にない以上、戦力としてはあまり期待されていない。

 

 そのとき、階段のカメラに人影が映った。

 

 それは文字通り、階段を()()()昇ってきた。

 老人を模した奇妙な仮面を顔に嵌めて、肌に吸い付くような黒い戦闘服を纏っている。明らかに正体を隠すことを意識した装いだった。カメラ越しでも剣呑な気配が伝わってくる。

 ひとりではなく、同じ服装の人間が続けて階段から現れる。二人、三人、いや、もっと多い。統制された動きで、飛行する老人の面の部隊が、十数人の規模で交渉団が宿泊するフロアに雪崩れ込んできた。彼らのいずれもが短く鋭い杖を握っている。

 

「下がって」

 

 クァニャンが杖を構えて、部屋のドアと僕との間に立つ。

 僕もホルスタから銃を引き抜いた。射撃の腕は人並みだし、ウーサの魔法使いに銃弾が通用するかはわからないけれど、牽制程度にはなるはずだ。

 

 カメラの中継は続いている。侵入者は電子機器による監視に気づいていないのかもしれない。地球とウーサの技術系統の違いによるものだろうか。この点では僕たちに情報のアドバンテージがある。仮面の部隊の動きはこちらに筒抜けだ。

 ……いや、相手も魔法で壁の透視くらいはできるのかもしれない。あまり楽観はできないか。

 

 クァニャンは息を殺して扉の向こうを窺っている。

『跳躍』で現れた彼女の存在は、おそらく侵入者たちにとってイレギュラーなはず。彼らの不意を上手く突ければ、有効な奇襲になると思われた。カメラの映像を見つめながら、彼女は襲撃の機会を探っている。

 

「待って……」

 

 しかし、長柄の杖を握ったクァニャンは困惑の滲んだ声を漏らした。

 カメラに映る仮面の部隊。彼らの動きは、はっきりとした目的があるようにみえた。前衛と後衛に分かれているが、明らかにひとつのグループとして行動している。彼らはフロアの各所に散るでもなく、ひとかたまりの集団のまま、足音を殺して特定の扉に忍び寄ってきた。

 

 階段から数えて三つ目の右の扉。

 僕の記憶違いでなければ、それはまさしく、この部屋の扉である。

 仮面の部隊の前衛が短杖を構える。

 

「こっち!」

 

 クァニャンが鋭く叫ぶ。

 銃を握っていないほうの手首を掴まれた。部屋を横切って、扉の死角へと走る。

 

 背後で激しい炸裂音。

 木製の扉が爆ぜた。押し出された空気が背中を叩く。

 ユミツ語の怒鳴り声。メガネの翻訳を追う余裕はない。

 

 クァニャンは真っ直ぐに走り続けている。

 その先には、ベランダに続く窓。

 長柄の杖がスイングされる。ガラスが破られた。一気に走り抜けてベランダに出る。

 ガラス片が肌に触れる前に弾かれる。クァニャンが防護してくれているようだ。

 

 外に出て、それでもクァニャンは速度を緩めない。

 目の前にはベランダの柵。

 ここは地上三階だ。

 彼女はそのまま柵をジャンプで飛び越えた。

 手首を引く力に逆らわず、僕もそれに続く。

 

 ナェゴトの道路が眼下に見えた。

 飛び出した勢いで、頭が身体の下になる。

 視界が回って、足元に夕暮れの空。

 それを背景に、僕の部屋から激しい閃光が線を引いた。

 魔法の矢だ。僕らを狙って放たれたものらしい。

 脱出は間一髪だったようだ。

 ちりつくような熱気が頬を叩く。

 

 地球人は空を飛べない。三階の高さから落下する。

 相変わらず、頭は身体の下にある。

 

「掴まって」

 

 握られた手首を引き寄せられた。

 耳元でクァニャンの声。

 けれど、なにに掴まればいいのか。

 手首を握る彼女に任せて、互いの身体を密着させる。

 抱き合うような形になって、地上へと落ちていく。

 

 墜落の寸前、僕らは反転(フリップ)した。

 宇宙に似た浮遊感。

 頭と足がひっくり返って、正しい位置に戻る。

 体内の血が圧縮されるような急減速。

 足の裏が地面についた。

 着地の瞬間、身体が重力を思い出して、たたらを踏んでしまう。

 

「移動する。走って」

 

 よろめいた体勢を立て直すより早く、クァニャンが手首を引いて走り出した。

 前のめりに身体を泳がせながら、転がるように彼女についていく。

 一瞬だけ、背後の頭上を振り返った。

 宿泊施設の三階のベランダから、老人の仮面が地上を見下ろしている。

 彼らの短杖の鋭利な先端がこちらを向いた。

 

 クァニャンが何事かを短く叫ぶ。

 石畳の街路を蹴った彼女が、直角にコースを変えた。

 握られた手首を支点に、振り回されるように足をふらつかせながら、僕はその背に続く。

 すぐ近くで破裂音がした。背後の足元で地面が弾ける。

 撃たれている。明らかに、僕を狙った攻撃だった。

 

 クァニャンの先導で狭い路地に入る。

 背の低い建物と建物の間だ。夕暮れの太陽の届かない薄暗い小道を走る。

 数メートルも進まないうちに、彼女はすぐに進路を変えた。

 狭い路地の途中にある分岐路を折れて、さらに別の路地へ。

 そこからさらに数メートル進むと、また分岐を曲がって奥へと走っていく。

 

 背後からの射線を切る動きだった。

 刺客の姿は路地の壁に遮られている。けれど、殺気立った足音が今も路地に反響していた。

 クァニャンの足取りには迷いがない。僕はついていくので精一杯だった。

 僕の足が遅いのではなくて、彼女が早すぎる。

 駆け抜けていく路地はどんどん狭く暗くなっていく。

 襲撃された宿泊施設から離れる方向だった。

 首都のおおまかな地形情報は取得してあるけれど、方向転換が目まぐるしくて迷子になりそうだ。

 

「これ、道は、大丈夫なの?」息を切らせながら尋ねる。

「大丈夫」と彼女は振り返らずに短い返答。

 

 また曲がり角を曲がった。

 走りながらクァニャンが振り向く。僕を通り越して、後方の様子を窺っている。

 一瞬、彼女が苛立たし気に眉をひそめた。どうやら追跡は続いているらしい。

 

 目立たない分岐を右に折れて、別の細い路地に入った。

 追われているが、追い付かれてはいない。

 それはつまり、例の()()()()()の影響は受けていないということだろうか。

 あくまでも宿泊施設に近づこうとする場合にだけ作用する魔法なのかもしれない。

 

 空を飛んで逃げるのはどうか、と一瞬考えた。

 けれど、遮蔽のない空中に身を晒すのは得策ではないとすぐに否定意見が浮かぶ。

 当然、クァニャンもその程度のことはすでに検討していることだろう。

 

 夕暮れの風は涼やかだが、走り続けた身体は熱を帯びて、額には汗が流れていた。

 クァニャンがまた進路を変えた。

 彼女に手を引かれて、暗がりに飛び込む。

 

「足元に気を付けて」

 

 警告されるのとほぼ同時に、僕は足を踏み外してつんのめった。

 慣性で次々と前に出る足でなんとか転倒を食い止めながら、斜め下へと駆け下りていく。

 先導された暗がりの先は、下りの階段だった。

 太陽の明かりが完全に隠れている。地下なのだ。魔法の灯りすら存在せず、真っ暗だった。

 

 即座に眼球の暗視機能がアクティブになり、メガネがその補助を行う。

 古びた石造りの空間だった。暗色の苔が敷き詰められた石材の合間に繁茂している。

 空気は湿っていて、どこか水っぽい。

 下りの階段を三度折り返した。地上から5メートルほど下になるだろうか。

 前を行くクァニャンの足取りはしっかりとしている。つまずきそうになる気配もない。

 彼女も暗闇を見通している。僕とは違い、科学ではなく、魔法でだ。

 

 階段が終わる。その先には狭い通路。直線ではなく、緩やかに蛇行している。

 足元も傾斜していた。登ったかと思えば、それ以上に下りもする。デコボコしていて、舗装もされていない。

 目印のない分岐が連続する。クァニャンは足を緩めることなく、曲がったり曲がらなかったりと、迷路のような暗い通路を駆け抜けていく。

 僕も彼女も、口を開かなかった。なにか喋ったら、追跡者のところまで音が反響してしまいそうな気がしていた。

 

 不意に、クァニャンが速度を緩めた。

 手首を握られたままだった僕は、危うく彼女に衝突しそうになる。急ブレーキを掛けてたたらを踏んだ僕を小さな身体で受け止めて、彼女は通路の脇の暗がりを指差した。

 彼女が伸ばした指の先、目立たないところに扉があった。古いが頑丈そうな木の扉だ。通路をまっすぐ進んでいると死角になるような位置に設置されている。

 

 鍵は掛かっていなかった。静かに扉を開けた彼女がするりと入り、僕もその後に続く。

 扉の先は真っ暗な小部屋だった。天井が低く圧迫感がある。壁に巨大な植物の根が這っていた。

 クァニャンが扉を閉めると、空気がシンと静まり返った。扉の外とは空間が断絶されたような感じがする。扉と壁が厚いのか、音が漏れにくい構造になっているみたいだ。

 

「ちょっと休憩。それから、次の行動を考える」

「……オーケィ。そうしようか」

 

 クァニャンは耳の辺りに指を当てて目を閉じている。魔法の通信をしようとしているようだ。

 僕は息を整えながら、自分の通信機能に意識を合わせた。表示はオフライン。地上との間に岩盤があるからだろう。インプラントの通信機能では出力に限界がある。

 ただ、地上を逃走しているときの通信ログは残っていた。宿泊施設の交渉団からのものだ。三船からもメッセージが来ている。ひとまず桃瀬をはじめとしたDJ号の人員に被害はないらしい。

 

「『伝達』はまだ妨害されてる」彼女は小さくため息を零した。「ケイナインの方は?」

「交渉団は無事だってさ。僕たちが部屋から飛び降りた後、護衛の人員が侵入者たちに攻撃を仕掛けたんだけど、びっくりするくらいあっさりと撤退していった、って」

「……私たちはしつこく追いかけられてるけど」

「不思議なことにね」

 

 僕が肩を竦めてそう言うと、彼女はジト目でこちらを睨んできた。

 

「そもそも彼らは、最初からひとつの部屋に戦力を集めていた。そうよね?」

「うん、僕もそう思う。カメラの映像はそういう動きだった」

「彼らの狙いはその部屋の住人だけだった。だから、交渉団の他の人には手を出さずに、すぐに現場から立ち去って、私たちの追跡に集中することにした」

「まぁ、あり得そうな話ではあるね」

 

 正直、あまり嬉しくない推論だけど、今のところ否定する材料も見当たらない。

 クァニャンは腕を組んで、胡乱なものを見るような目つきで、わかりきった結論を口にした。

 

「狙われたのは、あなたよ、ケイナイン」

 

 

 

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