星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

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彼女はひとりで跳ねるのか(3)

 土のない都市の空気は、どこか味気なく感じられた。

 

 検査を受けた病院をあとにして、DJ号の街中を歩く。およそ2ヵ月ぶりの家路だった。

 外宇宙探査艦の都市区角は円筒形(シリンダー)の構造で、(フネ)の進行方向を軸にして常に回転を続けている。遠心力が生み出す人工重力は、遥か彼方の地球と同じになるよう1Gに保たれている。

 

 頭上には、回転軸に貼り付けられたスクリーンが、黒い背景に星空を映し出していた。

 (フネ)のサイクルは24時間で、今は夜である。昼夜の切り替わりも、地球を模して疑似的に設定されたものである。僕たち乗組員(クルー)は700年前の地球人類の遺伝子から生まれてくるのだから、結局、この24時間の生活周期がもっとも体質に合っているわけだ。

 

 宇宙を旅するこの都市は、自己完結した生存環境を持つ環境領域(アーコロジー)である。

 長きにわたる航海の中で幾度となく改修が施されているが、その大元となっているのは、700年前の地球で大道寺重蔵と懇意だった科学者のデザインなのだという。

 

 絹の12番(シルキィ・トゥエルブ)という都市の名は、その科学者の名前に肖ったものらしい。

 

 夜の都市の人通りはまばらだった。

 時折すれ違う人影は人工知能に操作されたロボットだと、メガネの表示が伝えている。

 平坦な壁のビル街を歩きながら、会社に休暇の申請を飛ばすと、承認のリプライが数分で返ってきた。リプライには今後数か月の通常業務のスケジュールが添付されている。

 

 データを開くと、先頭に目を引く一文。

『戦争』は無期限休止。再開時期は未定――。

 思わず、眉を八の字にして溜め息を漏らしてしまった。

 

「700年のウォームアップも、いよいよ終わりなのかなぁ」

 

 結局、僕らがやっていたのは、どこまでいっても『模擬戦争』なのだろう。

 この広大な宇宙で、いつか『敵』と遭遇したときに、戦場に立つべき人間を育てておくための準備期間。惑星ウーサにおける知的生命体との邂逅が、それにひとつの区切りをつけた。

 

 作り物の夜空を仰いで、何人か知り合いのパイロットの顔を思い浮かべる。

 彼らは今、どんな気持ちでいるのだろうか。

 予定されていた『戦争』がふいになって憤っているのか。それとも、地上に待つ新しい戦場の予感に滾っているのか。あるいは単純に、待機中に割り振られた別の仕事を淡々とこなしているのか。

 何パターンか想像してみたけれど、『本物の戦場』に恐怖しているようなイメージは誰一人として当てはまらなかった。そういった感性を持つ人間は、職業選択の段階で弾かれるだろうから、当然といえば当然である。

 

 帰り着いた自宅は、集合住宅の一室だった。

 それほど等級(グレード)の高い部屋ではない。ひとり暮らしには十分な広さだが、豪華さでいえばナェゴトで宿泊していたホテルのほうが上だろう。置いてある家具は最低限で、いずれもシンプルで安っぽいものばかりだ。このこだわりのないチョイスは、僕の性格によるところが大きい。

 唯一、紙の書籍を収めるための本棚だけが、部屋の中で異彩を放っていた。天井に届く高さがあって、作りもがっしりとしている。電子化された情報媒体が主流となるDJ号では、本棚という家具自体の需要が薄く製造数も少ないため、けっこう値が張ったのを覚えている。

 

 奮発して購入したはずの本棚は、まだ半分も埋まっていない。

 本棚と同じくらい紙の書籍は高価で、本棚以上に入手が難しいためだ。

 しかしだからこそ、この空白を埋めていくことが、僕の密かな楽しみになっている。

 

 部屋の照明をつけた僕は、ジャケットをハンガーに掛けてから、キッチンの冷蔵庫を開けた。中身はほとんどからっぽ。長方形の固形保存食がいくつか入っているだけだった。

 そういえば、偵察任務に出発する前に、日持ちしないものは片づけたんだっけか……。ガチガチに冷えて硬くなった保存食を取り出しつつ、過去の記憶を掘り起こす。コップに水を注いで、テーブルに腰掛けて、長期保存用の栄養ブロックに齧りつく。奥歯が折れそうなほどに硬かった。

 

「あー、そうそう、こんな感じだったよ……」

 

 瞬間的にイラっとした気持ちを、舌先に触れた甘ったるいフレーバーと一緒に飲み干した。この手の保存食は、好き好んで食べたくなるものでもないのだが、なんだかんだで年に1度くらいは食べる機会がある。保存期限の関係で新しいものを買い足すからだ。その際に残っていた古いものに齧りついては、毎度の如くその硬さに歯噛みするわけである。

 

 保存食との格闘は数十分続いた。

 ようやく食べきった栄養ブロックの袋をゴミ箱に捨てて、ベッドに横になる。全身がぼんやりとした倦怠感に包まれていた。地上からの帰還と病院での検査で、思っていた以上に疲れていたらしい。このまま目を閉じれば気持ち良く眠れそうな感覚だ。

 

 半分眠りかけた状態で、室内のネットワークを呼び出した。ディスプレイを顔の前に投影して、プライベートボックスに溜まっていたメッセージを処理していく。

 開封する気にもなれないダイレクトメールに埋もれて、2か月分の給与明細があった。開いてみると、想像よりも額が多い。偵察任務に参加する前と比べると特別手当という項目が増えていた。

 

「これなら出前(デリバリー)でよかったな……」

 

 栄養ブロックの硬さを恨めしく思いながら、僕の意識は眠りに落ちていった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 翌朝、目を覚ました僕は、シャワーを浴びてから冷蔵庫を覗き込んだ。

 当然のことながら、中身は数の少なくなった栄養ブロックだけ。「わかっていたさ」と、げんなりした気分になりながら家の外に出る。

 

 頭上のスクリーンに投影された太陽が、シルキィ・トゥエルブに淡い朝日を降らせていた。

 集合住宅の階段を降りて道路に出ると、通勤中らしき人たちの姿が目に入る。夜間よりも人通りが多い。といっても、ナェゴトほど賑やかな雰囲気ではない。ロボットを除けば、歩いている人間はほんの数人だった。

 

 住宅区画から企業区画に向かう人の流れを横目に見ながら、僕は近所のファストフード店に立ち寄った。店内は閑散としていて、いつも通りの無人経営。

 窓際の席に座ってクレジットを支払うと、ほんの数分で自動調理されたハンバーガーがロボット(人型ではなく、車輪のついた箱型のタイプ)に運ばれてきた。

 安っぽい包装を開いて、これまた安っぽい中身を口に運ぶ。十分に加熱された肉の塊を咀嚼すれば、お馴染みの人工食品の味が口の中に広がった。

 

「良くも悪くも、変わらぬ味だなぁ」

 

 今までの人生で、このハンバーガーを何個食べただろうか。子どものころから口にしていた記憶はあるけれど、味付けが変更されたという話は聞いたことがない。

 

 DJ号が地球を発ってすぐの頃は、限られた人工食材を用いて地球の味を再現しようとする試みが盛んだったという。

 しかし、100年もすると、地球の味とやらを知っている者は誰もいなくなってしまった。味付けのデータはコンピュータに記録されていたが、人間の味覚は五感の中でも特に敏感なものであり、データだけから地球の味を完全に復元するなんて土台無理な話だった。

 

 それからというもの、DJ号における料理研究の分野は、再現から改良に舵を切ることになった。地球時代の味を復活させることにこだわらず、単純に料理のクォリティを向上させていこうという方向性である。

 もはや当時の乗組員(クルー)は誰一人として『故郷の味』を知らなかったため、この方向転換は当然の流れとして受け入れられたという話だ。

 

 言うまでもなく、僕も地球の味を知らない人間だ。

 数百年前の方向転換は英断だったと思うし、現代のDJ号で提供される料理にも大して不満を感じていない。人工食材のハンバーガーは現代人の味覚に合わせて調理されたもので、十分に美味しく感じられる。文句を言いたくなるのは、歯が折れそうなほど硬くなった保存食くらいだ。

 

 ここ最近、惑星ウーサで自然(ナチュラル)な食材を食べる機会に恵まれたが、僕は安藤ほどその味に感動を覚えることはできなかった。不味いと思ったわけではない。惑星ウーサでの食事は(ちょっと癖のある料理もたまにはあったけれど)おおむね美味しいと感じられるものだった。

 安藤のように感動できなかったのは、単純に僕が『自然』であることに価値を見い出せなかったというだけのことだ。『人工』も『自然』も、ただそれだけで特別な価値があるわけではないし、どちらかが優れているというわけでもないと、僕にはそう思えるのだった。

 

 ファストフードの朝食を食べ終えると、その足で近場のジムに向かった。乗組員(クルー)であれば誰でも利用できる施設だ。受付は無人で、人間のトレーナーも常駐していない。施設内のトレーニングマシンにリンクすることで、各個人の端末に人工知能から運動のアドバイスが送られてくるシステムである。

 

 午前中はそこで汗を流した。基礎体力の維持はパイロットとして必須である。

 さほど広いジムではないが、この時間帯は僕以外の利用者はいなかった。日勤の乗組員(クルー)は今の時間は働いている真っ最中で、夜勤の乗組員(クルー)は眠っているところだろう。ジムの常連客が顔を出すのは、だいたい夕方になってからだ。

 

 結局誰とも会わずに、昼頃にシャワーを浴びてジムを出た。

 屋外に備え付けられた自動販売機のドリンクを飲みながら、ネットワーク上のマーケットで冷凍の食材を購入して、自宅への配達を依頼する。5分ほど休憩してから自宅に戻ると、集合住宅のエントランスの保冷ボックスに注文した商品がすでに届けられていた。

 

 部屋に戻り、昼食を作る。といっても、冷凍食材を解凍して、調理機器に放り込むだけだ。細かい味付けはすでに設定(カスタム)してある。グリルに肉を入れて、味付けのスイッチを選べば、あとはストックした調味料が勝手に仕上げをしてくれる。

 市販のソースを絡めたパスタと焼いた肉、それから解凍した生野菜の簡単な食事になった。凝ったものではないが、自分で作ったものだし、味に文句はない。

 

 午後は読みかけの小説を読み進めたり、新刊の書籍の発売情報をみてみたり、惑星ウーサに関連するニュースを調べていたら、あっという間に日が暮れてしまった。

 結局、午後は一歩も部屋から外に出ていない。1日を通して、誰かと会話を交わすこともなかった。よくある休日のパターンである。自覚しているが、僕はあまり社交的な性格ではない。

 

「あ……、出前(デリバリー)の選択肢を忘れてた」

 

 夕食の時間、キッチンに立って調理機器のスイッチを押したところでそれに気づいた。食材はもう解凍してしまった。今さら調理をキャンセルすることはできない。

 自分で料理をしようとしたのは、習慣づけられた無意識の行動だった。どうも頭があまり働いていなかったようだ。休日のだらけた空気に当てられていたのかもしれない。

 

 まぁ、過ぎてしまったことは仕方ない。調理の済んだ1人分の料理をテーブルに並べる。

 個人用の端末がメッセージの受信を知らせてきたのは、そのタイミングだった。

 

「あれ? 思ったよりも早い呼び出しだなぁ……」

 

 メッセージの送り主は三船だった。部隊の隊長としての指令文である。

 明日、艦内時間午後1時に、指定したポイントで合流せよ。短く端的な命令のあとには、都市内の住所(アドレス)を示す数字が添付されている。

 

「もともと短い休暇になるとは思ってたけど」

 

 そう呟いて、メッセージに了解と返信した。

 どんなに長く見積もっても、九十九が参加するユミツ国の記念式典が終了するまでには、仕事に復帰するよう命令されるとわかっていた。しかし、たった1日半で休暇が終了とは。今期の休暇の消化率から考えて、最低2日は休まされると思っていたのに。

 

「いや……、なにか不測の事態でも起きたのかな」

 

 湯気を上げる夕食を前にしながら、小さく頭を振る。

 地上に下りろというわけではなく、命令されたのはDJ号での合流である。午後1時に、というのも気掛かりな指定だった。

 

 イブキは地上に残してきている。災獣・大森蟹(イア・メルグネ)との戦闘で発生した消耗は、(フネ)に戻さなくても修復可能であると判断されたためだ。

 そのため、DJ号での僕はパイロットとしては半身を欠いている状態である。もちろん、艦の格納庫にはイブキの他にもステラ・コネクタが存在しているけれど、それを動かしたいのであれば僕ではなく適任がいる。その機体のもともとのパイロットが乗ればいいだけの話だ。

 

「パイロットとしての仕事というわけじゃない? あんまり気が進まないなぁ」

 

 などとぼやきつつも、僕の意識はすでに明日からの仕事に向かっていた。

 休暇が嫌いなわけではない。けれど、少し退屈なのは事実だ。趣味である地球時代の小説を読む時間を取れるのは嬉しいけれど、そればかりだと心が倦んでくる。

 

 結局のところ、僕はパイロットで、ロボットに乗っているときが一番楽しいのだった。

 深宇宙探査艦の乗組員(クルー)として、自分の存在する意味をもっとも証明できる時間だと思っている。

 

 そしてここ最近、僕の心の中でそれと同じくらいのウェイトを占めているのが、惑星ウーサに関わる諸々の仕事だった。イブキを駆って災獣に対処することはもちろんのこと、それ以外の様々な任務にも強い関心を覚えている。そういう自覚があった。

 

 自分は一体なにに心を動かされているのだろうか。

 棺桶(コックピット)はもう決まっている。人生の終着点をそれと定めた以上、そこに至るまでの道筋は、畢竟、ステラ・コネクタの中で完結していると思っていたのに。

 

 あるいは、僕は今になって初めて、DJ号の外の世界というものを本当の意味で認識したのかもしれない。

 

 乱暴に言ってしまえば、これまでの深宇宙探査の旅は、DJ号という孤立した社会の自己満足のためのものでしかなかった。果て無き宇宙の情報を故郷である地球に送り届けるといえば聞こえはいいが、その地球からの返答は遥かな距離と時間に阻まれて、自分の生きているうちには届かないかもしれないという有り様だ。

 毎日のように記録される小惑星の探査情報や宙域の観測結果は、この旅が無意味なものではないと自分たちを慰めるためのものだったといっていい。日々蓄積されていくデータの山が、遠い故郷の人々にとって本当に意味のあるものなのか、確信を持って頷ける者は誰もいなかった。

 

 惑星ウーサにおけるウーサ人との遭遇は、その息が詰まりそうな状況に変化を齎した。

 そう感じているのは僕だけではないだろう。

 深宇宙探査というお題目は、ただの惰性で続けられたものではなく、確かに意味を持っていたのだと、そう思えるようになった乗組員(クルー)も多いはずだ。

 

 DJ号は深宇宙探査というプロジェクトを遂行するためにデザインされた共同体だった。

 乗組員(クルー)の根底には、常に共通した目的意識が存在している。

 だからそれは1万人からなるひとつの集団的な知性といってもいい。

 宇宙をさまようひとつの孤独な生命だ。

 

 人間はひとりでは生きられないというけれど、僕らはようやく、この広い宇宙で『他人』に出会うことができたのだ。

 

 明日の仕事がどんなものなのか、詳細はまだわかっていない。

 けれど、その結果次第で、DJ号とユミツ国との関係はまた少し変化することだろう。

 協調の意識が深まるかもしれないし、互いに相容れないなにかが発覚するかもしれない。

 僕らも彼らも手探りなのだ。きっと失敗もするし、ひどくすれ違うこともある。

 

 それでも、奇跡のような確率で出会えた隣人と、確固たる関係性を構築したい。

 そう熱望することは、僕らに流れる地球人類の遺伝子に刻まれた本能のようにも思えた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 翌日、命令された時間の10分前に僕はメッセージに記された場所を訪れた。

 指定されていたのは、入艦のための検査を受けたあの病院だった。一昨日から変わらず通常の診療は休止しているようで、周囲には立ち入り禁止の規制線が張られている。

 玄関のガードマンにIDを示して、病院のロビーに足を踏み入れた。医療機関特有の殺菌された空気が鼻に入る。ロビーは閑散としていて、受付の事務員の他には人の姿も見当たらなかった。とても静かだ。リノリウムの床に自分の足音が反響している。

 

 三船は時間ぴったりに姿を現した。

 ロビーから病院の奥へと伸びる廊下。彼女はそこに並ぶ診療室のひとつから顔を出したのだ。

 

「京奈院、こっちだ」

 

 短い呼びかけは、最低限まで声を落としたものだった。

 一般の患者はいないはずだが、病院という空間に気を遣ったのだろう。診療室のスライド式のドアは音もなく開閉していたようで、僕はその声ではじめて三船の存在に気が付いた。

 ドアから上半身だけを出した彼女が、ちょいちょいと手招きする。ロビーの椅子に腰掛けていた僕は、小さく首を傾げてからそちらの廊下に歩いて行った。

 三船の方がロビーに出てくるのではなく、あんな風にこちらを呼び寄せるということは、あの診療室になにかあるのだろうか。

 

 半開きの状態で三船が固定していたドアの取っ手を引き継いで、僕は診療室の中に入った。

 診療室の構造は水無と面会した部屋とほとんど同じだった。それほど広くないスペースに、医師のデスクと椅子が患者用の丸椅子に対応できるように置かれている。

 

 医師用の椅子に座っていたのは、どういうわけか、クァニャンだった。

 

「ケイナイン、久しぶり」

 

 悪戯に成功した子どものように、菫色の髪の彼女がはにかんだ。

 

「え、ああ……、二日ぶりだね、クァニャン」

 

 なんとかそれだけを口にして、僕は三船に視線を向けた。

 診療室のドアを閉めた彼女は、腕を組んで壁に背を凭れさせている。

 

「隊長、どういうことです?」

「どうもこうも」三船は憮然とした表情だった。「お前が出発したあと、彼女にも許可が出た」

「許可って、乗艦の?」

「そうだ」

「そりゃまた急にどうして……」

「さてな。上層部(ウエ)の判断だ。詳しい経緯は私にもわからん」

 

 三船は面倒そうに髪を掻き上げる。

 

「ただ……、例の記念式典が恙なく終了すれば、その後、ユミツ国からの使節を(フネ)に受け入れるという計画が正式に決まったらしい。その本番前に、ユミツ国に属する人間に下見をさせるというのは、わからない話じゃない。お前もそのくらいは考えていただろう?」

「ええ、まぁ。でも、許可が出るなら、僕の出発と同じタイミングだと思ってましたよ」

「私もそうだ。どうもユミツの方でギリギリまで調整が続いていて、それには間に合わなかったらしいが」

「へぇ……。どこからの情報です、それ?」

「マハナからだ。(フネ)に誰を派遣するかでずいぶんと揉めていたという話だ。政府と三つの軍の間で政治的な駆け引きも色々とあったようだな」

 

 言葉を切って、三船はクァニャンを横目で見た。

 医師用の椅子にお行儀良く座った彼女は、にこにこと笑顔を浮かべて僕らの会話を眺めていた。柔らかい雰囲気の顔には、僕らが貸与したメガネを掛けている。翻訳機能を内蔵したデバイスだ。当然、こちらの会話の内容も把握しているはず。内緒話というわけでもないから、別に問題はないけれど。

 

「結局」三船は小さく溜め息。「ユミツでも彼女以上の適任は見つからなかったようだがな」

「適任、ね」僕はその言葉を繰り返す。

 

 三船が目を細めて僕を見た。余計なことは言うなよ、という忠告だった。

 その意図を察して、僕は黙って頷いた。

 

 DJ号ではまだ魔法の存在は一般には非公開の情報となっている。

 三船の目配せはそれを踏まえて、魔法のことは軽々しく口にするなよ、と忠告しているのだ。

 

 クァニャンがこの役目に適任というのには、2つの意味がある。

 1つは、彼女がDJ号の乗組員(クルー)と共に行動する機会が多く、僕らと顔見知りであるということ。

 そしてもう1つは、『跳躍』の魔法の使い手であるということである。

 

 異星人の本拠地(ホーム)に初めて足を踏み入れる。

 それは歴史的な偉業であると同時に、非常にリスクのある行為だともいえる。

 はっきり言ってしまえば、生きて帰れる保証はどこにもない。

 地球人の惑星ウーサの地上における振る舞いは擬態で、彼らは実はウーサ人に敵対的な異星人なのかもしれない。そうでなくても、なにかの切っ掛けでDJ号とユミツ国が戦争状態に陥る可能性もゼロではない。

 もしもそうなってしまったとき、宇宙空間に浮かぶ地球人の都市に取り残された者は、孤立無援のまま敵対的異星人に囚われることになってしまう……。

 

 ……と、ユミツ国の指導者たちは当然考えたことだろう。

 

『跳躍』の使い手であるクァニャンであれば、そのリスクを多少なりとも軽減できる。

 こと逃走技能という点に関しては、彼女は地球人類の常識の埒外にある。彼女の瞬間移動は、科学的に再現できていない離れ業だ。

 実際には、彼女単独で宇宙と地上を行き来するような『跳躍』を行うことはできない。保有する生体魔力の量とやらの問題で、『跳躍』の距離には限界があると、ほかならぬ彼女自身が以前そう語っていた。それでも、艦内を『跳躍』して逃走と時間稼ぎを繰り返された場合、乗組員(クルー)が彼女を捕捉するのは非常に困難なミッションになるだろう。

 

 彼女の魔法による逃走技能と生存能力。

 ユミツ国が最初に派遣する人員を選定するのに、その能力が評価されたのは間違いない。

 

 一方で、DJ号の上層部は『跳躍』の存在を知ったうえでクァニャンの乗艦を許可すると決めた。

『跳躍』の能力とその限界については、すでにある程度の情報が集まっている。その情報をもとにすれば、彼女が(フネ)に敵対的な行動を取ったとしても対処できるという判断だろうか。

 あるいは、瞬間移動能力者を乗艦させるリスクを吞んででも、このあとに控えている使節団の受け入れをスムーズにしたいという思惑があってのことかもしれない。

 

「ケイナイン」

「うん?」

「あなたの故郷に来れて、嬉しい」

 

 会話が途切れたのを見計らって、彼女が声を掛けてきた。

 今日の彼女は軍の黒いコートこそ羽織っているけれど、猫耳帽子も被っていなければ厚底靴も履いていなかった。上と下、両方の水増しがないからか、いつもよりもさらに小柄に見えてしまう。

 

「本日は、案内をよろしくお願いします」

 

 かしこまった口調になって、彼女はぺこりと頭を下げた。

 ひとつ結びにした後ろ髪がぴょこんと跳ねる。無意識にそれを目で追ってから、僕は両手を顔の横に上げた。敵わないな、と無意識に思ったのかもしれない。

 

「もちろん。君を案内できて、僕も嬉しいよ」

 

 顔を上げた彼女が静かに微笑んだ。

 他人が嬉しそうにしていると自分も嬉しくなるというのは、いったいどういうメカニズムなのだろうか。

 

 

 

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