星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

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猫よ、猫よ(4)

「それで、勝算はあるのか?」

 

 通信越しに三船が尋ねてきた。声の調子は平静そのもの。僕の独断専行やその結果がどういうものになるにしても、まだコントロールが可能な範疇にある、という判断だろう。

 イブキのパイロットシートに収まって計器をチェックしながら僕は微笑んだ。実に頼もしい。上司が冷静なほど現場は安心できるというものだ。

 

「うーん、正直、微妙なラインですね」

 

 コントロールグリップを握る。生体認証が通った。ジェネレータに火が入る。外部カメラ、アクティブ。コックピットのモニタが灯る。

 外は夕闇。橙色と紫が半々といったところ。気の早い星が空で輝いている。現実では初めて見る光景だった。宇宙で星は光らない。艦の世界では、輝く星もヴァーチャルの出し物でしかない。

 

「ライフルで撃ったときのデータはあるけど、手持ちの武装であの外皮を抜けるかどうか……」

 

 もともと偵察任務だったのだ。求められたのは身軽さで、破壊力のある重武装はチームの誰も持ってきていない。通信設備の設置や簡易拠点の準備も予定されていたから、むしろ荷物としては工具や建材のほうが多いくらいである。

 クァニャンから注意を逸らすために撃ったライフルは、シウジェアの硬い外皮に阻まれて、貫通には至らなかった。どう見たって有効打にはなっていない。イブキの観測データからもそれは明らかだ。

 

「火力不足か。どうするつもりだ?」

「どうするもなにも、新しい武装が落ちてるわけもないんだから、手持ちの装備でやるだけやってみるだけですよ」

「それで、結果が伴わなかったときは……」

「頑張って戦ってみましたよ、ってことでウーサの人には納得してもらうしかないかなぁ。なんというか、ちょっと締まりませんけど」

 

 モニタを通して周囲を確認する。近い距離にウーサ人はいない。ヅィヅィザが指示を出したのだろう。杖を携えた数人が遠巻きにこちらを見つめているだけだ。

 ひとつだけこちらに近づいてくる姿があった。意識を向けてカメラをズームする。ひとつ結びの菫色の髪。クァニャンだ。舗装された地面を厚底ブーツで蹴って、彼女は空中へと滑り上がる。物理法則に反した流麗さで、一息にイブキの頭部まで到達し、そのまま一本角にしがみついた。

 

「こういうの、なんて言うんですっけ」

「なにがだ?」

「観客とか、監視員とか、そんな感じの……」

「観戦武官」

「そうそれ。古い言葉なのに、よく知ってますね」

「厳密に言えば、我々は国の軍隊ではないのだがな」

 

 イブキの角に手を置いたクァニャンは、気軽な仕草で地上へと手を振っている。彼女を見上げる他のウーサ人たちのほうがむしろ緊張している様子だった。

 クァニャンの上役であるヅィヅィザとマハナは基地の二階からイブキを見つめていた。窓ガラスの向こうに並んでいる姿が見える。地上の人たちよりは落ち着いた態度だったが、両者とも杖は手放していない。

 

「ケィナイン。行こう」

 

 コックピットに声が届いた。クァニャンには通信用のインカムを渡してある。耳に装着するタイプだ。僕が簡単な説明をしただけで、彼女はすぐにその使い方を理解した。さして驚いてもいないような感じだったけれど、似たような道具がウーサにも存在するのだろうか。

 

「ついてくるのは、彼女だけか」と、三船の声。

「彼らには彼らの通信技術があるんでしょうね。ほら、さっき見せられたシウジェアの映像。リアルタイムだったのかはわかりませんけど、あんな感じで」

「ああ、そうだな。だがやはり、我々の設備では通信の兆候は検知できなかった」

「冗談抜きに魔法の通信って感じですよねぇ……」

 

 喋りながら足元を確認する。人影はない。動いても大丈夫そうだ。

 

 グリップを軽く押しながら、フットペダルを調整する。膝立ちの状態で待機していた機体が、頭部を水平に保ちつつゆっくりと立ち上がる。

 ウーサ人たちがあんぐりと口を開けるのが見えた。関節部の金属の高い音。巨人の足が大地を踏みしめる。重く低い振動。窓ガラスがびりびりと震えている。

 視点が高くなる。周囲の建物の屋根を追い越した。建物と一体化した巨大な樹木だけが同じ高さにある。沈みかけの太陽。遠くに広がる緑の森林地帯。そして、星の見える空。ここは地上なんだ、と改めて感じてしまう。

 

「それじゃあ、行こうか、クァニャン」

「行く。だいじょうぶ。いつでも」

 

 イブキが歩き出す。人間の何倍もの歩幅で、たったの数歩。それだけで基地の敷地から舗装されていない剥き出しの大地に。置いて行かれたウーサの軍人たちは、あっという間に豆粒サイズ。ついてきている者はいない。しっかりとそのことを確認してから、フットペダルを踏み込んだ。

 大地を蹴ってイブキが跳ぶ。スラスタが吼えた。金属のボディが持ち上がる。じんわりと加速していく。クァニャンの飛行と比べたら力技もいいところだけど、物理的に計算されているという意味ではスマートともいえるだろう。

 

「わぁ……」

 

 クァニャンの短い感嘆の言葉が、はっきりと聞き取れた。

 外は轟々と風が吹き荒んでいるはずなのだけど、まるで無風の空間から届いた声のようだった。

 これも魔法なのだろうか。まるで乱れる気配のない彼女の髪をカメラで捉えながら、僕は引き攣った笑みを浮かべてしまう。

 

 イブキは安定した速度で飛行している。それほど高い高度ではない。上昇しすぎるとシウジェアの粒子砲(ビーム)に狙われる危険があった。敵がすでにイブキを感知しているかは定かではないが、避けられるリスクであれば避けた方が賢明である。

 基地の外の大地は、なだらかな平野だった。茶色い荒れ地がほとんどで、ぽつりぽつりと緑の草地が目に入る。何本か道のようなものも見えた。基地と同じようにアスファルトに似た舗装材が敷かれているが、大部分がひび割れていて、でこぼこに隆起している箇所も多い。

 

 荒涼とした景色だった。荒れ果てた道路に人の往来は見て取れない。

 道の途中には集落も存在した。数百軒からなる建物の集まりだ。イブキがあっという間にその上を飛び越していく。しかし、やはり人の姿は発見できなかった。建造物は埃を被っていて、壁や窓が破れているものも多い。この町は、放棄されて久しいのだろう。

 

「ミィボス」

 

 クァニャンの呟きをインカムが拾った。ぽつりと一言だけで、その後はなにも続かない。

 言葉の意味はわからなかったけれど、どことなく寂しい口調だった。

 

 海岸線に近づくにつれて、眼下の道路はさらに荒れていった。放棄された集落をさらにパスした。海に近づくほど、建造物の荒廃が顕著になっていく。風化して原型をとどめていないものも多くなった。

 おそらく、この地のウーサ人は、海沿いから内陸へと移っていったのだろう。生活の拠点となる家屋をそのまま残しつつ……。海上を縄張りとするシウジェアがその原因となったのであろうことは、想像に難くない。

 

 またひとつ集落を飛び越えた。目を引いたのは、黒く炭化した建物の残骸だった。建物といっても、屋根も壁も残っておらず、折れた柱が辛うじて残っている程度のものだ。そういった家屋が段々と増えてくる。残骸には溶解の痕跡も見て取れた。建造物が超高温に晒されて焼失したという証左だ。

 

 つまり、ここはすでに、シウジェアの射程内。

 

 太陽は沈んだ。夜の帳が下りる。

 ウーサの月は赤く暗かった。薄い雲に遮られて月も星も霞んでいる。

 暗闇は、しかし、明瞭だった。イブキのカメラは、宇宙の暗さにさえ慣れている。

 空気が湿っている。海が近い。道の果てには崩壊した港町。

 焼き尽くされて倒壊した建造物。廃墟を貫いて蔓延る蔦。砂浜は黒い灰に覆われていた。

 

 遠くの低い空で、緑の瞳が閃いた。

 

 視認と同時にサイドスラスタの短噴射。

 横向きの強烈な加速度。

 殴り飛ばされたかのようにイブキが左に跳ぶ。

 エメラルドの荷電粒子が機体の残像を貫いた。

 熱を帯びた空気の震えが肌に伝わる。

 コックピットの計器が目まぐるしく明滅している。

 

 回避の直前、頭部のクァニャンが消失(ロスト)した。

 姿勢制御と同時に、前方のやや高い位置に再出現を観測。

 彼女が僕を見た。インカムに密やかな声が触れる。

 

「復讐しよう」

 

 ぬばたまの夜の空に、燦爛と燃える。

 惑星(ほし)の猫の、おそろしい均整に、僕は目を奪われた。

 

 氷の仮面の奥から、ぐつぐつと煮え滾る情念が溢れて、彼女の表情を獣としている。

 彼女の言葉が再挑戦(リベンジ)の翻訳の揺らぎなどではないとすぐにわかった。

 クァニャンは、あの海の怪物を憎んでいる。

 理由も経緯も僕にはわからない。

 けれど、彼女にとって、あの怪物は仇敵であり、今から行うのは復讐なのだ。

 

「ゾクゾクするね」

 

 呟いて、グリップを押し込み、ペダルを踏む。背部スラスターが吼えて、イブキが加速する。

 復讐、仇敵、怨恨……。彼女の中に垣間見えたのは、僕にとって遠い感情だった。

 いや、僕だけではない。DJ号の乗組員(クルー)の多くも、きっとその言葉を忘れてしまっていることだろう。正確には、忘れたというべきか、どこかに置いてきてしまったというべきか……。

 

 ライフルを構える。水平線に目を凝らした。眼球と同期しているカメラがズームする。

 遠方に暗褐色の巨大な怪物が見えた。仮想レティクルが浮かび上がる。

 インサイト。

 トリガーを引いた。短い反動。乾いた銃声が新鮮だった。宇宙じゃないから、音がある。

 相手は有効射程のギリギリ。もちろん空気抵抗は計算されている。夜に紛れて、真鍮色の銃弾は精確に飛んでいく。

 

 瞬きひとつで、着弾。当たったのは円筒形の胴体。怪物が微かに身体を揺らす。

 ばね仕掛けのオモチャを突いたような動きだった。ゆらゆらと円を描くようにして、銃撃の衝撃をいなされている。有効打を与えたようにはとても思えない。

 

 まぁ、想定内だ。まったく無視されたというわけではないから、若干は好材料。

 イブキは前進を続けている。クァニャンはやや遅れて後方の高い位置。もっとも、瞬間移動ができるなら、その差はあってないようなものだろうけど。

 夜の海は荒れていた。進むほどに真っ黒の波が高くなる。シウジェアの巨体が這いずるたび、嵐のような高波が引き起こされている。

 

 波の彼方に、緑のフラッシュ。

 機体を右へとずらす。先ほどより猶予は短い。加速度で身体が軋む。肺が押し込まれる感覚。

 ビームが真横を突き抜けた。高波を貫通している。海水が蒸発して白い靄が生まれている。

 水にぶつかってもビームの荷電粒子が拡散していない。どういうメカニズムで収束を保っているのだろうか。

 

「海中ならさすがに減衰するだろうけど……。いや、潜航は最終手段かな」

 

 思考を回しながら、スラスタの出力を上げる。さらに加速。さっさと距離を詰めてしまいたい。

 イブキにとっては、宇宙よりも海の中の方が危険だった。宇宙の真空に耐えられる機体でも、深い水深の高圧力に耐えられるかは別の話。どこまで潜ればビームの脅威から逃れられるのかわからない以上、闇雲に海に入るわけにはいかなかった。

 そもそも、シウジェアの巨体が海中でどういう状態になっているかもわからないのだ。潜った瞬間にあの巨大な胴体で締めあげられでもしたら、あっという間にぺしゃんこだ。

 

「とはいえ、相手のことがよくわからない以上、なにをするにしてもリスクは付いて回るか」

 

 息を止める。フットペダルを踏み、両手のグリップを引いた。

 スラスタノズルが傾く。夜を抉るように機体が高度を上げる。下半身に血が落ちていく感覚。

 視線の先に、シウジェアの姿。やはり巨大だ。イブキに乗っていても見上げるような形になる。夜の海に濡れた暗褐色の鱗が、微かな星明りにぬらぬらと歪に光っていた。口内の砲塔を向けるためか、先端付近でくの字に身体を折っている。

 

 距離を詰める。高度150m。それでも頭頂部は遠い。目の前にある巨大な円筒形は、胴体なのか、首なのか、それとも長い頭部なのか。そんな疑問が思考を掠めた。

 スラスタをカット。慣性で突撃する。投石器みたいな軌道。出力の配分をサブスラスタに回して、姿勢制御と回避運動に備える。

 

「本当はこういう使い方じゃないんだけど……」

 

 ライフルを腰部にマウント。左腕のアタッチメントをアクティブに。

 重量級の杭打機(パイルバンカ)に合金製の杭が装填される。機構が噛み合う金属音が響いた。アンバランスな左のアタッチメントを右腕で支える。宇宙空間の航路上で障害物となる小惑星を破砕するための装備だ。正確には武装ではないし、射程もほとんどゼロに近いが、ハードターゲットに対する威力は折り紙付きである。

 

 今回の目標は生物。静止しておらず、常に動いている。

 夜の空気を舐めるようにシウジェアは口部をゆっくりと水平に動かしている。けれど、僕のイブキをトレースしているわけではない。狙っているのは、もう少し高い位置。おそらく、クァニャンだ。イブキの動体センサが表示した位置情報ともおおむね合致している。

 砲口の旋回以外の動きは、生物的な呼吸によるものだろうか。ホース状のボディが膨らんだり萎んだりを繰り返しながら、前後左右に小さく揺れている。

 

 その動きに、規則性があった。

 前面のサブスラスタを一度だけ短噴射。速度を微調整。それでも並の航宙機よりは速い。

 シウジェアが息を吸う。ボディが膨らんだ。

 吸気と呼気が入れ替わる。

 ほんの一瞬、収縮が止まる。

 瞬間、イブキはシウジェアに取りついた。

 杭打機の発射口を暗褐色の鱗に押し付ける。

 背部のスラスタを再始動。

 機体ごとターゲットに密着させる。

 

 引き金を引いた。

 

 けたたましい駆動音。左腕部から重い衝撃。ほぼ同時に、硬い物質を貫通する高い音。

 コックピットが揺れる。シウジェアが身を捩った。イブキが弾き飛ばされる。

 モニタに杭打機の映像。どろりとした液体が杭の根本まで付着している。

 シウジェアの外皮には穴が開いていた。周囲には蜘蛛の巣状のひび割れ(クラック)もできている。

 けれど、如何せん、小さな傷だった。

 直径は数mほど。人間でいえば針が刺さった程度の傷だ。シウジェアの活動を止めるどころか、痛手を与えたとすら言い難い。攻撃の直後は傷口から体液が噴き出ていたが、それももう止まってしまっていた。

 

「質量の差がシンプルに暴力、って感じだなぁ」

 

 イブキの体勢を立て直す。高度と距離を維持しながら横方向に機体を走らせた。

 コックピットに仮想モニタがいくつか浮かんでいる。機体のセルフチェックの報告だった。駆動系と関節部に負荷が掛かっていることを示している。特に左腕部とそこにアタッチされた杭打機の損耗が大きかった。機能自体はまだ生きているけれど、そう何度も使えるわけではなさそうだ。

 シウジェアがちょっと身を捩っただけでこれである。手数で押そうにも、あと二、三回も打ち込んだら内部機構が駄目になるだろう。そもそもが静止目標への使用を想定した装備なのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。

 

「ケィナイン。私がやる」

 

 さて、どうしたものか、と思案しているところで、コックピットに声が届いた。

 イブキのセンサが動体の出現を捉えた。瞬間移動だ。厚底ブーツのクァニャンが、杭打機の穿った傷の正面に現れる。瞬きの裏側から出てきたみたいだった。

 彼女の手にはお馴染みの木の杖。先刻は長柄の斧のようだった光刃が、今は槍のように先端に集中する形で輝いていた。夜の空で、それは月よりも眩い。

 

 クァニャンは空中で立ち止まり、身を捩るシウジェアの傷口に狙いをつける。

 不規則に大きく揺れ動く傷を目掛けて、彼女は光刃の槍を振りかぶり、勢いよく投げ放った。

 青い流星が夜を裂く。

 軌道もタイミングも完璧だった。

 輝く穂先が暗褐色の鱗に刻まれた傷口へと突き刺さる。

 真っ直ぐに投擲された木の杖が、ずぶりとシウジェアの体内に埋まっていく。

 攻撃されたはずの怪物はほとんど反応を示さなかった。

 おかしくはない。クァニャンの槍ではイブキの杭打機よりもさらにサイズの差がある。

 

 しかし、穿たれた木の杖は、魔法の槍だった。

 

 シウジェアの傷の奥から光が漏れる。

 イブキのセンサが熱量を感知する。

 直後、怪物の身体が内側から爆ぜた。

 爆発音を伴って、破壊された体組織が傷口から噴き出した。

 周囲の鱗に刻まれたひび割れ(クラック)が砕けて、ごぽりと肉と体液とが零れ落ちる。

 破壊痕は10m近くまで広がっていた。暗褐色の鱗甲に、かなり目立つ穴が開いている。

「マジか」と思わず呟いてしまう。

 

 絶叫が轟いた。

 奇怪な響きのそれは、シウジェアの咆哮だった。

 怪物が鳴き声のようなものを発したのは、これが初めてだ。

 

 先ほどまでとは比べ物にならない激しさで、シウジェアが身体をくねらせた。

 鎌首をもたげた頭部が恐ろしい勢いで振り下ろされる。

 まるで巨大隕石が落ちてくるかのようだった。

 イブキが鋭角の軌道で距離を取り、クァニャンが機敏に跳び退る。

 

 大気が潰れるような風音。

 巨大な槌が海面を叩いた。

 海が割れる。

 爆音が響く。

 海面にクレータが穿たれ、衝撃で海水が天高く噴き上がった。

 足元からの大瀑布がイブキを押し流す。

 あらゆるセンサが海水に覆われて、くぐもった反応を示している。

 

「重い……っ」

 

 姿勢制御が怪しかった。水の流れに弄ばれている。

 一瞬だけ視界が晴れて、今度はすぐさま土砂降りの中に。プールがひっくり返ってスコールになったかのようだった。先ほどとは反対に海面へと叩き落されそうになる。

 シウジェアに打ち上げられた水が落ちてきたのだ。舌打ちしつつ、スラスタの出力を上げて海水の重みと惑星の引力とに反抗する。相変わらずセンサは鈍った反応のままだった。巻き上げられた海水に混じって、砂利と岩、沈んだ木造船の残骸やらのオンパレード。ランダムにぶつかり合う雑多な物質のせいで、正確な情報を拾うにはノイズが多すぎる。

 

 分厚い水のヴェールの向こうで、再び轟音が響いた。

 左前方の低い位置だった。シウジェアの巨体がのたうつ様子が辛うじて見える。大質量の鈍器(フレイル)と化した怪物の胴体が再び海面を叩いている。それを認識するのと同時に、足元から海水の濁流が噴き上がって、再びイブキを強かに殴りつけてきた。

 

「クァニャンは――」

 

 言いかけたところで、コックピットが激しく揺れる。

 洗濯機に放り込まれたみたいだ。途方もない質量を伴った濁流に呑まれて揉みくちゃにされている。イブキでさえそうなのだから、生身の人間がこの圧力に耐えられるはずがない。

 魔法でどうにかなるものなのか? 通信からは海水の雑音しか聞こえてこない。彼女の姿はどこにも見えなかった。大海のスケールに対して、人間ひとりはあまりにも小さすぎる。

 

 瞬間移動が間に合えば逃げられたかもしれない。けれど、僕にはメカニズムがわからない。視界の無い状態で実行できるものなのか、移動先に水の塊があっても問題ないのか、不確定なことが多すぎる。

 そもそも、瞬間移動の座標指定はどうやっているのだろうか。たとえば、視覚情報を介して設定しているとか、それとも頭の中のイメージだけで完結するものだったりするのか……。

 

「×××!」

「わっ」

 

 しかし、次の瞬間、クァニャンは僕の目の前にいた。

 モニタに映ったのではない。コックピットの中だ。翻訳不能の叫びもインカムを通したものではなく、彼女の生の声だった。

 黒コートの濡れ鼠が、僕の上に落ちてくる。冷たい海のにおいが鼻をついた。コントロールグリップを握って両腕が塞がっている僕の胸に、容赦なく彼女の身体がぶつかった。

 衝撃で息が詰まる。山高帽のウーサ人はぐっしょりと水に濡れていた。シートベルトもつけていない彼女は、そのままもんどりうってシートの後方へと跳ねとばされていく。

 

 くらくらする頭で気が付いた。

 そうか。最初の接触(ファーストコンタクト)のとき、僕はコックピットを開放して彼女の姿を見たんだった。

 だからあのとき、クァニァンからもコックピットの内部が見えていたはず。正確な理屈はわからないけれど、その記憶があったから、彼女はここに瞬間移動してこれたのではないか。暴力的な濁流の渦中で、この箱の中ならひとまず安全地帯になると判断したのかも。

 

「っ、ケィナ――」

「掴まって」

「ィイッン!?」

 

 水壁の向こうに影。断崖のように巨大な物体が迫っている。首筋に悪寒が走った。

 フットペダルを思い切り踏む。スラスタが咆哮する。緊急回避。水流を押しのけて横っ飛び。

 横殴りの加速度が襲ってくる。壁が床になったかのよう。クァニャンがピンボールのようにコックピットを跳ねまわる。

 

 不幸な同乗者を気にする余裕はなかった。辛うじて回避した巨大な物体が、鞭のようにしなって再びイブキに向かってくる。海面でバネのようにバウンドして、速度がさらに増している。

 濁流を突き破るその姿が見えた。襲ってきているのは、シウジェアの円筒状の巨体だった。先ほどまでの海面を叩いて嵐を引き起こす動きとは違い、今は明らかにイブキのことを狙っている。

 

 なぜ動きを変えた。いや、そうか。クァニャンがイブキのコックピットに入ったからか。濁流の檻を作っていたのは小さな人間を沈めるためで、彼女の姿が見えなくなったからこちらにターゲットを移したということか。

 

 斜め下から突き上げる軌道で暗褐色の鱗が迫る。

 イブキのセンサはまだ怪しい。周囲の空間にはまだ大量の水が荒れ狂っている。目も耳も半ば潰されているようなものだ。直感でスラスタの向きを変える。機体を反転させて、急降下。高度計はギリギリ生きている。海面を掠めながら、怪物のスイングをすり抜ける。

 

 怪物が粒子砲(ビーム)を撃ってくる気配はなかった。空振りした巨体が唸りをあげてまた迫ってくる。この距離なら物理的に叩き潰した方が速いということだろう。理性的な思考なのか、それとも野生の本能なのか、いずれにしても厄介なことこのうえない。

 こうも暴れ回られてしまうと杭打機(パイルバンカ)を打ち込むこともできなかった。接触した瞬間、こちらが弾き飛ばされてしまうことが目に見えている。ライフルが有効打にならないこともわかっていた。こちらの武装が通らない以上、戦闘を継続してもいずれすり潰されるだけだ。

 

 潮時か。

 幸い、クァニァンも回収できている。このまま撤退したほうが良いだろう。

 

 そう思ったときだった。

「ケィナイン!」と耳元で叫び声が響いた。

 パイロットシートの首元にクァニァンがしがみついている。

 すぐ近くに彼女の顔があった。

 モニタの電子光に照らされて、彼女の瞳がギラギラと輝いている。

 僕にはそれがひどく暴力的な色に見えた。

 

「あいつを、二人で、やっつける」

 

 クァニャンの手が僕の腕に触れた。

 グリップを握る左手に、彼女の指が覆いかぶさる。

 夜の海に濡れた彼女の肌は、ぺたりと冷たかった。

 だというのに、そこにはなにか熱のようなものが感じられた。

 

「――――」

 

 知らない言葉を彼女が囁く。

 その意味は分からなかったけれど、その質感が確かに僕を導いた。

 

 グリップを捩じる。フットペダルを引き寄せる。

 イブキが鋭角に軌道を変えた。海面から急上昇。そこから唐突にフリップして急停止。

 引き裂かれる風の唸りをセンサが拾っている。

 その高さは、まさしく怪物のスイングの軌道だった。ただし、胴体部ではなく、頭頂部の付近。

 タイミングを計って、再び加速。

 シウジェアと相対速度を合わせる。

 しなる巨大な鞭との追いかけっこ。

 

「どうにでもなれ」

 

 クイック・ターン。視界がぐるりと回転する。

 モニタは頼れない。けれど、イブキの感覚は身体で知っている。

 スラスタを急かす。

 爆発的な加速。

 飛び込んだのは、怪物の巨大な口の中。

 肉色の生々しい口内に、大型の鋭利な歯がどこまでも連続して並んでいた。

 地獄への道は殺意で舗装されている。

 眩暈がするような落下感覚。

 

 上下の区別もなく、突き進んだ先に、奇妙な花が見えた。

 

 熱帯の巨大な食虫花を思わせるそれは、薄っすらと緑色の燐光を纏っていた。

 燐光、つまり、粒子だ。

 あれがビームの砲口、あるいはジェネレータなのか。

 

「どうにだってなるよ」

 

 耳元でクァニャンの声。知らないはずの言葉の意味が不思議と理解できた。

 彼女の指が僕の左手に重なっている。

 異星人の手のひらに包まれながら、僕はコントロールグリップを強く押し込んだ。

 イブキが左腕を振りかぶる。

 装着された杭打機(パイルバンカ)がモニタに映っている。

 

 その先端に、青く眩い輝きが灯っていた。

 それは、銀月のような魔法の光だった。

 

 周囲から音が消えた気がした。

 イブキが滑らかに左腕を突き出して、怪物の喉奥に咲く花の中心へと拳を埋める。

 引き金を引いた。

 ゼロ距離から撃ち出された魔法の杭が、燐光を纏う奇怪な花を貫く。

 イブキの左腕が弾けた。強い反動。杭打機の接続(アタッチ)が外れて、装甲がひび割れる。

 

 杭を撃ち込まれた巨大花は、内側から青い光を漏らしていた。

 その光が徐々に光量を増していく。光を漏出する亀裂も増え続けている。

 ぷくりと花房が膨らんだ。

 次の瞬間、光が弾ける。

 視界が真っ白に染まった。

 モニタもセンサも見ることができない。

 重なった彼女の指の感触だけが残っている。

 

 そして、遥か下の方から爆発が響いた。

 

 唐突に白い光が収まる。耳に音も戻ってきた。

 モニタに映っていたのは、雲のない夜の透明な星空。

 怪物の体内でもなければ、海水の嵐の渦中でもない。イブキの周囲には、なにもなかった。

 ふと、高度計の数字がおかしいことに気付く。表示されている数字を信じるのなら、僕らは海面から1km以上高いところにいることになる。

 

 まさか、と視線を下へと転じると、ずっと低いところに巨大な怪物の姿があった。クラッカみたいに口の先が盛大に爆ぜて、ズタズタになった胴体ごと海中へと没していくシウジェアの姿が。底なしの夜の海が、怪物の亡骸を引き摺り込んでいる。

 

 そう、僕は瞬間移動(ジョウント)したのだ。

 

「本当に、どうにかなった……」

 

 コックピットで呆然と呟く。身体から力が抜けて、シートにだらりと背中を預けた。

 グリップから手を離そうとして、クァニャンの指が今もそこにあると気が付いた。僕よりも細くて柔らかい指なのだと、今さらになって感じ取る。

 

 クァニャンは笑っていた。

 モニタを覗き込んで、沈んでいくシウジェアを見つめながら、引き攣った笑顔を浮かべていた。

 

 彼女の目尻から涙の雫が流れた。

 くらりと脱力した彼女が、コックピットの床にぺたりと座り込む。

 けれど、絡んだ左の指だけがそのままで、まるで僕の腕に縋り付いているみたいだった。

 

 クァニャンはしばらく俯いて、それから僕を見上げたけれど、その顔はさっきよりもひどい泣き笑いで、彼女にどんな言葉を掛けたらいいのか、僕にはまるでわからなかった。

 

 

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