星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

41 / 46
星の息吹は宇宙猫の夢を見るか(3)

 ペットロボットという玩具がある。

 ざっくりと説明するなら、特定の動物の姿かたちと行動を模倣して造られた、動物飼育を疑似的に体験するための機械のことだ。

 

 地球時代発祥の伝統的な玩具なのだが、DJ号(フネ)ではこれがまったく流行していない。

 一応、ホビィ関連の商品目録(カタログ)の隅っこの方に載っているには載っているのだが、誰かがソレを購入したという話はまるで聞いたことがなかった。ごくごく稀に、もの好きな蒐集家(コレクタ)が何百年も前に製造されたアンティークを高額で買い取ったとかいう噂を聞くくらいだ。一般的な市場での流通は皆無に等しいと言っていい。

 

 そもそも疑似的な体験を趣味とするなら、仮想現実(ヴァーチャル)を用いるのが現代の主流となっている。使用するデバイスの精度にもよるが、ペットロボットを購入するよりもよほどリアルな動物の飼育が体験できる。わざわざ現実世界に偽物のペットを用意することに価値を見い出せる人はそう多くないだろう。

 

 大体において、DJ号には『本物の動物』が存在しないのだ。地球原産の動物の遺伝子は保管されているが、それを使って人間以外の動物を再生したという記録はほとんど残っていない。記録に残っている僅かな事例も、あくまで研究用のサンプルとして動物が再生されたというケースだけである。

 当然ながらそういったサンプル個体は、研究室から出されることはないし、予定された実験に供されたあとは必ず処分されることになっている。

 上層企業の有力者が個人的な趣味で愛玩動物を所有しているという噂をたまに聞くこともあるが、そういった類の話はネットワーク上を飛び交う怪文書の一種でしかなく、どれも与太話の域を出るものではなかった。

 

「生きた動物がどこにもいないってわかってるのに、模造品の動物(ペットロボット)を後生大事に現実で飼育するだなんて、そりゃまぁ虚しいものだとわかりきってるからな」

 

 ソファに腰掛けてテーブルの上に脚を投げ出した九十九が、つまらなそうに鼻を鳴らした。服装はいつもと同じネイビィのジャケットで、色の薄いサングラスが室内の照明に鈍く反射している。

 東部基地に新たに設置されたコンテナハウスの室内だった。九十九の生活拠点として、彼が地上に降下するのとあわせてDJ号から送られてきたものである。

 

『コンテナ』ハウスといっても貨物用を彷彿とさせる無骨なものではなく、小さいながらも住宅らしい外見を備えたスマートな建物だった。輸送の利便性にも優れた箱型の住居は、入ってみれば間取りも良く、人間ひとりが生活するには十分すぎるほどの広さが確保されていた。

 

 個人用の住居が用意されたのは、チャンピオンという立場に付随する特権のひとつなのだろう。

 もっとも、当の九十九自身は日中はアケソラの格納庫に入り浸っていて、この建物には寝起きするときくらいしか戻っていない様子である。

 

「というか、単純に場所を取るのも悪いですよね。模倣(フェイク)だとしても動物が生活できるだけのスペースがペットロボットには必要なわけですし。集合住宅に住んでる乗組員(クルー)だとその辺りもネックになるんじゃないかな」

「そういうものなのか?」

「そういうものなんです」

「そうか。今まで生きてきて家の広さで困ったことがないからな。いまいち想像できん」

 

 チャンピオンの住居といえば、けっこう前に雑誌かなにかに記事が掲載されてるのを見た記憶がある。集合住宅ではなく戸建ての家屋で、外観の写真だけでもかなり広そうな印象だった。

 ただ、記事の内容をよく読むと、広さの割に家の中は物が少なくさっぱりとしていて、全然使っていない部屋もけっこうありそうな雰囲気だったが……。

 

「もとから荷物をそんなに持たない性分なんだよ。そりゃあ俺だってチャンピオンになる前は集合住宅に住んでたわけなんだが、そこでも部屋の広さは持て余し気味だったくらいだしな」

「ああ……。なんとなくわかります」

「結局、俺たちみたいなパイロットは、ステラ・コネクタに乗ってるときが一番楽しいからな。家に帰っても飯を食って寝るくらいしかやることがないんだよなぁ」

 

 テーブルの片隅には、さっきまでピザが載っていたプラスチック皿が置かれていた。

 今日は九十九から夕食に誘われてこの部屋にやって来たのだった。イブキの調整がひと段落して格納庫から出たところで、ちょうどアケソラの格納庫から出てきた彼とばったり会い、突発的に招待を受けたのである。僕も九十九も地上に下りてきてからもうしばらく経つが、彼がそんな提案をしてきたのは初めてのことだった。

 

「だってのに、新しい家を建てなくちゃいけないんだとよ」

「今住んでいる家とは別に、ですか?」

 

 面倒くさそうにぼやいた九十九に問い返す。

 首を動かしてサングラスを斜めに傾けた彼が、「そう、それだよ」と口の端を吊り上げた。だらけるようにソファに預けていた背中を起こして、真っ直ぐに僕の顔に視線を飛ばしてくる。

 

「その様子だとまだ聞いてないみたいだな」

「なにをです?」

「この先のDJ号(フネ)の計画だよ」

 

 なにやら思わせぶりな台詞だった。九十九は声を潜めるわけでもなく、まったくいつも通りの声色だったが、どうやらまだ一部の人間にしか知らされていない情報を伝えようとしているらしい。

 サングラスの奥で細められた彼の目は、悪戯っぽい愉しみの色を浮かべつつも、その奥で冷酷な機械の如くこちらを観察しているようであった。

 

「40年」九十九の唇が動く。「最低でも40年、DJ号(フネ)はこの惑星(ホシ)宇宙(ソラ)に留まると決めた。すでに財閥のお偉方の決議を通っていて、数日のうちに公表されることになる」

 

「……40年、ですか」

 

 無意識に呟きが零れた。

 予想外というわけではない。DJ号が発した惑星ウーサ発見の報が地球に届くまで数十年。そこから折り返しのメッセージが返ってくるまでの時間を考えれば、40年というのは妥当な期間設定だ。

 地球からの返信を待たずしてDJ号が惑星ウーサを出立するという可能性は、もとよりかなり低いものだと思っていた。そういう意味では、九十九の言葉は僕にとってある種の答え合わせのようなものでしかない。

 

 けれど、その決定が(フネ)の方針として乗組員(クルー)に公表されることには、やはり大きな意味がある。

 

「なら、新しい家を建てるっていうのは……」

「当然、地上に建てろ、って命令だな」

「ユミツから土地を譲り受けるんですね。それとも借りることになるのかな」

「財閥が入植を管理する企業を新たに設立して、災獣の縄張りに飲み込まれて無人になっていた地域の一部を買い取るって方向で調整が進んでいるらしい。どのみち現在のユミツの人口だと、国内の災獣をすべて討伐しても、かつての領土全体を再び復興することは不可能って話だ。その隙間を俺たち地球人が埋めることになるわけだな」

 

「入植の規模は?」

「まずは(フネ)から500人を地上に下ろす。同時に、()()()()()()()()()。艦の欠員を補充するのに500、それから地上の入植者としても若干名」

「思ったより少ないですね」

(フネ)の都市機能の維持が最優先だ。一度に大量の人員を地上に回すことはできない。追加の人員を送るにしても都市の人口動態とバランスを取りながらになるな。その代わり、()()()()()()()()はタイミングをずらしながら順次誕生させていく予定だとさ」

 

 つまり、500人の乗組員(クルー)が地上での生活基盤を整えていくのと並行して、次の世代となる赤ん坊を徐々に増やしていくというわけか。

 言うまでもなく、地上に入植する赤ん坊もDJ号の『保存庫(ジーンバンク)』から700年前の遺伝子を引き出して誕生させられることになるだろう。五千万人の遺伝情報を掛け合わせることで、地上でも生物集団(コロニー)を維持するための遺伝的な多様性を確保するのである。

 

「九十九さんも地上に?」

「意外か?」

「意外というか……、チャンピオンの立場で許されるのかな、って」

「ま、上層部(ウエ)からは地上にも家を持てと命令されたが、人工都市(シルキィ)の家を片付けろとは言われなかったからな。俺が地上に下りようが今まで通り宇宙(ソラ)の仕事も押し付けてやろうって魂胆だろうさ」

 

「それはまた、忙しいことになりそうですね」

「だろう? けどな、(フネ)に縛り付けられるよりはよっぽどマシだよ」

 

 チャンピオンはサングラスを額に持ち上げて、露わになった瞳を天井に向けた。宇宙を見るかのような遠い目つきだった。口元から零れた吐息に、乾いた寂寥の念が滲んでいる。

 

「『戦争』は無期限中止だとよ。闘争のない宇宙(ソラ)なんて、ただ退屈なだけだってのに」

 

 詰まらなそうに呟いて、九十九はサングラスを目元に戻した。

 ハッ、と彼は失望を笑い飛ばす。口元はもう自信に満ちた傲慢な王者の形に戻っている。サングラスの下の瞳にどんな感情が浮かんでいるのか、もう窺い知ることはできなかった。

 

「戦場は地上にある。だから、俺もアケソラもそこで生きるってだけのことさ」

「僕たちはパイロットだから……。ステラ・コネクタに乗って戦う以外の生き方を想像できない」

「向かうべき戦場がどこかに存在して、戦うことに飽いてもいないなら、わざわざ別の生き方を想像する必要もないだろう?」

「……そうかもしれませんね」

「もしも『お前は(フネ)に残って都市の警備に回れ。地上の戦闘には関わるな』とか命令されてたとしたら、今ごろは上層部(ウエ)に殴り込みを掛けてたかもな」

 

 それはそれで面白そうではあるか、と九十九は喉を鳴らして愉快そうに笑う。

 彼はグラスに注がれた冷たいドリンクを一息に飲み干すと、口元を真っ直ぐに結んだ僕に対して、興味深そうに問いかけてきた。

 

「アンタはどうだ、京奈院。これから先も戦場は愉しめそうか? あるいは、地上で新しい生き方とやらを見つけられそうか?」

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 コックピットは棺桶と呼ばれている。それが最後の機能になるからだ。

 宇宙でも地上でも、それはきっと変わらないだろう。

 

 もうずっと前から、僕は自分の死に場所を知っていた。

 電子の送り火が浮かぶこの小さな鉄の部屋こそ、僕の終着点だ。

 

 自分がどこで死ぬのかを知っているから、僕は自分がどう生きるのかも知っていた。

 始点(スタート)終点(ゴール)がわかっているなら、その2つを結ぶ線をなぞればいい。

 試験管で生まれた僕に与えられたのは、パイロットとして生きるための知識と能力。

 すなわち、いずれ自分の棺桶(コックピット)に入るための資格(ライセンス)だった。

 

 それはDJ号(フネ)の定めた僕の道のりであり、同時に、僕が乗組員(クルー)としてDJ号(フネ)の道のりを拓くために必要なものだった。

 

 だから、パイロットとして生きることに疑問はない。

 ステラ・コネクタを操縦することも、敵と定めた相手と戦うことも、僕は好きだった。

 たとえ戦場で命を失うことになっても、この感情に嘘はなかったと言い切れる。

 

 だけど……。

 最近、この鉄の部屋が本当に棺桶なのかを考えるようになってしまった。

 コックピットはコックピットであって、別に棺桶というわけではないんじゃないか、と……。

 パイロットとして生きるにしても、コックピットの中に死に場所を見い出す必要はないのかもしれない。コックピットの外には、今まで信じていたものとは別の棺桶があるのかもしれない。

 

 そんなことを、ぼんやりと考えている。

 

「ケイナイン?」

「……ん」

 

 すぐ隣から聞こえた声が、僕を思考の渦から引き揚げた。拡散していた意識が輪郭を取り戻す。

 頭の奥の白い霧を振り払うその間も、コンソールを滑る指は淀みない。コックピットに灯る水色のディスプレイには、出撃前のチェックリストが並んでいる。思考とは切り離された視覚が計器を捉えて、表示された数値に問題がないことを順次確認していた。

 まるで自分がステラ・コネクタの機構(システム)の一部になったかのようだった。本当にそうでありたいと考えたことも、一度や二度ではない。

 

「ぼんやりしてる?」

「……いや、そうでもないよ」

 

 視界の端に菫色の髪が踊る。クァニャンの小さな顔が、横から僕の顔を覗き込んでいた。

 

「考え事?」

「まぁ、そんな感じ」

「なにを考えてたの?」

「2人で入る棺桶(コックピット)は、本当に棺桶なのかな、って……」

 

 おざなりな口調でそう言うと、クァニャンが目を瞬かせた。

 

「今、『2人で同じ墓に入る』って言った?」

「あれ、そんな風に聞こえたの?」

 

 翻訳が混乱していた。先日、安藤がソフトを更新したと言っていたから、それが原因だろうか。

 メガネには『同じ墓に入る』と『家族として一緒になる』が並んで表示されていた。ユミツ国の慣用句のようだ。もしかしたら地球の慣用句なのかもしれないけれど、DJ号(フネ)では家族という言葉はほとんど死語になっているので、どうしても馴染みのない語感になってしまう。

 

「家族ってなんだろうね」

 

 深く考えることもなく、ふとそんな呟きが零れた。

 コックピットに沈黙が落ちる。言葉が途切れて、システムの電子音だけが白々しく響いていた。

 コンソールから視線を外して隣を見ると、ぴたりと動きを止めたクァニャンが、形容しがたい表情で僕をじとりと見つめていた。

 

「……ユミツの定義だと、血縁があって、一緒に暮らす人たちのこと」

「そう、僕たち乗組員(クルー)()()がわからないんだ」

「前にも聞いたけど、本当に誰にも親がいないの?」

「うん。それから、血の繋がった子どもを持っている人もいない」

「確か、ジンコウチノウが子どもの世話をするんだっけ」

「そうだよ。だけど、それは家族とは違う関係なんだと思う。彼らは家庭教師(チュータ)だからね。僕らと長い時間を共有するのは確かだけど、教える側と教わる側とで明確に立場が分かれている。言葉にするのは難しいけれど、なにか線が引かれていて、僕も彼らもそれを乗り越えないように意識している節があるんだ」

 

 そんなことを喋っていると、水無の顔が自然と脳裏に浮かんだ。

 僕の家庭教師(チュータ)であった彼女も、互いを家族と呼び合えるような距離まで歩み寄ってくることは決してなかった。

 もちろん、彼女が教師としての職務を完璧に遂行していたことは事実だ。けれど、今にして思うと()()教師というフレーズに、どこか寒々しいものを覚えるのも確かである。

 

「たぶんだけど、DJ号(フネ)の人工知能は、人間の家族にならないように制御されているんだと思う」

「それはどうして?」

「人間が機械を家族にするようになって、いつか人間同士で家族になることを忘れてしまわないように、かな……」

 

 しばらく前に水無と通信したときの会話が、今も頭の中にこびりついていた。

 彼女は――、人工知能は、人間という生命の価値を尊重する思想を持っていた。()()()()()を代替するために生み出された彼女たちは、しかし、()()()()()を代替することを忌避しているようにも思える。

 機械は人間とともに生きるためにデザインされたものであり、機械が人間に成り代わって社会の中心に立つことは、自らの製造された意味を投げ捨てることに他ならない、と……。

 

 おそらくそのジレンマが、僕らと彼らの間に見えない線を引いているのだろう。

 

「不思議だね」クァニャンが呟く。

「なにが?」

「ケイナインはチキュウ人に家族はいないって言うけれど、話を聞いてると、私たちウーサ人よりもずっと家族の形にこだわっているみたいだから」

 

 クァニャンの口調に含むものは感じられなかった。地球人類と人工知能の滑稽なバランス調整を嘲笑するでもでもなく、ただ率直な感想が零れただけなのだとその声色からも察せられた。

 コックピットのシートに背中を預けた彼女は、普段通りの表情を浮かべた顔を隣の僕に向けて「私たちにとって……」と続ける。

 

「家族の基本的な定義はさっき言った通りだけど、親がいない家族もあれば、子どもがいない家族もあるし……、血縁のない相手を家族と呼ぶことも珍しくはないかな。飼っているペットが家族だって言う人とか、杖みたいな魔法の道具を家族として扱っている人だっているよ」

「……地球時代の小説に出てくる話みたいだね」

 

 創作(フィクション)ではない。そういう変則的な家族の形が、700年前の地球にも存在していたのだ。

 現代の僕たちがそれを忘れてしまっているのは、たぶん、もっとも根底にある家族の形を失くしてしまったからだろう。()()()()()をしようにも、お手本にするべき家族の形をイメージできないから、ペットやマシンを家族として扱うことができないのである。

 

「だから――」

 

 ふと、クァニャンの声が宙を彷徨った。

 言いかけた言葉が喉に引っ掛かって、続きが出てこない。メガネを掛けた彼女の視線が、僕を見て、それからコックピットをせわしなく見回したと思うと、躊躇いがちに再び僕に戻ってくる。

 伏せ目がちの上目遣い。じっとりとした視線はほのかに熱を帯びていた。

 

「だから?」と彼女に続きを僕は促す。

 彼女はたっぷり3秒息を吸ってから、僕の顔を正面に捉えて言った。

 

「……だから、私は、宇宙人と家族になったって、おかしくないと思う……」

 

 不思議なことに、声の形や言葉の意味よりも、その奥の感情が先に伝わった気がした。

 言語化できない感情から逆算するように、だんだんと言語の処理が追いついていく。

 その数秒の遅延(ディレイ)の間、僕はさぞ間抜けな顔をしていたことだろう。

 

「……そっか。それは、うん、君の考え方だし、自由だと思うけど……」

 

 錆びついて固まった機械みたいな返事だった。どうしてか頭の中の検索機能が消失していて、今まで読んできた書物からも適切な切り返しを探すことができない有様だ。

 口の端を持ち上げて、せめてもの愛想笑いを浮かべようとしたけれど、それも上手くいっていない気がする。もし目の前に鏡が置かれていたら、きっと情けない半笑いの困り顔が映っていたに違いない。

 

 そう、つまり、僕は動揺しているのだ。

 クァニャンが口にした、宇宙人と家族になる、という言葉に。

 そして、その言葉を彼女がはっきりと声に出して伝えてきたという現実に。

 

「……それだけ?」

 

 クァニャンの拗ねたような声。

 熱っぽい視線は今も僕を捉えている。

 惑星(ホシ)のような引力に僕は目を逸らせない。

 痺れた脳髄が言葉と感情を探している。

 

 けれど、僕の思考が復帰するより早く、コックピットに無機質で無作法な電子音。

 自動化された眼球が目の前のディスプレイに焦点を合わせる。表示されていたのは、出撃前のチェックが完了した旨のシステム・メッセージ。

 火の入ったイブキの炉心が、ぴりぴりとした振動をコックピットに伝えている。メインモニタにはシャッタが開放された格納庫の光景。屋外は相変わらずの長雨で、鉛色の曇り空からしとしとと水の雫が落ちてきている。

 

「時間だね」

 

 クァニャンはもう前を向いていた。

 軍人の横顔だった。熱を帯びた瞳は冷却されていて、今は湖のように静まり返っている。厚底靴をしっかりと床につけて、両手で猫耳帽子を被り直している。

 

 正直なところ、僕はホッとしてしまった。

 ステラ・コネクタを操縦している間は、他のどんなことでも棚上げすることができる。それがパイロットの生態だ。たぶん、クァニャンも軍人として同じような性質を持っているのだろう。

 

 シートに座り直す。コントロールグリップとフットペダルを確かめた。

 機体とインプラントのリンケージを再確認。

 仮想コンソールをタッチして、機体の状態(ステイタス)を待機状態から移行させる。

 

「行こう」

 

 フットペダルを踏む。25トンの右足が前に出た。

 シャッタをくぐったイブキが、止まない雨に濡れていく。相も変わらず没個性なグレイの塗装が、あっという間に暗くなった。

 

 全高15m。視界は東部基地の本棟よりも高い。

 雨の中、軍用のコートを着込んだユミツ軍人たちが、遠巻きにイブキの一本角を見上げていた。

 近距離に人の姿はない。各種のセンサでそれを確認してから、スラスタに命令(コマンド)を送る。

 

 膝を軽く曲げて、地面を蹴った。

 跳躍と同時に、スラスタが垂直方向の出力を上げる。

 シートの座面にめり込むような加速度。ずんぐりとした機体がいっきに上昇する。

 

 空に出た。少し離れたところに、赤い巨人。九十九とミトのアケソラだ。あちらも時間通り。

 コックピットにマップを展開する。北の方向に、目的地を示す赤い光点。

 通信状態は良好。作戦指揮官であるマハナと三船の名前が接続先のリストに表示されている。

 

「ケイナイン、作戦を開始します」

「クァニャン、同じく作戦を開始します」

 

 いつもと変わらない口調で、僕たちはそう宣言した。

 目的地は吹雪に閉ざされた北部地域。ターゲットはユミツ国に残る最後の災獣。

 

 僕の操縦で、巡航速度のイブキが北へと飛行を開始する。

 4度目となる討伐作戦の始まりだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。